作品リスト
中学生の頃地元の駅が再開発で新しくなり、駅舎と近くの丘を結ぶ歩道橋ができました。手すりには下向きにライトがついていて、夜は光の道が浮かび上がるようできれいです。再開発の直前に亡くなった父が見ていた景色が変わってしまうのが嫌だったのに、私はここがとても好きになってしまいました。そんな気持ちを込めて描きました。
仙台旅行に行った時、駅の近くの大きなビルが工事をしていて、建物と塀の間に巨大な葉っぱの植物が生えていました。なんの植物だろうと思いましたが、旅行の記念に名前は調べずに絵に残し、「あおひまわり」と名付けました。
模型飛行機をモチーフに自身が得意とする勢いのあるストロークと羽根なのか抜けた空間の形なのか床に映し出された陰は幻か、抽象と具象を自身のもつ模型飛行機のイメージと重ね合わせながら描いた。
神社のような雰囲気で、月が豊穣を願う儀式の鏡に変わり夜全体が明るく照らし出され、反射で火が燃えているという絵です。不思議で綺麗な、日本的な絵を描きたくて色を工夫しました。
人は、その時の感情に左右されて目に見えるものを解釈してしまうと考えているので、女性の目の前にある木は女性にとってどう見えるのかと考えました。多くのギラギラした、自分の好きな色の中で周りが女性を救う楽園をイメージしました
私はこの作品を作った時、何が起こってもそれを受け入れる優しさ、美しさについて考えました。象徴的なものを沢山並べることで一つ一つに意味がある、ストーリー的な夢占いのような気持ちで絵を見てほしいと思いました。電球が姿を変え、まち針が空を飛んでいてもそれをおかしいと言う人はこの絵の中の世界には1人もいません。
『東京物語』という映画を見て関係、成長、判断をコンセプトにして描きました。近くからよく見てみたり、遠くから眺めてみたりして楽しむ作品です。
絵や陶芸、書道や文芸など幅広い芸術をつくっている学生たちをテーマに描きました。
椅子の上に置かれたモチーフを描きました。外枠は線の世界、内側は色の世界と言うイメージで描きました。
2つのタイトルのどちらをどちらにつけるのかは鑑賞者が決定できる。自分がいて他者がいるこの世界で私たちはそれぞれに適切な境界線を作り出すことで、他者と相補的な関係性を気づいていくことができる。その様は音楽、特にピアノと似ている。境界線ごとに異なる音が出るピアノだが、演奏されることによって単一では意味を成さない音も和音であったり不協和音であったり、意味性を持った音楽となることができる。2つの作品の同時鑑賞によって各々の境界線設定、演奏をしてもらいたい。
テンぺラ絵の具と油絵具を一緒に使う「混合技法」という方法で制作しました。 硬く乾いた牛骨と柔らかな布、水の入ったガラスなど、異なる質感のモチーフを同画面に配置し、違いを楽しみながら描きました。 写実的になりすぎないよう、固有色以外の色を豊かに使ったり筆跡を残したりして工夫しました。
自宅に籠ることを余儀なくされていた時期、電子機器の画面は他者と触れ合う唯一の窓であり、和らぎを与えてくれました。写真の画面もまた、たとえ過去の人であっても触れ合えたかのように感じさせてくれるものです。これら2つの画面を重ね、フレームの中に会いたい過去の人を描きました。
人物の課題で描きました。自分が1番魅力的に見えたところを素直にでかでかと画面に配置して描きました。足の付け根の脂肪がたゆんでる所、膝の骨の突起、太もも全体の輪郭、足とは違う質感で描いた腕と手などがポイントです。人体以外の部分を青にしたことに意味は無いのですが、これを見た友人に「海の中みたい」と言われたのでそう見えるかもしれません。
モデルさんがポーズ中寝てる姿が気持ち良さそうだなと思ってき持ちよく寝てるように描きたいなという思いで制作しました。
私は五年間ほど上海にすんでいたことがある。生活していくうちに上海の街の雑多さを好きになった。それは、勝手に捨てられたソファに誰かが座っていたり、家と家の間に洗濯物が干されてあったりと人とのコミュニティの場を感じさせられたりして、そんな街を、人間を愛おしいと思った。日本に帰ってきてからも所々愛おしさを感じさせる場所があった。しかし都市開発の中どんどんそういう場所が無くなっていくのを目の当たりにし、こういうコミュ二ティを作る場所を大切に残していってほしいという想いをこめて作成した。
西本願寺本三十六人家集(三十六歌仙の和歌を装飾の施された紙に書いている、装飾写本)の画面に影響を受け、その破り継ぎの図形を利用してみようという思いつきから制作したものです。手前両側に人影のようにも見える図形を配置し、中央の人物モデルと、それを見ているこちら側という2つの立場が感じられるように意識しました。
体調不良の全盛期に実家から送られてきた乾パンを描きました。連日天気も良くなく薄暗い雰囲気の中で黄みのがかった明るい色の乾パンを描き続けていると、遠い理想を眺めているような途方もない気持ちになりました。そんな気持ちの中でも希望のようなものを胸に抱きながら描きました。
たくさんのキャラクターのようなものが一面に描かれています。ストーリー性があったり、特に関わりがない部分もありますが、とにかくキャラクターが敷き詰められています。ここまでキャラクターがいるのに、だれも心にのこらず印象に残りません。現代では色んなものが溢れているけどなにか虚しい、そんな風に思っていることが作品に滲み出たのかな、と思いました。
愛想笑いや営業スマイルなどがテーマです。そういった笑顔は相手に自分を良く見せようとするものである。それは相手への威嚇や攻撃、防御などの意味を含んでいると感じられた。
常日頃親しんだぬいぐるみがもしも恐ろしい存在として現れたら、というテーマから描きはじめました。たこのぬいぐるみという時点で実際の蛸、とは大きく離れている存在なので、もう一度デフォルメされたぬいぐるみからリアルな蛸に、恐怖を付与して戻す事ができたらという作品です。
この作品は、太陽と雲と空の光の流れをイメージして描いています。太陽光は直視することはできませんが、その光によって空の色や雲の色が変わったり、一瞬太陽を見ると目がチカチカしたりします。そういったイメージを描写しました。キャンバスが丸いのは、太陽をイメージしたからです。
夢の話は人にされてもつまらない、というのはよく言われていることですが絵にしたらおもしろかったりするんじゃないかなと思って描いた夢で見た情景です。とにかく焦っていた夢の中での気持ちと作品の制作に追われていた時期の自分が重なりました。作品を前に自分がみた夢を人々がしゃべってお互い呆れちゃったりしたらおもしろいかなと思います。
自分が見たことのない世界や、感じたことのない感覚に憧れを抱くことはないだろうか。そんな思いをこめて、自分が今見ているものの裏側を見つめようとしている少女を描いた。テーマは知的好奇心だ。
この作品は過剰と欠落というむさびの油絵科の授業でかいたもので、授業の内容は自分が今まで描いてきたテーマを過剰に描くか欠落させて描くという授業で、わたしは人物を、テーマに欠落させて描きました
美術予備校の課題でコラージュを作りそれを元に油絵を描くというテーマでわたしは好きなもの写真やイラストをたくさん印刷して紙一杯に貼りそれを植物の形に切り抜いたコラージュを元に自分の好きな色で描きました
泡と光の波をイメージしながら描いた。画面に溶け込みつつも芯のある女性の顔つきを目指した。口を開けこちらをまっすぐ見つめているが、彼女が何を伝えようとしているかは鑑賞者に自由に想像してほしい。
ぺンローズの三角形をいくつもつなげて、永久に終わりのない商店街を描いてみました。商店街は楽しいけど、いつか終わってしまうのがすごく寂しいので、終わりのない商店街にしました。人がいない商店街はポップだけどどこか悲しいイメージを持っている。
生命が誕生する瞬間をイメージして描きました。植物のような物体から水滴が湧き出ています。生物特有の不完全で自然な曲線と、ものが誕生する際の暖かな雰囲気を意識しました。
散歩をしてみた景色を思い起こした時段々と記憶が曖昧になってくるような感覚を表現しようと思いました。
この絵は受験対策として描かれたものであり、そのモチーフは「紙粘土」だった。 私は幼い頃、紙粘土を持つとよく船を作っていて、どんな海を進むのか、どんなものを運ぶのか、想像力を広げていた。いわば想像の大海原に、船を出港させていたということになる。 どう考えても紙粘土っぽくは見えない(そもそも紙粘土は水には浮かばない)ので受験対策としては失敗作なのだが、空気感や幻想的な雰囲気がどうにも嫌いにはなりきれない、そんな一作である。
この絵を描いていた時、私は迷っていた。詳細は省くが心をすり減らして行く中、私が求めたのは過去の幸せな時間と、全てを忘れられる理想郷だった。そうして、自分の小学生時代の作品をトリガーとして、自分の思い描く、辿り着きたい理想郷を描いた。それは理想郷であるのと同時に、山の向こうには未知の世界が待っている、そんな場所である。
身の回りで美しいと思った景色を版画で表現しました。間接表現である版画を通して思い通りにならないことを楽しんで制作しています。
私と同じ出身地のかぼちゃが、地元での値段の2倍以上の値段になっていて感慨深くなり、このモチーフを選びました。
実家の川にある石でできている道をもとにして描きました。遠くまでどこへ伸びていくことが分からない寂しそうな道。人間の手によって建造されたものなのにその上に人が誰もいないという光景がとても不思議と思います。
今年の干支が寅年であることに準えて虎をモチーフにした。基本的にモノクロで表現する銅版画は、水墨画との共通点も多いのではないかと考え、「干支」「年賀状」といった身近なものに利用することにより、銅版画も身近なものになってくるのではないか、と考えながら制作した。
週に6日工房で制作していた時期に描きました。毎日が週末みたいな気持ちで大学と駅の間の住宅街を歩いていたときのぼんやりした記憶を描き起こして版画にしました。
架空のようで現実のような、ここはどこなのか、何が起きているのかわかりそうでわからない、そんな不思議な世界観をテーマに制作しました。本来実際の世界のものだけを描くことも充分魅力的なのですが、その実在するものや要素などを組み合わせたり入れ込んだりすることでより面白みのある作品になるだろうと思いこのようなモチーフの選び方や描き方をしています。
摺り上げた紙を切り貼りし、組み合わせて作ったもの。蚕が各々葉を食み、その生き生きとした様子を表現するために紙から切り取り可動のある形にした。版画作品なので、何枚もすることが出来、何匹もたくさん蚕を作ることが可能。
描かれているものが何かということについてはまず、解説はなしで鑑賞者の知識や記憶などのそれぞれが持つ先入観で読みとって欲しい。ネタバレをしてしまうと、それはヒョウモントカゲモドキ通称レオパの眼球の一部分である。全体像を見ると人は自分の先入観から好き嫌い、かっこいい、かわいいなどの感情を絵をよく観察するまでもなく形や色だけで認識し、判断してしまう。そういった先入観を疑うための作品である。
ウェディングべールやカーテン、レースなど布をテーマに秘めた思いをイメージしながら制作しました。場所は寝室で「寝室=眠る、(秘めた思いを)眠らせる=封印する」的な意味も込めました。
頭から、藤の花が咲きこぼれる少女の肖像を描きました。胸元のレースや藤の花を繊細に描くことで、彼女の儚げでありながらも、どこか凛とした瞳の印象を際立てています。この絵はどんな場面であり彼女がなにを思っているのか、鑑賞者によって想像を広げてほしいです。また、彼女の髪と藤の葉は、同じ絵の具で描いており、花と少女が同化しているように見えます。儚さと華やかが一体化する雰囲気を出したかったため、見る角度によって絶妙に色が変わって見える絵の具を使っています。
実家で飼っている猫が潜んでいます。つちのこや鯨など好きな生物を描いています。やわらかくてゆったりした優しい絵になったのではないかと感じています。
クラゲになりたいって友達は言うけれど、それはどういうことなんだろうと考えました。
なんでもオンライン化する世の中への違和感。人の移動が制限される中、Google MAPなどを使用した旅行や登山が流行った。部屋の中にいながら山頂にいる違和感は拭えない。身体にかかる負荷、肌に触れる空気、場所の雰囲気が排除され、無機的になった山の様子であり、無彩色で単純な線と数字で作ることにより無味乾燥である様子を表現した。