Cultre Power
studio & residence 灰塚アースワーク/Haiduka Earth Work
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
ALL RIGHTS RESERVED.
©岡部あおみ & インタヴュー参加者
©武蔵野美術大学芸術文化学科
掲載情報の無断使用、転載を禁止致します。

インタヴュー

矢吹正直(総頓町役場企画振興課アースワークプロジェクト担当/当時)×玉井幸絵(アースワークセンタースタッフ/当時)×岡部あおみ


日時:2001年12月5日
場所:広島県双三郡三良坂町大字灰塚

01 2006年に完成するダム地にアートを

矢吹正直:「アースワークプロジェクト」の矢吹です。

岡部あおみ:矢吹さんの本来の所属はどちらですか。

矢吹:総領町役場になります。「アースワークプロジェクト」は三良坂、吉舎、総領の3町でやっています。総領町は人口2000人、三良坂町が4000人、吉舎町が5000人です。そこへ国のダムとして灰塚ダムを建設することになり、ダムをどう活用していくのか、ということから始まったのが「アースワーク」です。初めにアースワーク公園の計画が総領町にあったものですから、事務局も総領町になり、私が一番興味ありましたし、ここにしましょうと。

岡部:それぞれの町の反応は異なりますか。

矢吹:そうですね、ダムの位置づけにもよります。ダム本体が三良坂町で、その上流湖にあたるのが総領町と吉舎町になります。吉舎町では町の中心ではなく、ダムの地域が外れの方に掛かっているので町自体でみるとあまり影響なかったのですが、三良坂町では一番多く、1000世帯くらい水に沈むため大きな問題になりましたし、本体そのものが三良坂町にあるのでダム事業の中心になっていました。総領町は100世帯近くが水没したのですが、わりと町の中心部でしたので関心が高く、関わり方も真剣に取り組んでいます。吉舎町には高校がありますので文化祭にアースワークの展示を持っていったりすると、高校生の興味の持ち方が全然違います。奥田元宗(註1)の出身地なので、アートそのものについて関心が高い。
初めは民間のシンクタンクの方から、アメリカでダムの中でやっていた「アースワーク」という作品をやってみたらどうか、と持ち上がりました。灰塚ダムは治水が目的なので普段はからっぽです。40、50ヘクタールある広大な敷地をどう利用できるのか、「アースワーク」という作品を作り、たくさん作品をダム湖に入れてみようと。日本では無料で利用できて広いところがないのでやってみたらどうですかというのが最初の提案でした。日本人のアーティストでできる人ということから、シンクタンクを介してのっていただけたのが岡崎乾二郎さんと建築家の吉松秀樹さんだった。岡崎さんにこちらに来ていただいて話し合いながら進め、本来の作品としての「アースワーク」とは、実際にかなり内容が変わってきていますが、立ち上がって6,7年経っているところです。

岡部:治水用ダムということで、水がたまってない土地もあるわけですね。

矢吹:ダムは洪水のときに水位が上がってくるのですね。年に何回か洪水は起きるのですが、もちろん、時期によって水位が変わって、ここは沈むけれど、ここは沈まないというところが出てくる。確率としては100年や200年に一度の洪水を想定してダムを造るので、使うことはないだろうと予想されるところもある。

岡部:ということはすでに12年くらい手がけていらっしゃるわけですね。

矢吹:建設の話が持ち上がったのは3、40年前になります。どこのダムでも同じように反対の話がでていたのですが、だんだんみんな土地を手放すなどして、受け入れる形になってきました。
3つの町とダムを造る国と、ダム湖の近くの住人で完成後水没するため動かなければならない方達が、団体で「アースワーク」の実行委員を結成しました。アドバイザーとして一時は委員にもなっていただいた岡崎さんと吉松さんとやっているうちにいろいろ活動するようになり、初めにやったのがアーティスト・イン・レジデンスです。アーティストとしてダムにどうアプローチしますかを提案してもらいました。また、初めはサマー・キャンプ、今は「アート・ステュディウム」と呼んでいますが、学生を育てる教育プロジェクトとして、夏に学生のためのワークショップを6、7年行っています。

岡部:場所はどこですか。

矢吹:古い小学校を宿泊施設に改装した、前から町にある宿泊研修施設で2週間ほどやっています。

岡部:レジデンスをなさる費用はどこからでているのですか。

矢吹:2000年から独立採算でやっています。参加する学生は参加費5万円を払い、スタッフはボランティアの人がかなり多かったため運営できた。大きいのは岡崎さんですね。彼に直接教われることが魅力だと思います。参加者は大体20〜30人。スタッフから見ると、30人が限度です。学生達がものを作っても見てもらえる機会があまりないので、学生にとってはいい勉強になると思います。

岡部:制作の材料費はどうなっているのですか。

矢吹:それは私たちが用意します。実際に何を使うかは作りはじめないとわからない。ものの調達が大変。制作のアトリエは、総領町の廃校にFRPの工場があり、撤退したので、そこに作りました。普段は展示場やスタジオとしても使用しています。


灰塚、岡崎乾二郎『日回り舞台』のある景色
Photo Aomi Okabe

02 床屋さんの作品ホームステイ

岡部:場所は町が提供しているということですね。他にはどんなことをなさっているのですか。

矢吹:「作品ホームステイ」をしています。去年までは東京の若手アーティストの作品をトラックでたくさん借りてきて、リストを作成して住民の方にお見合いをさせる。好きな作品を選んで、家に置いていただいて一ヶ月間展示して公開してもらう。町を訪れた人は地図を見て鑑賞することができます。実際に作品の取り引きをされた方もいます。

岡部:どなたのアイデアだったのですか。

矢吹:これも岡崎乾二郎さんです。

岡部:アーティスト的なグット・アイデアですね。岡崎さんは考え方がクリエイティヴで、とてもいいアーティストですよね。すごく頭がいいし、後輩のめんどうみもいい。

矢吹:玉手箱ですよ。それを実現していくのも楽しい。彼は文章もすごいです。

岡部:ホームステイの人が展示した作品を手離したくなくなったら、そのまま購入して家に置くことになるわけですね。ホームステイに参加さなる地域の方々は何人ぐらいいらっしゃるのですか。

矢吹:30人から多い時で50人くらい。地域と密接に関わりをもっているプロジェクトで、地域おこしのようなものです。毎年求められる作品が必ずバッティングします。人気のあるものに集中する。他にもいろいろありますよといって、話し合っていただいて最終的に決まりますが。バッティングするような作品は結構、あとで購入されています。

岡部:現物は見ないですでに行き先が決まっていて、東京から来たらすぐにそのお宅に運ばれるんですね。

矢吹:そうです。東京にいる岡崎さんのスタッフでホームステイ担当の方に専属でやっていただいてるそうですが、大変みたいです。作品を集めて梱包して一度に発送したら、すぐに先回りして現地にきて、受け入れて、作品を一軒ずつ展示して歩かなければいけないですから。

岡部:キュレーションの仕事などとも似てますね。もちろん置いていただくだけなら、無料なんですよね。

矢吹:そうですね。展示もしてくれますから、現代美術に興味がなくても見せたり見に来ることがいい。毎年参加してくれる床屋さんですが、初めはぱっと見たときに「変な絵だ」と言っていたのが、毎日見ていくうちに愛着が湧いてきたみたい。誰かが来ると言いたくなる。隣の三良坂町では、商店街の人がお客さんに作品の話をするようで、今迄全然売れなかったものが売れたりとか面白いことが起きています。

岡部:でも作品によって気に入らなかったら、引き取らなくてもいいわけですから。ホームステイの最中に、盗難にあったりすることはなかったのですか。

矢吹:壊れたりすることはありました。保険はかけるのですが、そういう事故は必ず起きます。初めの年は、普段みんなが入れないような公共施設に多く置きました。町長室や議会の議長室や、神社やお寺などです。子どものギャラリーツアーもやりました。子どもも町長室の席に座って鑑賞したり。

岡部:それはゴージャス。「作品ホームステイ」は何年目でしょう。

矢吹:3年目です。現代美術はとっつきにくいジャンルが多いですから、地域の方に理解が広がるのはとても難しいですが。

岡部:「作品ホームステイ」に作品を提供・協力してくださるアーティストは岡崎さんのお知り合いが多いのですか。

矢吹:岡崎さんに協力していただいたり、今迄灰塚に参加されたアーティストの方がかなりの数おりますので、その方にお願いしたり。

岡部:ただやはり集めるのが大変でしょうね。

矢吹:大変なので今年からやり方を変えよう、という話が持ち上がっています。作品ホームステイをしに来てくださいという募集をかけようと。よかったら滞在して作品づくりをしてください、といういわゆるレジデンス型になります。

岡部:作品ホームステイに出す作品を1点は持ってきていただいて、レジデンスに参加していただくという形ですね。作品が大きいと持ってきてもらうのは大変ですが。

矢吹:組み立てできるものとか。そういう方向にしようかなと。正直言って大変なのであまり広げたくはないけれど、アーティストのことを考えるともっと場を広げないといけませんね。地域だけでやってるのはもったいない。

岡部:オーガナイズするほうはとても大変かもしれないですね。でも貴重な機会ですし、この地域を外部の方々に知ってもらうことにもつながる。農家の土間かなんかに作品が飾られて大事にされていたら、アーティストはとても嬉しいでしょう。作品の値段はどれくらいからあるのでしょうか。

矢吹:値段は本人との交渉次第です。地域と密接に関わりあうという意味でシステムとしては物々交換や地域通貨のようなものにして買ってほしかった。私は2000年に、自分で作っている無農薬のお米と物々交換で作品を購入しました。床屋さんだったら、いつでも刈ってあげるよとかね。でも、ほとんどは現金ですね。

岡部:でもいったん作品が個人の所有になってしまうと、あとはアーティスト本人だって、それをなかなか見られないことになりますけれど。

矢吹:「作品ホームステイ」のときはオープンスタジオとして見せる条件になっています。「アートスフィア」の構成そのものが、学生達の展示と勉強する期間をあわせてひとつのプログラムになっているので、それに合わせて学生向け・一般向けの間にシンポジウムやレジデンスをやり、8月の終わりから9月にかけて一ヶ月間、集中していろんなイベントをやるわけです。
でも最初に「作品ホームステイ」の企画を考えたときには、地域の連携というより、美術館が欲しかった。ただ今はどこでも美術館の来館者が減って、どうしたら人を呼べるかを考えている状態ですから… 美術館を作ったところでたいしたものができるわけもない。だったら建物のない美術館を作っていけるのではないかという考えがはじめからありました。研究とかコレクションはアースワークセンターの専門の方がいて、地域の人が作品を購入したら保管しますし、ほとんど美術館と同じ機能があるわけです。広報しますので、地域の近所付き合いやら、隣でやっているからと見に来たり、「何だ訳わかんないな」と言いながらもちゃんと見てくれていて、受け入れの輪は確実に広がっています。

03 岡崎乾二郎のティーチング・マジック

岡部:運営予算はどのようにまかなわれているのでしょうか。

矢吹:費用はプロジェクトから出ます。プロジェクトそのものの経費は3町が200万円づつ出し、年間計600万円がベースで、また国土交通省が業務の委託という名目で出してくれています。
2000年に「アースワーク宣言」が出され、ダム建設そのものに一般的なダムを造るのではなく灰塚らしさをだすため、イメージづくりのために国土交通省も資金を出してくれます。直接的に費用は払えないので、地域と話し合ってものづくりをしてほしいということで町に業務を委託します。実際に灰塚ダムで行われる工事や施設に対していろんな提案を受けてくれ、さまざまなアイデアをだすことで町に対して資金を助成する。そこからプロジェクトの費用を出しているわけです。それが町と同じくらいの金額です。また文化庁のレジデンスの費用など補助金を付け足して年間2000万円で運営しています。やはりプロジェクトには専任の事務局員が必要になりますので、人件費などの経費もかかります。

岡部:専任の事務局員の方は、町役場の公職を持ってる方ではなく「アースワーク」専属として雇われているのですか。

矢吹:はい、「アースワークセンター」で仕事をしています。私の主な仕事は、どこからか、どうにかして資金を調達してくることと、「アート・ステュディウム」という2週間の集中講義・制作演習に参加する学生達の材料を探しだしてくることですね。

岡部:学生は大学生がほとんどですか。本当に面白そうな活動ばかりですね。

矢吹:私の生きがいですから(笑)。大学1年生からアーティストの卵までいます。2000年は建築科の学生が多く、先輩から誘われてというのがあるようです。実際に、作品を作らせてみると才能のある子は若い子でもやる。岡崎さんは学生を扱わせたら天下一品。そんな岡崎さんに惚れ込んで私は一生懸命やっています。

岡部:「アート・ステュディウム」は毎回、何かひとつテーマを決めて行っていらっしゃるのですか。

矢吹:特に決めないのですが、こちらで選択できるようにしておきます。最初の3日間はすごく勉強ばかりさせる。いろんなゲストを呼んだり、レジデンスの若手のアーティストに自分達の作品を見せたり。実際にアーティストに指導してもらったり、作品をつくっているところを見たり。こういう機会は滅多にないですからそういう勉強会をして、ほとんど哲学的な部分の勉強をしたりしていると、体がうずうずしてくる。作品づくりを始めると夢中になってやるんですけれど、実際見られたようなものができないわけです。そこで岡崎さんが上手くやってくださると、学生の作品が下手な展覧会よりもずっと素晴らしくなる。2週間して、最後オープンスタジオという形で学生やレジデンスのアーティストや作品ホームステイの作品を一同に集めた、とても充実した作品展になります。

岡部:それはエデュケーションとクリエーションのマジックですね。2週間、ワークショップに滞在した人とその後、コンタクトはあるんですか。

矢吹:必ず毎年驚くような作品をつくる子が何人かいます。感動しますよ。毎年通ってくれる人もいます。そうすると、3年目からスタッフになってしまう。美術とか建築を志していたけれど、普通に会社員になった人がこういう機会があるからといって来たり。こちらで仲良くなった方々とずっと連絡を取り合っているので、いい展覧会を紹介されて行ったりすると必ずアースワークの関係者と美術館で会ったりもします。そういうネットワークが広がっています。ただ、地域の理解が追いついていかないのが悩みの種です。

04 現代アートの町づくりの夢

岡部:矢吹さんは町役場の中でこのプロジェクト専門の担当者ということですか。

矢吹:私の仕事は企画振興課というところなのですが、ダムと施設の関連で仕事を10数年やっています。ダムについてはやはり誰かずっと経緯を解かっている人が必要ですから。学生のころから美術に興味はあったので展覧会にもよく行きましたが、現代美術とはあまり接点がなかった。プロジェクトを始めたもので、最初は「現代」という文字がついていたら一生懸命見るようにしました。そのうちに面白くなってきた。今では無け無しのお金でいろんな作品を購入したいくらいです。

岡部:ホームステイの作品を購入されたり、レジデンスの作家の作品を買ったりなさったのですか。コレクターみたいになってきたとか。

矢吹:そうですね。私の娘なんか迷惑してたみたいです。最初は一緒に美術展を見に行くじゃないですか。家族で旅行しても「現代」とつくと入っていってしまうので。そのうち「アースワークスクール」という、現代美術の教室を岡崎さんにやっていただいて、子供も否応無しに連れて行き一緒に岡崎さんの話を聞いて勉強したりしました。今は好きでたまらなくなって、上の子は大学1年生なのですが、とうとうデザインの方に進んでしまいました。中学生の頃から例えば広島に行くと市の現代美術館に行った後、影響されて帰りに東急ハンズに寄って材料を購入してはモニュメントのようなものを作ったりしてました。

岡部:お子さんは7、8年間で、初めは嫌だと言っていたのが少しずつアーティストに接していくうちに、すすんで現代美術に興味を持った。一般の人はもっと時間がかかるかもしれませんが、触れ合うことで可能性は十分ある。

矢吹:私がプロジェクトを始めたときに思っていたのが、10年経ったら、町に現代美術アーティストが10人住んでくれること。それが夢だった。僕みたいにいつでも手伝って協力してくれるコレクターまでいく人が10人欲しいと。外側からでもいいから作品ホームステイを協力してくれる人が30人いて下されば、町が変わります。10年後にダム建設が終わってもこういうプロジェクトが細々でも続けばいいと思った。そういうのが理想だった。

岡部:現実にそうなってきたのでしょうか。

矢吹:実現しつつあります。地域の人がもっと理解していただいて、こうして続けていくと「うちの庭にも作品をおいていいよ」という方が増えてくれればいいと思っています。今迄は室内作品が多かったので。

岡部:ただ、しっかり設置しないと、外部だと日本では台風なども多いので、危険なところはありますね。

矢吹:たまたま2000年に参加していた学生で今、地域の施設を一生懸命作っているアーティストがいるんです。その人の師匠にあたる先生に石のベンチの制作を依頼したら、岡山県の石切場にアトリエを持っていらして、岡山を旅行しているときに石切場に寄ってみた。イサムノグチがそこの石をよく使っていて、石切場の石材店にある家にイサムノグチをよく呼んでいたそうで、庭に作品がごろっとある。その方の庭に見には、イサムノグチの素晴らしい作品がきちっと展示されていた。きちんとメンテナンスもされているし、お家のご主人はイサムノグチがどんな人だったのか、どんな活動をしていたのか全部ご存知で、初めて行った私にちゃんと話してくださって、お茶までごちそうになりとても感動しました。例えば、今ここの地域にそういうことが起こる可能性があるのではないのか。夢ができてすごく嬉しかった。最近、市町村合併が話題で、総領町のような小さな町がいずれ無くなってもアートを通した地域づくりができる、そういう役割を担っていけるのであれば、それだけやってきた価値があると思っています。

05 地域とのギャップとNP岡部の有効性

岡部:今3つの町が一緒にやっていますが、総領町が中心に活動なさっているのですか。実動している人も、協力してくれる人も多いのでしょうか。

矢吹:事務局が総領町にあるので中心になってますが、作品ホームステイなどにも他の町の人も協力してくれます。

岡部:企画は岡崎乾二郎さん中心でなさってきているのですね。岡崎さんを推薦されたのはどこのシンクタンクなのですか。

矢吹:大阪なんですよ。そのシンクタンクは磯崎新さんとの関わりがあって磯崎さんや、磯崎さんのお弟子さんの安田さんだとか、青木淳さんやいろいろ建築家の方と仕事の関係があったそうです。最初、建築家を一人、アーティストを一人、推薦していただくように相談したところ岡崎さんの名前が出てきた。直接岡崎さんにアポをとって。最初にはじめて岡崎さんや吉松さん、高松さん、油絵の玉本さんらがシンポジウムをやったときは、何を言っているのかまったくわからなかった(笑)。聞いている地域の方も全然わからなかったみたい。

岡部:自分たちの地域の重要な問題に、何言ってるのかわからないアーティストや若手建築家が来て、いろいろ言って、地元では反発はされなかったのですか。

矢吹:ものすごくありましたね。「アースワーク」といえば訳が分からないという今でもイメージもあります。「アースワーク」という言葉が一人歩きしてしまって、現代美術の代名詞のようになっていますから。少しその言葉から離れようとしないとまずいかなと思う。実際にやっているのはソフト事業で、ダムそのものに対しては自然や景観を大切にする環境づくりです。ただその中に現代建築や現代美術を取り入れていこうという点が逆に誤解をされて、ちょっとまずいかなという感じで、考えていかなければいけませんね。

岡部:「アースワーク」は名称が誤解を招きやすいのかもしれません。「アートスフィア」は抽象的だからソフト的でいいけれど。ただいろいろカタカナの名称があるので、少し混乱するかもしれないですね。「アートスフィア」はワークショップの名称なのですか。

矢吹:そうです。ワークショップや、「アート・ステュディウム」、「作品ホームステイ」をしている期間全体を呼んでいます。

岡部:本当はその名前だけでいいのかもしれません。ただ、国土交通省などの助成金をいただくときには、「アースワーク」が補助金申請に必要になるわけでしょう。

矢吹:お金を都合するサイドからすると、「アースワーク」は都合がよかった。お役所の方とこういうことをやりたいという説明をすると、そういう面ではこういう補助金があると伺えて、予算調達の自信はありました。
ただできればこれからは、地域づくりみたいなNP岡部団体に、徐々に変身していく時期にきているのかなと思います。今は国土交通省や地元の自治体からお金を頂いている状態ですが、地域から見ると、何故この小さな町で建築や美術の人達を集めてやらなければならないのか、そんなことは大きい規模で広島市がやるべきで、ここはここでもっと地域づくりをやるべきではないかという声があります。地域を支援してくれる人からお金を集めるのが本来の姿になるのかなと思ってみたり。あと数年でダム建設も終わるので、今迄のようにお金が入らなくなり窮するのは間違いない。やり方を小さくしたり、別な方向に進める必要があるのではないか。

岡部: NP岡部団体にはまだ文化芸術分野は少ないですが、NP岡部が認可されたら、どの程度、運営資金ぐりに有効な措置が得られるのでしょうか。

矢吹:実行委員会の方が都合がよかったんです。NP岡部の場合でも毎年予算を組まなくてはいけない。いくらか繰越金がないと、実際にはとり掛かれない。また税金もかかる。実行委員会は繰越金も税金もかからない。NP岡部の研究も進めてみたのですけれど、それでもうちょっと待とうかということになった。NP岡部を推進している県のセクションからは灰塚をぜひNP岡部にという要請もありましたし、何故NP岡部にしないのですかと聞かれたりもしました。行政的な事務にくらべたら申請手続きはややこしくもないですし。

岡部:矢吹さんはプロだから、こうした仕事に慣れていらっしゃるでしょうが、一般の人は許認可取るだけですごく大変だって聞きました。具体的にはNP岡部にまだメリットは少ないのでしょうか。

矢吹:今のところは。ただ、自分達で独立してやるならばNP岡部はいい。今は実行委員会がやっているので、行政が深く関わっている。これから例えば行政が手を引いた場合、全くの同人会のようになってしまえば予算もゼロになる。そこでNP岡部になれば、法人株を持って組織としてきちんとできるし、実際に企業に資金を募ることもできます。地域の将来を考えていく立場から見ると狙い目ですが。

06 100%受ける地域おこし政策なんてない

岡部:越後妻有のアートトリエンナーレは行かれたことがありますか。

矢吹:行きませんでしたが、ヴィデオや資料を拝見しました。北川フラムさんが越後妻有に関わっているときに一度こちらへ来られたんですよ。やり方を随分見ていきました。さすが北川さんがやるとコーディネイトがとてもうまい。宣伝もたくさんされたし、北川さんのような仕事を本当は僕がしなくてはいけないなと反省しました。

岡部:全国的に越後妻有は本当に有名になりましたよね。北川さんが来られたときは越後妻有を手がけ始めていて、灰塚のアースワークの存在を知り、ここは3町村が集まってやっているということで視察に来られたわけですね。

矢吹:彼は「実は困っているんだよ」とおっしゃってましたが、ヴィデオやテレビで拝見したとき、参加している役場や地域の方の顔を見ていたら私ももう少し頑張らなくてはと思いましたよ。すごく楽しそうにやっていらしたので。

岡部:本当にそれこそ現代アート・オタクになったような地元の方々もいたようです。越後妻有はトリエンナーレだから3年後にはどうなるのでしょう。たくさん資金が使われたという点から、いったいどれくらい地域にメリットがあったのかという批判もいろいろ出ていました(2003年に実現した越後妻有アートトリエンナーレには、驚くほど多くの地元の集落が協力して大成功をおさめた)。

矢吹:地域おこしの場合、本当に文化芸術関係はすごくいいと思います。もっとみんながやってネットワークが広がれば楽しいが。

岡部:この規模で現代アートを中心にしている地域おこしは他にはあまりないと思うのですが、視察に来られた方はいますか。

矢吹:アーカスとか、結構いろんなとこから来られます。私が一番お手本にしたのはアートキャンプ白州(註2)でした。

岡部:どういうところが白州ではよかったのですか。かなり山奥ですが。

矢吹:とりあえずまずびっくりしました、行ってみて。こんなにやるもんかって、若い人がごそごそ来てるし。うらやましいと思った。一年目でしたが、私は結構積極的に農作業している方に聞いてまわったんです。でも白州では反応は意外と冷たかった。何をやってるんだか、時々迷惑もするんですよ、みたいな話をされる方もいました。でも逆にそんな人がたくさんいる中で、「こういうことやってるので、私この街が大好きなんです」という人もいた。それでやっぱりやる価値はあるんだなと。

岡部:全員が反対だなんてことはないですよね。やはり5人に1人、10人に1人くらいは大好きな人がいて、あとはまあまあやってるんだな、くらいで無関心。

矢吹:大体、行政をやっていますと100%うけるような政策は絶対ない。逆に全員いいというものはよくない。まず、反対とか何をやってるんだというような政策が、何年かして理解されたり、すごくいい政策だったりするのが常です。

岡部:だんだんファンが増えつつあるという程度がいい。

矢吹:それが救いというものですね。明日、岡崎さんが監修された公園や、パン屋さんとか地酒を造っているところがあるのでご案内しようと思っています。スタジオになっている場所などいろんなところです。

07 「灰塚らしい」レジデンス

矢吹:これまでの活動はプロのヴィデオの方にお願いして撮っていただいてあり、そこからCD-R岡部Mにも使いました。

岡部:見せていただいたけれど、充実したいいCD-R岡部Mで、玉井シャツもとてもすてきでした。

矢吹:なかなかいいでしょ。CD-R岡部Mもコンピュータ関係をやっていたプロの方が格安で引き受けてくださった。記録スチールは、鈴木理策さんにも撮っていただきました。

岡部: 玉井Vなどの取材もありましたか。

矢吹:「新日曜美術館」のアートシーンに取り上げられました。あと地方の番組や、新聞などで。記者がファンになってくれてアースワークのニュースを載せてくれます。

岡部:広島県や広島市現代美術館とは関係がないんですか。

矢吹:自治体が違うので関係がないんですよ。実は、レジデンスのときの選考委員にキュレーターの方に通ってもらったことはある。岡崎さんのファンだったそうなのですが、ニュースを見て来られたんです。

岡部:自主的な個人的な関わりだけですか。そういえば、レジデンスに招く作家の選考はどうされたのですか。

矢吹:海外と国内の作家を選考する選考委員会をつくり審査して、2000年は10人くらい、その前は5人ほど招待しました。滞在期間は1ヶ月以上です。海外ではスペインの方が、国内では小説家の方が一人いました。あと美術の方では吉野裕くんという若手のアーティストがいました。第二期では、南川史門くんや伊部くんなど、灰塚で育ったといえば語弊がありますが、灰塚にボランティアで参加していた方で最近注目されているアーティストが選ばれました。レジデンスに目玉で誰かを呼ぶという方法もあるんですけれど、「灰塚らしい」レジデンスはできないのかと、今まで学生を育てることをしているのだから、若いアーティストを育てるつもりで、若手でここに来ていた人を応援することも含めて選考しました。文化庁の給付金の規定が一ヶ月以上の滞在なんです。

岡部:こちらで海外のアーティストが1ヶ月以上滞在するレジデンスの場所があれば、文化庁に申請すれば給付金がおりるわけですね。どのぐらい助成していただけるのですか。

矢吹:旅費、交通費、滞在費全額。今年は全員の分で400万円。でも基本的に倍以上のお金を使ってしまいます。事務局職員の人件費や、交通費、必要な方は車などもありますし。今日、岡部さんにお泊まりいただくのは三良坂町にあるトム・ヘネガン(註3)が設計したコテージです。

岡部:ヘネガンは知り合いですが、彼のような海外の建築家にも設計してもらっているのですか。

矢吹:実はアースワークの前身といいますか、こういうことを受け入れやすくなっているのは、初めに総領町が現代建築のコンペを始めたからで、10年くらい前からです。ダムの計画時期と同じ頃で、いつも企画の担当者が集まって話し合っていたら、みんなわりと建築に興味がでてきた。それで、評判よかったから、次はこの人をコンペに招待してみようとか。吉舎町には「102」という現代美術のギャラリーがあります。いつも何か展示があり、写真家だったり、スタジオになっていたり学生達が作品を発表できるところですが、小学校を改装したものです。

岡部:これからもそういうふうに新たな建築の施設などを建設したり改築したりしていかれるのですか。

矢吹:各三町の町長の影響が大きいので。理解していただければ、本当はいいんですけれど。

岡部:コテージはアーティストなども利用するのですか。アーティスト・イン・レジデンスのアーティストは地元の元小学校を宿泊所として制作をするとお聞きしましたが。

矢吹:アーティストで宿泊したいという方もいます。

岡部:やはりみなさんがここに来るときは車がないとだめでしょうね。バスなどは全然ないのですか。

矢吹:ありますけれど考えない方がいい。ここまではほとんど飛行機か、新幹線。学生はすぐ近くの三好まで新宿からバスが出ているのでバスが多いです。
アースワークのプロジェクトに最初に入っていただいたのは総領町だったのですが、小学校の廃校で今は施設としても使わなくなっているところを、大阪に住んでいる広告代理店に勤めながら作品制作されている方が買い取った。今は、その方の友人のアーティストが気に入って夫婦で住んでいます。もちろん、アースワークには積極的に協力してくださって、現在、そのご夫婦以外に、いろんなアーティスト仲間が出入りして、制作活動しているようです。古い農家を買われたガラス作家の方や陶芸作家の方もいます。

岡部:レジデンスに参加するアーティストは元小学校に宿泊できるけれど、他の方々はどこに宿泊なさるのですか。

矢吹:そこの施設全体は200人くらい泊まることができます。普段は宿泊研修施設になっているので、どなたでも利用できます。グループで来られる方はよくコテージを利用されますが。

08 PHスタジオの山の上の船作り

岡部:PHスタジオもワークショップに関わっているのですか。

矢吹:ほとんど自主的に参加してくださって。最初に提案したプロジェクトを自分で資金を調達し、滞在しながら実行されて、船をつくることをずっとやっていました。「ノアの箱船」みたいな感じ。灰塚ダムを造るために多くの木を伐採するので、その木材を利用して大きな船をつくろうと。人は引っ越してしまったけれど、最後の植物の種や人の記憶をダム湖が完成するときに船で引越しをしようというものです。ダムは試験湛水という、水を溜める試験をやります。確率で100年に一度の大洪水という満水になるところまで一旦水を溜めるテストなのですが、船を浮かべるとその一番高いところにあがる。試験が終わると水を抜きますので、一番高い山の上に船を繋留させることができるわけです。

岡部:記念碑として残せますね。

矢吹:それをダムが完成したときのプロジェクトとしてやりましょうと。

岡部:毎年夏に来て、山にのぼる船をこつこつ制作しているんですね。想像しただけでもおもしろい。

矢吹:地元の人に協力していただいて。毎年いろんなことを提案して地域の方に手伝ってもらってプロジェクトを続けています。こういうプロジェクトを本格的に始めて2001年で4回目です。最初の回は宣伝をして歩いた。2回目がみんなに興味をもってもらうためのパレードなどをして、3回目の2000年が作業場づくり。それで2001年から船を作りましょうと。そういうことをしてくださるアーティストもいますので、本当にありがたいです。プロジェクト自体も夢ですけれど、個人的にはもっと作品を集めて美術館でもやりたい。学生を集めての民宿でもいいですが。

09 玉井幸絵(アースワークセンタースタッフ)

玉井幸絵:この橋は建築家の福井裕司さんが、手すりの部分の色やデザインを考案されました。

岡部あおみ:岡崎乾二郎さんが2000年に設計なさった「日回り舞台(近自然公園)」は集会所なのですか。

玉井:公園で、舞台にもなります。

岡部:水没する場所に住んでいた方々で、新しく移って住んでいる方もいらっしゃるわけですね。周辺に住宅地ができたので公園の計画も一緒に始まったのでしょうか。

玉井:もともとあった集落のなかに、ダムの整備事業の関係で移住された方がいます。地域のなかでは、ダムに関係している人、そうでない人、という区別が根強く残っている。そのため、日回り舞台は、コミュニティの顔となるようなデザインを、と住民の方々とワークショップ行い、デザインを検討してきた結果です。

岡部:これから行くところが総領町の木屋地区ですね。

玉井:ダムの降水時期に水に浸かる可能性のあるために何も使えないところをハーブ園にする取り組みがあります。2年後には試験湛水(ダムの本体が完成した後に実際の水をダム一杯に貯め、その後徐々に水位を下げていくことにより、ダムの安全性を確認するための作業)のときに半年ほど水に浸かってしまう予定なので、それまでの間利用しています。財団法人総領町振興会が木屋地区のハーブ園のアンテナショップを管理しています。

岡部:運営のスタートは振興会の方からの資金提供で行い、独立できるようになったらショップとして経営していけるわけですね。

玉井:手島さんと小田さんの2人が運営しています。将来的には地域の方で運営できることを目指しています。町全体で運営を続けていこうという動きはないので、どうやって町の中に浸透させていくかも課題です。(2003年度から、地域の木屋癒香の杜の女性の方中心に運営。ラベンダーの開花期間に野外カフェなどを行っている。)

岡部:これはダム事業による財団なのですか。ダムが完成したら助成金はなくなってしまうわけですね。

玉井:これは総領町の主に観光に関わる財団なので、全くなくなるわけではありませんが、ダムのアースワークと深く関わっていることなので難しくなりますね。


灰塚、ハーブ園の人々
Photo Aomi Okabe

(テープ起こし担当:江上沙蘭)

註:

1.奥田元宋 1912年 広島県双三郡八幡村に生まれる。本名、厳三。中学時代までは油絵を描いていた。中学卒業を機に遠戚に当たる日本画家、児玉希望を頼って上京、内弟子となる。 1984年 文化勲章受賞。幽玄な胸中山水にまで昇華、精神性の濃い絵画世界を築き、日本の代表的風景作家としての地歩は揺るぎない。

2.アートキャンプ白州'98 - 舞踊、芝居、音楽、美術、物語、建築、映像、農業のイベント、ワークショップ。山梨県白州町等で開催。

3.トム・ヘネガン玉井岡部m Heneghan(アーキテクチャー・ファクトリー主宰)ロンドンに生まれ、アーキテクチュアル・アソシエーション(AAスクール)にて建築を学んだ。1976年から1989年までAAスクールで教鞭を執り続け、英国、アメリカ、そして日本の多くの大学に招かれ、現在はオーストラリアのシドニーで教えている。1990年に、くまもとアートポリス都市計画事業に参画、 東京にアーキテクチャー・ファクトリーを設立する。熊本県草地畜産研究所が1992年9月に竣工、同プロジェクトは1994年建築学会賞を受賞。1995年広島県三良坂町に子供のための夏のバンガローを設 計。SDレビュー賞受賞。


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