イントロダクション
武蔵野美術大学と英国のノッティンガム・トレント大学が国際提携し、両大学は展覧会などの合同プロジェクトを行うようになった。当時ノッティンガム・トレント大学でメディア・アートを専攻していた初々しい大学院生だった太田エマ氏は、こうしたプロジェクトにかかわり来日、映像学科で教鞭をとるサウンドアーティストのクリストフ・シャルル教授の紹介で、初めて私のゼミを訪れた。口数の少ない穏やかで静かな学生が、アートへの不変の信念を抱いていることを知るのはもう少し後になってからである。
厳格な採食主義だと知ったのは最近だが、自分のことをあまり語ろうとしない彼女が、採食は小さい頃に自分で決めたことで、親はそうした自分に協力してくれたと、やや頬を赤らめ、はにかみながら言ったとき、アートを自らの社会的なミッションと決めた早熟なエマさんの姿が重なって見えた。
日本語がまだそれほど達者とはいえない頃だったが、ムサビに近い鷹の台地域を中心に、キュレーターとしてアジアに重点をおく海外の作家を招へいして展示活動を行っていた。どんなにローカルであっても、小規模でも、そうした活動を続けることの大切さをエマさんは当然のこととして理解しており、2006年には早くも自らの継続的活動基盤としてdislocateを立ち上げていた。それはまだ院生時代の決断であり、未来を見通すヴィジョンの成熟度に、遠くから彼女の活動を垣間見ていた私はうならされたものである。
今でも話す声は細くやさしい。だが千代田区の学校を改修してオープンした3331アーツチヨダでは国際コーディネーターを務め、2010年にdislocateの企画でワークショップ系の展覧会とシンポジウムを開催した。日本以外にインドやマレーシアなどから女性作家を招き、展示とトークを行ったとき、シンポジウムに私も誘われて参加したが、エマさんはそれほど年齢の違わない、あるいは年上でさえある作家たちに、まるで母親のような愛とプロの厳しさで接していたことに感銘を受けた。
英国出身のせいもあるのだろう。確固とした明晰な社会への分析的まなざしとアートへの信頼と倫理感、そして卓越した勇気と行動力、さらにマイナーであることの大切さもしっかりと認識している。エマさんは今後ますます大きく飛躍してゆくことだろう。
彼女のようなキュレーターが東京にいるだけで、どれほど心強く、未来が明るく感じられることか。ぜひ多くの人々にエマさんの活動を知っていただきたいと願っている。
(岡部あおみ)