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今回の民俗資料室ギャラリーで行われた「みるための時間」は、私自身が展示に関わったせいか、冨井大裕が新たな段階へと踏み込もうとするその瞬間に立ち会えたという感覚を、より強く抱かせた。本展は冨井が構想に2年あまり費やし、その間に作家自身が作品を反芻し、深化させていきつつ、一方で展示空間の構造について様々な実践を繰り返すという過程の上に成立している。だからこそ、今回の展示は結果として冨井の思考がより純化され、新たに進むべき道が生まれる契機となったように思われる。
アーティストトークでは、主に彫刻というメディアに沿いながら、冨井の制作態度を俯瞰する作業を試みた。けれども、日本近代彫刻の歴史観や彫刻の素材・形体について、または絵画など他のメディアとの違い、さらにはアフォーダンスなど、多角的な視野を用いて近づこうとすればするほど、なぜだかするりと遠のいていってしまう感覚を、トークの最中に意識したことを記憶している。それは、のちに気づいたことであるが、現代の多くの作家の特性がそうであるように、冨井にとっても彫刻というメディアは、そこがすがるべき拠りどころなどではなく、はるか以前に既に超え出てしまったものだからかもしれない。
冨井は日用品を素材に用いて制作を行いながらも、その作品は既存のメディアや私たちを取り巻く社会など日常の事物に収斂することなく、いつもそれらから一定の距離をおくことで成立している。そこは、一見全てから隔絶して宙吊りであるようにも錯覚される。けれども、今回のアーティストトークにおいて「見る」こと、そして「作る」ことが生の営みにつながると結論づけた冨井に、今までにない側面を垣間見ることができた。
(森啓輔)