井尾 鉱一 | 市村 あずさ | 内村 悠己 | 榎本 瑶 | 川田 誠
河野 木里 | 杉原 環樹 | 瀬野 はるか | 大黒 洋平 | 戸澤 潤一
永井 里奈 | 林 絵梨佳 | 坂野 潤三郎 | 武笠 亜紀 | 八重樫 典子
10月9日(日)、私は横浜トリエンナーレにボランティアスタッフとして参加した。せっかくの機会なので、スタッフ側から見た批判、評論にしようと思う。
全体は統一感がないのが印象的だった。第三、第四の倉庫そのもの、また区画ごとにキュレーターとスタッフが違うのだから仕方がないが、トリエンナーレという一つのイベントとしての確固たるイメージが欲しかった。特に外観だ。倉庫の見た目もあまりいいとは思えない。更に最寄り駅のみなとみらい線、元町・中華街駅への展開の仕方も気になるし、会場へとのびるプロムナードも一部旗がないなど、デザイン面において疑問を覚えた。シャトルバスについても、乗降場が第三倉庫では降車のみ、第四倉庫では乗車と別々に分かれている。そのために、降車側にあるロッカーに荷物を預けた場合、バスに乗る前に、一度第三倉庫にあるロッカーにまで戻らなければならない。また、インターナショナルアートを銘打っておいて、音声ガイドは日本語版しかない。スタッフとして一番気になったのは、会場での禁止事項が徹底されていないことだ。飲食物は基本的に持ち込み禁止だが、ペットボトルを持っている人も多く、鞄に入れたからと言っても、本来なら鞄自体が持ち込み禁止なのだから元も子もない。写真を撮る人も多かった。会場は全面撮影禁止だが、カメラを首に提げている人が目立った。家族で訪れる人も多かったのだが、家族写真も禁止事項に当たるのか、判断しかねる。全体な雰囲気がオープンな分、展覧会だという意識が薄くなっている気がした。そういった問題点に対して主催者側のしっかりとした対応が必要だと感じた。その他、ロッカーや傘立ての数が来客数よりも遙かに少なかった。当たり前のことができておらず、去年の反省は活かされているのかと、主催者側の不手際が目立った。
この日の私の担当は4Cの監視だった。4Cは新しい表現が多く、会場内でもっとも充実した区画の一つだと思う。ピュ〜ぴるやチェンゼンのインスタレーション、観客参加型のCOUMAの卓球台などの目を引くものが多かった中で、一角だけ他と隔てられた区画があった。米田知子と芦屋市立美術博物館、ボランティアグループ「トマト」による写真の展示だ。トリエンナーレの全作品の中で、これが一番良かったと私は思う。
作品自体はあまりぱっとしない。白い壁に写真がぽつりぽつりと並べてあった、一見なぜこれをトリエンナーレで扱うのか理解できない。だがこれは阪神大震災のあった地域でとられた写真なのだ。ただの空き地やいくつもの集合住宅、教室に見えるが、そこは10年前には荒れ地だった。家を失った人々の仮設住宅だった。そしてそこは遺体安置場だった。米田の写真が訴えるのは地震長後の凄惨な場でも、10年後の再興ぶりでもなく、地震からの10年間という時間の厚みだ。胸が揺さぶられるような思いだった。色だとか形だとか、そういった視覚的な意義ではない、ただ時間と、その存在感があるのだ。感情を抜きにした事実の提示は私たちに再度、阪神大震災のもたらした大きさについて考えさせる。
だがやはり、展示の仕方に物足りない部分もあった。私はスタッフ用の作品解説を読んだからわかったものの、写真のテーマをはっきりと表示していないので、素通りする人も多かった。一角にはテレビと、資料があり、彼らの活動を見ることができるものの、そこまで足を運ぶ人は少なかった。
そういった点はあるが、トリエンナーレという大きなイベントで、ある意味では彼らの活動のように地味で地道なものにスポットライトを当てるのは大切なことだ。日々私たちがアートとして接するものと異なる分野でもあり、アートについて考えさせる麺もある。アートはどのように動いていて、何に向かうのか、私たちは模索し続けているが、その中で少しだけ視界が開けた気がした。
だがこんなことがあった。私が米田の会場スタッフをしていた際、ある若い男性が「こんなものをアートだなんていわれたくない」と言うのを聞いた。男性は表示を読まずに一回りしただけで、そう洩らした。悲しく思ったが、それこそ私たちがアートをどう伝えていくのかへの投げかけだったと感じた。
(榎本 瑶)