イントロダクション
美術館の館長に、いわゆるお役人や美術史の専門家ではない人を外部から招くという新たな方式が採用されるようになった。社団法人企業メセナ協議会を創設し、今でも株式会社資生堂の名誉会長を務める企業人の福原義春氏が東京都写真美術館の館長職に任命されたのは、こうした流れにおいてだ。
東京都写真美術館の低迷する観客動員にテコ入れしたという業績だけではなく、お話を伺って興味深かったことは、新たな視点や価値観の導入、機能性の改善、ミュージアムのアイデンティティの創出など、外からのまなざしを介した自由な発想と的確な判断がなされていることだ。たんなる思い付きの奇抜さや押し付けではない。豊かな文化的教養と実質的な企業体験に根ざしたアプローチといえる。
企業のトップとして、リーダーシップ養成のための企業理念や運営論など福原氏は多数の著書を著している。『企業は文化のパトロンとなり得るか』(球龍堂)は、日本における企業メセナのはじまりを期した必読書だ。経済不況のさなかにも、日本で企業メセナが途絶えることなく、その意志が続いているのは、企業メセナ協議会の粘り強い活動に加えて、資生堂自身のきめ細かな文化支援活動に多くを負っている。
福原義春氏は1931年生まれのサラブレッド。大学を卒業してすぐに資生堂に入社、さまざまな部署を経て、1987年には第十代代表取締役社長に、97年には会長、2001年からは名誉会長に就任された。祖父が創業者で、父もまた名誉会長を務めた資生堂一家の出身である。父の代から引き継いだという美しい蘭の花のコレクションは今では驚くばかりに壮観で、『101の蘭』(文化出版局)にまとめられた。この本は花の写真を通して、福原氏の秘めた心のありかたや長年にわたる自らの美への追求の姿勢を語ってくれる。福原家は写真の先駆者として知られる叔父、福原信三を誇る写真一家でもある。
化粧品というヴィジュアルな美を手がける企業であれば、他の部門の企業に比べて、芸術文化活動に近いことは確かだ。だが、福原氏の関心は映画、書道、ファッション、音楽、旅など、ライフスタイル全般に広がり、そうした関心をたんなる趣味にとどめずに、生きることと仕事に不可欠な両輪として位置付けている。芸術は生活と仕事を支えるエネルギー源。それを身をもって示せる人は少ない。ましてや、そうした価値を多くの人たちに理解してもらおうと、誠心誠意努力する人はどのぐらいいるだろう。
恵まれた環境をもちえたエリートの使命感。そして、その自覚とともに個としてそれを越えようする気概と理念が、芸術文化への愛ともに、真の文化人たる所以だろう。
それにしても、美術館のつらい時代に、館長を引き受けるリスクにかけた心意気に感謝するとともに、豊かなコレクションをもつ写真美術館の魅力を、世界に、全国に、すぐれた企画展として発信してほしいと思う。ミュージアムという新たな分野でのリーダーシップのチャレンジに、期待を寄せさせていただきたい。
(岡部あおみ)