留学レポート5月号
<政治とアート>
この4 月から5 月の間、フランスを大きく動かしているのが「学生によるデモ」である。高校卒業の資格を取ると大学に入学出来ると言われるフランスで、「大学入学における生徒の選別をする」というマクロンの教育改革に対して、学生は、「貧富・男女・移民」など様々な問題によって教育格差が開くという危機感から、学の平等に反すると学校を封鎖しデモを起こしている。それに呼応するように、ポンピドゥセンター、ボザールなどのフランスの美術館では、”68” と題された展覧会が開催されている。というのは、1968 年5月に、何千人もの学生と労働者がパリの街を侵略し、政府に抗議・デモを起こした「5月危機」の50 年周年を記念している。ポンピドゥセンターの展示では、アマチュアや学生などが展示に関わり、政府や資本主義を批判するポスター・写真・スローガンや、インデックスが壁中に埋め尽され、観客も付け足していく作品や、野菜など植物が育てられている作品など携帯は様々で、日々展示が変化していく。68 年をテーマにした展示は、美術館の枠組みを超え、図書館・市庁舎でも行われている。これらのアートシーンと大学でのデモの両者の動きは、50 年前に行われた運動と同じように、「政権を学生・市民の力で倒せるのではないか。」という世の中を自分たちの力で変える期待、希望やスピリッツが表れている。フランスの多くの大学は無償化という恵まれた環境の中にありながら、自分たちの学ぶ権利を守ろうとデモを起こしてまで学びに本気で向き合う姿に感動した。私自身、学生の立場として、学ぶ環境・権利を考えさせられたと言うのが私の最初の見解であった。
しかし、実際にデモはどのような動きであるのか疑問に思い、デモが行われる大学へ足を運んでみると、出口は机や椅子で塞がれ、入り口は足で抑えられており学生だけが入ることを許され、スラム街のような異様な雰囲気が漂っており、図書館は空いているにも関わらず、彼らは前の階段に座り込み、デモの本来の目的を見失い、ストライキを口実にテストを回避し、まるで学業を放棄しているかのように思えてしまった。
この経験から、自分の目・肌で感じることの重要性を感じた。写真からは感じ切ることの出来ないものがあり、実際足を運びその場を体験することで考えが一変する。これらは、アートを学ぶことにも通じ、アートやアーティストにリアルに出会うことが、豊かな感性を生む。歴史的なアート作品から現代アート作品、またそれらを生み出す今を生きるアーティストに直接出会う機会を作ることによって、自分なりの発見や考えを持ち、アート作品を読み取っていこうと思う。
<連携する美術館>
フランスの美術館の特徴は、美術館同士の連携の強さと考える。現在、東洋美術が専門のギメ東洋美術館において、「DAIMYO(大名)」展が行われており、同時期にその美術館から200m ほど離れた現代アートを紹介するパレド・トーキョーでも大名をテーマにした共同展示が行われている。展示内容は、ギメ東洋美術館においては、” 大名” という言葉の定義や日本の鎧の技術や将軍の精神性・今日に続く「伝統」が紹介される。一方パレド・トーキョーでは、光とロックな楽が流れる展示室内で鎧を肉体的なものして捉え身体のパーツと見立てたり、海洋研究のロボットが領土の拡大していくことを意図する映像と共に鎧が展示される。ギメ東洋美術館では、純粋に日本の工芸の質の高さに、観客から感嘆の声が聞こえてくるのに対して、パレド・トーキョーの展示では、アーティストのコンセプトである「展覧会・鑑賞者の焦点をシフトする」という意図により、鎧の解釈に広がりが出て理解しづらく、観客から不快感や疑問が生まれる。
同時期に、鎧を工芸の視点とコンセプチュアルなアートなものとして捉える視点から全く違うアプローチで共同展示することは、観客に解釈の自由を広げる試みであると考える。
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