Cultre Power
independent curator 太田エマ/Ota Emma
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

太田エマ(インディペンダント・キュレーター)×岡部あおみ

日時:2010年5月20日 
場所:武蔵野美術大学
参加者:芸術文化政策コース大院1,2年生

岡部あおみ:今日は英国出身でロンドンの大学でメディア・アートを学び修士課程在学中に武蔵野美術大学の映像学科との共同プロジェクトに参加して以来、日本を拠点に地域性を生かした国際的な展覧会の開催を手掛ける太田エマさんというインディペンデント・キュレーターの方のレクチャーです。エマさんは最近アジア、とくにインドに滞在したりしてアートやアートスペースのリサーチを進めてこられているので、院生のみなさんと同世代ということもあり、同世代の目線でアジアをどのようにとらえているのかなど、「アジアとコミュニティ」のテーマでお話を伺えればと思います。よろしくお願いします。

01 アジアと日本のメディア・アートの状況と課題

太田エマ: インディペンデント・キュレーターとして活動している太田エマと申します。特にメディア・アート、つまりメディア・テクノロジーを利用した作品に興味があって、毎年「ディスロケイト」というメディア・アート・フェスティバルを企画しています。そして現在、アジアのメディア・アート状況を研究する上、「3331 arts chiyoda」というところでインターナショナル・コーディネーターとして仕事をしています。今日は「アジアとコミュニティ」という広いテーマについて発表させていただきたいと思います。あまり定義できないものについて発表しますね。アジアはどこだろう。コミュニティは何だろう。
二年間くらいアジアの数箇所をまわって、アジアのメディア・アートの状況とオルタナティヴ・アートスペースについて研究しています。アジアではさまざまな場所さまざまな文化的・社会的・政治的・経済的な状況があります。その特徴的なコンテキスト(文脈)においてメディア・アートの歴史・発展について研究しています。
アジアのメディア・アートといえば、日本と韓国が先進国でしょう。しかし、現在技術的・経済的に中国とインドに負けて、メディア・テクノロジーの代表という役割がだんだんなくなってきました。他の国にはメディア・アートに対する独特なアプローチがあると思います。東南アジアでは経済進化・政治変化・技術促進・グローバル化によって現代美術が非常に変化したといえます。最近ではその変化に対してメディア・アートというジャンルが東南アジアでも発展してきました。どんな状況でメディア・アートが生まれているのか研究したいと考えています。そしてその進化に日本はどんな影響を与えるのでしょうか。議論したいと考えます。
日本のメディア・アートがどのように発展を遂げたかに強く興味を持っています。他のアジアの国々より日本のメディア・アートの歴史は長いといえます。そこで、この国のメディア・アートの発展を促した要因について研究したいと考えています。メディア・アートと政治、経済、文化の関係を知る必要があるでしょう。20世紀の日本は技術国・工業国として広く認知されていましたが、現在では中国やインドに遅れをとっています。経済的・政治的な変化の中で日本の立場も変わっています。
日本ではメディア・アートの歴史が比較的長いですが、東南アジアの国々におけるメディア・アートの概念はまだ新しく、その分将来性が豊かだと言えます。アーティストやキュレーターの目指すもの、彼等・彼女等の方法論、何がインスピレーションとなっているのかを探りたいと考えます。メディア・アートに関したアーティスト・キュレーターなどから直接話を聞き、新しいメディア・アートの歴史の起源について考察する予定です。新しいメディア・アートのムーブメントの方向性とはどのようなものでしょうか。 

02 アジアのアートスペース

メディア・アートだけではなくてアジアのオルタナティヴ・アートスペースやアーティスト・イニシアティヴについても興味があります。今日その方面について紹介したいと思います。
オルタナティヴ・スペースって何でしょうか。何がオルタナティヴでしょうか。アートマーケット・美術館以外のアートスペースといってもいいと思います。新しいモデルとしてアーティストが実験できる重要なスペースは新しい表現方法を生み出しています。そして多くのオルタナティヴ・アートスペースはアートの世界だけに集中しているのではなく、社会におけるアートの役割を深く検討していると思います。コミュニティ・アート、ソーシャル・アートという言い方がありますが、この活動においてアーティストやアート団体は市民と協力して、地域交流をおこしたり社会問題に挑戦したりすることが多いです。 今日はこういう活動に参加しているアジアのオルタナティヴ・スペースについて話したいと思います。

<インド>
最近インドではアートブームが起こり、一夜にしてスターの座を得たアーティストが多いです。コマーシャルギャラリーが急に増え、だれでもキュレーターであるといわれています。経済問題の影響でこの状況は変わりましたが、アートのエネルギーがいまでも感じられます。インドのアートマーケットはほとんどニューデリーとムンバイに集中しています。バローダやコルカタ、バンガロールでもアートの設備が多いです。しかし、インドの近代美術館・国立美術館はあまり現代アートを収集していないため、現在アートの資源がなくなるという恐れがあります。2008年にオープンしたDevi Art Foundation(デヴィ芸術財団)はその解決策を提案しています。プライベートのコレクターがデリー郊外の大規模建築ギャラリーで印象的な展覧会を開いています。インドの現代アートのスーパースター全員の作品を持っていて、デリーの進歩的大学JNUの有名なキュレーターである教授たちと協力しているのでとてもよい展覧会ができます。
そして、インドのオルタナティヴ・アートスペースも強力です。一番有名なのは「KHOJ」(コージ)というオルタナティヴ・アートネットワークです。1997年にニューデリーでアーティストたちがこのグループを設立しました。そして2001年からデリー南方でアートスペースを開きました。若いアーティスト・学生をサポートするほか、レジデンス・プログラムもあり、コミュニティとの協働もしています。特にその近所に対するコミュニティ・アート・プロジェクトが多いです。長期的な子供向けアート教育プログラムや商店街の店舗とのコラボレーション・プロジェクトにおいて、地元の人たちと関係を構築し、アーティストやKHOJのメンバーはその地域の状況をより深く理解することでアウトサイダーからインサイダーになりました。日常生活におけるアートとの出会いの機会を与えています。日常生活においてアートの力を感じさせます。
KHOJのディレクターは2008年に「48degrees」という大規模なパブリックアートプロジェクトを企画しました。都市の数箇所でインドのアーティストと海外のアーティストがサイト・スペシフィックなインスタレーションを発表しました。これはインドにおいてパイオニアのような活動といわれています。そしてレジデンス・プログラムやワークショップなどを通して、アートと関わっていない人やインドのさまざまな場所と結びつき、大きなネットワークができました。若いアーティストたちはKHOJの最初の活動から刺激を受け、自分たちでインドのあちこちでKHOJのサテライトグループを創立し、現在カルカッタ、グワハティ、バンガロールでKHOJの活動をしているアーティストたちやオルタナティヴ・スペースなどがあります。国内ネットワークだけではなく、南アジアの地域のネットワークも持っています。
トライアングル・アーツ(Triangle Arts )というレジデンス支援のネットワークに入っているのでスリランカ、バングラデシュ、パキスタンのレジデンス・アートスペースと関係ができて現在いろんな交流プロジェクトが行われています。
KHOJの姉妹グループの一つはインドの東のグワハティにあるペリフェリー(Periferry)というオルタナティヴ・アートスペース、これは本当にオルタナティヴです。ギャラリーではなくて船です。グワハティのブラーマプトラ川に係留された船はアーティスト・イン・レジデンス、ライブイベントスペース、展示空間として使われています。ペリフェリーは英語のperipheryの言葉遊びで外周という意味です。ドゥルーズとガタリの理論に基づいて遊牧した場所を作りました。ペリフェリーは移動しているので一つの場所の社会的政治的な制限を越えた独立ゾーンになります。このボーダレスな、場所を逃れるような考えはよくポストコロニアル理論で強調されています。
脱コンテキスト化の逆としてのコンテキスト化の良い例として、インドのデリーにあるSARAIというメディアグループの活動を紹介したいと思います。SARAIはネットだけを扱っているのではないですが、ネットとアーバンメディアの社会的文化的解釈を研究しています。インドのさまざまな街で住民はどのようにネットとメディア・テクノロジーを利用しているのか。街の状況はその利用方法にどのような影響を与えているのか。日常生活でそのメディアはどのような役割を持っているのか。こういう疑問についていろいろと考察しています。
特にCybermohalla(サイバーモーラ)というプロジェクトが面白いと思います。Cybermohallaというのは貧困の地域の恵まれない若者や子どもたちのためのメディア・テクノロジーのラボラトリーです。
Sugata Mitraさんという企業家が1999年に立ち上げたhole in the wallのプロジェクトでは路上で暮らす子供たちがネット対応パソコンに共同でアクセスしました。子ども達は初めてパソコンとネットを使っているにもかかわらずすぐにインターフェースを理解し、サーチエンジンを使って、ネット世界を体験しました。ネットを初めて使った子どもたちはどのようにネットを使うのか。どのようなものを検索するのか。この観察からいろいろな分析をして、ハンディをかかえた子どもたちのためにネットパソコンによる教育プログラムを作りました。Cybermohallaはこのプロジェクトに刺激をうけたのですが、教育というよりも若者に創造的な表現をする機会を与えています。現在デリーの三箇所にCybermohallaのラボがあります。このラボではパソコン、インターネット、デジタルカメラ、ビデオカメラなどがあって、若者が自分の想像力を探求するだけではなく、周りの環境の状況もメディア・テクノロジーを通して研究し、何らかの形でその地域に貢献します。この活動は教育や仕事と違って、評論的な創造活動を育んでいます。Cybermohallaではメディア・テクノロジーはある場所の状況に固定され、そのローカリティの特徴を示します。
アーティストグループ「Raqs Media Collective」はSARAIのメンバーで、作品におけるメディアのローカルな状況とデジタル・ディバイド(デジタル格差)に対する意識を高めようとします。

建物 
Devi Art Foundation

 

<マレーシア>
マレーシアのアートセンターはクアラルンプール、イポー、ペナンです。アート活動はあまり国からサポートをもらえないので、アートスペースを長期的に運営するのが難しいです。一年でアートスペースがあちこちで出現したりなくなったりしています。(saubin yaoというコンセプチュアルアーティストはこのアートスペースの歴史をgoogle mapで記録しています。)持続的に活動するのは困難ですが、皆、そういう狙いを持ってやっています。一番長期的に活動したオルタナティヴ・アートスペースはクアラルンプールのAnnexe Gallery(アネックスギャラリー)です。大きなクラフトマーケットの隣の4階に、アートコンプレックスが2000年に設立されました。アートハブとしてさまざまな最先端の現代アートギャラリー・団体がそこへ集中しました。4階にはメインギャラリーがあり、それ以外にライブスペースやアーティストランスペースもありました。しかし小さなギャラリーなどは経済問題があってなくなってしまい、面白いギャラリーの代わりに一般的なコマーシャルギャラリーが入りました。しかし、4階の大きいギャラリーはいまでも積極的に活動を続けています。このAnnexe galleryは領域横断的な場所で、ダンス・ファッション・デザイン・シアター・音楽・ビジュアルアートを含め、広い範囲でアートを促進しようとしています。特に社会問題に対する意識を高めようとするためにアーティストとアクティヴィストを集めて意見・表現方法の交換を促しています。なかでも特にゲイの権利向上活動を強調しています。このギャラリーを設立した建築家チームは今年の3月に新しいスペースをオープンしました。ショッピングモールの中で「MAP」というメディア・アートプラットフォームで映像・パフォーマンス・実験音楽などに限らずさまざまなジャンルの作品を発表します。
より実験的なアーティスト・ラン・スペースもあります。「Lostgen」は独立アーティスト・イニシアティヴでアーティストの夫婦は自宅でアーティスト・イン・レジデンスプログラムやワークショップなどを行っています。コミュニティプロジェクトも長期的に進めています。スラムに住んでいる子ども向けのワークショッププログラムを3年間続けました。そしてペナンのほうでも社会的な問題のある貧乏な地域でアートフェスティバルを起こしました。地域のひとたちを巻き込み、町の中でサイト・スペシフィックな作品を制作して発表しています。
「sicKL」 というスペースは実験音楽を促進する場所です。クアラルンプールでは実験音楽・ノイズ・即興エレクトロを演奏する場所があまりないので、アーティストたちはライブパフォーマンススペースを立ち上げました。サウンドアート・音楽だけではなくて身体パフォーマンス・ダンス・映像も毎月特別なイベントとして発表しています。
「RAP(rumah air panas)」はアーティストコレクティブとしていろんな展覧会・トークイベントなどを企画しています。特に面白いのは「CAIS(contemporary artists in school)」という企画です。中学校と協力して15人以上のアーティストが2ヶ月ほどレジデンス・プログラムに参加しました。 アーティストたちは生徒たちとコラボレーションし、共同制作した作品を学校の教室、図書館、食堂などで展示しました。マレーシアの教育ではアートはあまり教えられていないので、これは学生にとってとてもいい機会でした。
またパブリックな空間に戻ったらChitooさんというアクティヴィスト・NGO映像監督はパブリックな空間で面白い活動をしています。
しかし、現代アートの独立活動はまだ不安定で持続的活動を実現するのが難しい状態です。一方デザインが強く、最近ではマレーシアのデザイナーたちが力を示しています。(例えばKLデザインウィークは世界中のデザイナーなどを呼んでいます)

ギャラリー
Annexe Gallery

 

<インドネシア>
インドネシアのアーツコミュニティは非常に強いと感じています。インドネシアは数千の島から構成されており数千の言語が存在していて、さまざまなアート・文化の表現があります。本当に面白い国です。よく知られているオルタナティヴ・アートスペースはほとんどジャワ島にあります。ジャカルタでは「Ruangrupa」というビデオとパフォーマンスのアーティストコレクティブが国際アーティスト・イン・レジデンス・プログラムや国際ビデオフェスティバルを行っています。また、ジャワ島の西のほうにあるアーティストコレクティブは「Common Room」というオープンアーツスペースを運営しています。いつでもだれでも利用できるスペース、アート資料、展覧会、ディスカッションを提供して若いアーティストたちをサポートしています。また、社会問題や環境問題に対してテクノロジーを通して意識を高めようとしています。
そしてジャワ島の文化センターであるジョグジャカルタでは「HONF(House of Natural Fiber)」が活動しています。「House of Natural Fiber」とはインドネシアのジョグジャカルタにあるメディアラボのことです。異なる背景を持った若者のコミュニティによって1999年に創設されました。文化的発展とメディア・アートに焦点をあてて、人と環境との相互作用を強調したアートプロジェクトとワークショップを企画しています。「EFP(Education Focus Program)」はHONFに創設された分野横断的なワークショップ・プレゼンテーションとディスカッションです。インドネシアの教育状況に応じたプログラムを行っています。EPFの目的は将来に向けた思考のために、人間の要求・知識に基づいたテクノロジーを促進することです。教育はこの活動の中核にとどまり続けています。テクノロジーの実用を通じて、新しいアイディアと批判的な分析を行うことで、個人とコミュニティと団体とを結び付けます。農業経営者・医者・生物工学学者などとコラボレーションし、メディア・テクノロジーが社会に貢献する可能性を提唱しています。
毎年「Cellsbutton」と「YIVF(Yogyakarta International Video Festival)」という国際メディア・アート・フェスティバルを企画し、海外のアーティストと国のアーティストを呼び、さまざまなコミュニティと協力し、互いの知識とスキルを共有しています。

話し合い
Common Room

 

<中国>
「The Da Zha Lan project」
Ou Ningという北京のアーティスト・アートディレクターは、オリンピックのための政府による北京の古い町の再開発に対して面白いプロジェクトを起こしました。オリンピックの準備のために古い町に住んでいる人たちが立ち退かされていました。立ち退き反対の住民活動に対する注意を喚起するという目的で、Ou Ningさんと北京のメディア・サウンドアーティストは住民たちと協力して、ビデオカメラ、ブログなどの使い方を教えて、メディア・テクノロジーを通して反対活動を促進しました。立ち退きの脅威と警察の暴力を記録して、カメラとネットを武器として使いました。メディア・テクノロジーによる権利拡張の可能性を指示しました。

会場
The Da Zha Lan project

 

<タイ>
「Compeung」はチェンマイにあるアーティストヴィレッジです。Compeungは若いアーティストONGさんに創立されて手作りのお家の数件の一年中のアーティスト・イン・レジデンスとして運営されています。国内外のアーティストは短期的あるいは長期的にそこへ滞在し、周辺に住んでいる人たちと協力して制作しています。オープンでいい雰囲気があります。滞在しているアーティストたちはよくビレッジの新しい部分を増築し、ビレッジはいつも発展しています。
Compeungは同じチェンマイにあるザ・ランドプロジェクトと似ています。リクリット・ティラバーニャのザ・ランドプロジェクトは1998年から自立したコミュニティのための解放された場の創出を狙いとする長期プロジェクトで、仏教思想を基に実験的な思索やライフスタイルの探求が行われ、有機農業、建築、美術展、レクチャーなどのほか、瞑想法やヨガ教室が開かれています。

上記のプロジェクトでは「コミュニティ・コラボレーション・コミュニケーション」が重要な要素ですが、私はこれを東京にも適用したいと思いました。日本では、まちづくりのコミュニティアート・プロジェクトが多いと言われています。越後妻有トリエンナーレ ・コマンドNを中心としたゼロダテ・ヒミングプロジェクト、沖縄の解放区スタジオ、横浜の小金町プロジェクトなどがありますが、東京は?というとコマンドNの活動以外はあまりよく知りません。

そこで、小規模のイベントですが、自分でもこういう活動を実現したいと思いました。
数年前6ヶ月交換留学生として日本へきた時、友達と一緒に「SWITCH」というイベントを企画しました。商店街・公園・ギャラリー・サイトスペシフィックインスタレーション等を行い、最重要の狙いはムサビに集中したアートを近所に出すことと、ムサビの学生たちと地域の方々とを結びつけるということでした。この時ムサビの創造力には感動しましたが、それは地域とあまり繋がっていないと感じました。そして、ただたんに作品を地域に出すだけではあまり良くないと思いました。地域は特別なコンテキストを持っているので、最初はそのコンテキストを検討して敏感に応じたほうがいいと思います。そのために参加するアーティスト・学生は最初に鷹の台のツアーを行って、近所の人たちやお店の店長などにインタビューや相談をしました。そして、皆さんの意見・提案に基づいてイベントを発展させました。

村
Compeung

 

03 ディスロケイト

ディスロケイトはグローバルとローカルとの緊張に焦点を当てて、グローバル化の過程とローカル化の過程におけるテクノロジーの役割について議論しています。テクノロジーが浸透した情報化社会において、自分の位置や身近な場所をどうやって感じられるでしょうか。ディスロケイトの意味は単純に例えると、「脱臼」ということです。骨の脱臼ではなくて場所の脱臼です。メディア・テクノロジーの影響で新しい空間が生まれており、一つの場所は同時に数箇所、世界中と結び付けられています。それによって自分のいる場所がわからなくなるという現象があるでしょうか?場所は不安定になっていき、私たちは空間への失見当を起こし、立ち退きを求められてきたのではないでしょうか。 
グローバル化によってひとつの場所の特徴が消されていると言われています。ローカルな本質はグローバルな普遍的特質に置き換えられます。しかし、テクノロジーはグローバル化を促進するといいますが、その逆のプロセスも可能にするのでしょうか。テクノロジーを使えばローカルな特徴も提示できるでしょうか。テクノロジーを媒介して親しみ慣れた場所・ローカリティを見直すことができるでしょうか。より深く関係を構成できるでしょうか。この質問に基づいてディスロケイトのイベントを企画しています。

イメージ
dislocate

 

「Mediations of locality」
グローバル化を促進したメディア・テクノロジーを通してさまざまなローカルな場所の状況を捉えられるでしょうか。離れた地域と結び付けられるのでしょうか。
海外のアーティストを呼んだとき、どのようにこのコンテキストにおいて紹介が出来るのでしょうか。その場所と関係を構成できるのでしょうか。コミュニケーションができるでしょうか。
その交流について結構考えました。互いのコンテキストを知らず海外のアーティストの作品を地域にパーっと出したら意味がないと思っていました。そのため、より長期的なプロジェクトでアーティストと地域とを繋げたいと思いました。「Mediations of locality」ではタイ・インドネシア・マレーシア・ヴィエトナムのアーティストが5週間小平市を中心としてアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに参加しました。

アーティストたちはこの場所で新しいコンテキストを調べて、近所の人々、学生たち、子どもたちと協働でその結果を展覧会、ライブイベントなどとして発表しました。コミュニケーションとコラボレーションが中心ですから、毎週ワークショップとアーティストトークを行いました。批判的討論のためにシンポジウムも行いました。東南アジアのアーティストと日本の理論家・アーティスト・オーガナイザー・他分野の専門家が集まって、東南アジアと日本のテクノロジー社会を留意し、文化・政治・経済・歴史の点を比較し、メディアと場所との関係を議論しました。国・場所によってどんな様にテクノロジーが受けとられているでしょうか、どんな様にテクノロジーが利用されているでしょうか、どんな様にテクノロジーの創造的な可能性が表現されているでしょうか。お互いからいろいろなことが学べました。

昨年4人の東南アジアのアーティストを呼んで、一ヶ月間のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを行いました。今回はメディア・テクノロジーとコミュニティとの関係に焦点を合わせました。メディア・テクノロジー、特にインターネットを通して様々な新しいコミュニティが発生しましたが、どのようにメディア・テクノロジーを使えば既存コミュニティ活動に貢献することできるでしょうか。メディア・テクノロジーは既存コミュニティを強める可能性もあるでしょうか。

メディア
Mediations of locality

 

<幼稚園>
タイのkaowtooさんは、幼稚園で毎週ワークショップを行いました。ワークショップの内容は絵画・アニメーション・ビデオ・写真・人形を作ることによって、バンコクのスラムに住んでいる子どもたちとコミュニケーションするということでした。写真とビデオを交換することによって子どもたちは互いの日常生活と日常環境について意識をするようになりました。絵とアニメーションのコラボレーションを通して、子どもたちは互いに個人的なつながりを感じられました。レジデンス期間だけではなく、その後インドネシアの子どもたちも紹介して、三か国でワークショップを続けました。信頼と協力のためにこういう関与が必要です。メディアと教育、メディア・テクノロジーはどのように学習を改善できるのか。メディア・テクノロジーを利用する方法とコンテンツによります。今回のプロジェクトでは明白な教育の計画がなかったのですが、国際交流・コミュニケーションにおいて異文化への理解を育むために多様な創造的表現方法を紹介するという目的があります。子どもたちが自分の環境を自分で表現するということを促して、メディアによる固定観念を打ち破ります。

ワークショップ
ワークショップでの風景

 

<国分寺市国際協会>
ベトナムのTuさんは、日本に住んでいる外国人の経験について興味がありました。インサイダーとアウトサイダーとの違いや、日本の社会における外国人のあいまいな位置に対したコメントをしました。国分寺市国際協会で出会った人や他の外国の方へ、千円札に絵・しるし・ことばなどを付けるようにと頼みました。その千円札をマクロレンズカメラで撮影して写真作品として発表しました。参加者はそのしるしを消さず、千円札をどこかで使いました。外国の参加者は印を付けることで自分の存在を示しました。そしてその印は通貨の循環に入って永遠に近く外国人の存在を表明します。

千円
千円札の写真作品

 

<玉川上水を守る会>
インドネシアのAndreasさんは、特に環境問題について興味があって二酸化炭素をサウンドとイメージとして表明できる装置をつくっています。彼は鷹の台の環境問題について勉強したいと言いました。そこで玉川上水を守る会に紹介して一緒に玉川上水に沿って歩きながら、玉川上水の歴史・守る会の活動についていろいろ話しました。そしてAndreasさんは守る会の会長の庄司さんのビデオインタビューをとりました。そのインタビューをビデオ作品として「ジョッグジャカルタービデオアートフェスティバル」で上映しました。また、プロジェクト期間中の展覧会でお水をテーマにした作品を発表しました。

装置
Boys%3AGirls Installation

 

<ムサビの学生>
マレーシアのWingさんは、Lim Kok Yoongさんの作品で東京とクアラルンプールを結びつけようとしました。場所を、身体を通じて理解する作品です。手相のように観客の手のひらがスキャンされ、生命線が確認されます。そしてその生命線は東京の地図の上に書かれ、線に沿った現地の音が聞こえます。マレーシアの観客には東京の音が聞こえ、東京の観客にはクアラルンプールの音が聞こえるという繋がりを作ろうとしましたが、まだ完成ではありません。このプロジェクトでは感情がない冷淡なメディア・テクノロジーに触覚が与えられ、敏感に触知できるようなメディアになります。自身を場所の上に地図にすることを通して、手を差し伸べ、遠く離れた場所に触れます。

地図
Lim Kok Yoongの作品

 

<玉川上水ライフラインプロジェクト>
玉川上水ライフラインプロジェクトとは、玉川上水に沿った地域に住んでいる人たちによって立ち上げられた、日常生活において玉川上水をより高く評価するための活動です。玉川上水はさまざまな場所、さまざまな地域を通って流れています。さまざまな地域、さまざまな人と結びつけます。アートを媒介として地域のあり方・人間関係における玉川上水の役割を提示します。

玉川上水
玉川上水の風景

 

04 コミュニティとアート

これらのようないわゆるコミュニティアートの活動に参加したら、コミュニティの意味をちゃんと考えなければなりません。コミュニティとは何でしょうか。
ジャン・リュック・ナンシーの『無為の共同体』によると原初共同体への希求は、私たちの実際の歴史的な時期への参照ではなく、むしろ神話的な思想、言い換えれば私たちの過去に対する想像上のイメージです。真の共同体とは、「単一の価値と規範に基づく共同存在」ではなく、「さまざまな価値と規範が共にある」という形ではないかとナンシーは問いかけるわけです。コミュニティは同質ではなくて異質に構成されていると主張しています。
「コミュニティ」は最近ネット関連での流行語になってきていて、face book、msn、yahooというソーシャルネットワーキングサイトを通してオンラインコミュニティが発生します。しかしジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)の『コミュニティ――安全と自由の戦場』によるとネット上のコミュニティに関する興奮はコミュニティがもうなくなったことを暴露しています。コミュニティは自然に存在するものですから、コミュニティについて大騒ぎがあったらコミュニティではありません。
おそらく一番有名なコミュニティ理論はベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の『想像の共同体』に提示されています。コミュニティは場所に定義されておらず、私たちの想像力によって生み出されたものです。コミュニティは実際に存在していない、定義されない、想像したものだけです。
想像におけるコミュニティが存在しているので、その頭の中の想像したイメージを捉えないとコミュニティには入りません。コミュニティになりません。
危険なところは、コミュニティのイメージを人々に強いるということです。コミュニティアートではこの問題がよく起こっていると思います。想像においても存在していないコミュニティを構成させることは難しいと思います。 コミュニティアートの活動を批評する評論家のグラント・ケスター(Grant Kester)によるとアートとコミュニティとの関係は非常に微妙だといいます。60年代からこういう流動が増えてきましたが、現在ついに時流に乗ったアーティストが多いと思います。コミュニティの中でプロジェクトを起こしたらいろいろな問題について気を付けないといけません。アーティストとコミュニティはお互いに異なった目標を持っている場合、関係を築くことが難しいです。その関係を構築するのに時間がかかります。短期的にある場所に入って近所の人たちを利用して自分のアイディアを実現し、急に出ていくのは悪いと思います。それぞれの人たちを個人個人として大事にすることが重要です。
それには長期のコミットメントが必要です。あなたの活動は誰のためのものでしょうか。誰の利益になるのでしょうか。ここで何を成し遂げたいでしょうか。こういう質問をちゃんと深く検討することです。その場所のコンテキストを理解しないといけません。

(編集 小林橘花)