イントロダクション
東京国立近代美術館は1952年に開館された、わが国ではじめての国立近代美術館であり、本館を含め、主に工芸館、フィルムセンターの大きな三つの組織から成り立つ。今回のカルチャー・パワーに掲載された記事は、その本館を対象としたものであり、そこにおける学芸員、保坂健二朗氏にインタビューを依頼した。
開館以来、近代から同時代美術(現代)にいたるまで、広い領域にわたる作品をコレクションし、展覧会活動を行ってきた。近代美術館という枠組みの中で、同時代美術を扱いコレクションする意味を、自ら問い続けてきた。そのような問いは、内部から発せられるものに限らず、外部からの影響、つまり近代美術と同時代美術の差異とはなにか、を問う鑑賞者の真摯な疑問からも起こるものであり、館はそれら各々の探究に答える義務を負ってきたといえるだろう。
今回、カルチャー・パワーによって取り上げられている「エモーショナル・ドローイング」展は、ドローイングという行為が同時代美術にのみ意識されているものではなく、当然のことながら近代までの作家たちも行ってきた重要なエッセンスであることを意味している。つまりエモーショナルなもの、情動がその中に介入すること、それもまた長年、作家によって続けられてきた創造行為であり、そうしたテーゼがこの展覧会の核となり、現代美術の展示へと反映されたのである。
近代美術館とは、常に鑑賞者と主催者の間に存在する必然的な存在のように思われる。しかし、過去と現在に制作された作品群の間を行き交う鑑賞者にとって「エモーショナル・ドローイング」のエッセンスであるドローイングという要素は、20世紀「以降」の時代と「以前」の時代で異なるものではない。ドローイング、それは全ての作家たちに共通しているものであり、思考と行動の結果なのである。つまり、東京国立近代美術館とは、曖昧模糊とした近代・現代の時代性を区分し比較するという困難な行為に、明確な共通点を見出そうと、日々奮闘している存在といえるかもしれない。
(佐々木慶一)