2016年度 卒業研究・制作

2016年度 卒業研究・制作の中から、論文2作品、作品表現2作品を紹介します。

論文

対話を求めるアート−3.11以降に生まれた表現の系譜
論文 / 優秀賞

西塚沙織 NISHITSUKA Saori

芸術文化プロデュースコース
新見ゼミ
2016年度卒業

西塚

2011年3月11日は、大きな節目である。
「3.11」と呼ばれるこの大惨事は、地震による被害だけでなく原子力発電所事故という極めて大きな社会問題を含んでいる。そして6年が経った今現在も、進行形で私たちが直面していること、なのではないだろうか。
私の中にぼんやりとあった社会と個人の関係に対する違和感を出発点として、「3.11」のみならずあらゆる社会問題に目を向けた時の、私たちの「傍観者的」な態度へ陥りがちな風潮について考えてみる。このことは当論文では、社会で起きたことと私たちの間にある「距離」を可視化させる効果を持つのだと考える私なりの「アート」に対する認識を軸に、あらゆる角度からの眼差しを持って論じている。
メディア技術が発達した今、あらゆる場所で起きたことの情報を視覚的に取り入れやすくなったからこそ、「リアル」とは何かという問題は常につきまとう。一見世界は狭くなったように感じるが、実際のところ問題の「当事者」との距離は遠く離れている。
社会に対する葛藤を抱きながら生きて、共有する空気を必死に吸い込んでは吐き出し、どうにかカタチにしようと作品という物質に昇華してきたアーティストがいつの時代にも存在している。
水戸芸術館の『3・11とアーティスト:進行形の記録』展、ワタリウム美術館の『Don’t Follow the Wind 』展などの震災に関する展覧会や作品を見ていると、震災以降、被災地と寄り添い、人々との対話を通した「行為」を伴うアート活動が際立っていた。
このような社会的意識を持ったアーティストの活動を見ると、おのずと被災地とこの場所は地続きなのだと意識せざるを得ない。社会が孕むあらゆる問題の断面を見せられた時、私たちに思考を始めさせる。

作家、作品からみる大正時代−村山槐多をめぐって
論文 / 優秀賞

横塚成美 YOKOTSUKA Narumi

メディアプランニングコース
今井ゼミ
2016年度卒業

横塚

私は今を生きていて、どこか違和感がある。テレビ画面の向こう側と私は同じ世界にいるはずなのに、どこか別の世界のように感じる。画面の向こう側と自分の間にある溝に、何だか居心地が悪くなる。大正時代を生きた作家、村山槐多の作品をみた際、そんな日々積もる現代に対する違和感への答えのヒントが、そこにあるように思えた。
現代と過去の問題の根底にあるものは同じなのではないか。本論では、大正時代の作家の生き方や作品から、当時の人たちがその時をどのように見ていたのか、またどのように感じていたのかを探っていく。第一章では、村山槐多の自画像や小説などの作品、夏目漱石の「私の個人主義」を通して「個」について触れる。第二章では、作家たちが関東大震災に対してどのように反応し、どう捉えていたのかを作品を通してみていく。第三章では、槐多と交流のあった柳瀬正夢の生き方や制作活動から当時の時代の流れを追う。ただ史実を追うだけでなく、その時代に描かれた絵や書かれた文と共に時代を振り返り、現代をどのように受け止めたら良いのか、またどのように生きていくべきなのかを考察した。結果、大正時代の多くの問題は最終的に個に集約しているようだった。ここに、現代への違和感に対する答えのヒントが隠れているのではないだろうか。もし、全ての問題が個に集約するのならば、まず自分に興味を持つべきあろう。自分をしっかり見つめ、自己を中心に、他者、社会へと輪を広げていくことで、世界全体の繋がりがみえてくる。これから先、自ら自分を追い求め続け、個を意識することが現代の不安を解消する一歩となるだろう。

作品表現

日本独特の空間性を探る
作品表現 / 優秀賞

安倍弘晃 ABE Hiroaki

メディアプランニングコース
楫ゼミ
2016年度卒業

安倍

今回の卒業制作では、日本で発展を遂げた障子など他者の気配を感じさせながらも空間としての遮断性も併せ持つ日本独特の空間性をテーマに据えた。
西洋において空問の構成は1か0の関係性であり、「いる」と「いない」の2択のような存在であるのに対し、日本の空間は0から1の間にグラデーションのような無限の空間性が存在する。その例が前途した障子であり、壁である。古くからのことわざにあるように「壁に耳あり、障子に目あり」とはまさに日本の空間に対する考え方を表した言葉である。同様に文学などの他領域においても日本の多様な空間表現を感じることができる。
今回はこの空問性をテーマに据え千利休が生み出した「待庵」、エドワード・ホールが提言する「プロクシミクス(近接空間学)」や現代建築といった諸領域から日本における空間性を探り、作品表現に落とし込んだ。
日本独特の建築装置であり、他者との交わりの場である「縁側」の要素や自らと他者の境界である「壁面」の中間のような空間を目指した。空間の内部と外部がシームレスな関係こそが日本的空間の特徴とし、研究及び制作を行った。
作品の基本構造として2020の東京五輪でも採用された「市松柄」を取り入れた。市松柄を4層構造とすることで構造的な安定を図るとともに、重なりあっていながらも透過性のあるスチレンペーパーを用いることで光をグラデーションのように表現し、内部と外部のゆるやかな関係性のあり方を求めた。4層からなる壁面は自らの動きに合わせ変化していき、光や時間帯などによって多様に変化し続ける空間性を感じることができる。現代における「日本らしい」空間を創り上げることができたように感じる。

散歩の味がする
作品表現 / 優秀賞

津村根央 TSUMURA Neo

メディアプランニングコース
今井ゼミ
2016年度卒業

津村

私は「都市の表象、都市の記憶」をテーマに漫画作品を制作した。以前より、東京とは、都市とはいったい何であるのか?ということに興味があり、考現学や路上観察学をもとに作品制作を行っていた。その中で、現代における都市の風景には、別段気にするほどでもないのでなんとなく視認しており、特別に言及しない、己の深層に留めているだけのモチーフがいくつも存在していると感じるようになった。例えば道路標識や住宅の門、塀のデザイン、歩道橋から見える景色などである。看板もそのひとつで、はっきりした目的や看板フォント収集家でもない限り、我々は街中の文字を真剣に見つめない。だが、よくよく観察してみれば、意味も見た目もバラバラな無数の文字列が群れをなして風景に溶け込んでいるこの街の状況は不思議である。卒業制作では、それらのような街中に無数に存在するモチーフを取り上げることで、「我々はなにをもって都市の風景としているのか?」「我々は風景のなにを見ていて、なにを見ていないのか?」「我々が“なんとなく見ている”風景とはなにを指すのか?」ということを考える作品を制作。自らが見てきた風景をキャラクターによって繋ぎ、記憶を辿り、今に置き換える。
漫画という作品形態を選んだ理由はいくつかあるが、大学生活で漫画を描き続けていたこと、慣れ親しんだメディアであるからこそ、そこに現れているものをリアルな表象として捉えることができると感じたからである。また、以前制作した作品を漫画内の山場に組み込んでおり、漫画という形態は、それらの作品観賞へ尊く手助けとしても機能している。

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