イントロダクション
六本木ヒルズに森美術館が2003年10月にオープンした。
展望こみで1500円という開館展「ハッピネス」には、3か月間に76万人が訪れた。古代から現代に至る150点の西洋と東洋の美術作品が4つのテーマで展示された。6億円ほどの予算をかけたといわれる壮大な企画展で、ターナー、印象派、ピカソと、有名な作家が目白押しで、美術史を学ぶ学生にとっては、実物に出会えるハッピーな体験といえた。なかでも傑出していたのはカリフォルニアに住むコレクター所蔵の伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』。18世紀の屏風は、まるでアジアの現代美術のようにモダンで斬新。
この開館展は美術館が開館する直前にインタヴューをさせていただいた日本初の外国人館長、デヴィッド・エリオット氏が中心となって企画したものだ。この展覧会で日本人を驚かせた3大日本発見は、米国に流出した若冲、次に公開されることが非常に少ない勝川春章と葛飾北斎の春画、最後にすばらしい東京の眺望だった。
コペンハーゲンの郊外にあるルイジアナ美術館では、広大な海の地平線を眺められる。まさか同じような感動を東京の美術館で味わえるとは思わなかった。360度のゴージャスな展望台から見渡せる宝石の輝きを放つ東京の夜景は、収蔵品のない森美術館の傑出したコレクションといえるだろう。
東西美術を一堂に会した「ハッピネス」展の展示方法も、日本の美術館にとっては、おそらくはじめての試みだったに違いない。東洋美術は紙に描かれた作品が多く、温湿度や照明の管理が耐久性に富む油絵などとは非常に異なる。したがって、こうした専門知識をもつ日本の学芸員や美術関係者は、東西美術の混交展示など、まず発想すること自体が難しい。また、仏教美術などは、美術館の展示室で見ること自体を問題視する人もいる。だから、アンドレ・マルローが提案した空想の美術館のように、まったく異なる文脈で異文化と出会い、新たな読解や発見に心を閉ざしてしまう人もいる。
観るという行為にも、無意識のうちにインプットされた制度と管理が作動している。東洋美術と西洋美術をつねに異なる展示室に仕分けしてきた慣習や制度は、明治以来の日本画・洋画の分離といった教育やカリキュラム、公募団体や表現方法にまで浸透している。その中にいると、べつに疑ってみるべきことでもない。ところが、いったん枠の外に出て見ると、自己規制したり縛られている様態が、滑稽に見えてくることもある。
森美術館開館の功績は、世界に開かれた新たな価値観を知らせ、芸術にアクセスする多様な手法を試み、視点の転換を提起することにだろう。
草間彌生の華麗でダイナミックなインスタレーション「クサマトリックス」、最新の日本の現代美術を紹介する「六本木クロッシング」、「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」、「アーキラボ 建築・都市・アートの実験」展など、興味深い企画が行われている。六本木という夜の街にふさわしく、夜遅くまでオープンし、アートを身近に感じるためのパブリック・プログラムも充実している。
だが収蔵品をもたずに、質の高い企画展を続けるには高額な予算と膨大なエネルギーが必要になる。ぜひ、夢の黒字運営にして、現在、世界から嘱望されている日本のすぐれた現代アートをコレクションしていただきたいものだ。
(岡部あおみ 初出『信濃毎日新聞』2004年3月2日)