2009年12月に亡くなったフジファブリックの志村正彦が
生前遺した歌詞をまとめた一冊のシンプルな詩集。
わたしにとって彼と会える最も簡単な手段は彼の詞を「読む」こと。
志村さんらしい明朝体で連ねられた文を読むことは本人と会話しているみたい。
ここは「志村正彦に会える場所」だから。
この詩集を読んでいると次の瞬間、志村正彦の世界に入り込んでしまう、
そんな錯覚に陥ります。
“全てを捨ててあなたを連れて行こう”
「“サボテンレコード”より」
“夜には希望がいっぱい こっそり家から抜け出そう”
「“TEENAGER”より」
詩の中でなら全てを捨てて逃げ出すことができるし、
真夜中の世界に志村さんと飛び出すこともできる。
志村さんが現実の世界から連れ出してくれた、
この詩集の中でだけはわたしは志村さんとどこにでも行けます。
この詩集にはそんな優しい力があって
寂しくなるといつも手にして詩を読みます。
そしてもういない志村さんに想いを馳せる。
志村正彦に会える場所、と書きましたがそれ以外にもう一つ。
それは志村さんの心の声が聞こえる場所。
歌だとつい音楽に合わせて聴きいって見逃してしまうけれど
「詩」として文章で読むと明るいポップ調に隠された
志村さんの本音が見えてくるのです。
“眠りに落ちたなら 見つめていて”
「“ロマネ”より」
“すべてなんだか噛み合わない 誰か僕の心の中を見て”
「“バウムクーヘン”より」
“誰か僕に誰でもいいよ 優しくしてくれないかい”
「“タイムマシン”より」
ロックンロールという“かっこいい”の中にいた彼。
だけど彼が書く詩はこんなに弱くて儚くて…
本当はいつもこんな風に思っていたのかと
詩を読んで初めて気がついたりする場所でもあります。
居なくなっても作った歌が残り続けます。そして、言葉も。
歌詞集なのになぜか「歌詞」を読んでいる気持ちにはなりません。
あくまで「詩」を読んでいる感覚。
読み終わった時、本当は今まで会っていたのではないかと思ってしまったり。
そしてこの不思議な感覚こそわたしがこの詩集をすきな理由です。
彼の音楽は聴いたその人の周りに世界を作る。
そして彼の詩は読んだその人をその世界に連れ出すことができる。
ずっとそう信じています。
“上空で光れ 上空で光れ 遠くまで”
「“sugar!!”より」
上空で光っていますか、志村さん。