Cultre Power
biennale & triennale 横浜トリエンナーレ2008 評論コンペ









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メリ・ニクラ ――――自然との対話、魂の交流

 「人は芸術家になるために地球になろうとし、人であることをやめようとする」――――20世紀フランスの画家であるデュビュッフェは、芸術家についてこのように述べている。しかしメリ・ニクラは、むしろ自然と一体となろうとするが故に、人であり続けることを享受しているかのようである。彼女の奏でる旋律とは、同じ一つのアニマから生まれ得た生命として、他の生命や自然と「共存」することを望み、また「畏怖の念」をも想起させるのである。

 9月23日、運河パーク内に設置されたリング・ドームにて、RISING TUNES vol.1が開催された。現代アートの祭典へと身を浸したのは良いが、とにかく思考がうまく働かない心地がし、釈然としない感覚がすることが多かった。しかしその最中、偶然にも出会ったパフォーマンスがメリ・ニクラの表現である。彼女の声に、私は思考するという行為から、またそれまで感じていた重苦しい感覚から逃れ、解放感やある種の心地よさを感じたのである。
 彼女の、自らの声や言葉を幾重にも繰り返し重ねていく表現は、一人の人間の声に宿る神秘性を感じざるを得ない。飾りたてない声の重複は、まるでどこか懐かしい気分へと私を導いていく。心の奥底から、大自然の中で、木々の枝葉から降り注ぐ木漏れ日に身を投じているかのような、暖かくも穏やかな感覚がわき上がる。そして同時に、その声にたゆたい、旋律に身を委ねることは、言いようのない柔らかな、白と緑と黄金の入り交じった透明な風景の中へと、我が身がゆっくりと溶け出していくかのような心地がするのである。
 その感覚は何故生まれてくるのか。それは、彼女が自らの声を媒介として、自然との対話をしているためである。彼女の声は、存在する生命や自然すべてに共通するアニマから織りなされたエネルギーそのものの化身である。自然へと喚起するエネルギーの波紋は、大地へと、空気へと働きかける。そしてそれは次第に、その声に触れている私たちの存在へと働きかけるのだ。対話はやがて物質同士の隔たりを破壊し、「生」のヴェールへと変化を遂げる。そのヴェールは、包み込むすべてのものへ、魂の交流を可能とさせる。

 彼女の声には、彼女自身を自然と交流させるばかりでなく、むしろその場にいるすべての存在を、偉大なる自然と交わり、回帰させる能力があるように感じる。人も、物質も、大地も、空気も、あらゆるものがなめらかに溶け合っていく。しかし、その溶け合いは、それぞれが完全に混じり合い、一つの「何か」を形成するわけではない。個々の存在の色を残しつつも、その色彩の境界を曖昧にしながら、魂が戯れ続けることなのである。そしてそれこそが、冒頭で述べたように、彼女が人であることを享受していると感じる理由である。ここで表現される言葉や声、大きく取り上げて言えば「表現すること」そのものは、人であるが故の行為である。人でなくなってしまえば、彼女の旋律の中で感じた心のふるえも、私ではない生命への共鳴感も途端に意味のないものへと変化してしまうだろう。自然や生命と一体となろうとする。しかしそこで重要なことは、自然を感じ、一体となるために、あえて別の存在であり続けることなのである。この脆く、儚い感覚こそが、声に秘められた力なのであり、彼女の声から感じる神秘性そのものなのである。

 彼女は人として生きるために、人ではない生命の声に耳を傾け、そして自然の声を聴く。だからこそ彼女の声は、私たちの物理的な存在を昇華させ、そしてその声に包まれるものすべてが、同じアニマの中で一体となるのである。もしかしたら、それが音楽、正しく言うのであれば「声」という媒介を使った芸術の本質であるのかもしれない。
 人はいつしか、文明の進化の中で、利便性を手に入れるとともに、霊的な力を感じる能力に乏しくなってしまった。しかし古来より抱く人としての魂、また芸術にたいして抱く神秘の可能性、万物に対する畏怖と尊敬の眼差しは、私たち「人」の遺伝子の中に受け継がれている。彼女の歌声は、そうした私たちの本質へ迫るための、そして霊的な何かへ通じるための道しるべなのである。それは、今を生きる私たちにとって、必然的ともいえる「芸術行為」なのかもしれない。

(神谷悠季)