Cultre Power
museum 奈義町現代美術館/Nagi Museum Of Contemporary Art
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
© Musashino Art University, Department of Arts Policy and Management
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©岡部あおみ & インタヴュー参加者
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インタヴュー

岸本和明(学芸員)×岡部あおみ

日時:2000年6月4日
場所:奈義町現代美術館

01 はじまりは「書の町づくり構想」

岡部あおみ(岡部):まず最初に、建築についてお伺いできればと思いますが、この美術館を作ろうろうと思ったとき、町長の意見が強かったのですか?

岸本和明(岸本):最初に1988年、昭和63年に「書の町づくり構想」が持ち上がりました。これは、書道によって町をつくっていこうというものだったんですが、それ以前からある人を介して、書道で著名な方を奈義町にお呼びして、その人たちを中心とした「日本現代書道巨匠展」を毎年行なっていました。けれど、習字だけでは美術館として弱いという理由で、なんでも展示ができて、なんでも企画ができる形のいわゆる町立美術館を作ってっていこうというものに発展していきました。

岡部:展覧会中心の美術館ということですね。

岸本:そうです。現在は常設展が中心になりますが、それこそ建物だけとりあえず建てて、そこで書道展や絵画展を開催するような一般的な美術館という発想でした。

岡部:半分以上の期間は市民に展示室をお貸しして、企画展はたまに、10%か20%ぐらいでやっていくというような感じですか?

岸本:そうですね。どちらかと言うと地元の作家さんを中心としたものです。

岡部:ここの人口は何人くらいですか?

岸本:今、6000人代になりまして、約6900人ですね。

岡部:少ないですね、前はもっといたんですか?K:えぇ、前は7000人いたんです。僕がこちらに来た時には8000人以上いたんですが、自衛隊が縮小されて、どんどんその家族の方と共にいなくなってしまったんです。つい最近、こうした人口の大きな変動があって、まだ減っていく可能性はありますね。そういうこともあって、一般的な美術館の発想として、町立美術館という形で作っていこうということで、地元のほうで美術館をどういったかたちでやっていくか、という組織ができたりしました。

岡部:最初は町役場のなかの教育委員会が中心ですか?

岸本:そうです。教育委員会が中心になりました。この近辺に美術館というものがないですから。僕が以前働いていた博物館的な、美術館と博物館が一緒になっているような郷土博物館はあったんですが、美術館と言えるようなものではありませんでした。

岡部:ここは本当に大都市からは離れてますものね。20km、30km圏内になかったのですか?

岸本:ないですね。津山のほうにもこういった話はあったのですが、結局実現していません。津山に、建築家の北河原温さんが関わった建築でグリーンヒルズ津山という所があって、建物ができたときにリージョンセンターにプラスして美術館をつくるという話はあったんですが、保留状態でまだ実現しそうにないですね。立ち消えてはいないんですが、実現がいつになるのかは分かりません。

岡部:ここの場合は88年に具体的な話が始まって、書の町づくりという形ですが、それは今でも続いているんですか?

岸本:はい、今でも続いています。

岡部:ということは今でも、書道展を時々やるということですね。

岸本:えぇ、今それは町民ギャラリーのほうで行なっています。


市民ギャラリー
© Aomi Okabe

02 磯崎新プロデュース「第三世代美術館」

岡部:まず常設中心の美術館の本体が先にできてから町民ギャラリーができたんですか?

岸本:いえ、磯崎さんが同時進行で作りました。図書館もその時同時に併設されたんです。

岡部:でも、別の棟で独立させていますね。

岸本:そうですね、一応そういうことです。それで、美術館がどういうものか、当時岡山大学に助教授で太田将勝さんといわれる富山近代美術館で主任学芸員をされていた方がいらっしゃって、その方にお話をお聞きしたところ、これからの美術館というのは有名な建築家にお願いして作れば、沢山人が来るからと言われ、それで何人か候補が挙がったらしいです。磯崎さんとか、丹下さん、安藤さん、それから高松晋さんなどが内部で候補に挙がったんですが、結局太田将勝さんは「オマージュ瀧口修造展」を企画された方で、宮脇愛子さんと面識があったので「磯崎新という建築家がいらっしゃるけどその人の奥さんとコンタクトとってみよう」という話になり、その方が磯崎さんと直接コンタクトをとって下さった。最初は磯崎さんも奈義町という名を聞いたことがないなど、お断りされていたらしいんですが、町長や太田さんの説得があり、実際現場を見てみようかということになり、平成3年に直接来られました。

岡部:その頃から岸本さんはこちらにいらっしゃったのですか?

岸本:前にいたところをやめて、その頃は広島現代美術館に少しいたんですが、ちょうど奈義に行くか行かないかの時期だったと思います。で、磯崎さんは気に入られて、非常にロケーションも良かったということで、「ちょっと僕に時間を与えて欲しい」ということで、磯崎さんがその次に提案されたのは、「今までの町立の普通の美術館では話題性もないし、こんな辺鄙なところでは人は来ませんよ」、「出来るんだったら100%に近い形でプロデュースします。もしそれがだめだったら、この話は終りにしましょう」という感じだったんだろうと思うんです。それで、このロケーションを見て、それに合わせて今の美術館を考えられたということです。

岡部:それを町長に提案なさって、町長がそれを委員会と相談して受けたという形ですね。

岸本:その時にちょうど、90年だったと思いますが、磯崎さんの建築展がロサンゼルス現代美術館を中心に巡回し、荒川修作さんの「見る者が作られる場」という展覧会が国立近代美術館を中心に巡回していたこともあり、町の人たちを説得する上では有効だったんではないですか。磯崎さん自身も従来型の美術館は沢山あるから、奈義に来なければ体験できないもの。

岡部:いわゆるサイトスペシフィックな作品中心の場をつくるということです。

岸本:そうです。

岡部:この前、多摩美で磯崎さんと「建築家と美術館」というタイトルのシンポジウムで一緒だったんですが、その時、建畠晢さんが司会で私と磯崎さんと妹島さんがパネラーで、磯崎さんは奈義をプレゼンしたんです。その時にはまだ私は実際に見ていなかったんですが、すばらしい「第三世代の美術館」というテーマでプレゼンなさって。ともかくサイトスペシフィック、作品中心の美術館で日本には他にはないという感じでした。

岸本:建設当も何度も磯崎さんご自身、日本にまだ出来てないということと、わざわざ奈義町に来ないと見られないということを強調していました。普通の美術館だと、コレクションは他にも貸し出して別な場所でも見ることが出来るけれど、奈義の美術館の常設作品は、他には貸し出しできない。直接体験しに来ることに意味があるということで、当時の町長と議会の議決を得て、あぁそれだったらやってみようかということで話が具体的にスタートしたんです。その時に、これ余談なんですけども、そこに今は団地が建っていますが、あれはなかったんです。あそこに森林組合があったんですが、それをロケーションの上で邪魔だからというので大移動させて、その後に建ってしまったものですから、ちょっと景観がねノ。

岡部:磯崎さんにそのことの確認はとったのですか?

岸本:いえ。来たらショックでしょうねぇ。あれがなかったらすごく気持ちいいですからね。

岡部:見晴らしが良かったのでしょうね。

岸本:あれは気にはなりますけども、しょうがないかなと。その辺の細かい部分というのも、当時僕はいなかったので後で当時の館長からお聞きしたという感じなんですが。


宮脇愛子 カフェから見た展示室「大地」うつろひ
© Aomi Okabe


荒川修作+マドリン・ギンズ 展示室「太陽」遍在の場 奈義の龍安寺建築的身体
© Aomi Okabe


岡崎和郎 展示室「月」ー補遺の庭
© Aomi Okabe

03 すごい反対があったんですよ。

岡部:オープンした時は運営組織としてはここのスタッフは何人くらいでしたか?

岸本:当時アルバイトが3人。当時は図書館も一緒に合わせたアルバイトだったんですが、あと我々学芸員が2人いまして、館長が1人ともう1人主任学芸員がいました。この方は今は県のほうに戻られましたけれども、2年間こちらに来られていました。磯崎さんも良くご存知だったと思います。館長は、今年から教育長が兼務しています。それから副館長が1人と事務、受付の人が1人。

岡部:県に戻られた主任学芸員という方は、学芸員ではなく、もともと行政の方なんですか?

岸本:行政の方です。心理療法士、心理学をされていた方で、磯崎さんや荒川修作さんと個人的に親しくされていた方です。ご本人の希望もあって、県との交流事業でこちらに来られていました。

岡部:副館長も教育委員会の方ですか?

岸本:そうです。役場の総務課からこちらに異動で来られた人で、私たち学芸の2人を含めて教育委員会の職員、公務員です。当時、地元の人の反応はどうかというとノぶっちゃけた話、すごい反対があったんですよ。

岡部:反対だったんですか、やっぱり。

岸本:今でも尾を引いてますが、一時期に比べるとそういう批判は少なくなったと思います。一時期はすごかったです。僕らも町民の方とお会いすると直接不満を言われたり。

岡部:どういう不満なんですか?

岸本:結局、相談がなかったというのもありましたし、内容が現代美術の常設展示ということで、やっぱり毎回毎回違ったものが見たい、といった素朴な疑問じゃないかと思うんです。

岡部:ピカソやってほしいとか、シャガールやってほしいというのでしょうか?

岸本:そうそう、そうなんです。

岡部:でも、常設展示があって企画展示スペースがないから、できないですよね。

岸本:そうした展覧会会場のために作った美術館じゃないですからね。地元の方には実際、常設の作品を取っ払って、そこに○○さんの作品を展示したらどうか、という発想もあるわけですよ。

岡部:地元ゆかりのいい作家いるじゃないの、という。

岸本:そうそう。日展の○○先生がいらっしゃるじゃないか、というね。かなりそれは長くありましたし、今でも地区によっては「すごく大きな建物だから、常設展の作品を取っ払って農機具小屋にしたらいっぱいトラクターが入るのに」とかね。

岡部:そういう発想があるんですね。

岸本:それは本当にぶっちゃけた話なんですが。

岡部:大変重要なことをやっているし、外から見ていたら、すばらしい、なんかすごくラディカルな新たな方向だとは思うけれども、町自体ではどのように受け取られていたのか。みんなが今もどういう風に受け取っているのかを知ることも大事です。

岸本:だから僕も、奈義町に磯崎新が来て美術館を作ることをマスコミ、新聞なんかで耳にして興味を持ったので来たわけですが、やはり現実は甘くなく住民とのすごい溝があって、10年20年では埋まらないなという位の溝だった。

岡部:でも、考えたよりは埋まってきました?

岸本:僕はそう思いますけどね。

岡部:みんなあきらめたんですか?

岸本:あきらめもあったでしょうし、外からの評判とかも耳に入ってくるだろうと思いますし、こちらもなるべくそれを伝えるようにしています。

岡部:外国からこういう人が訪れた、ということや海外で発表された、とか。

岸本:やっぱり、ここまできたら外部でこういう風に評価されてるんだよ、という風に攻めていくのが一番いいのかなとは思うんですけども。今ここまできて内部でがたがた言ってもしぼんでしまうだけなのかな、と思ったりして。

岡部:爆発的な不満というのはやや沈静したわけですね。

岸本:皮膚感覚でそういう感じがするんですけどね。今まで批判的だった住民の方と直接お会いした時に、以前だったら不満をぶつけるような感じで言われてましたけど、最近は和らいできたというか、次はどういう展覧会をするの?と聞かれたり。

04 入館者は2万5000人くらい

岡部:美術館の本体では全然展覧会をできないわけですが、町民ギャラリーの展覧会を学芸員として手がけているなら、そちらの仕事の方が多いんでしょう?美術館は常設だから。

岸本:美術館はメンテナンスですね。僕らで出来る範囲でのメンテナンス、たとえば作品を磨くとか掃除をするとか、極力出来たばっかりの姿をそのままずっと維持させていく。磯崎さんもこちらはお寺だという発想なので、それに僕らとしても立場的に合わせていく方向です。

岡部:この市民ギャラリーでは、何週間ごとに展覧会があるんですか?

岸本:だいたい月1くらいです。貸しギャラリーにはしていないので、こちらの企画としてお願いしています。地元の作家の展覧会をしたり、教室のグループ展ですとかメインになるものを持ってきています。

岡部:入館者は常設展示と町民ギャラリーで分けていますか?

岸本:そうです、分けてます。入館者は全部ひっくるめますと2万5000人くらいで、ずっと横ばいです。オープンした年は約4万ですね。それからはずっと2万台です。詳しい表をお渡しします。

岡部:あと、運営管理費は全額町役場からですか?

岸本そうです。町のほうからです。だいたい年間3000万円くらいですね、人件費込みで。もう、随分削られてます。最初の年は7000万だったんですが、3〜4000万円代です。

岡部:厳しいですね。

岸本:そうですね、だから企画の方もあんまり考えてもやってもらうお金をつけてないですね。初年度はいろいろと資金がかかりますから、しょうがないという部分もありますが、財政的には苦しいですね。うちだけではなくて全国的に今苦しいですから。一番最初にこういう芸術関係がまずあおりを受ける。

05 「正面のガラスが、意図的に割られました」

岡部:今までの常設展示のメンテに関してなんですが、例えば破損とかはありましたか?

岸本:ありました。正面のガラスが、意図的に割られました。結局大きく新聞で取り上げられてしまったんですが、工事の際に特注したものですから、修理に200万円近くかかりました。クレーンで持ち上げて、上から渡して、下で工事の人が1日がかりで取り付けました。今までガラスを割られたのは4回あったんですよ。

岡部:それは故意に割られたんですか?

岸本:えぇ、ビービー弾(子供が使うようなプラスチック製の鉄砲玉)で。一番最初の年は僕がそれを見つけて、後で警察から随分細かいことまで聞かれて困りましたが。今から3年位前に、夜だったんですがちょっと用事を思い出して中に入ってみたら、何かガラスの所だけピカピカしてるんですよ。くもの巣が張ってるのかな、と思って見てみたら、そうではなくて強化ガラスですから全面に亀裂が入ってたんです。崩れないけど、それが風でふわふわしてるんですよ。「うわぁ、これはやばい」、危なかったです。

岡部:そんなに簡単なおもちゃみたいな鉄砲で壊れてしまうんですか?

岸本:警察の方に聞いたら、人間の皮膚も貫通するくらいきついのもあるようです。サバイバル・ゲームが子供のあいだで流行ってるとかで、警察もそのことを気にしてましたけどね。

岡部:誰がやったか分かるんですか?

岸本:全然分からないです。

岡部:4回とも同じような手口なんですか?

岸本:そうです、同じような。きれいな穴が開いてました。一発で全面に細かいひびが入ったり、貫通したりとありますが、全部取り替えないといけません。全面ガラスというのは僕らが仕事してて怖い部分ですね。あと1回は子供がやったんですよ。子供が石を投げて。ちょっと破損した程度なんですが、やっぱり気になりますしね。O:全部取り替えたんですね。

岸本:それはその子が見つかったものですから、親御さんに折半で修理してもらったんです。

岡部:その子供は何故やったんですか?

岸本:ただ単にいたずらで。かなり投げていたみたいです。下にいっぱい石が落ちてました。至近距離からだったみたいですね。

岡部:破損するまでガンガン投げてたんですね!?鉄砲玉と石だと、怖いですね。

岸本:そうですね。ここはやっぱり遊び場としては良いんですよ。この美術館が出来てからは不良の溜まり場でね、駐車場にスケボーができやすい所があるんで、そこで地元の子もいるのかな?他所からきている子もいるらしいんですが、若い子たちが夜遅くまでスケボーをやってるみたいですけどね。

岡部:不良の溜まり場というのは困りますね。何されるか分からないから。

岸本:そうですね、それほど目立ったことはないんですけどね。沢山来るとちょっと怖いですよね。僕らも夏場の夜などは時々見に行ったりしてますけど。

岡部:警備は入ってます? v:入ってます。外注で警備会社に頼んでいますが、常駐はしてません。何かあったら、津山から来てもらうことになっています。

岡部:ちょっと防犯が…

岸本甘い部分が確かにあるんです。ガラスの破損の話にしてもそうですけど、美術館って自由に出入りできるようになってるんですよね。外の所は階段の踊場があって、行ったり来たりできますし、柵もすぐ乗り越えられるんです。ガラスの破損以降、警備を強固にして、夜は外に赤外線を設置しました。それからは特に何もないんですが、ただ鳥や猫とか犬が歩くたびに反応しますから、その都度警備員の方に来てもらってるので…

岡部:お金がかかるでしょう?作品自体への落書きなどはありましたか?

岸本:1回だけありましたね。中の作品ではないんですが、外の作品にはラッカースプレーで。

岡部:中には警備員や監視はいるんですか?

岸本:いや、いないです。オープンして間もない頃に役場の職員が交代で来ていた時はあったんですが、今はいません。始めの頃は異常なくらい人が入って来たので。

岡部:それに、反対運動みたいな動きもありましたしね。

岸本:それと、時間が経つにつれて入館者の数も落ち着いてきますから。気がかりな人が入館した時には知らん顔して注意しながら見てますけどね。気がついた範囲で職員が回る程度ですから、手薄といえば手薄です。

岡部:傷つけられる可能性はあるかもしれないけれど、持っていかれる心配はない。

岸本まあねぇ、抜かれることはまずないですね。

岡部:カメラは?

岸本:太陽の展示室にはモニターがついてますよ。あとはついてないです。人がついてないからその隙をみて、子供さんは立ち入り禁止のところに出入りしますね。

岡部:子供は知らないでやってることもありますよね。

岸本:そう、ほとんど知らないでやってるかんじです。特にがっちりした大きな柵をつけてるわけでもないし、ある面ではどこからでも入れるというスタイルをとってますから。

06 「日本画」から「現代美術」へ

岡部:岸本さんご自身、もともとのご専門は?

岸本:日本画です。制作をしているんです。現代美術に接したのは、もちろん学生の頃なんですけれども、もっと具体的に直接的に接することになったひとつのきっかけは、ここに現代美術館ができるということもあって、広島の現代美術館にいた時があり、それが大きなきっかけでした。広島で現代美術の勉強をするというかノあそこでの体験はその後の自分にとって、ものすごく大きかったです。

岡部:たとえばどういうことが?

岸本:発想がいろんなところに広がったんです。これが一番ですね。

岡部:アートに対しての認識が広がったということですね。

岸本:自分自身のものの考え方の広がりがそれに付随して表れてきたかんじはします。

岡部:つまり、その頃から現代美術に対して前より関心が広がったし、興味も広がってそれを自分自身でもやっていきたい、というような意識をもったんですか?観客に対しても、自分が受けたような発想の広がりをもたらしたい、という気持ちになったわけですね。

岸本:そうですね。こういう表現もあるんだな、こういうやり方もあるんだなという新しい発見が必ずあります。今までは日本画で、ついていた先生は院展関係の人だった。

岡部:同じジャンルにばかりいると、その中での表現しか考えられない、井の中の蛙みたいなところってありますよね。それが取っ払われて、世界にはこういうのもあるんだ、これも面白い。頑張らなくちゃと!(笑)

岸本:そうそう、だからすごく面白いですよ。もちろん日本画、今でもやってますし、途中で個人的にちょっとマチエールを追求したような作品をやってたんです。それによって、より自分の気持ちの中で具体的になった。「あっ、現代美術ってやっとなんか自分のものになってきたな」っていうふうに。もちろん自己満足ですけどね。そういう安心感もできました。地元に太田三郎さんという現代美術作家がいらっしゃって、彼と去年一緒に仕事させていただいていろんなことを学んだんですよ。今は飲み友達というか、よくお会いしてるんです。

岡部:ここで生活なさっているんですか?

岸本:津山に。車で15分もあれば行けますから。

岡部:近くにすごい人がいるじゃないですか。

岸本:彼からもいろんな刺激を受けました。僕にとってあの人は精神的な面での師匠です。彼の発想って無理がないんです。自然体なんですよ。岡山では珍しいメジャーなアーティストですしね。

岡部:ここで展覧会もなさったんですか?二人展とか?

岸本:いや、二人展ではなくて太田さんの展覧

岡部:その展覧会が市民ギャラリーの企画のなかで一番ラディカルなものでしたか?

岸本:いろいろありましたけれど、思い出に残ったというか―いろんな人とのつながりによって実現したものでした。

岡部:町民も巻き込んでですか?

岸本:一応そういうことですね。

07 奈義町ゆかりの「有元利夫」展

岡部:他にはどんな企画展を?

岸本:一昨年あった有元利夫ですが、この方はお父さんが奈義町のご出身なんです。お父さんは東京で商売されてて、戦後津山に疎開され、そこで有元利夫が生まれたわけです。彼自身にはほとんどこちらの記憶はなかったらしいんですけど、ご親戚とかいっぱいいらっしゃるんですよ。苗字は違う方もいらっしゃるんですが、有元城という城が奈義町にあったんですが、そこの末裔なんです。ご親戚の方も張り切っておられましたしね。

岡部:観客が大勢来たのですか?

岸本:やっぱり多かったです。それと以前、これも昔のことですけど美術館がオープンする2年前に毎日新聞から有元利夫展開催の話があって、それは110点くらいの作品を巡回展で展示するものだったんですが、うちは結局メンテナンスというか防犯設備が足りないので、ドタキャンになってしまって。それから5年ほどしてまた有元利夫展の話が浮上してきて、奥さんのほうの協力ですとか、画廊の協力で作品を60点ほどお借りして実現しました。

岡部:他には?

岸本:地元の作家を掘り起こすような企画もしました。今でも継続中ですけど。すでに50〜60回くらいの展覧会やってますから、それぞれに思い入れがありました。

岡部:全部が企画だと大変ですね。

岸本:そうですね、面白いですけどね。ちっちゃいものでも大きいものでもやっぱり思い入れって一緒だと思うんです。終わった後行ったら祭りが終わった後みたいなかんじですっごく寂しくなるんですね。

岡部:虚脱感がありますよね。

岸本:そうそう。出来るまでが面白いんですよね、いろいろなことがあって。

岡部:オープンするとなんかガクッときて、疲れがどっと出たりしますね。

岸本:あっという間に終わっちゃうしね。それで全部作品を撤去して白い壁面の展示室だけになったらほんっと寂しい。

岡部:2人で交互に担当なさるんですか?

岸本:そうノでもほとんど僕がやってましたけど。

岡部:大変ですね。次から次に考えて同時進行で5,6本構想していかないといけない。でも一つ一つがどんどん実っていくかんじで、そういう時期は楽しいですけどね。

岸本:最近「あー面白いな」と思うようになりました。もっと大きいのをやりたい。

岡部:最初は大変でも、慣れてくるとある程度上手くオーガナイズできるようになって来るから。

08 小学校へ出張ワークショップ

岸本:僕、人と会って話しするの嫌いじゃないんで、今ちょっと緊張してますけど、だべるの全然平気なものですから。基本的にやっぱり人間好きなですし。

岡部:学ぶこと多いですしね。

岸本:そうなんです。職種がどうこういうのではなくてね。去年の6月から小学校に行ってるんです。イラストクラブの指導というかんじで、実技やワークショップをやってます。

岡部:小学校に出張して教えるということですか?それは個人的にですか、学芸員として?

岸本:一応、学芸員として。

岡部:もう1人の学芸員の方も小学校にいらっしゃって実技の授業をやるんですか?

岸本:そうです。子供からもいろんなことを学べますし、非常に影響があります。だから、何とかして続けていければいいと思うんですけどね。今年もまた学校のほうから、「また来てください」と言われました。

岡部:総合学習みたいなことを考えて少しずつ始められたんですか?

岸本:まぁ、そこまで大げさじゃないですけど。子供が喜んでくれればいいかなと。

岡部:学校からここには来ないんですか?

岸本:あんまり接点がないですね。接点を持って、子供を巻き込むのはすごく大事なことじゃないかと思うんです。

岡部:大事ですね。ここは常設で、ゆったりしてるから子供が来ても大丈夫ですし。

岸本:そういうことも考えて、同時進行でいければいいなと思いますね。子供が見る目線になるべく合わせようとするんですけど、僕らが見えない部分をいっぱい見てくれてるもんですから。週1回木曜日に1時間だけなんですけど、行く度に新しい発見があって、楽しみですね。普段子供とこういうかたちでコミュニケーションをとる機会はなかなかないです。僕のほうが子供から勉強させてもらってるような感じがします。

岡部:美術館の普及活動の一環でもあるのですか?

岸本:そうです、その一環です。

09 笑いを誘うギャラリートーク

岡部:ギャラリートークとかは、館内ではやってないんですか?

岸本:ギャラリートークも市民ギャラリーの展示作家によってはやっていただいたりしてます。

岡部:だけど、常設ではやってないのですか?

岸本:たとえば団体の方ですとか、前もって言って下さった場合には対応させていただいたり。なるべく年齢層とか、美術に対しての人それぞれの見方によって対応の仕方を変えてるんです。おじいちゃん、おばあちゃんに対しての説明と小学生に対しての説明と、学生に対しての説明というのはなるべく変えようとしてるんですけどね。

岡部:それも学芸員のお二人で?

岸本:そうです。なるべくそういう風に心がけてはいこうとしてて、おじいちゃん、おばあちゃんというのは笑わせてあげるのが、結構いいんですよね。

岡部:幸せな感じになれる。

岸本:そうそう。

岡部:良い時をすごせたぁ、みたいな。

岸本:そうです、そうです。

岡部:どこで笑います?常設展は。

岸本:笑うっていうか、作品のことより自分のことを面白おかしくしゃべってあげたら笑ってくれるんで、そうすると入りやすくなるんですよね。なるべく堅い感じにならないようにしたほうがいいかな、と思って。

岡部:そうですね、最初から“現代美術!”ってかんじになりますからね。

岸本:そうするとやっぱり、入館者の方の中には「絵はないんですか?彫刻は?」という人がたくさんおられるものですから、そういう人たちにすっと入っていこうと思ったら、その人たちが入りやすい雰囲気をつくってあげないといけないんです。

10 日本の美術界、地盤沈下を防ぐには…

岡部:岸本さんご自身はこうした常設展の在り方に関して、今までの観客との関わりも含めて、日本にまた新たなかたちで現代美術の場所を創るとしたら、どう提案なさいます?

岸本:そうですね、岡本太郎現代美術館が「お宅の常設展をちょっと参考にさせてもらおうと思ってるんです」と連絡して下さったことがありましたけど。ただ、やっぱり常設展というのはどうしても来館者がだんだん減少してくる。でも、また違ったコンセプトでの常設展の美術館というのが今後増えていってもいいと思うんですけどね。それは営利目的ということでは全然成り立っていきませんが。

岡部:公共の目的ということですね。

岸本:そうですね。たとえばうちは今、1930年代生まれの世代の作家の作品を置いてますけども、将来的には、磯崎さんも言われてたんですけど、たとえば60年代の作品の常設展とか、直島のベネッセがやっているように、あんなかたちで民家に、宮島達男さんとかジェームス・タレルの作品を設置のも、すごく魅力的だと思いますしね。

岡部:そう思います。

岸本:地元の人ともコミュニケーションとれますしね。そう思うと、もう美術館というのはいらないのかなと思ったりもします。

岡部既存の建物を改装して使うという方向もあり得ますからね。それが日本の場合はあまりにも少ないですしね。

岡部:ベネッセのような、ああいう発想を持ってくれるといいですよね。

岸本:そうです。もう、だいたい県立美術館は100%近く出来あがっていますよね。鳥取県はまだ出来ていなくて、その美術館を巡って賛否両論されてるようですが。あそこには博物館はあるみたいなんですけどね。それともう一つは民間の企業による美術館ですね。先ほどのベネッセのようなものですが、あそこまで大きなものでなくてももいいんですけども。

岡部:ベネッセのような、ああいう発想を持ってくれるといいですよね。

岸本:すごいだろうな!と思いますけどね。今は世の中景気が悪いからなかなかそこまで行かないけど、ベネッセのようなポリシーを持った会社がもっと増えてくれれば、日本の美術全体の地盤沈下が防げるのではないでしょうか。

(2000年6月4日 テープ起こし担当:越村直子)


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