2022年度 卒業研究・制作|優秀賞インタビュー

2022年度 卒業研究・制作において優秀賞を受賞した作品を紹介します。

論文

山田正亮《Work.C》シリーズの研究
─ストライプ絵画の表現と受容の観点から─

佐野悠斗 SANO Yuto

春原ゼミ
2022年度卒業

山田正亮は1930 年に東京に生まれ、戦後の動乱期において活躍した抽象画家である。彼の画業において1960年代に展開される《Work.C》シリーズは、多様な色彩や表現手法によるストライプ絵画が特徴的な作品群である。
本研究は《Work.C》シリーズにおけるストライプ絵画について、作品表現及び社会的受容の2 つの観点から分析を行い、当作品群の位置付けを明らかにするとともに、教育的活用の可能性について考察するものである。山田の人物像と体系的な作品展開について前提的に論じた上で、《Work.C》シリーズの表現及び社会的受容について、展覧会の事例等を参考に分析した。また、教育実習にて収集した高校生の鑑賞コメントを元に、当作品群の教育的活用について考察を行なった。
以上の考察から、《Work.C》シリーズの絵画表現の裏には、画家自身の少年時代の戦争体験及び美術の潮流とは離れた独自の絵画思考が存在しており、そしてその反復的なプロセスには、モダニズムとの共通性が見られた。現代においてもモダニズム絵画の典例として評価されているが、この評価は主に美術関係者によるもので、広く一般的に評価されているとはいえない。その中で、鑑賞の側面からストライプ絵画には教育的活用の可能性があることを見出した。

論文

内藤礼の生へのまなざし
─豊島美術館《母型》を中心に─

菅野 悠 KANNO Haruka

春原ゼミ
2022年度卒業

内藤礼は、繊細な空間作品を生み、国内外で活動する現代美術家である。創造の根底に流れる問い「地上に生きることはそれ自体、祝福であるのか」にあらわれるようにその思想と表現には独自性が強いが、それらを掘り下げて分析した研究は少数である。そうした背景を踏まえ本研究では、内藤の代表作のひとつ豊島美術館《母型》における著者の鑑賞体験を執筆動機に、同作を中心にその思想や表現の必然性を見出す一考察を行った。文献・作品資料調査を主に、インタビュー調査も実施した。
作品分析や他作家との比較、言論表現の分析など多角的な観点からその創造を考察した結果、作家のこれまで作品と作家自身、そして多様な生が受容され、鑑賞者各々が生の充溢を認識する契機が散りばめられた受容体としての豊島美術館《母型》の姿が明白になった。
また、活動初期から一貫して内藤の創造の起点には自身の生の肯定への欲求があるが、作為に対する自己表出の回避から生じる作品は密やかなのである。一方で創造を通じて他者の存在を感知しその範囲が拡大していくにつれ、生の内外を往来する視点が明確になり、豊島美術館《母型》で明確になった生の内外の存在を広く内包する受容性が作品にも内藤自身にも徐々に備わってきた。

作品表現

ベバン連立 ~ベバンからみる共同社会~

イ ウンソ Lee Eunseo

米徳ゼミ
2022年度卒業

ベバン連立は私の地元である韓国の忠清南道アサン市ベバンでおばあちゃんのコミュニティーを記録するドキュメンタリー映像です。ドキュメンタリーを制作しようと思ったきっかけはコロナ禍で3 年間韓国に帰ることができず、日本で一人暮らしをしている間、社会の交流を最小限に抑え、人と距離を取ることが果たして良いのかという疑問から始まりました。私は韓国のソウルから車で2時間半ぐらい離れたベバンという町で生まれ、育ちました。共働きだった両親の代わりに私の育児を担当したのはおばあちゃんで、町のおばあちゃんたちとも毎日関わりながら幼少期を過ごしました。おばあちゃんたちは面倒くさいくらいお互いがお互いのことを知っていて毎日コミュニケーションをとっています。
本ドキュメンタリーは共同社会をテーマとし、ベバンのおばあちゃんたちの日常を記録します。ベバンという地域を舞台とし、地域共同体に焦点を合わせ、改めて現代の共同社会について考察することを目的にします。作品の中では、おばあちゃんたちが集まって食べ物を分けて食べる様子やおしゃべりする様子がよく出ます。撮影前はおばあちゃんたちが共同社会というテーマを意識しすぎてしまって普段とは違う様子を見せるのではないかとか、どこまで密着できるのか心配でしたが、普段と同じ感じで距離感なく撮影ができました。また、カメラを回していても私に声をかける時が多く、孫である私の主観的な視線もドキュメンタリーの中で入っています。

作品表現

積層する連想 ─絵画が重なる─

塚本萌生 TSUKAMOTO Mei

是枝ゼミ
2022年度卒業

例えばひとつのりんごを見たときに、人は瞬時にさまざまなことを連想する。ある人はりんごの色から、別の人はりんごの味から、また別の人は落ちたりんごと重力についてから、りんごについて考え、感じ、イメージを抱く。連想の起点は人それぞれで、最終的に抱くりんごのイメージは固有であるけれど、その過程には必ず他者とリンクする瞬間が存在している。連想は、他者と近づいたり離れたりしているのである。
私はこのような連想の過程を走馬灯のように捉え、人々の記憶から連想された個別のシーンが重なり、あるひとつのイメージをつくりあげる様子を絵画で表現しようと試みた。そこで重要視したのが透明性である。
絵画には、絵具を塗り重ねる物理的層と、描いた道程の時間的層、絵の構成がつくる空間的層がある。描かれた絵が持つ層たちは決して消えることなく、上から描かれた絵に必ず影響して存在し続けている。この作用を連想するイメージの積層と結びつけた。セル画の重なりといったアニメーションの原点とも類似する絵画の層は、まさに走馬灯の映像として見ることもできる。
「積層する連想」は、「連想」のイメージと「積層」の技法という理論と実践を研究したものである。

制作|卒展裏方プロジェクト2022 記録班 須河内杏・立山華乃・林千尋

MUSABI 100武蔵野美術大学 旅するムサビプロジェクトカルチャーパワー