阿部 葉子 | 朝羽 由紀 | 上原 正久 | 大内 雄馬 | 大森 沙樹子 | 躍場 裕佳子 | 柿田 真吾 |
神谷 悠季 | 木村 優子 | 佐藤 裕平 | ジョン スミ | 末永 幸歩 | 高野 希美 | 瀧田 梨可 |
竹内 舞 | 棚田 絵理子 | 谷口 匠 | 當眞 未季 | 中田 莉央 | パク ジュン | 日吉 ちひろ |
藤原 瞳太 | 馬淵 彩 | 森下 賛良 | 師田 有希 |
今回のトリエンナーレの全体テーマは「タイムクレヴァス(時間の裂け目)」である。多くの作品から時間の裂け目をみつけることで、今もなお続く時計の秒針は自在に変化した。
総括すると、なかなかよい祭典だと感じた。しかし、心残りが一つある。意外に映像作品は多く、チケット有効の二日間という時間の面でも、精神の面でも、すべてを観ることはきついと感じ、事実、私はすべてを観なかったことだ。
トリエンナーレは現代アートの祭典である。私の現代アートについての知識は浅い。そして、どうも近寄りがたい感じがあった。現代アートは、わけのわからない作品、つまり作者が何を伝えたいのかがわからない作品が多いという印象があったからである。今回の横浜トリエンナーレでも、一体なにを伝えたいのか、理解しがたい作品がみられた。また、トリエンナーレのほぼすべての作品に、詳しい解説がなかったこともあり、作品を鑑賞者自身で紐解かなくてはならなかった。(音声ガイドはあったが、あえて使わなかった。)
そもそもアートと呼べるものなのだろうかと考えてしまうものもある。現代アートは私に、アートとは一体何なのだろう、何がアートで何がアートではないのだろうかと考えさせた。キャンバスに絵の具が塗られていれば、それは全てアートなのだろうか。しかし、それが作品というかたちで提示されたとき、それは鑑賞者に何かを伝えようとしているのに違いない。
今回のトリエンナーレで最も印象に残った作品はティノ・セーガルの≪Kiss≫である。
場所は三渓園内にある旧矢箆原家住宅。旧矢箆原家住宅とは、重要文化財にも指定されている、とても歴史のある古民家である。その中の一室で、一人の男性と一人の女性が抱き合っていた。すべての襖は全開だったので、三渓園の一般客はこの光景を私以上に驚いたに違いない。初めの印象としては、衣服をまとってはいるものの、男女の肉体の絡み合いということで躊躇せざるを得なかった。鑑賞者は、まるでのぞき見をしている変質者のようだ。
しかし、二人を見続けているうちに、私はこの空間に完全に引き込まれていった。逆光の中、ゆっくりと、しなやかに動く様子はただただとても美しい。初めに感じていたいやらしさはどこへやら。また、古民家という素朴な場所が、日常、家族を想起させた。二人の動きは、穏やかな愛の歴史の反復であり、時代を超え永続する営みであった。
この作品は撮影不可、もちろん作品についての詳しい解説もなく、ボランティアに尋ねてもそれを聞くことはできない。形に残らない作品。しかし、だからこそ形以外のものに残るのかもしれない。
全会場のなかでも、とりわけ三渓園内の作品はとてもよかった。そのすべてが三渓園という場所を存分に生かした作品だったからだろう。作品の展示空間が作品の印象を大きく変えるという事実を目の当たりにした。
(瀧田梨可)