Cultre Power
biennale & triennale 評論コンペ05 -横浜トリエンナーレ-









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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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井尾 鉱一 | 市村 あずさ | 内村 悠己 | 榎本 瑶 | 川田 誠
河野 木里 | 杉原 環樹 | 瀬野 はるか | 大黒 洋平 | 戸澤 潤一
永井 里奈 | 林 絵梨佳 | 坂野 潤三郎 | 武笠 亜紀 | 八重樫 典子

 私は、トリエンナーレのような、多くの作家が一同に集まって開く美術展には初めて行ったのだが、まず最初に思ったのは、まるでテーマパークの様だ。ということだった。様々な世界観が混在して、一つの空間を作り上げている、という感じがして、会場である倉庫二つの中には、一種異様な世界が出来上がっていたと思う。目を違う場所に向けるたび、新しい楽しさがある。という感じで、とても新鮮だった。しかし、矢張り様々な作品が集まる中で、自分にとっての好き嫌いもあったからなのだろうか、余り感銘を受けない作品も多くあったとこがとても気になった。
 作者は皆それぞれに、持っている世界観というものがあって、其れを見てもらう為に可視化したものが作品になると私は思っている。そして、可視化した時に、如何にその世界観を他人に正確に伝えることが出来るのか、というところが、ある種芸術家の評価になっていくのではなかろうか。そんな中で、矢張りインパクトに欠けるものや、余り感銘を受けないものというのは、何処か説得力に欠けるというか、人に世界観を伝える表現がまだ完成されきっていないのではないかと思う。しかし、元々目に見えないものを可視化するという行為がそんなに簡単にできる訳もないし、世界観を可視化しようという行為をしなければ、何もはじまらない。故に、こうして世界観を可視化しようと試みた作品が多く集まっているのを見て、こういうチャレンジ精神や、表現に対する情熱から偉大な芸術家だったり、新しい美術観だったりというものが生み出されていくのだろう、ということを強く感じた。又、会場の中の作品というのは、やはり「美術展に来ているのだ」という気になって見るので、ある種構えた姿勢で作品を見ることになるが、町中に点在した作品の方は、そういった気構えなく、唐突に現れ、それを見る。という感じが楽しかった。日常生活の中にポンと現れた非日常が現れることによって、そのギャップを楽しむ。という在り方が、とても良いと思う。
 いろんな意味でとても楽しめたトリエンナーレだったが、中でも私が一番気になった作品は、屋代敏博さんの、「回転回」シリーズだった。これは、展示場所が特に定められたものではなくて、会場のあちこちに設置された三脚と、其処に取り付けられた画像再生装置で構成されたものだったが、まず、会場入り口付近に置いてあった双眼鏡を覗いて非常にぞっとした。本来何もない筈の場所に、得体の知れない青っぽい歪な楕円形のものが映し出されており、まるで異性物か何かの様に見えた。更に其れがリアルタイムの画像ではなく、写真かなにかだというコトに気が付くのには暫く時間がかかり、暫くその双眼鏡で遊んでいて、インパクトは他とは比べものにならなかった。その後、会場を回っていくにつれて、其の、謎の楕円の色違いであったり動画であったりを見て、其れが、うつぶせになってひたすら回転している人だということを知り、本当に驚いた。更に、「右回転…右回転…」「左回転…左回転…」という、動画に入った音声が、なにか忘れがたい印象を与えていたと思う。後から図録を見て分かったのだが、此の作品は、身体を感じさせるものは消滅し、球状の形態が現れるところを表現したものなのだそうだ。あるものを、元々の形状には見えない状態にしてしまう。という作品は、過去いくつか見てきたが、こんなにも単純なのに、これほど衝撃があり、長い時間なんだか分からずに気に掛かったものというのは今まで無かったので、本当に楽しい出会いだったと思う。しかも、会場にたくさん設置された画像が、どれも人であるのに人に見えない。という表現が、途中から、ある種、現代社会の他人に対する無関心を揶揄している様な気もして、一方的な私のイメージかもしれないが、そのダークさがとても好きになった。其の表現をするためにひたすら体を張って会場で回り続けたのであろう作者のことを思うと、その光景を是非とも見てみたかったと感じた。

(永井 里奈)