阿部 葉子 | 朝羽 由紀 | 上原 正久 | 大内 雄馬 | 大森 沙樹子 | 躍場 裕佳子 | 柿田 真吾 |
神谷 悠季 | 木村 優子 | 佐藤 裕平 | ジョン スミ | 末永 幸歩 | 高野 希美 | 瀧田 梨可 |
竹内 舞 | 棚田 絵理子 | 谷口 匠 | 當眞 未季 | 中田 莉央 | パク ジュン | 日吉 ちひろ |
藤原 瞳太 | 馬淵 彩 | 森下 賛良 | 師田 有希 |
横浜トリエンナーレというイベント。
みなとみらい線馬車道駅を降りると、まずそこにあるチケット販売所の奇抜さに驚かされる。ここからもう作品の展示が始まっているようだ。この展覧会イベントは会場が点在しているのが特徴で、会場間の距離が結構あり、またサブ会場と位置づけられた三渓園は市営バスで片道30分ほどかかる場所にあって同じイベントとは思えないほど離れている。思うにイベントの会場はなるべく近い場所にまとめた方が良かったのではないだろうか。せっかく現代アートという非日常的な世界を体感するイベントなのだから、観覧中には幻想的な世界観から現実に引き戻さない連続性が欲しいところだ。それに、お年を召した方などは会場を巡回するシャトルバスを利用するなどしないと長距離の移動は辛いだろうし、三渓園は閉園時間が午後五時と早く、バスの運行間隔などを考えると時間の調整が難しい。主催者側は二日かけてじっくり回ることを想定してチケットも二日有効にしているようだが、遠方から来る人にとっては一日で済ませたいところである。だが、逆に離れていることによって、移動する際に横浜の町並みを楽しむことが出来たのは良かったと思う。特に赤レンガ倉庫の会場は海辺にあり、横浜の絶景を写真に収めることが出来た。
気になった作品をいくつか取り上げて今回の展示の様子を振り返りたい。まず、新港ピアに展示されていた、ペドロ・レイエス作「BABY MARX」が面白いと思った。この作品はマルクスやレーニン、毛沢東など社会主義に関する歴史上の人物を「ひょっこりひょうたん島」に出てくるような人形にしてしまったという作品で、その人形を用いて映画の予告編風の人形劇に仕上げた映像も一緒に展示している。内容はマルクスを筆頭とする社会主義の指導者たちがアダム・スミスやフレデリック・テイラーなど資本主義に関係した人物を打ち破るべく戦うといったようなもので、見た目の子供っぽさはあるかも知れないが、風刺の要素を含んだ作品なので、その中に込められたシニカルな意図を読み解くことにより大人でも十分に楽しめる作品になっている。日本郵船海岸通倉庫ではダグラス・ゴードン作「非自然史」が気に入った。日本郵船海岸通倉庫に展示されていた作品はポール・マッカシーのえぐい作品があったせいか、全体として騒がしい感じの作品が多かった印象があるのだが、この「非自然史」はカラスや蛙などの動物が暗めの背景の中に溶け込んだ映像が床に置かれたモニターの中に映し出されていて、動物の発する鳴き声も相まって他の作品にはない静寂感のある雰囲気が良かった。三渓園では中谷芙二子作「雨月物語―懸崖の滝」に驚かされた。人工的に霧を発生させる“霧の彫刻作品”で、霧が広がっていく様子が幻想的な雰囲気を作り出し、三渓園の風景の良さを最大限に引き出していた。
会場を回るなかで気になったのが、いくつかあった、案内板に“R―15”および“不快を招くおそれがあります”といったことが書かれていた作品だ。こういったことが書かれていると人間余計に好奇心が湧くもので、あまり気にせずに進んだのだが、内容を見て唖然とするものばかりだった。特にヘルマン・ニッチュの作品は動物の死骸や血を使った過激なパフォーマンス映像やインスタレーションが展示してあって、かなり衝撃的だ。これを本当に現代アートと呼ぶのかどうかは人それぞれ意見があるだろうが、思うに芸術とは“やってはいけないこと”への免罪符ではない。ある程度のモラルがあってこそ成り立つものである。ゆえにこのような作品は現代アートの一大イベントで展示するべきではなかったのではないだろうか。作品のテーマ性を揃えるという意味でも過激すぎる作品は場違いであるように感じた。
注意書きのあった作品に代表されるように、全体的に見る人を選ぶ作品が多かったと思う。現代アートという小難しいジャンルのイベントではあるが、だからこそもっと間口を広げる必要性があったのではないだろうか。
(佐藤裕平)