阿部 葉子 | 朝羽 由紀 | 上原 正久 | 大内 雄馬 | 大森 沙樹子 | 躍場 裕佳子 | 柿田 真吾 |
神谷 悠季 | 木村 優子 | 佐藤 裕平 | ジョン スミ | 末永 幸歩 | 高野 希美 | 瀧田 梨可 |
竹内 舞 | 棚田 絵理子 | 谷口 匠 | 當眞 未季 | 中田 莉央 | パク ジュン | 日吉 ちひろ |
藤原 瞳太 | 馬淵 彩 | 森下 賛良 | 師田 有希 |
夢見る作品
私の夢は私だけのものであり、人には体験できない。だが、私たちは様々な芸術作品を通して作家の夢の世界を味わうことができる。その夢が伝わるか伝わらないかはその作品が持っている力の大きさに比例するだろう。
その中で一番力を感じて心に響いたのは、勅使河原三郎の『時間の破片』という作品であった。その作品の中に入った瞬間、まるで未知の世界に入ったような感覚になった。暗い廊下を通り目に飛び込んできたのは、無数のガラスが散りばめられた部屋であった。部屋の前に置いてあった椅子に座ってガラスを見始めると、照明に当たりきらめくガラスは氷の結晶のようにも見え、美しい世界を堪能していた。しばらくすると、部屋の照明が暗くなってきてわずかな光を拾おうとするガラスが、また幻想的な空間を演出し始め心がその世界に入り込んでいった。映像のようにも感じることが目の前で起きていることに、作品の演出ということを忘れさせ、只々心が奪われていった。暗くなってきた部屋は一つの光もない深淵の世界に変わるや否や、小さな光が見え始めた。それからガラスの上を何かが歩くような音があると暗闇に響く音から不安感を覚え、目の前にある尖ったガラスの破片をじーっと眺めていると、自分の心臓に突き刺ささるような感じがして急に恐怖感に襲われた。またその音を聞いていると世界が崩れていくような錯覚さえ感じさせられた。それと同時に僅かな光を拾ったガラスが七色にきらめく様に見とれ、その空間の変化に心が躍らされた。そのうちに強い光が空間の中央を照らすと、不安に駆られていた心は一気に溶けて、心が温まり救われるような感じに追われた。そしてそれは厚い雲の覆われた空の切れ目から漆黒の海を照らす太陽の光にもみえ、終わってみると長い夢を見たような感覚になった。
次に印象に残った作品は、ジョーン・ジョナスの『物のかたち香り感じ』(ベルリン・バージョン)であった。その人の作品は、作家自身の夢を私たちの目の前にある空間に広げて表しているような物であった。一つの作品ではなく、展示されている空間そのものが大きな作品になって、その空間には作家自身の世界で埋め尽くされていた。その中は様々な小道具や作家のドローイング、映像などを利用して表現されており、ひとたび足を踏み入れると、作家の幻想的なイメージが360度空間いっぱいに広がっていた。そして作家の夢のなかに自分がいるような気持ちにさせられた。また、この作品同様に感じさせられた作品として、エルメス主催の=H BOX=で上映されていたユディット・クルタグの『ミッドウェイ』があった。この作品は、その人の頭の中の記憶の破片を覗いているよな感じであった。三つの場面で構成されていた作品は、一つはあどけなくはしゃぐ女性が激しく狂っていく様、二つ目は幻想的な森を進む様、三つ目はクローズアップされた瞳と顔が重なり合い、力ない顔を瞳がにらめつけるような様で描かれており、それが進むにつれてスピーディに場面が変わり始めると作家の頭の中をぐるぐる回るような感じがした。十分間意味のない夢をずっと繰り返し見ている気がした。
時代を問わず芸術家は自分自身の夢や、理想、世界観など頭の中でしか存在していないイメージ的な物をあらゆる物を使って現実に表している人達だ。芸術家によって様々なものが凝縮し、表現された作品はものすごく大きな力を発散し、見る側にまた新たなイメージを浮かばせるのである。今回横浜トリエンナーレを通じてたくさんの作品に触れながら、そのような力を感じた作品がほんのわずかにすぎなかったのが残念だった。
(ジョンスミ)