インタヴュー
紺田健司×岡部あおみ
学生:大久保昌彦、沖崎梢
日時:2001年3月2日
01 大野町は港と醤油の町
岡部:大野町の「もろみ蔵」をいつ頃オープンしたのかを教えていただけますか?
紺田:ここ自体は平成10年1月でこの前三周年を迎えました。改装デザインは石川県立高等専門学校の先生に設計していただきましたけど、自分達でできるところは自分達の手でしようということで塗装などもやりました。大野町は港と醤油の町だったんです。かつての江戸時代の古い港で今は停滞しています。醤油も藩制時代以来380年くらい産地としての歴史があるけれど、調味料としての醤油自体や、大野町としての醤油も停滞してます。その停滞を町としても何とかしようという流れがずっとあったんです。
岡部:それは過疎化によってですか、それとも産業としての停滞もあるわけですか?
紺田:両方ですね。過疎化と言うとちょっと違うんですけど・・・明治時代でもここら辺は500軒の町だったから、けっこう大きい町でした。ところが今も550軒くらいの町で、子供の数がものすごく減ってきたんです。まあ昭和62、3年ぐらいから、町の中心部での老齢化、少子化が起き、町づくりの歴史はもう14、5年間はあります。その過程で一つは箱物の誘致があり、大野弁吉というからくり師が幕末に住んでいて、おもしろいということで「からくり記念館」が県の施設としてできた。それから子供のために、ここの金石(かないわ、地名)の境に「けやき住宅」という県営住宅を誘致したんです。そういったハードの箱物の誘致を最初は結構してたんですが、あまり町に住む人の住みやすさの向上にはならないので、もっと町を活性化しようと、少し運動が変わってきて平成4年から町並み計画とか、水辺の活用とか住宅環境の整備とか、商工振興も含めて六つの部会をつくりましてね、一つずつ前進するようにやってきたんです。
岡部:そういう町づくり運動を推進する場合、県と市と町から資金が出るんですか?
紺田:その時点では全然出てないんです。住民運動に近いものをやっていて、平成8年に古い町並みを残す金沢市の「こ町並み」という条例がありましてね。こ町並みの「こ」というのは「小さい」と「古い」を掛け合わせた用語で、古い町並みを残そうという考えで、市は補助をしていく。大野町の町並みがそこの条例で指定を受けたんで、当然いろんな調査が入ったりしたなかで、町並として古い民家を残すのも一つだけれども、せっかくこれだけ醤油屋さんがたくさんあって、蔵もあるんだから、それも残していかなければならないという方針みたいなのが出て、町づくりの商工部会が、なにかやっていこうと模索していたんですね。ここは海に近いから魚が新鮮だし、古い民家を活かして料理屋さんをすればいいとか、でもやはり商売は難しいとか、そういう時に皆さん御存じなんですけどたまたま勉強会の講師として金沢市の水野雅男さんという都市計画のプランナーが来たんです。彼は大学は東京工大ですが、金沢に戻って仕事をしていて、ちょうど会社勤めから独立したぐらいの時期だった。それで彼のアドヴァイスで、琵琶湖の港町、滋賀県高島町に行って、町の道のまん中に掘割というか用水があったり、古い民家の酒屋さんがあったりするおもしろい町を見たりした。高島町では問屋さんを改装して物品販売をしたり、小さな蔵をパブに、倉庫をレストランにしていて、予算は2000万円ぐらいかかったけど、行政が三分の一くらい補助して、あとは有志でお金を募ってやったんだと思います。そんな程度の話なら私たちにもできるんじゃないかと、商工会の有志で一気に大野町でもやったわけです。だから醤油屋さんだけではなくて、農家の方もいるし、魚屋さんもいるし、お菓子屋さんもいるし、電気屋さんも、漬け物屋さんもいる。18人ですか、お金を持ち寄って、結局場所は簡単に貸してくれる人がいないので、私の場所を提供しました。行政にも働きかけたんですがあんまり急だったので、「もろみ蔵」をつくった時には全然応援を頂けませんでした。有志の方の寄付というか持ち寄りで、まあ借金も含めてですが、それでオープンしました。
もろみ蔵
© photo Aomi Okabe
02 一つ当たったのは「醤油ソフトクリーム」
岡部:改装などに高島町のように2000万円くらいかかったのですか?
紺田:いやここは1000万ぐらいです。
外山:下のレンガ積みなどはボランティアでやったんですよ。
紺田:そう、たとえば下の土間にコンクリートを敷いたんですが、それは港の工事をしている大きな建設会社が、半ばボランティアでしてくれたんです。設計も石川高専の先生で、その建築科の生徒が見学や実習などを兼ねて来たり、また美大の助教授になられた環境デザインの先生がお手伝いしてくれたり。いろんなボランティアの協力があり、人の知恵と能力をお借りしてやったんですね。だからこんなふうに人々が集まって話ができる場所を作り、それを運営して、回転させていかなければならないので、人が来てくれるギャラリーにする。さらに、大野には工場があっても商店がなく、お菓子屋さんぐらいで店はほとんどないので、アンテナショップみたいな感じで「もろみ蔵」で、町民が作った物を発信していく。依託販売ですけど売れればもちろんここにもお金が入ります。もう一つ当たったのは「醤油ソフトクリーム」ですね。長野県の善光寺の前の店屋さんが味噌ソフトクリームをやっていてかなり人気があったので、「味噌でうまくいくんやさけ醤油でも」ってはじめた。町づくりに関しては、小布施や千坂など、いろいろ見て勉強してたんです。ボランティアのこととか、町づくりのしかたがおもしろいと、地元の北國新聞やNHK、ルルブとか旅行雑誌でも、全部無料で記事を出してくれて、マスコミの応援もいただいて、できるまでにもそれなりの認知をしてもらいました。
沖崎:お母さんが記者をやってます。ルルブの富山石川と福井とか滋賀とか京都とか全部書いてます。
紺田:ああそうですか。どうも。私は商売の関係で賑やかな町にして、それがまた商売につながるような町にしたいんです。「クラクラ(蔵蔵)アート」とかのアドバルーン揚げて、芸術を活かした町にしながらやる。
岡部:「こ町並み」運動は市と県から補助がでるんですか?
紺田:市が中心ですね。改修費の半額補助の最大が500万円で、それがでて、それ以上かかった場合には自己負担です。「こ町並み」とか伝統環境地域に指定された場合には、板塀を直すなど、道に面した所にもある程度出ますよ。「こ町並み」も平成8年に指定を受けてこれで足掛5年ぐらいですけど。
岡部:残りの改修費半額は、そのスペースを使われる方とか一緒に活動する方達が出し合っているのですか?
紺田:今の所は補助を受けながら各人がやるというような感じですね。
03 金沢市の芸術は山側に多い
岡部:「もろみ蔵」はどのくらいの人が訪れて、経営的に成り立っているのですか?
紺田:費用がかかるのは電気、調度品、水道、下水道で、あとパートの方の人件費。それのために物品を販売したり、ギャラリーを無料にしないで、お金をもらってお貸しすることもやり、なんとか回転してます。赤字にならずに維持はできる。どう見ても月に30万円ぐらいの経費はかかるので、なんとか収益が出てるっていうところです。
岡部:観光客もわりと来てくれるんですか?
紺田:シーズンによります。冬場は大問題で、1月2月は本当に閉めたい、冬眠したいぐらいですね。三月くらいからぼちぼち動き出し、大体堅いところで2万人は来てます。
岡部:隣に「ギャラリーOxydol」がオープンして、さらにいろんな方が来てくれるようになるんじゃないですか?
紺田:だからもう少し使える蔵を増やしたい。こんな蔵が38棟くらい残っているんです。レストランや食べ物の方もやっていきたい。商売の立場からすればやはり食べ物がおいしいとリピーターが多く、周辺からも来ますしね。目標は回遊して歩ける町並みで、レストランもあって、芸術の香りもあって、藩政時代の面影のある神社を回って、と思っているんだけどもそこまでいけるかどうかは解りませんけどね。
岡部:金沢市の中心の瀟洒な町並みとは全く違う、ひなびた物作りの町のイメージが強く残っているし、醤油の匂いもあり、旅人にも思い出深いところになるかもしれないですね。
紺田:そう。金沢ってね都会の人からすると結構印象いいみたいなんですよ。金沢っていい名前だけど、いざ来ると、兼六園、忍者寺、東山以外にそんなに行く場所ないって言われる。だから大野にまでちょっと足を伸ばしてほしい。平成15年の春県庁が移転して、海側環状道路もできてアクセスもよくなる。それでOXYDOLの皆さんも言われるように、金沢市の芸術は山側に多いけど、いざ行くとなると山は大変で、海辺側には実際ほとんど芸術がないんですよ。
外山:僕らもそのころ調べたんですけど、山の方は工芸とかを振興してるような形ですから、現代美術や彫刻などに関しての補助は全然ない。今でもないんですよ。だったら山に対抗して海の方でやろうかっていう話になった。
岡部:スペースが2つ3つくらい増えて、レストランなどがそろい、もう少し施設ができたら皆にアピールできるようなイベントをお客さんが来ない冬期に工夫してやればいいですよね。
紺田:そうですね。うん。
04 大野イコール醤油の町
岡部:お醤油つくりは続いていくわけですが、専業としてもすごく減ってきてるんですね。お醤油を作る量も減ってきてるのですか?
紺田:量はそんなに減ってないけど、やはり地盤沈下と言うべきか。今まだここに28軒の醤油屋さんがあるんですけど、それは時間の問題で、たとえば10年ぐらい経てば相当減ってくるというか、一桁になる可能性はあるんです。ただ0になることはない・・・やはり大野イコール醤油の町だというのをアピールする必要もある。ここは五大産地のひとつとして発生していて、同時期に今のキッコーマンの野田とかとともに醤油の作り方が広まった。加賀藩も大きかったから江戸時代の需要とすれば結構大きい醤油の産地でした。今は人口とか消費地の関係で古さだけが残っているだけですけども。
岡部:大手のところに製造が集中してしまったんですね。
紺田:そう。やはり消費地が近いことと流通で大きくなければ残れないシステムですね。
岡部:でも若い人達も、全て便利なものも含めて良い質の物を喜ぶクオリティー・オブ・ライフの傾向が強まってきてはいる。そういう意味では質のいい醤油の需要は残ると思いますが。フランスのワインにそれぞれのメーカーがあるように、もう少し皆意識して買うようになれば、醤油はスーパーで買えばいいとかではなくて、原産地から直送してもらうということになればね。
紺田:そうそう。そういう風にしていきたいんです。
外山:でも醤油とお酒って減る量が違いますからね。
紺田:生まれ育った者にするとこの町にどんな良さがあるとか、最初からここにいるわけですから分からなかった。外部の人に意見を言っていただくことによって磨いていく。それにこういうことがないと外山さんを含めて親子ほど違う年代の人と話するなんてこと絶対なかったんだけども、おかげで職業も年代も違う人達と話して、ある意味では仕事と言うか特典ですね。
岡部:紺田さんと外山さんがお会いになったきっかけは何だったですか?
紺田:去年、醤油を通販に近いものにしたり、ぼちぼちなんですけれど、私が大野を再生させようとしていたところで外山さん達と出会ったんです。全然それまでは何の縁もゆかりもなかったんだけれども。
外山:紺田さんが蔵を何かに使いたいと考えていたところに、2000年の5月ぐらいにちょうど僕らがアトリエを探しにふらっとここに来たんですね。それでたまたま蔵の改装計画があり、僕らも是非お願いしたいと紺田さんにお話して使わせて頂けることになった。高専の先生が設計してくださったんですけど、その時はまだ設計段階だったんで僕らもコンクリートの水場が欲しいとか、床はコンクリート打ちにしてほしいとか、使いやすい状態で作っていただけるようにお話して、その通り意見を聞いて下さって作ってもらったんですね。
窓には山本基の塩の作品
© photo Aomi Okabe
05 アトリエにする発想
岡部:ではOxydolの方々のアトリエ改修費も半額は市から出ているんですか?
紺田:はい。じつはそれよりもっとかかってしまったけど(笑)。本当に壊れかかった建物で、年度始めにある程度市に陳情して直す予算はついてたんです。設計も頼んであって、進行中くらいの時だね。工事は始まってなかったんで変更できて良かったんですけど。もともとアトリエに改造しようと思ってて、口コミで募集してたんですね。
外山:最初のきっかけというのは、金沢に新しい美術館ができるので、その美術館準備室の企画で、スイス人のキュレーターで国際展を手がけているハラルド・ゼーマンが金沢に来たんです。その時に仲間の三人で展覧会をやった。それに参加してやはり作るのに場所が必要だと思って、高井と僕はそのころ暇だったんで、車でちょっとアトリエ探しに回ってみようかという話になった。でも山は寒いし雪が多くなるから辛いなということで、海だったらバーベキューできるし海辺に行こうという話になった。大野にはすでに来たことがあり、古い家が結構あったのを覚えていて、どこか借りられたらなということで見てたんです。
岡部:では偶然両者のそういう思惑が一致したということですね。
外山:そうですね。
紺田:そうですね。私も現代美術の人に貸さないといけないと思っていたわけではなく、アトリエとして使って頂ければ誰でも良かったんですが。何かの縁ですね。その後市の方から「伝統工芸の方でこういう人もいるけど、どうや?」という話もあったんですよ。Oxydolのみんなにとってラッキーだったのか、まあ結果的にはラッキーで。運も実力の内やもんね(笑)。
岡部:それですぐ借りますってことになったんですね。だけどアトリエとギャラリーOxydolの改修費は、どうなさったんですか?
外山:それは、まあ家賃という形で、紺田さんに毎月部屋代というかここの蔵代と駐車場代をお払いしてます。
紺田:その程度だから絶対元は取れないんだけれども。
外山:あと、普通ギャラリーOxydolを貸した時の費用は三万円ですが、電気代だけ僕らが取って、その内の二万円を紺田さんの方に納めています。
紺田:ギャラリーのところはオプションみたいなもんだったから、お金が余分にかかっちゃた(笑)。
岡部:とても面白いシステムですね。こういうの他にはないんではないですか?
外山:蔵を改修する人がいても、アトリエにして貸し出そうなんて人が、だいたい日本中にいるかって言ったら、いないような気がする。
紺田:本当はレストランとか飲食のほうがいいんだけれども、あの蔵は工場と一緒ですから不特定多数の人が入ると改修に物凄くお金がかかる。もともと半壊れの状態で直さなければいけない状態だったんです。それで直すのに数百万かけるんなら一気に使えるようにしようとやって、どうせ維持するために何かやっていかないとならない。それで今年は屋根の雪止めもある程度できて、雪を落とさなくて済みましたし、そういうのもひっくるめて私としてはいいわけなんです。まあ金銭的には苦しいかもしれないけど。
06 大野の広い蔵のアトリエ
岡部:もう一つのアトリエも改修するんですね。こちらは紺田さんの所有ではなくて・・・
外山:そちらの方はハマヨさんのものですが、彼は一切お金は払わないのですけど、建物は自由に使って良いって言ってくださって、だから改修費自体は全部自分達で持つし、半分市から出るようになっていて、お貸しいただいているんですけど。
岡部:使う人が増えてくると楽しいですね。孤立して仕事してるのとは違うから、勇気づけられるし。2000年の末に上海と北京に行ってきたんですけど、中国でもアーティストが自分のアトリエとして、古い倉庫を改装したりして、制作しながらそこで他の人達に見てもらえるような環境を作っています。作品の流通がまだスムーズにはできない状態なので、政治の問題もあるし、海外から来た人も作家のアトリエでじかに買ったりもしています。だから自分達でそのスペースを工房兼展示場所としてきれいに使ってるんです。そうしたスペースに自分で投資している作家が増えてます。大野の広い蔵のアトリエも、東京のアーティストにとっては羨ましいでしょうね。
紺田:結構デザインの人もおいでるんですよ。アトリエ兼ギャラリーにして何かを売りたいっていうか見てもらって商談につなげたいという人。資金補助の出所は商業振興課なものですから、何かを売って売り上げにつなげたいというのが本音ですけど、まあそれほどのひも付きではなくて、何でもいいって言われていたし。
岡部:金沢に現代美術系の新美術館が設立したら、海外からも人が来ると思うんです。そういう人はかならずアーティストのアトリエを見て回りたいって言うけど、東京だと広いから回るのも大変で時間もかかる。アーティストが集まっている芸術家村みたいな感じのところがあったら、喜んで訪ねてくるでしょう。制作も大切だけれども、そういう時に良い環境でカッコよく見せられるような展示も考えて、多少、お金がかかるかもしれないけど広いので中二階を作って、そこでは資料が見られるようにするとか。こういう古い家屋の雰囲気の中で現代アートを見るの、特に外国の方とかは大好きだと思うんですよ。しかも良いアーティストが何人か集まっていたら必ず来てくれると思います。
紺田:海外の人はこういった建物とか醤油の工場なんて結構驚かれる。まあ汚い建物ですけど。
07 活性化アート・プロジェクト
岡部:ここだったら皆、車を運転するわけだし、アーティスト・イン・レジデンスもいいですね。
外山:そうですね。アーティスト・イン・レジデンスの建物、泊まれる所を作ろうという計画もあるんですね。
岡部:羨ましいですね。東京も倉庫など最近は古くなって、大手のスーパーに負けて商店街が成り立たなくなって閉めてしまう。そういう過疎化した古い界隈でアーティストたちが住んで制作したり、展覧会をして使っていくというプロジェクトが東京でもあります(向島や曳舟界隈の『アートロジィ』や、取手市と東京芸大主催『取手アートプロジェクト』など)。そういう意味では、東京でもここのところ年に一つか二つは町の活性化アート・プロジェクトがある感じだけども、常設のスタジオやレジデンス作りは、日本で一番足りないものではないですか。アーティストにとって一番欠乏している。海外だと公的なお金が出たり、アパート兼スタジオに安く住めることがあるけれど、日本はないですよね。
紺田:さっき市長は理解があると言ったけれども、金沢市の場合は伝統工芸、加賀友禅であるとか九谷焼の系統とかはすごく優遇と言ったらなんだけれども、されていて、やはり今はまだ現代美術に近いとこまでも全然いってないですよね。とにかく伝統工芸の人が多くて逆に大変。
08 大野に生活の場を移しても....
岡部:作家活動をなさっている山本さんと中森さんは、大野のアトリエをどんなふうにお使いになる予定でしょうか?
山本:僕は結構作るものが大きいんですよ。鉄を使ったり石を使ったり大きいんで、今までやってきたことは自宅ではプランだけ。後は働いている鉄工所で会社の物を使わせてもらったりとか。そういうようなことが自分の大きなアトリエでできるかなという実験ですね。実際プランを設計していたら途中で修正が決まったりするんで、そういう試行錯誤する場所ができた。今は車で15分から30分くらいはかかるんですけども、実際使いはじめて本当に良ければ、大野に生活の場を移してもいいなと思っています。
中森:私は夜仕事をしているんですよ。とにかく場所がかなり離れているので、多分1、2時間を細切れに週三日来るような感じになると思うんですけど。今までは私は近くの六畳一間の美大生の下宿のような小さなスペースを借りてたんですよ。そこに作品が押し込んであってその片隅で仕事をしつつ、家の中ではパソコンの仕事しかできなかった。それをあの広いスペースでやれることはすごくありがたいんですけど、その分今まですぐ近くだったのが通うのに距離がある。今からリズムを立て直してあの体勢に持っていく。
09 クラクラアートプロジェクト
岡部:外山さんは東京に移られたらどうするんですか?
外山:まあ今でも来てるのはだいたい土日だけなんですね。それで土曜日の夜泊まって作業して日曜日の昼くらいに帰るっていうか。多分同じスタンスになると思うんですけど。ただ来る回数が月二回とかになるかもしれないですね。あと「クラクラアートプロジェクト」というまた別の企画があるんです。大野の町を前提にして、中心になられているのは水野さんで資金集めもやられていて、プロデューサーみたいな形で動いている。年二回誰か呼んで僕らの合同企画展みたいなのをやったりする見積もりを、鷲田めるろさん(アートメンバー企画担当 美術館学芸員)にだいたい出してもらったんですよ。東京から人を呼ぼうと思うと、計上したら三百万円くらいになって。この「クラクラアートプロジェクト」に関してはその他にもサポーターというかメンバーはいるんですが。大野の町興しの協力メンバーもいるので、そういう方達にも声をかけてやってます。この間神戸のCAP(キャップハウス)を見学に行った方も見えて、そこの運営形態なんかも参考にしようかと・・・あそこには美術ライターの方もいるし、管理人みたいな形で常に人がいて、運営がうまいなと思います。
岡部:やはりその場所にどのくらいどういう人が集まるかが、活気やイメージになるから、いろんな人を引き込んで作っていかれればいいのではないでしょうか。
外山:そうですね。金沢はそんなに広い町ではないから、そういう関係の人が皆集まってきたら面白いかなと思うんですけどね。
岡部:今日は、みなさまお忙しい所をお集まりくださり、どうもありがとうございました。
(訪問/2001年3月2日 テープ起こし担当:大久保昌彦)