世界で最も売れたスポーツカーの正統後継車

NISSAN FAIRLADY Z UA-Z33



復活のZ

FAIRLADY Z Z33がなぜ復活のZと呼ばれるのか。それは前任のFAIRLADY Zの話まで遡る。前任であるZ32はバブル後期に発売されるがその後バブル崩壊を受けてしまい、2000年にZは生産販売が終了してしまう。迎えた2002年、2000年にCEOに就任し休止されえていたFAIRLADY Zの開発を再開させたカルロスゴーンによってFAIRLADY ZはZ33として復活したため「復活のZ」と呼ばれている。CEOとしてコストキラーと呼ばれるほど合理主義であった彼が、排ガス問題もあり先に進めなかったZをそれでも復活させたのは、北米支社時代夜な夜な走り回っていた彼の愛車がFIRLADY ZであったほどZを愛していたからだと言われている。

コンセプト

Z33はスポーツカーでありながらもう一つの側面を持つ。それはラグジュアリーカーとしての一面である。往年のZのコンセプト「プアマンズ・ポルシェ」から、新たに高級ラグジュアリースポーツに転換したZ33だが基本的にはそのコンセプトの延長線上に生まれている。そのため、当時はベンツCLKやBMW Z4とライバル視されていた。ラグジュアリーカーとしても設計されていたため、プラットフォームは日産の高級車路線スカイラインと同じものを使用しているが、ロングノーズ、ショートデッキ、ショートホイールベース、ワイドボディというスポーツカースタイルに3500ccと大排気量ハイパワー車と十分にスポーツカーとしての性能も発揮していた。レブリミットこそ低いが2速発進など余裕でこなしてみせる低回転からトルクの太いいい走りをする。自然過給(NA)からくるレスポンシスの良さと気持ちのいい吹き上がりを体感できる。ちなみにワイルドスピード X3 TOKYO DRIFT にもドリフトキングの愛車として登場する。

Zは毎年進化する

これはZ33発表時、日産によって宣言された言葉である。90年代後半バブル崩壊後日産の経営不振の波を受けた前任であるZ32の末期モデルは、ほとんど手をかけられることはなくなった。発売当時絶大な人気を博したZ32だったが10年も経ち、手をかけられることもなくなり魅力的ではなくなってしまった。「進化を止めた車は消えてゆく」その反省を活かしてZ33は進化を宣言したのだった。結果として2002年から2008年の6年間の間に計10回のモデルチェンジを行い280馬力であった当初のエンジンは最終的に312馬力にまで上がった。そして、苦しくもリーマンショックのあった2008年、Zを途絶えさせることなくフェアレディZは新たな後継車Z34を発表した。

今の時代の自動車

自動車は、暮らしを共にする馬のような存在です

「高性能で安価なスポーツカーを開発し、世界に殴り込みをかけよう」かつて日本車は世界で二流と言われていた。この屈辱から立ち上がったのは米支社の宣伝マンと目立たない日陰の技術者であった。挑戦するのはドイツのスーパーカー・ポルシェ911。無謀だと言われ、社内から冷たい視線を浴びながら彼らはプロジェクト進めた。意地と誇りをかけて挑んだ男は後に「ファーザー・オブ・Zカー」と呼ばれた。そんなZの父・片山豊氏は「自動車は、暮らしを共にする馬のような存在です。」そう世間に訴えた。そんなスポーツカー時代も過ぎ、彼の言う通り車は暮らしに沿って進化した。時代は走ることよりも環境に適した車を選んだ。ハイブリットカーの誕生である。今時、スポーツカーなどはやらないかもしれない。税金は高い、燃費も悪い、おまけに二人乗りのZは今の時代にはそぐわないかも知れない。しかし、ミニカー片手にスポーツカーに憧れた少年たちにはそんなことは関係ないのだ。

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