阿部 葉子 | 朝羽 由紀 | 上原 正久 | 大内 雄馬 | 大森 沙樹子 | 躍場 裕佳子 | 柿田 真吾 |
神谷 悠季 | 木村 優子 | 佐藤 裕平 | ジョン スミ | 末永 幸歩 | 高野 希美 | 瀧田 梨可 |
竹内 舞 | 棚田 絵理子 | 谷口 匠 | 當眞 未季 | 中田 莉央 | パク ジュン | 日吉 ちひろ |
藤原 瞳太 | 馬淵 彩 | 森下 賛良 | 師田 有希 |
「時間の裂け目」に垣間見えたもの
会場に一歩足を踏み入れた瞬間、私は目の前の光景に唖然としてしまった。
これらの作品がとてもアートだとは思えなかったからだ。確かに出品されている作品は解りにくいものが多く、一般受けしないとは以前から聞いていた。だが、私はそんなことない、少しぐらいはわかるだろうと軽い気持ちで会場に赴いた。しかし、実際に会場に入ると私の目に飛び込んできたものは訳のわからないものばかりだった。あまりにもめちゃくちゃな様子に私はただただ呆然としている事しか出来なかった。そこにあったのは、今まで私が出会ったことの無い、全く新しいスタイルのアートだった。私は展覧会というとどうしても絵画や彫刻といったものを連想してしまいがちであったが、ここではそんな考えはぶち壊された。パフォーマンス、映像作品、インスタレーション。あまりにも新鮮なものを目の当たりにした私はひたすら驚くばかりであった。
ただ、驚かされるものは多かったのだが、印象に残るような作品はほとんどなかった。しかし、それでもいくつかの作品は私に強烈なインパクトを与えた。
赤レンガ倉庫に展示されていた、ミランダ・ジュライの「廊下」という作品は狭い通路に貼られた何枚ものパネルを通路を進みながら一枚ずつ鑑賞するというものだった。
狭い通路を通らなくてはならないのと、パネルの表と裏が日本語と英語になっているため、英語で見る人がいる場合に日本語で見る人は待たなくてはならないのがこの作品の少しやっかいな点である。
通路に入ると目の前に次々とパネルが現れた。パネルに書かれていた言葉は、良く分からないし、どこか見る者を見下しているようで少し腹立たしさを感じた。だが、歩いていくうちにそれが人生に似ていることに気がついた。パネルに書かれた通り、子供の頃の夢なんてまず叶うことは無いだろうし、後ろを振り返ったところで何も無い、後戻りする事も出来ない。ただひたすら一本の道を歩くしかないのだ。私たちが今までしてきたことも、これから起こることも、すべて決まっていることなのだ。ただそれを知らないだけで、私たちは先の見えない道を進んでいくしかない。すべてのパネルを見終わった時、私はふと悲しい気持ちになった。人生がこんなにもあっけないものだったのだろうか。
この作品は、人生という私たちにとって最も重要なものをいとも簡単にたった43メートルの通路の中で表現してしまったのである。
そして、日本郵船海岸通倉庫に展示されていたヘルマン・ニッチュの作品は最も強く印象に残った。入り口がカーテンでふさがれているのと、15歳未満は入場できないという注意書きが妙に私の興味をそそった。そこでわくわくしながら入ってみると、そこにはショッキングな光景が広がっていた。まず、目に入ったのは赤一色だった。まさかと思い、よく見るとそれは何かの血や内臓だった。台に固定され、目隠しをされた人間が血まみれになっていたのだ。その様子がいくつかの映像や写真で展示されていた。それはあまりにも悲惨で見ていられないほどだった。
他にも、薬品や包帯のようなものが入れられた棚、変色した血がこびりついた白い布や木で作られた台が展示されていた。そして、部屋には消毒薬のような臭いが広がっていた。その臭いは私にどこか死を感じさせた。一応、大まかに部屋全体は見たものの、見たことの無いものを見た恐怖で足が震え、私は逃げるように展示室を後にした。その後に他の作品を見に行ったが、あの作品が頭の中にこびりついて、それらを見ても何も思わなくなってしまうほどだった。会場を後にして、私はずっとあの作品について考えていた。あの血や内臓の持ち主は?私はあれが人間のものだと思い込んでしまっていた。驚きのあまり判断力が鈍っていたのだ。実際に作者について調べてみたら、動物のものであるという事がすぐにわかった。私はそれを確かめるために、翌日再び会場へと向かった。
よく見ると確かに、それは牛らしき動物のものだった。よく考えれば、あれが人間だったらとんでもないことになっていただろう。それから、前日はじっくり見られなかった映像を見ることにした。全裸の人間に血を口に流し込み、全身真っ赤になった人々が踊り狂っている姿、そして、まるで神父のような格好をし、彼らを満足そうに見る作者らしき人物。その様子は、どこか宗教的なものを感じさせ、不気味だった。
部屋に足を踏み入れた人々はみなこう言った。「気持ち悪い」と。確かにその通りだと思う。だが本当にそうだろうか?血も内臓も、普段は見えないが、ごく当たり前に私たちの体にも存在するものである。だが、それが外へさらけ出された瞬間、人はそれを気味悪がる。それも変な話では無いだろうか。むしろ、これこそ生命のもつ美しさの一つであるとも言えないだろうか。こんなパフォーマンスは他にはまずないだろうし、これは目をそむけずにしっかりと見ておくべき物ではないかと思う。
しかし残念ながら、この作品のはっきりとした意図を理解する事は出来なかった。だが、私は作者であるヘルマン・ニッチュは非常に勇気あるアーティストだと思った。普段私たちが見ようとしないものを彼はさらけ出し、堂々と見せ付けたのだから。
今回の横浜トリエンナーレのテーマは”TIME CREVASSE”。つまり、「時間の裂け目」という意味である。ここに出品されたものは、全体的に意味のわからない異様なものばかりだった。あの作品たちは、私たちが普段生活をする時間の中では目にすることの無い、非日常的なものばかりであった。それらは確かに「時間の裂け目」に存在するものだったのかもしれない。
(日吉ちひろ)