イントロダクション
ダムの跡地で行われたアート・プロジェクトを実見したのははじめてだった。太古からの豊かな自然の営みとその懐で育まれたささやかな人間の生活の息遣いを、ダムという暴力は無情にえぐってしまう。100年か200年に一回という洪水の代償として、その跡に残されるのはからっぽの人工の景観。
広島県の三良坂、吉舎、総領の3町にわたる「灰塚アースワーク」は、数十年にわたるダム反対運動の痛みをこえて、心と風景のその空白と戦ってきた約10年間にわたる歴史だ。1994年に灰塚アートワーク実行委員会が設立され、2003年夏に翌年の合併などをひかえて実行委員会は解散、現在はアースワークNPO(仮)の準備期間に入った。
3町の総人口は1万1千人、この美しい山村にも過疎の波が押し寄せている。新潟の過疎地で始まった越後妻有アートトリエンナーレとも違うのは、出発点に灰塚のダムエリアという負の遺産をかかえていること。消された時空間を再構築する不可能性のただなかに、アーティストの岡崎乾二郎と建築家の吉松秀樹が招かれた。
公園でもある野外集会場、岡崎乾二郎作『日回り舞台』を見に行った。「近自然公園」というサブタイトルには、失われた自然への祈りに似た心が感じられる。登れる小山や回廊のような小道が、明るい日差しをあびてカラフルに光輝いている。どことなく不思議な何もない盆地のような大空間に、突如現れたかわいい蜃気楼。
町の人たちと協働した橋や公園のデザインなど、実践の背後にある細やかな共同体への配慮が、この地域に、ある種の慈しみとやさしさの苗を植えている。その苗を必死に守ろうとする矢吹さんのようなお役人が、もっと増えたら日本は変わる。
あまりにもすてきなので、岡崎さんの考案した「作品ホームステイ」の小平版を大学のゼミでやらせていただいた。東京のはずれの小さな町でも、アートを展示してくださる商店街の人がそんなにいるわけではない。学生たちの努力にもかかわらず、展示した作品を買ってくださる人はいなかった。東京は、空虚な場をかかえるダム地とは逆に、煩雑なごみがつまった密室が充満している。アートは、いったいどちらの場で、その真の力を発揮しえるのか。
NPOとなった灰塚に、ふたたび新たなアートのエネルギーが湧き出す日を待ちながら。
(岡部あおみ)