Cultre Power
biennale & triennale 横浜トリエンナーレ2008 評論コンペ









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「見る」ということ

 「横浜トリエンナーレ2008」は、2001年に始まり今回で三回目を数える国際展覧会である。今回は「タイムクレヴァス(ときの裂け目)」というテーマの元、特にパフォーマンスアートに力を入れており、その時、その場所でしか出会えない作品も多かった。
 そんな作品達の中で私がまず気になった作品は、三溪園にて行われたホルヘ・マキとエドガルド・ルドニツキーの『薄明』と題されたパフォーマンス作品である。
 この作品の会場となった旧東慶寺仏殿は、江戸時代初期に建てられ、重要文化財にも登録されている歴史的な建築物だ。そんな荘厳な仏殿内で行われるパフォーマンスに、私は期待に胸を躍らせながら十数人の観客と共にその中へ入って行った。暗い仏殿内にはこれといったステージも無く、ただ簡素な裸電球がぼんやりと、木造の建物内をオレンジ色に照らしていた。 聞こえてくるのは胡弓の音色。さほど広くない仏殿内は、懐かしく、しかしどこか不安定な空気に満ちていた。
 そんなどこか幻想的な雰囲気の中で、私はずっと「何か」が始まるのを待っていた。中央を向いて並ぶ人々、その視線の先に捉えるべき鑑賞物が見当たらなかったのだ。今にダンサーが登場するのではないか。今に何か立体作品でも出てくるのではないか。きっと今に、何か「見るべきもの」がやってくるのではないだろうか。そうして私は「何か」をずっと待ち望み、そしてある時漸く気が付いた。「電球が段々と下降している!」。仏殿内部を右手奥上方から、対角線を描き左手手前の下方まで、電球は段々とその光を弱めながら、ゆっくりとその空間を横断していたのだ。そして私は、今更になってこの作品タイトルを思い出し、理解した。『薄明』。このぼんやりとした空間こそが作品だったのである。
 変わっていったのは電球だけでは無かった。幻想的な胡弓の音色は段々と旋律を失い、それとは反対に、耳鳴りのような低いうねりは段々と大きく響いていった。これは後で知ったことだが、音楽も電球と同じように移動していたらしい。対角線上に設置された二つのスピーカー。一方から流れ出した旋律は段々と音を失い、そうしてその旋律から消された音が反対側のスピーカーから和音となって聴こえていたそうだ。
 そして、旋律がすっかりただのノイズに姿を変えた時、電球はゆっくりと一番下に辿り着き、静かにその光は消えてゆく。そこに至るまで約20分。
 率直に言ってしまえば、決して面白い作品ではなかった。薄明かりの空間は幻想的であったが、20分の拘束の中にあっては酷く退屈な物でしかなかった。実際、他の観客も段々とそわそわし始め、早く終わって欲しいという祈りのようなものまで感じられた。神秘的な音楽の中に混じる人々の気配は徐々に大きくなり、携帯電話が二度も鳴った。それでも、中心に向かいずらりと並んだ人々はその姿勢を崩すこと無く、降下していく電球を、或いは別の何かをじっと見ていた。私はそこに、どうしても拭い去れないもやもやとした違和感を抱いたのだった。そしてそれは「薄明」から開放された瞬間に段々と、その輪郭を明確にしていった。
 三溪園にはこの作品の舞台となった旧東慶寺仏殿以外にも、臨春閣や旧燈明寺三重塔といった歴史的な建築物が数多く建っており、私はこのパフォーマンス作品に辿り着くまでの間、順々にその家屋を見て回っては、まるで何百年も前の時代にタイムスリップしたかのような感覚に浸っていた。奇妙で厳粛な、しかし心地の良い空間は、この『薄明』をきっかけに、じわじわと、けれど強烈な力強さで崩壊したのだった。
 仏殿内で感じた違和感。それはきっと「見ること」の喪失。そして再度「見ること」を手に入れた瞬間に突きつけられたのは、今ここにいる私たちの身体と、過ぎ去った時間との決定的な差異だったのかもしれない。この作品に出会う以前に感じていたのは、交わる筈の無いものに取り込まれた錯覚だった。私はいったい、それを何処で手に入れたのか。三溪園を巡りながら、私はいったい何を見てきたのか。あの下降し、消えてゆく電球と、最早誰も暮らしてはいない家屋。その違いはいったいどこにあったのだろう。熱心に、そして時に自分の思いや知識を述べながら楽しげに歴史的建築物を見て回っていた人々が、「薄明」に浮かび上がる空間では酷く退屈そうな顔を見せていた。「鑑賞者」の立場に立った私達にとって、この二つの間にはきっと、超えられることの無い、明確な線が引かれていた。「見ること」の喪失。それは美術の特権性に関る問題や、鑑賞から体験へと変化する美術のあり方など様々な問題を孕んだ、「見るべきもの」に対する信仰の揺らぎでもあった。
 私はあの有名な作曲家ジョン・ケージの『四分三十三秒』を思い出した。この曲は演奏家が楽器の前で一定時間無音を保ち続けるというものであるが、これによりジョン・ケージは本来そこにある筈の、当然聴かれるべき「旋律」をすっかり喪失させてしまった。そして、その代わりに浮かび上がる「空白」に対する人々の対応、微かな「ざわめき」に聴かれるべき対象としての地位を与えたのだ。それは、この『薄明』においてもそうだったのではないだろうか。ぼんやりとした淡い光の中で、微かに揺れる人々の影。「見るべきもの」の消失した空白に現れた困惑した人々のざわめき。それこそがきっと「見られるべき対象」であったのだ。
 私達の生活の大部分は視覚に支配されていると言っても強ち間違いではないように思う。勿論その他の感覚も無視することなど出来ないが、私達は特に視覚というものに多大なる信頼を置いているようだ。しかしそんな視覚ですら、世界をありのままに映しているわけではないという。脳は大量の光情報の中から「見たいもの」或いは「見るべきもの」だけを選択し、認識する。他人の作り出す微かな影。小さな「ざわめき」。それらはきっと、私達が無意識の内に切り捨ててきた、「見るべきではない」不必要な情景であった。
 三溪園という歴史的空間で私達が見ていたものは、決してその「建築物そのもの」だけでは無かったのだろう。きっとそれは、いつかそこにあった筈の誰かの「ざわめき」。それは現実とは異なる歪んだ時空を生み出し、そして「今ここにいる」私達の「ざわめき」をも映していたのかもしれない。三溪園は決して、既に戻れない歴史を鑑賞する場所ではなかった。原三溪が作り出したのは、人々の気配に溢れる生きた空間だったのだ。
 またホルヘ・マキは、今回の作品の前身となった「Twilight」について自身のホームページでも語っているが、彼は薄明かりの中で行われる「音楽と像の消失」に焦点を置いていたようだ。
 「光が闇に向かうのと同時に、音楽はノイズへと変化します。冒頭で明瞭に知覚できたものが、不鮮明となっていき、作品の最後に消滅します。」
 微かな「ざわめき」は、何事も無かったかのように再び消えていく。そうして普段気がつかずにいた「何か」が、「そこにあった」という気配だけを残し、私達の中にこびり付いてゆくのかもしれない。そしてそれこそがあの、もやもやとした小さな違和感の正体だったのだろう。
 『薄明』は、無意識の内に切り捨てられた人々の「ざわめき」を、私達の隣にぼんやりと浮かび上がらせてくれたのだ。
 また、今回のトリエンナーレにおいて、「見ること」を強く考えさせてくれたもう一つの作品に、クロード・ワンプラーの『無題の彫刻(大きくしなやかでセクシーな自分を喰らう裸のヴァンパイア)』がある。この作品を前にして、私は狐につままれたような感覚しか抱けなかった。眼前には大きな台座と、そこに鎮座している筈の「何か」の影。そしてその「何か」を一心に写生する女性。突如現れた不可解な現状。助けを求めるように音声ガイドに手を伸ばしても、再生されるのはこの「巨大な彫刻」制作がどんなに大変なものであったかを淡々と語る作者の声だけであった。
 意味がわからない。というのが一番初めの、素直な感想である。もしかしたら、既に取り去られてしまったのか。いや、ひょっとすると、「見えない」だけで実際に「何か」があるのだろうか。私はそんな御伽噺のようなことまで思ってしまった。「何か」があるという気配、痕跡だけを残して「見られるべき対象」はすっかり姿を消してしまったのである。あの台座の上に私達はいったい何を見ればよかったのだろうか。
 詩人アンドレ・ブルトンは、シュルレアリスム運動の先駆者としても有名であるが、彼は著書『シュルレアリスム第三宣言 発表か否かのための序論』のなかで、「透明な巨人たち」という仮想生物について語っている。この「透明な巨人たち」という言葉のイメージと、クロード・ワンプラーが作り出した、あの「見えない」巨大な彫刻との間に、私はどこか同じものを見ていた。
 この「透明な巨人たち」は「人間が犠牲者か目撃者にしかなりえないような暴風的大変動(革命や社会変動、戦争を示しているらしい)」を通じて「恐怖や偶然の感情のなかで、ぼんやりとわれわれに姿を見せる」ものらしい。田淵晉也氏はこの「透明な巨人たち」について自身の著書の中で、「シュルレアリスム的ブラック・ユーモアの仮想動物」「現実の世界の亡霊」であると述べている。ユーモアが「圧倒的な偶発的な出来事がおおいかぶさってくるとき、それによって破壊されそうになるこころの均衡をかろうじて支えることができる」ものだとするならば、あの「透明な巨人たち」は閉塞し、衰退する世界を映す鏡であると共に、その先にある筈の希望でもあった。失った「何か」、そしてこれから先に求める「何か」、それらを映す巨人は、きっと透明でなければいけなかったのだ。
 田淵氏は更に、「シュルレアルスムが批判し、「反作用」した「現実」は、機械・技術文明的、合理主義的、「意識」世界である。」と述べた上で、「しかし、批判における正反対的なものとは、反対する対象があってはじめて存続できる。むしろ、反対する対象の次元と背中合わせの次元からおこなわれることである。」と言い、「透明な巨人たち」はあくまでも当時の化学の範疇、そして進化論の立場から見ているのだと述べている。「機械文明のなかで機械文明の救済を求めた芸術運動」がシュルレアリスムであると言うのだ。
 そうであるならば、あの台座の上に置かれた「透明な巨人」は強烈な皮肉として響いてくる。機械文明の温床を受け、しかしそれがもたらした害悪に知らんふりを続けてきた結果が今勢い良く溢れ出している時代に、再びあの「透明な巨人たち」が姿を現したのだった。
 私達はあの空の台座にいったい何を見たのか。「大きくしなやかでセクシーな自分を喰らう裸のヴァンパイア」。循環される資源。自給自足。それはもしかしたら究極のリサイクルかもしれない。鎮座していたのはエネルギッシュで軽やかな、そしてどこかチャーミングなイメージさえも抱かせる、現代の亡霊だった。
 これら二つの作品は、消失の内部を「見る」ことによって成立しているのではないかと私は感じた。「見ること」の消失によってしか「見えない」もの。それはきっと、私達が今まで「見る」ことを拒んできたものを、微かな違和感によって伝えようとしていたのではないだろうか。
 今回の「横浜トリエンナーレ2008」が抱いていたものは、決して美しいものだけではなく、決して面白いものだけでもなかった。それらは時に醜悪で、残虐で、難解なものであり、そこは決して夢の世界を模したテーマパークなどではなかった。しかし、美術が社会を映す鏡であるとすれば、また何らかの予感の体現者であるならば、表面的な美しさの下に隠された、ありのままの世界への理解を私達は望んでいるのかもしれない。絶対的な進歩主義のもたらした弊害を直視出来ず、表面的な傷の隠蔽と忘却だけを望んだ時代からの脱却。そこに必要なのは「今現在」への純粋な直視なのではないだろうか。
 美術はきっかけに過ぎない。そこに何を見るか、何を感じ、何を考え、そして何を為すか。このトリエンナーレで私達に与えられたのは、取り繕われた美しさでも、作り出された醜悪さでもなく、ただ目を反らしたくなる程の現実であり、そこから先は全て、私達一人一人の「これから」に託されたのだ。

(當眞未季)

参考文献

  • 『横浜トリエンナーレ2008 カタログ』横浜トリエンナーレ組織委員会、2008年、173項
  • 田淵晉也『現代美術は難しくない 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』世界思想社、2005年、245〜250項
  • 「JORGE MACCHI」(ホルヘ・マキ、ホームページ) http://jorgemacchi.com/