culture power
artist Chim↑Pom









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イントロダクション

Chim↑Pomの活動をよりよく知りたいとレクチャーをお願いしたら、卯城竜太氏が受けてくれ、エリイさんも参加したいといって来てくれた。贅沢を言えば6人全員に来てほしかったが予算がない。だがある意味で対極に位置する二人と話ができたおかげで、Chim↑Pomの仕事への理解がより深まった。レクチャー後のインタヴューで学生たちが述べている感想もほぼ同様だったと思う。

2005年の結成当初からChim↑Pomは、メンバーの家の塀などに火を放つ危険きわまりない作品を映像で残しているが、その頃から火で文字を描く行為も手がけていた。日本を含めて美大・芸大出のアーティストが大多数になった美術界で、エリイを除くメンバー全員が非学閥派というのがまず珍しい。こうした背景からも、70‐80年代のグラフィティ集団のようなアウトロー性をもつ彼らが、表現の自由と社会規範の境界で、そのゾーンを揺るがす行為を重ねながら、斬新で多様な方法論を探求し、問題提起を続けてきたことがわかる。

許可なく描かれたグラフィティは器物損壊の犯罪として問題となり、その後各国で管理統制が厳しさを増し、エネルギッシュな社会現象は衰退、一方、美術市場で成功を収めた数少ないアーティストだけが金銭の後光とともに神格化され、グラフィティの手法は今や、商店街や地域活性化のデザインツールとなり社会に幅広く役立っている。

『ヒロシマの空をピカッとさせる』はいわば、飛行機雲を使った空へのグラフィティだ。この作品に対する私の意見はインタヴューの中で詳しく述べているのでここでは記さないが、行為としてのプロジェクト、身体パフォーマンスを中心にするChim↑Pomらしい作品である。400万円借金して実施したのだが、行為は写真か映像でしか残らず、今回のような問題が起きずに広島市現代美術館で予定通り個展が開催されたとしても、おそらく元はとれない仕事だろう。

かつてのグラフィティは壁や地下鉄に落書きとして残ったために犯罪となり、もしくは高額で売買される絵になったが、Chim↑Pomたちは火や雲といった消えゆく素材を使い、ライブであることを身上とし、美術市場に回収されにくい抗体を密かに育んできた。ますますネット上のヴァーチャリティが浸透し、市場主義経済が猛威をふるう現在、ライブ性、そして費用対効果や収支からの自由な表現は、芸術にかかわる者たちにとって、新資本主義への抵抗につながる賢い戦略のひとつである。快挙の一例としてあげられるのは、電話帳で見つけた見知らぬおばあちゃんを騙し、Chim↑Pomのメンバー6人がそれぞれ千円を出し合い、6千円を彼女の口座に振り込む『オレオレ』という作品だ。被害総額が天文学的数値にのぼる終わりなき犯行を、たったの数千円で笑いと幸福感とともに転覆させる爽快さ、まさにアートでなくてなんだろう、じつに見事な手口である。

動物愛護協会派ではないが、小さいときから動物に囲まれて育ったせいか、ネズミを捕獲して剥製にして展示するデヴュー作の『スーパーラット』、剥製のカラスと鳴き声で仲間を集める『BLACK OF DEATH』、『リアル千羽鶴』など、剥製を使うChim↑Pomたちの仕事は体質的にあまり得意としない。とはいえ、繁華街の夜に出没するネズミやゴミ袋を狙うカラスに悩まされる日々を分かち合う都会人として心底共感できるし、それを看過せずにテーマにした彼らのストレートな姿勢はシャープで、作品は非常に独創的だ。しかも、ゴミは地域をこえ日本をこえ、経済的に貧しい国や場所へと漂着し、ゴミを拾って生活する者たちの資源となって終わる。バリ島で撮ったゴミの映像『Saya mau pergi ke TPA』は、コミカルなタッチで描かれているものの、こうした一連のゴミをめぐる世界地図の終章といえるのだ。

戦争の傷跡として今なお多くの人災をもたらす地雷撤去を標榜するのは倫理にかなっているし、そう難しいことではない。だが地雷で障害者となったカンボジアの少年たちを元気づけ、彼らになけなしの寄付ができるかというと、みんな引いてしまいそうだ。Chim↑Pomたちは地雷撤去のおじさんと仲良しになり、エリイは自分のブランドのバッグやIPodなどを提供し、撤去後に地雷を爆破するカンボジア軍に頼んで一緒に爆破してもらった。その爆破物は、少年たちの義足を買うためにオークションにかけられた。『Thank You Celeb Project I'm BOKAN』は、エリイが地雷原に訪れたダイアナ妃などのセレブに憧れて始まったプロジェクトである。

彼らの行為に通底するのは、困った人を救いたいといった素朴な願いであり、世界が直面しているさまざまな問題を微力ながらもアートで解決できないのかといった若者らしいシンプルな夢だ。ただChim↑Pomの活動の特徴は、いくつかの作品に連関するテーマがあるため、ひとつの作品に触れただけでは理解しにくい点、さらにみんなが幸せになることを願うが故に、作品が楽しくハッピーな雰囲気でまとめられるので、ときにはコンセプトが見えにくく、逆に軽薄な態度のアーティストたちだと誤解を招きやすい。たとえば、自殺の名所で知られる富士の樹海で首を吊ったと想像される20代の男子の遺書があった場所の木を切り、その枝とビニールひもを使って、白い人形をぶらんこのように座らせた作品『ともだち』は、私たちに語ってくれた経緯や当時の状況の理解なしで、作品を見ただけで彼らの純粋な気持ちや本意が正しく伝わるだろうか。自殺現場という聖域に踏み込むこと自体への嫌悪感や畏怖は、当然誰にでもあり、最初から身構えてしまいがちなテーマだろう。

2009年秋に山本現代で開催された「にんげんていいな」展の巨大なインスタレーション『くるくるパーティ』は一見、思い切り食べ散らかしたパーティーの後の風景に見えた。映像は確かにライブだが、展示された実際の宴の残骸はすべて緻密なまでの人工食品サンプルだった。それに気づいて目を疑った。なぜなら非常に高価な素材だからだ。じつはリトアニアで開催されるバルチック・ビエンナーレの出品作として資金提供があったために実現したそうだ。ここでは『making of the即身仏』として、メンバーの稲岡求が展示期間中断食を続けるパフォーマンスが同時進行で行われ、上半身裸身で座禅を組み日々痩せ細ってゆく無言の稲岡を見ることもできるし、会話をかわし、この生き仏の前に観客がお賽銭を施せるようにもなっていた。「飢餓/悟り」と「飽食/享楽」の極地というギャラリーでの告示も明快で、多くの人々が命がけの断食に感動したことだろう。私も傑作だと思ったが、むしろ中高年男性の自殺率の高い日本とリトアニアとの共通点、資本主義国とかつての共産圏という相違など、おそらく無関係の事柄を想起しつつ、でも、あまりにもわかりやすい説得力のある方向にばかり行ってほしくはないとも考えていた。

卯城竜太とエリイが対極に位置すると先述したが、ヒューマニストで大志を抱く卯城には理想と洞察力があり、天才のエリイにはずば抜けた直観力と独特な現実主義がある。理想と現実は水と油のように合わないものだが、その両極の緊張感のなかで、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求の個性的なメンバーの才能が発揮され、Chim↑Pomのユニークで先鋭な活動が生まれる。存在そのものが批評性を喚起し、賛否両論の人々を巻き込んで刺激し続ける。破天荒で、こんなに面白くヴィヴィッドなグループが日本にいること自体、どこか奇跡に近い。彼らのすてきなレクチャーを思い出しながら、長々と書いてしまったが、最後に生みの親会田誠氏、育ての親無人島プロダクションの藤城里香氏にも感謝しつつ、この文を終えたい。
(岡部あおみ)