Cultre Power
artist 藤本由紀夫/Fujimoto Yukio
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
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インタヴュー

藤本由紀夫×岡部あおみ

学生:三好佐知
日時:2001年1月30日
場所:京都国立近代美術館カフェ

01 枯れ葉のインスタレーションの経費はどこから?

岡部あおみ:藤本さんの作品はオルゴール仕掛けで音がしたりするオブジェもあり、絵を壁にかけるといった通常の展示とは違うわけですが、これまで展覧会をなさる時など、どのようなかたちで美術館とかかわられてこられたのでしょうか?美術館側から声を掛けられて、インスタレーションをやったり、新作を作られるわけですよね。

藤本由紀夫:そうですね。福岡市美術館などでは新作もつくりました。新作はこちらからつくると言いだしたんです。あそこはやりやすかった。美術館に下見に行った時、以前使われていた展示台で斜めになったものがあったから、“これを使って作品つくっていいですか?“と聞いたら”いいですよ“と言われた。それはリサイクルのつもりで言ったんですが、その後美術館に行ったら、それと同じものを業者に発注していました。ちょっと古くなっていたのが良かったなと思ったけれど。それから、ちゃんと制作に使う部屋も美術館に用意してもらえた。

岡部:その時は参加費用としてアーティストフィーが出たのですか?

藤本:確か10万円位だった気がしますね。

岡部:プラス現場での制作費ですか?

藤本:制作費自体はほとんどかからなかった。それに、実際できた作品は僕が引きとっていますから。多分、公には出ていないと思う。制作をするとなると、所有権が問題になる。インスタレーションでは、制作費がどうなるかでもめるんです。要するに、作品の所有権が問題になるようです。

岡部:制作費ではなく、作家経費というかたちで、制作費としてではなく予算から落としているんでしょうね。藤本さんの場合はインスタレーションよりオブジェのほうが多いようですが。

藤本:僕は…考えてみたら自分でお金を出してインスタレーションをしたということはないです。インスタレーションの場合、ゼロからつくるから、例えばこういう机がいるとかね。何かが必要な場合それは作品なのか、パネルと同じように会場の備品なのか、というところで理解が異なる。そうすると、その辺の境目が難しい問題になります。要するに作品なしでやっていて展覧会自体が作品だから。それが会場設営費になるのか、作品制作費になるのか、というのは非常に難しい問題になる。美術館の人は大体“金がない”って言うんですよね。だけどね、それは嘘だって分かったんですよ。ないと言うのは、ただ作家に払う金がないということ。

岡部:基本的にそういう項目がないということですね?

藤本:そうです。項目がない。謝礼という項目がないからお金を出せない。公立の美術館の中では出せない。作家が作品をつくるためのお金も出すと作品に価値が付く。一個人の作品に出すことはできないから、出すお金の項目がない。でも会場に壁を立てるのに、業者が百万単位で簡単に作るんですよ。

岡部:結局、設営費という項目はあるということですね。

藤本:もう一つ、オープニングに行くと立派なカタログが出来上がっている。

岡部:出版費という項目もありますから。

藤本:確かお金がないと言っていたのに、どう見てもこれは数百万はかかってるぞ、嘘だなって!インスタレーションを会場設営費で出せるのだったら、大丈夫なんです。オブジェがいると言うと難しいけれど、壁がいると言うと、その設営業者に作らせる。するとできてしまうんですよね。例え壁がどんな形でも「壁」ならいい。上にライトでつなげたいと言ったら、それも全然問題なくできた。あと、枯れ葉を敷きたいとかね。枯れ葉は北九州ビエンナーレの時に、北九州市立美術館で敷いたんですよ。裏山から全部集めておいてもらい、僕はばらまいただけ。そのために美術館で働いている人達が大きな袋で80袋位枯れ葉を集めて、乾燥させて、燻蒸処理もしてもらいました。岡部:美術館に虫が入ってきたら他の作品の保存上で大変なことになりますから。

藤本:その経費と言ったらすごいですよね。

岡部:その予算はどこで落としたんでしょう?会場整備ですか。海外ではケース・バイ・ケースとはいえ、制作費や作家が展覧会のインスタレーションなどで労働した場合は多少でも支払っていますが、日本の美術館はそういう枠がないので、どういう項目で落とそうかで頭をかかえて大変なわけですね。

藤本:枯れ葉は清掃の方の経費ですね。燻蒸するのは、会場を燻蒸する時と同じです。でも、もし厳密にこれは僕の作品だから、と言って自分で枯れ葉を集めて乾燥していたら人件費と燻蒸費が高くつく。しかも、それで請求書を出しても落ちないと思う。ということは、やりようだということが分かってきました。

岡部:それは公立美術館でやるのか、私立でやるのか、にもよるかもしれないですね。逆に私立だったらそこまでできないかもしれない。それほどの人件費もないかもしれないし、システムの面でも。


ヴェネチア・ビエンナーレ

藤本由紀夫[BROOM(KMMA)]1997,
インスタレーション(北九州市立美術館)
© Yukio Fujimoto

02 学芸員の才覚による

藤本:ですから担当の学芸員の才覚というか、やりくりをできるか、できないか、が問題になってきます。

岡部:マネージメント能力に関わってきますね。

藤本:堅い人は“これはだめです”とか“出せません”となるけれど、能力があると“あの方法ならある”ということになる。

岡部:さらに、担当者だけの問題ではなくて、組織の中の立場とか、組織のフレキシビリティーの在り方もありますよね。

藤本:僕の場合は、結局場所が変わっても、自分の完成作品を持っていくのではなくて、まず空間によって作品が変わりますから。場所の状態で作品を決めるのとやはりもう一つ、そこに担当者がかかわってきますね。

岡部:この人はやりそうだな、と思うと多少の無理を言う。

藤本:えぇ。ちょっと無理難題を言う。

岡部:藤本さんなどは慣れているからできるけれど、初めての人だととまどってしまうでしょうね。やりたいと思っていることを言って“だめ”と言われたら、そこでひいてしまったり、最初から自重するとか。

藤本:それも大分分かってきましたけどね。逆に、最初に“何でも出来ます”と言う人はだめですね。軽く言う人は。最初はとても堅い人だな、と思った人がかえってやってくれたりする。あと、そういったことが学芸員だけではなくて、会場の管理を含む、他の課に絡んでくるんですよね。最初は怒っていた人が“やるな”ということもある。

岡部:最初はぶつかったけれど、最終的にはうまくいったとか。最初に“だめ!”と言っていても、ちょっと知り合って、この人は芯が強いと思うと無理してやってくださったり。

藤本:でもね、喧嘩してはだめなんですよ。相手は正当なことを言ってきているから、それに対しては“分かります”と。“でも僕もここでやりたいんです“と言う。僕の場合はね、説明するよりも「やりたい」「やってみたい」という気持ちを伝えます。“相手の人のことも分かります、でもやっぱりここでやりたいんです”と言う。そうするとね、向こうがアイデアを出してくれるんですよ。この規則だったらいける、という「規則」。要するに規則通りにやらないといけないから、そういう「規則」をみつけてくれるんです。

岡部:すると両者でびっくりして、あっできるじゃないかと、急展開するわけですね。

藤本:えぇ。もっと変なところ(規則)を探してきて“ここもいけるんだけど”とかね。そういうスリリングな展開が結構ありますね。そういう人が、展覧会が始まってから自分の知り合いを連れてきてくれるんですよ。それで“この作品はな”なんて言っていてね。そういう場面を見るとうれしくなってきちゃう。

岡部:ところが最初“いいです、いいです”と言う人に限って、“やっぱりいろいろやったけどだめでした”ということになる。かなり疑心暗鬼でやっていったほうが無難で、期待して大丈夫だと思ったら大変。

藤本:後で軽く言われた時はすごく怖いんですよ。そのつもりで行ってみて、直前で上の了解得られませんでしたと言われても。展示するのはこちらですからね。直前の段階からは変えられないでしょう。そうするともう、喧嘩したところでしょうがないから。最初に何でもOKと言われるとかえってそちらの方が不安ですよ。

藤本由紀夫「EARS WITH CHAIR (NAO-SHIMA)」
1993,インスタレーション(直島コンテンポラリーアートミュージアム)
© Yukio Fujimoto

03 京都市美での怪奇な奮闘

岡部:美術館で展覧会をして一番大変だった所はどこですか?

藤本:そういえば大変で一番つらかったのは、京都市美術館ですね。

岡部:なぜですか?お金がなかったからですか?

藤本:もちろんないです。作家に支払われるお金はありませんでした。作家に払う、という考えがまず、どこにもない。やらせてやる、という考え方だから。この展覧会に参加しようと思ったのは、担当学芸員の北村明里さんの「何か」に魅かれたからです。今は辞められて兵庫の教育大の先生になられたと思います。展覧会は1994年、「感覚による思索」という「京都の美術、昨日、今日、明日」というシリーズの一つだったんですが、その時は、曽我孝司さんという彫刻家と森口ゆたかさんと僕の三人でした。曽我さんの作品はいわゆる重力のバランスだし、森口さんは虚像のような映像作品、僕は音。三人とも物質ではないものを扱って展覧会をやった。当時学芸員の北村さんはイタリアのルネッサンス専門で、現代美術は専門外でした。しかも美術館に入りたてで担当になったので、その時期に画廊を見て回り、作家を自分の目で選んだそうです。打ち合せの席で初めて会ったんです。

岡部:駆け出しの学芸員で、しかも専門外の最初の展覧会は難しいですよね。

藤本:彼女はすごかった。根性があった。芯が強かったです。その時に僕は、会場の下見をして、ロビーにつながる階段とチケット売り場のような小さな部屋を使おうということになった。そうしたらまず庶務課からクレームがきた。展示室じゃないところを何で使うんだと。それから面白いのは、何であんな汚いところを、と言われた。確かに汚くしていたんですよ。物置きのようにソファーや色々なものがあって階段が昇れない。

岡部:建物自体の造りはきれいなのに、古いからうまく使っていないんですね。京都市美の会場は雰囲気があってとてもいいけれど。

藤本:すごくいいですよ、大理石で。だけど、彼らには展示に使うということが理解できなかった。それともう一つ、階段に作品を置いて階段を歩く人が転んだら誰の責任だ、と言って。階段は人が歩くところなのに。階段は昇降するところ、という理由で断られるのはとても理不尽。でも、北村さんがどちらかと言うと押し通してくれてできるようになった。その時はむしろ学芸員と京都市の課の人の争いになっていました。

岡部:他のスタッフの人達との軋轢が大変だったんですね。

藤本:話には聞いていたけれど、実際はこんなにすごいところなのかと、現実を見てびっくりしました。お金も出ないけれど、もし必要なものがある場合は北村さんが自分で何とかしてくれました。森口さんにはメセナがつきました。僕の方は結局いらないことになったので、お金のかかることではなく、会場を使えるようにしました。会場を使うという部分での攻防がすごかった。正面ではなくて右側の側面から入る入口があるんですけれど。入ると右側に昔チケット売り場だった小さな部屋、その左にも同じような部屋があってロビーのようになっていて、階段がついている。僕はチケット売り場だったところも使った。その入口の向かい側に同じ大きさの部屋があるんですが、ずっと扉が閉じていた。ところが、その部屋には、職員が朝9時前に来て会場の電気―作品用の照明ではない―照明をつけてそのまま部屋に入って、密室になる。帰りにその照明を落として帰る、そういう人が一人いるんです。仕事はそれだけ。

岡部:なんだか鉄仮面みたいな人ですね。その部屋にずっと居るわけですよね。

藤本:その人を一度だけ見ました。僕はロビーで作業が終わっていたけれど、別の展示室では森口さんがみんなで電気ドリルを使って作業していたんですよ。そうしたらぴったり5時になって扉が開いて出てきて、すーっと来て会場の電気をいきなり消すんですよ。ドリルを使っている音が響き渡っているのに。

岡部:危ないじゃないですか。

藤本:そうしたら、悲鳴が聞こえて北村さんが走ってきた。“なんで?!仕事してるの分かってるじゃないの!”って。でも“報告がなかったから”と言っていました。展覧会をやっている時も、その人はその部屋にいるわけですよ。すごい展示物ですよね、人間の。

岡部:怖いですね。 

藤本:だから、やっぱり構造という恐ろしいものがあるんですよ。それから僕にとってうれしいことに、その後記者発表で当初文句を言っていた庶務課の課長さんが、記者がみんな見に来て“こんなに良かったか?”と言って驚くと、“いやぁ、もう60年たっていますからね!”なんて僕の横で自慢げに言うんです。

岡部:そういう豹変ぶりはちょっと恥ずかしい。

藤本:その後フランスのファッション関連の展覧会があって。フランスから会場の下見に来た担当者が、僕が展示していた場所を入口に使いたいと言ったそうなんです。

岡部:それはうれしいですね。インスタレーションだと、組織の中にまで入らざるを得ないことになりますね。

藤本:展示室で展示しているだけでは分からないことがあります。だから向かない人には、難しい。アートのためなんだからと言っても、向こうには規則があって、そんなこと通用しませんから。でも、絶対アートって社会と切り離しできないはずです。コンテンポラリーというのは、社会と結びついているからこそアートであって、自分がそういうところでやると決めた以上は人間関係から全部含まれると思うんですよ。それが嫌だったら別のところでやった方がいい。

04 きれい過ぎる京都芸術センター、CAPのランニングコスト

岡部:今日は京都芸術センターを見てきました。第二小学校の跡地を使っていますが、ご覧になったことは?

藤本:一回行きました。

岡部:京都芸術センターの活動については、どう思われますか?

藤本:芸術センター自身の内部機構というのがよく分からない。見に行った感じでは、使いにくそうです。本当にきれいすぎる。それは地元の人達の要望らしいんですね。やっぱり自分たちの学校ということで。そうすると使いにくいだろうな、と思います。なぜあのような場所を展示に使わなければいけないか。それから汚せないだろうな。アートのために使いづらいような芸術センターはあっていいのだろうかと、逆に分からない。

岡部:まだ分からないですね。これから活動を見ていかないと。ただ、特に舞台美術を作るとなるとスタジオとかも必要で、お金がかかりますよね。観客も大勢集まらないといけないですし。舞台美術に関わる人達にとっては制作室を無料で借りられるというメリットがあります。ただしアーティストが自分のアトリエにずうっと使えるわけではないらしい。つまり、一ヶ月あるいは三ヶ月しか使用できないということで。

藤本:そうです。根本的な問題は、場所を与えられて、そこを使うということを良しとするか、しないかですね。自分たちには場所が必要だから交渉して使うのと、アトリエ設備がありますから誰かどうぞ、という違いです。 今、僕たちがやってるのはCAP(The Conferenece on Art and Art projects)というグループで、そちらでは神戸市から場所を借りています。(CAPに関してはカルチャー・パワーの杉山知子氏のインタヴューもご参照してください) 元はブラジル移民の人達が研修を受けたブラジル移民センターという建物だったんです。そこは移民が行われていた70年頃まで続いていたらしい。その後は神戸市に建物を譲って看護学校などに使われていたんですが、空き家になってしまった。そこで、元竹中工務店に勤めていた人が、神戸市にアーティスト・イン・レジデンスの施設として、いわゆる京都芸術文化センターと同じく跡地利用できないかと提案したんです。

岡部:神戸市に企画書を出したわけですね。

藤本:だけど、神戸市はそれを受け入れられなかった。でも、その方が企画書をCAPに持って来てくれたんですよ。そこで、我々は初めてそういう建物があることを知りました。一度見に行ってみたらボロボロの廃墟でしたがとても気に入りました。神戸が一望できる所です。CAPでは色々イベントをやってきたんですが、一度自分達も場所を持ってやってみようかと。こういったアートセンターは必要なんだけれど、企画書を作っても公的な基準があれ(京都芸術センター)ですから、神戸市には一回自分達がゼロから使ってみて、実際にどういうものが必要なのか実験的に使わせてくれと言いました。神戸市は使えるようにすると最低でも5億円かかると言う。エレベーターを付けるとか、そんなことは必要ないのに。市の方ってそうなんです。

岡部:そうですね。全部きれいにすることを考える。

藤本:我々にはこのままでいいんですよ。神戸市には意味が分からなかったようです。このままで何に使うのかと。自分たちで掃除するからと言ったら呆れて、訳が分からないけれど、とりあえず我々に半年貸すことにしたようです。そこで最初のイベント(※「CAP HOUSE-190日間の芸術的実験」1999.11.3〜2000.5.10)で120〜130人でロゴ入りの白いつなぎを着て大掃除をやった。お弁当持ちで参加費をとって、まずはそこから始まったんです。期間は半年間と決めて、CAP自身が毎年居留地の企業からメセナで資金を集めていた、そのお金を運営費に使わせていただきました。

岡部:どれぐらいの資金なんですか?

藤本:一口5万円で、各企業からもらいました。年間で200〜300万円です。一年間の活動費に使っています。

岡部:メンバーの皆さんが個人で集めているんですか。

藤本:そのほとんどは杉山知子さん(※CAP代表)です。

岡部:杉山さんが頑張ってやっているんですか?

藤本:お父さんが神戸の商工会議所の偉い方だという事実は大きいと思います。そうでなかったら、そこまではね。さくら銀行から住友銀行…色々な会社がサポーティングメンバーになっていますよ。これはどんな美術館でも集められない。そういった企業とのお付き合いもしておかなければと思いますが、それも一つ、正しい姿ですよね。家柄も重要なポイントで、杉山さんもそれを分かってやっているから。悪いことに使うつもりではないですし。そして何よりも立派だと思うのは、杉山さんが各企業に出向いて、ちゃんと説明して、納得して協力していただいているところです。そういうことでとりあえずは毎年運営資金が確保できています。景気不景気で多少変化しますが。年間約200〜300万円の経費があります。その中で大口は一つもないんですよ。30〜40社からになります。居留地の企業が多いために、(※居留地は杉山さんのアトリエ)居留地の企業の集まりの会に出席しています。

岡部:マネージメントをやっていらっしゃるんですか?

藤本:そういうところにちゃんと出て、やっているんですよ。半年間は建物自体はタダなんですが、それ以外は経費がかかるので光熱費や水道代などは自分たちで払う。一番かかる光熱費が節約しても月訳20万円。あとは電話代が月10万円ですね。ランニングコストだけで、月20〜30万円です。広くて寒いので。200万円はほとんどランニングコストで終わってしまう。

岡部:企画費はまた別に必要になりますね。

藤本:こんなにかかるとは、びっくりしました。だからタダで借りられるといっても、何がタダかが問題ですよね。それ以外に催しをやって、終わりにはオープンアトリエということもしますから、公報宣伝のための印刷にもお金がかかる。半年間CAPとして使った経費は全体で400〜500万円でした。入場料も当然入りますが、スズメの涙です。


caphouse
© Yukio Fujimoto

05アートのボランティアもプロであるべし

岡部:CAPをやってらっしゃるのも、なかなか面白い経験ですね。

藤本:えぇ。それもオーガナイズ限定です。僕自身は、ボランティアをやらないと決めているんですよ。それをやるには自分のためになるものしかやりたくない。一つの方針ですね。よく何でそういうことをやっているんだと聞かれるんだけど、社会のためにやっているわけじゃなくて、自分が知りたいことができる場所というのは、自分で探していかなきゃいけないし。そこでなら自分のやりたいことを提案してやれる、そういう場所にしようということでやっているんですから。

岡部:藤本さんにとってボランティアというのは、他の人の為に自分の時間を割こうということですか?

藤本:もちろんそうです。そのボランティアはプロでなきゃいけないと僕は思っているんですよ。手伝いというのはボランティアにはならない。最近美術館でボランティアというのが多いですが、そこで専門家が来てくれるのかと思ったら普通の人や学生さんが来て、とりあえず仕事を配ってもらおうと言われるけれど、迷惑な場合が多いんですよ。

岡部:そうですね。その人達は楽しいかもしれないけれど。

藤本:細かい説明が必要だし、できないからと言って文句は言えないでしょう。せっかくやってくれるわけだから。業者のプロが来てやってくれるのだったら、それはボランティアですよね。ありがたい。地震の時もボランティアでお医者さんが行っていましたよね。本来プロの人が無償で自分の時間を投げうって行くからボランティアなんですよ。それが何で美術の場合、ボランティアといいながら違うんだろう。僕自身も、プロとして、出せる技を使える機会がないんですよ。自分はボランティアができるという機会が。

岡部:色々な段階があると思いますけどね。役割によっては個々のプロ的なものがなくてもできるボランティアというのもありますし、本当に必要なので無償でやっていただくこともありますから。

藤本:例えば主婦のプロとか。仕事はしていないけれど掃除がめちゃくちゃ上手い人。そういう能力を出してくれればいい。

06 CAPの成功は自由にやらせてもらえているから

岡部:CAPでの最初のイベント(「100人大掃除」)に対する神戸市の反応はいかがですか?

藤本:片付け終えたところを見て、きれいになったことにびっくりした様子でした。“どうもありがとう”と言われてしまった。ムカーっとしたので、返すときは現状復帰にしようなんて話も。僕たちのやり方としては、神戸市との関係では、使い道に関しては自由にやらせてほしいと言っています。とりあえず問題さえおこさなければ、神戸市もそんなに期待していないから。運営に関しては、自分がやりたいことをみんながそれぞれアイデアを出します。

岡部:そのアイデアを出すのはメンバーに限ってですか?

藤本:えぇ、まずは。

岡部:スタッフはどうしていますか?

藤本:いません。最初にどうしようかという話になりましたが、外の人を受け入れたら、責任持てないわけですよ。そこで、まずは自分たちだけでやってみようということです。例えば、作品が壊された場合や部屋の使い方だとか。どう責任とったらいいのかということになりますから、自分がやることに関しては、自分で企画から最後まで、それぞれがやる。

岡部:その間、どの位展覧会をなさったんですか? 

藤本:いえ、最初から展覧会の場所にするつもりはありませんでした。アトリエとして使おうという話だったんです。僕は半年間3階の一部屋をアトリエとして使っていました。今でも十何部屋あって、それぞれの人がアトリエとして使っています。CAPのメンバー以外も使っています。最初の半年間に訪れた人たちが見て、現在使っていたりするんです。だんだん広がっていった。

岡部:その人達が使う場合には、光熱費は払うんですか?

藤本:今は一人月1万円です。半年間は神戸市から一切お金を出してもらわずにやってきましたが、その後は決めていませんでした。そのまま続けることは不可能ですよ。やめようと言っていたんだけれども、神戸市の方にその後のことに関しての問い合わせが沢山あった。“半年終わった後どうするんですか?”と。神戸市はアイデアがないですし。そこで2001年復興事業祭―いわゆる、震災から6年経って、こんなに元気になりました、というのを全国の人に見せるというもので、色んな事業を行うんですが、各団体の自主的な催しを神戸市がまとめてフェスティバルにした演出なんです。このフェスティバルに参加するならば、CAPにも実行委員会やそのためのスペースがいるでしょうから、移民センターを使えますよ、という話を持ってきてくれた。それに参加するなら、部屋だけではなくて光熱費もいるから神戸市が出しましょうという条件で、ランニングコスト負担はなくなった。一人月1万円というのは、安いけれど参加意識の問題なんです。(現在、CAPはNPOとして再出発している)

07 アーティストは社会人であるべし

岡部:市や町が現在まちづくりをやっていますね。市町村レベルでのパブリックアートやそれに関わるアーティストに対する支援はどうあるべきか、ということについてはいかがですか?

藤本:芦屋のシンポジウムの時に、アートはなくてもいいと言ったんです。“復興住宅(※南芦屋浜震災復興住宅)にアートを入れる“とか。具体的には「アート&コミュニティ」と言うんですが、僕はそういう名前はいらないと考えています。じゃあ、何がいるのかといったら、アーティストがいる、ってね。そういったプロジェクトにアート作品を入れるのではなく、アーティストが関わることが大事。アーティストは目に見える作品をつくる必要はない。プロジェクトに関わって意見を言うだけでもいい。アイデアを出すとか。そういう人が関わることによって、出来上がることが大事。だからアーティストを呼んできて出来上がった作品を出すという、そういう意味でアートはいらないと言ったんですよ。アーティストがいることがすごく大事。それが生活の中であっても同じです。その街にアートがあるとか美術館がある、ということが大事ではなくて、アーティストがいて、彼らが生活していて、一般の人とコミュニケーションを取りながら交わっているというのが文化だと思います。アーティストは生きなきゃいけないですよね。

岡部:だからそれをどうサポートできるかですね。 

藤本:他がリストラで苦しんでいる時代にはサポートもできないわけだから、自分の好きな事をやっているなら、やっぱり自分で生きる。探す。だけど、それだけではなかなか難しいから、その難しい部分だけちょっと補助できるものがあればね。それでやっていこうという人は増えると思うんですよ。それはお金だけじゃない。一番重要なことはプライド。自分のことをアーティストと言えない。どう言ったらいいか分からない。学生のときは学生ですよね。卒業しても、作品をつくり続けていきたいけれど、その時自分はアーティストと言っていいのかどうか。それは皆がちゃんと認めることができたらいい問題なんです。世間はなかなか…。“アーティストなんて”とか“アーティストって先生なの?”って。そうでなければ“先生、先生”って奉りあげるとか。普通の生活をしている人と同じことをやっているんだというところでまず認めてもらわないと、別世界の人では、皆やらなくなると思う。デザイナーのことを別世界の人と思っている人はいないですよね。だからまず、そういうお金の面もあるけれど、人間として認めるというか…。そのためには、アーティスト自身が社会人にならないといけませんよ。社会的常識を持って初めて受け入れられる。だから、アーティストは自由だとか、何をやってもいいんだ、という気持ちの人はもう、お引取り願う。一番大事なことは、そういうお金よりも、アーティストとして誇りを持って自分の生き方、やり方をするんだっていうことを自信を持って言えること。

岡部:そこまではやっぱり経験も積まなければいけないですしね。

藤本:経験は当然積まなければいけないけれど、ゼロから出発するんだから、ゼロの時点で認めてもらえないとやりにくいですよね。学校を出たら、いきなり全くただの人になるというので、皆必死で学校に残ろうと思っている。そのためにはまず、その人達が普通の常識が通じる社会人になるのが最低条件。全く関係のない人に“この作品は一体何ですか?”“何でこんな馬鹿なことやってるんですか?”と言われても話せるようにならないといけない。隣の人とちゃんと、“私はこういうことをやっています”と話せるようにならないと。“解らない人はいいです”ではなくて。でもアーティストの問題だけでは成り立たないと思うんですよ。全体で文化を育てるという意識を持っていた方がいいと思います。美術館はやっぱり独立採算できないけれど、それで儲けろという人はいないんですよ。ですから最低の援助はあった方がいい。でも過剰の援助はやめた方がいい。アーティストは生かさず殺さず。死なないのだったら(制作を)続けていきたい、という人の中から一人位ポンと出てきたら、財産になる。もう一つ僕が言いたいのはアーティストは儲かるということ。ただし商品みたいに1年後、2年後に儲かるのではなくて、50年後100年後に儲かるんだと。だから50年間続けたら、毎年儲けるものがやっと出てくるんで。大根だっていきなりはできない。種を蒔かないと。土が肥えたら次に種を蒔いても出てくるわけですね。今まで耕してこなかったのだから、いきなりは無理。最低50年かかると思うんですよ。

岡部:それは説得力ありますよね。その50-100年のスパンを考えたり、実行できるかどうか。

藤本:でも、行政の担当者は2、3年のスパンで考えなければいけないというのが現実です。

08 理想のシステムはCAP

岡部:そこが難しいところですね。今まで経験された中でこのシステムは良い、というものはありましたか?

藤本:CAPをやったのが一番いいシステムでしたね。

岡部:つまり、市がやらせてくれるということですか。

藤本:えぇ。タッチしない。協力しないけれども、使わせてくれたり、ただ自由にやらせてくれたり。時間が経つうちにある程度は理解してくれて、それを支援する、このまま続けられる方法を市役所の中で色々考えてくれる。こちらがイニシアチブをとれて、企業からの支援もとれた。これがないとやっぱりできなかったことです。

岡部:最初から市の支援を受けてしまうと、口をだす可能性があるから自由にできなくなってしまう。

藤本:CAPには、リサーチに来る人もいて、アーティスト達が自主的に運営している事例として発表していますが、それを聞いた人はできると思ってしまうんですよね。でも、CAP代表の杉山知子という人がいなければ企業はついてこなかったわけですよ。

岡部:メセナを探すだけでも時間を使ってしまって、自分の制作ができなくなってしまう。

藤本:スタンダードとしてはあり得ない。言わば1つの特例だけど、その特例をどう生かしたかということです。他だったら、他なりのものを活かして別のものをつくる。

岡部:つまり、インパクトはどこにでもあり得るということですよね。場所性や都市の問題もありますが。

藤本:CAPは震災を挟んで7、8年になるかな。震災の約2年前に始めましたから。僕も呼ばれて参加したんですよ。ほとんど京都芸大の同窓生みたいな人の集まりでした。今残っているのは僕と杉山さんだけ。何で辞めないかというと、こんなに実験できるところは他にはない。自分でアイデア出して、やってみようと思ったら実現できるわけです。

岡部:キュレーターのような部分もあるんですね。

藤本:もちろんそれはありますよ。企画を考えるという意味で。それから弁当の手配から全てマネージメントもやっている。続けるためにやるとおかしくなるから。やめてもいいんだという気持ちです。社会的責任というのはないですし、そこでなければできない訳ではないから。ノウハウは蓄積したわけですし。人を巻き込んだ長いインスタレーションだと思っているんです。

学生:先ほどアーティストが企画の最初の段階から参加するというお話がありましたが、実例はありますか?

藤本:例えば僕の仕事で言うと、建築物が大体出来上がってから、音関係の作品を取り付けても余分なんですよね。でも、その時話し合いに行って、素材は何ですかとか、壁はどうなっているんですかと聞いて、素材を変えたら足音が変わっていくからこれだけで音の作品ができますよ、とか。でもそれに対して僕はお金をとれないんですよね。それは設計と施行のセクションのことなので、自分の作品にはならない。

岡部:残念ですね。

藤本:それは、最初に言った美術館で項目がないというのと同じ事です。アートや建物をつくる時、アート部門の予算というと、今だに彫刻や絵画を置くという考えしかないですから。その予算をそのままアーティスト予算にしたら、例え「もの」はできなくてもアイデアをもらったということに対してギャラを支払うことができる。その予算で「もの」をつくってもいいと思うんですよ。つくった方がいい場合は彫刻などをつくる。作らなくてもいいのであればそれでもいい。そのほうがずっといいんじゃないかと思います。無理矢理予算分の「もの」を作らないといけないということが多いと思うんですよね。予算をとってしまったから、もっといい素材で大理石をもっと大きくしてくれとか。それで人が通れないような所に置くとかね。

岡部:生活の中でアーティスティックな感覚を喜ぶような若い人たちが増えてきているように思うんですが。

藤本:そうですね。当たり前のものとして感じている。アートだからと言って、何かすごい世界、ということはなくて。そういう若い人たちが仕事をしていく時などに、今までやってきたシステムはおかしいと言い出したら、組織の中も変わってくるということですね。

岡部:企業や美術館、これまでの組織自体が変わっていく。

藤本:20年後かな。ちょうどそれ位時間がかかるんですよ。今までそうではなかったから仕方がないですよ。いきなりちゃんとしろと言っても。
  (テープ起こし:三好佐知 編集:越村直子)