イントロダクション
福岡から電車で熊本に到着。週末だったが電車の事故で遅れ、東京に戻る飛行機の時間までに2時間弱しかなかった。首を長くして待っていてくださった南嶌さんは、「もうすぐチャンピオンベルトだからそれにも参加していってよ」と、何のことだかわからずに面食らっている私を引っ張って行った。
お祭りで売っているような金ぴかの紙のベルトに、自分へのご褒美を飾るという大人のワークショップ。私も事の次第が飲みこめると本当に参加したくなった。熊本市現代美術館の前にそびえる鶴屋デパートに駆け込んで、おいしいクッキーでも買い、ベルトに吊り下げて甘党チャンピオンベルトを自分に捧げたい気分だ。当の学芸課長(2004年に館長就任)は、青年時代のインドの旅を称えるカレー粉ベルトを作るという。写真機の前でレスラーさながら、カレーベルトにタイツ姿の南嶌氏を見られなかったのが残念だった。
「美術」以前に「人間」があるという考えは当然なのだが、実際に美術館のコンセプトとして具現化している場所はとても少ない。同時代アーティストと仕事をする「現代」美術館であればこそ可能ともいえるが、それでも美術館は「ハコ」と「モノ」と「管理」を先行させてしまいがちだ。「人間の家」という美術館の理想は、キリスト者である南嶌さんの思想と一体化した概念だが、同時に「誰もがアーティスト」という20世紀美術の達成しえなかった理想を、ある意味で実現しようとする新たな方向性をも示唆している。
モダニズムの観点からいえば、「生け花」をやる美術館なんてとんでもない。開館前、入口にいつも「生け花」が置いてあった。「あれはなんだ。けしからん。復古主義だ。」と言っていた人もいる。ボランティアの方々の情熱がにじみでた生け花があって一体どこが悪いのか。批判的に見ていた人こそ、ホワイトキューブの美術館という既成概念の囚人だった。
開館展「ATTITUDE 2003」には、ハンセン氏病で隔離生活を強いられた女性がわが子のように大事にしている人形の「太郎君」や、ライフヒストリーがデザインされた棺のための死装束、知的障害を抱える子供たちの作品などが、いわゆる「現代アート」とともに展示されていた。 80年代にパリで開催された「大地の魔術師達」展は、現代アートとアフリカで実際に使用している動物の形の楽しい棺やインディアンの砂絵が並置して展示され、嵐のような論議を呼んだが、熊本の開館展は、地域的格差ではなく、多くの社会で隠蔽され見て見ぬふりをされてきた病や死や犯罪などを示唆する領域の作品への勇気ある侵犯といえた。賛否両論の真剣な議論がもっと戦わされてもよかったと思う。まさに21世紀を画す斬新な展覧会の実現だった。熊本はすごい!
南嶌さんはこれまで日本であまり注目されてこなかった旧東欧地域を研究対象にしてきた。そうした真摯な実践活動の積み重ねのおかげで、熊本での企画展や購入作品は、独自なまなざしの位置と輝きを宿している。熊本市は若い南嶌氏の才能を見抜いて起用したすぐれた館長(初代館長田中幸人氏は2004年3月に逝去なされました。ご冥福を祈ります)と、独創的で辣腕の思想家を美術館という現場に迎えたことになる。
日々、美術館から放射される熱線が、ホットな熊本の魅力にならないわけがない。
(岡部あおみ)