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museum 神奈川県立近代美術館 横浜トリエンナーレ2008/Museum of Modern Art,Kanagawa & Hayama YOKOHAMA TRIENNALE2008
contents

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Copyright © Aomi Okabe and all the Participants
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インタヴュー

水沢勉(神奈川県立近代美術館 企画課長 横浜トリエンナーレ2008総合ディレクター)x 熊切有希、柳井有(学生)

日時:2008年11月28日
場所:神奈川県立近代美術館 葉山館 レストラン

01− 今回の横浜トリエンナーレは大衆に現代芸術をどんな意味で伝えたかったのか。


熊切:早速質問ですけれども、まず横浜トリエンナーレのことについてお聞きします。今回の横浜トリエンナーレは大衆に現代芸術を本格的に知って欲しいという意図が込められていると思いますが、どうお考えでしょうか?

水沢勉(以下水沢):トリエンナーレほどの規模の展覧会は、より広く一般の人たちに現代美術をプレゼンテーションできる機会だということは確実ですし、それを意識した上で展覧会をつくることも当然の前提です。展覧会は、大衆を意識しているけれども大衆向きにする必要は無いわけだよね。基本的にはそうだと僕は思う。そうしないと、現代美術が今問いかけている一番大切な問題の輪郭が曖昧になってしまうし、そういうやり方でやってもあまり意味がないというのは、人によって考え方が違うかもしれないけれども僕はかなり強くそう思っています。悪い言葉で言えば俗受けするようなものは殊更に展覧会の中に入れる必要は無いと思う。例えばすごく大きな作品とかね。人間って大きなものを喜ぶわけです、アリストテレスが言っているように、ギリシャ人の昔から古代人の想像力の中では大きいものは美しいというのがあるわけだね。これは勿論テーマとして取り上げて、突き詰めてきちっと作れば大きくて面白い重要な作品を作る事ができるけれども、曖昧にそれを取り込むとただ大きさだけで人を驚かすみたいな作品になってしまう、やたら目立つ事で話題になる、それはもう必要ないと基本的には思っていたので、ある意味馬鹿げたスケール感を持つようなものは今回の作品の中には1つもないですね。それは意図的なものです。でも勿論、あれだけ街中にトリエンナーレを展開しているのだから、言ってみれば広告看板のように巨大にして皆に知らしめる、という広報的戦略としてはあるけれども、基本的に展覧会の内容とはあまり関係のないことだと思うんですね。ただ、これだけの規模のイベントなのでどういう風に目立たせるかを皆工夫するけれど、僕はあんまり関心がないというか、そのような意図では展覧会をつくらなかった。美術と大衆の関係は数値化できない。あまり単純に議論するとまた誤解もまねくけれど、もしテレビが大衆的だというのも1つの思い込みかもしれないし、テレビ番組に現代美術を取り扱う番組があるかというと…

熊切:通常の時間帯ではあまりない…ですね(たったの5分ほどなので、通常の30分、1時間番組という枠ではないのですが、フジテレビの「art lover」が2009年からこれまで早朝の4,5時から11時になりました)。

水沢:ほとんどないよね。表現者としての面白さにスポットを当てるみたいな形では「誰でもピカソ」があるけれども、でもいわゆる現代美術に特化して今世界中の若い才能のある、あるいはキャリアのある人でもいいわけだけれども、現代とは何かを問いかけながら作品を作り続けている現状みたいなものを伝えてくれる番組って結局1つも無いんだよね。

水沢:番組のプログラムの中に入っているというものはあるけれども。でもここまでないのはやはり異常だと思う。でも昔はヨーロッパだと美術番組でもすごくちゃんとしたのがあって例えばBBCにしてもそうだし、今でもヨーロッパでテレビを見ていると十七世紀のバロックの建物だけについて案内する三時間番組とか、すごく充実したものがあるんだよね。それに比べるといかにも日本の場合無さすぎて、ほとんど大衆的な接点を持ってないと言ってもいい。だからこそ現代美術での大きいトリエンナーレみたいなものも大衆的な路線にすべきだというのも1つの考え方だろうけど、でもそうするとかえって誤解を広めるだけとも言えるわけです。その辺りは難しい所で基本的な考え方の問題なので、僕としては、トリエンナーレをお祭りのようにして、派手にして目立つようにして、大きくして、人目をつくようにして、というようなやり方はする必要はないと思って取り組んだのです。

水沢:もっと看板を作るとか、それと会場が分散してしまったためになかなか大きな広告が出来なかったというのはあります。それはやっぱり不親切だった、というようなオペレーション上の問題はあったかもしれない。会場問題はもう少しシンプルになるはずだったのだけれども、いろんな事情があって、三会場に分散してサテライト、ランドマークプラザ、大桟橋もあるという複雑な形になってしまった。それがただでさえ現代美術は埋没しやすいのにさらにわかりにくくなったという風には言えるかもしれない。でもそれは手法的な問題で意図ではない。勿論お金があればもっと分かりやすくもっとシャトルバスも出し、もっと三渓園も行きやすくしてあげて利便性を高めるということはしたかったですね。あるいは水路というか、会場交通ももっと上手く使って横浜らしさを訴えたかったのだけど、結局、土日限定で、しかも救命胴衣付きでないと乗れないみたいな、いろんな制限がつくんですね、法律的に。だからもうベニスビエンナーレみたいに皆が船に乗ってわいわい言いながら移動するみたいなイメージもあったのですけれども、いろんな意味で予算制限や法律上の規制もあり、いろんなハードルがあったのですね。だから勿論お金がもっとあったら、派手にする必要はないけどもっと親切にしてあげたかったです。それは間違いない。不親切な点が残ったのはやっぱり問題でした。

02―日本の美術界にも今回のトリエンナーレによって自由な試みが出来るのか。

ヘルマン・ニッチュ
日本優先海岸通り倉庫でのインスタレーション 2008年

熊切:今回のトリエンナーレでヘルマン・ニッチュが展示されていたことは、私達にとってはすごく衝撃的で、日本の美術館にはああいうものは展示されていないわけなので、どうしてBankARTでニッチュの作品ができたのかが不思議で、大学の岡部先生のゼミでいろいろ議論しました。あの展示にはどういう意図が込められているのでしょうか?

水沢:ニッチュは1950年代後半ぐらいからヨーロッパで一番過激なパフォーマンスをしている人で、ヨーロッパで20世紀後半のパフォーマンスの歴史の中では絶対忘れてはいけない作家だし、ああした有機的な、オーガニックな材料をそのまま使うパフォーマンスはヨーゼフ・ボイスなど、いろんなアーティストがしているわけだけど、あそこまで、劇的というか儀式的にやるアーティストは少ないんですね。ギュンター・ブルスなど、ウィーンの「アクショニスト」と呼ばれている人達がかなり激しいパフォーマンスしますが、あそこまで規模が大きく、音楽もついていてセレモニーのようになるのはニッチュだけです。パフォーマンスのスタイルとは、ある意味で極北の仕事であることは間違いないでしょう。パフォーマンスの歴史を重要なポイントにした展覧会としてはニッチュを入れられるならば入れたいという風には思っていたのです。でもニッチュという人を日本の文脈でどう評価するかは中々難しい問題だよね。キリスト教や原始キリスト教やあるいはゲルマン的な原始的な宗教みたいなものが背景にあり、いわば生け贄みたいなもの、日本だって実は生け贄を使う宗教儀式も沢山あるのだけども、あそこまでそれをキリストの磔刑と結びつけながら、キリストも犠牲者で、子羊に捧げものとして自分を重ねている訳だから、子羊を殺すのは当然のことだったし、アブラハムの場合はイサクが自分の子供を殺そうとしたという犠牲の宗教的な問題が伝わりにくい。ユダヤの民の時代からずっと続いている生け贄という問題がまずあり、そこからニッチュを現代的にどうとらえ直すかが1つの問いだし、あれだけ全面的に展開している極端なパフォーマンスが存在するということも知っておきたい、見せておきたいというのが、今回の「タイムクレヴァス」にニッチュが入っている理由ですね。

熊切:今回の横浜トリエンナーレでニッチュのパフォーマンスが紹介され、これからもこうした国際展で新しいことが出来るようになると思うんですけれども、こうしたトリエンナーレの刺激によって日本の美術界は、今後、より自由な試みが出来るようになったり、新たな展開があるえると思われますか?

水沢:いろんな表現の広がりがあることを伝える方法は、勿論美術ジャーナリストだったり、研究者がいたり、展覧会があったり、様々な形で情報は提供されているし、ましてやインターネットなどによって現代美術の表現の多様性はかなり開かれて知られているようになってきたと思う。だから横浜トリエンナーレのような大規模展によってそうした事がみんなに知らしめられる、そしてそれが大きな影響を与えるというのは、美術の情報がとても限られていた1970年くらいまでのことでしょう。当時は美術を勉強する人間がニューヨークやヨーロッパに行くこと自体、例外的なことであり、美術界の一部の人達は知っていても、それ自体がすごく狭い情報で、例えばオノ・ヨーコが1960年代ニューヨークにいることを知っていた人が非常に限られていたとかね。でも今や学生のレベルでも勉強しに簡単に海外に行くし、短期滞在のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムもあるし、皆自由に動いていると言ってもいいよね。その意味で情報を提供する手段としての大国際展というのはあまり意味がなくなったかな。本来トリエンナーレやビエンナーレは本物をみせてあげるとか情報を提供するとか、意図があった訳だけれども、そうした使命は終わっている気がする。美術雑誌のような媒体自体され、最早無くなくなりつつあるし、いろんなブロガー達が今ロンドンではこうだああだと書いてくれる訳で、ネット情報の方が紙媒体よりビビットで早い。間違いも沢山あるけれども、コミュニケーションが成立し始めているから、様相はすごく変わったと思うよね。そうした意味でトリエンナーレが、何か大きな影響を情報提供の場として与えて、あるいは表現の可能性を伝える一種のショーケースのようなものとしての役割があるかというと、もうそうでもない気がする。ヨーロッパだと、例えば「アートバーゼル」のような作品を売るための巨大なアートフェアの方が、情報提供という点でももっと早いし、未知数のものも沢山入っている。そうした点ではアートフェアの方に今言ったような情報提供の役割は移ってしまったのではないかな。そうした意味で国際展の目的が、この十数年ぐらいで根本的に変わり始め、それぞれの地域のコミュニティのために開催するみたいな性格がより強くなって、そちらへと大きく方向が変わったような気がするね。

ハンネ・ダルボーフェン
《24の歌 作品14,15 a,b曲》1984

シルパ・グプタ 
《見ざる、聞かざる、言わざる》2008年

ケリス・ウィン・エヴァンス
《あ・ら・わ・れ》2008年

03―10年後に日本の美術館というのはどういう風に変わって行くべきなのか。

熊切:次にビエンナーレから美術館の話になります。90年代に新しい美術館がどんどん建った後で、日本の美術館もめまぐるしく進歩しているとは思うんですけれども、10年後に日本の美術館はどういう風に変わって行くべきだと思いますか?

水沢:美術館、つまり近代美術館、現代美術館というのは非常に歴史的な使命を持って生まれたわけだよね。まずニューヨークの近代美術館が創設され、次にパリの国立と市立美術館が誕生し、近代美術館という名前が付いているものに限れば次に鎌倉の神奈川県立近代美術館ができた。その間、近代美術館という名称が付いていても実はかまわないような美術館が他にもいくつかできているけれど。近代美術、近代、モダンが生まれた頃は、まさに現代という意味もあったわけで、最先端の同時代の芸術表現を伝えて、その価値を広めてサポートしていくというミッションが強くあったわけだ。  近代美術館や現代美術館にはこうした強烈的なミッションがあったと思うのだけど、それが次第にその方向性を失い始めた感じがする。その理由は簡単で、戦前はアメリカとパリに例外的にあったけど、多くの現代美術館、近代美術館が各国で戦後に設立され、ドイツの美術館も実質的に現代美術館が戦前からかなりあり、人間社会の位置付として、無理解にさらされていた、そうした美術を守って、育てて行かないと行けないという役割が課せられていた。  例えば、マルセル・デュシャンの作品とか、ブランクーシの抽象彫刻とか、そんなものまったく分からんという人間の方が圧倒的に当時は多かった。美術好きと言われている人たちの中にさえもね。20世紀初めころは、美術愛好家と言われている人たちの間でさえ、ゴッホの絵なんて全くどこがいいか分からないという人間の方が圧倒的に多かった。ゴッホはまともな美術教育も受けなかったし、下手くそな絵描きだけども、絵は上手い下手ではなく、優れたものは上手い下手だけでは決められないということを、つまりゴッホの作品が優れているということを証明したり、はっきり主張しないとゴッホの絵一枚を買うことも飾ることもできなかった時代だったわけですね。だからこれこそ優れた価値だという方向性を見せないといけない。それで大事な文化施設として近代、現代美術の美術館という制度ができたわけ。もちろんこれには反対する人間も山のようにいた。例えばブレーメンのKunsthalle(クンストハレ)がゴッホを買うと言った時には大反対運動が起きた。税金使ってあんな下手くそな素人絵描きの絵を買うよりも、地元のブレーメンの絵描きさんを買ってくれた方がいい、自分たちの仲間にちゃんとお金が戻って来るのがいいとみな考えたわけです。でも段々、ゴッホは優れているし、セザンヌは素晴らしい、またこうしたものに影響を受けて日本に生まれた岸田劉生や萬鉄五郎も素晴らしい、というように価値を膨らましながら、支えながら、道筋を作って行く大事な砦のようなものが美術館だった。要するに反対勢力が猛烈的にあったから、成立したともいえる。でも、こうした反対勢力が次第に強くなくなってくる。  昔は大学で実技を教えている美術の先生が一番偉い美術の先生だったりした。例えば日本で言えば黒田清輝が一番偉い人で、その弟子の藤島武二が次に偉い人で、その下にまたいろんな先生がいて、先生が認めないものは美術とは言えません、というな価値観が成立していた。でも今、平山郁夫の作品を現代の最重要の美術であると思う人はほとんどいない、勿論全くいないとは言えないけど、平山郁夫の世界は、現代の、と限定されるべき美術の世界の中では実に僅かなものでしかない。美術はもっと広くていろいろあって、本来はもっと偉くあってほしいものが弱体化しちゃった。だから平山郁夫がいいと言う人もたくさんいるけれど、心底馬鹿にする人間もたくさんいても構わないという風になったわけだ。昔はそうじゃなかった。平山郁夫さんのような芸大の学長といった立場にあった人は絶対に優れてるといった、かなり強固な価値観が成立していた。でも今は全然そんな風な空気ではないわけだよね。  つまり、マイノリティだったアバンギャルドとか前衛とかモダニズムが、ある意味受け入れられて、価値の多様性の中の一つとしておのずと浮上してきていて、それをあえて守ってあげる必要性がなくなってきたというのが今の現状。そうすると、それを守るとうたって誕生してきた美術館は方向性を見失い迷子になるという状態になりつつある。だから意固地にものにこだわっていると窮屈になってきて、それでは運営が成り立たないとかいう論理が成立しちゃったりするわけだね。そうすると、お客さんが来るからスタジオジブリをやろうとかという話にもなる。20年前にスタジオジブリを美術館でやるなんて言ったら、猛烈に怒る人間がいたわけだけど、もう怒る人間もいなくなってきた。だから、ある意味、何の効力もなくなっちゃったわけ。要するに、価値の緊張感がないと守るとか守らないとか議論すること自体が無意味になって、どうでもよくなる。そうした時代に入っているのは確実で、どうでもよくなると本当にどれが優れたものなのかが多くのひとにわからなくなる。でも、その時に価値の序列を無理矢理に作る必要もないと言えばそうなるのかもしれない。でも美術館がまだ存在している以上、美術館が美術館として機能しきれるかどうか、今すごく問われている時期に来ている。だから10年後に美術館が本当に美術館として生き残っているかどうかは、分からないですね。ある種のイベント会場のように美術館はなりつつあるわけだから、そうなるといい点、悪い点の両方がある。美術館という制度自体、ヨーロッパ発のものなので、ヨーロッパの価値観にかなり縛られていて、ヨーロッパが文化の中心であるみたいな価値観とどこかで結びついている。でもそれも最早だんだんなくなってきた。僕が十代の頃には、アメリカ文化って言うとかなり下らない、軽薄でつまらないもので、ヨーロッパにこそ重厚な文化があると思っていたけど、もうそんな感覚もなくなったような気がする。ヨーロッパもたとえばベニスに行くとツーリズム中心で、観光資源として文化財を扱っている。もちろんまじめに保存し、研究する人もいるのだけど、全体的な空気の問題では、完全な観光資源としてベニスは使われていて、そうするとそこで暮らしている人の息遣いとかはあんまり感じられない。ヨーロッパの方がアメリカ以上に軽薄な感じさえ、このごろ僕にはします。やっぱりアメリカ資本が入ってきて、アメリカ化する。世界の車が、みるみるうちに重厚さと存在感を失ったのは日本車が世界を席捲したからで、日本の車はまるで記号みたいなものだから、AというパターンをつくったのにAそのものは守らないで、すぐに小さなデザインのし直しをして、Aダッシュになって、Aトゥーダッシュになり、どんどん細かく変わっていった。オリジナルのデザインに対するこだわりって言うか、アイデンティティって言うか、同一性を保持しようというこだわりはもう無い。少なくとも20世紀前半のデザイナーたちは、今だってもちろん情熱とか努力はあるわけだけども、全体のあり方として、何か異常に執着したデザインのあり方があったのに、全てが記号化して交換可能になったために、それがなくなってしまった。世界文化はアメリカ化したと同時に日本化したのかもしれない。そうするとどこが一番重要なことが起こってる中心の場所であるかみたいな発想はなくなる。経済的に元気な場所がどこかみたいなことばかりが今問われる。だから中国になったりインドになったりするわけだけど、それはこれまで言ったように、文化の中のある種の緊張といった形での図式ではないから、むしろアートフェア的と言うのか、ここに元気なアーティストがいて元気な作品が生まれていて流通して買う人間もいて、とにかく盛り上がってますよ、という風に、アートフェア的な状況が世界を席捲していると言ってもいいのじゃないかな。全てが商取引的な論理になってくる。以前から、国際展もアートフェア的な役目をしていた。これこそ新しいトレンドで面白いですよと紹介すれば、曖昧だけれど、商取引と結びつくし、画廊が押し出したいアーティストを国際展に持ち込んで話題を作れば、そのアーティストの値段が上がり、その作家の作品が欲しいとなる。国際展で発表しているような大きな作品ではなく、小さいのはコレクターも欲しがるというような構造をこれまでずっと作ってきたわけだ。でもそれは国際展の本来のアートから言うと邪道で、それは本来アートフェアがやるべき事だった。そして次第に、役割が分かれて、アートフェア的なものはアートフェアとして成立すると、アートフェア的機能を持つ必要がなくなった国際展や美術展、美術館は取り残されて、これからどうやって成立すればいいのかという問題が、この10年くらい、すごく問われる時期に来た。つまり美術館は今ひとつのミッションをやり終えようとしていて、次のミッションをまだ見つけられないでいるというのが世界中の美術館の傾向なんじゃないかな。ミッションがないのでビジネスミッションに切り替える方法も見えてきた。ルーブルにしてもグッゲンハイムにしても、ツーリズムを刺激して、街の活性化につなげるといった理由づけが始まる。そして美術館のブランド化が起きて、ブランド化した美術館が世界中にあちこちに散らばり始めたのが現状だと思う。ルーブルは中近東でアネックスを作るかもしれないけれども、でもやっぱり変だ、本来の美術館のミッションではないということも皆気付いてはいると思う。文化がすごく流動化してしまうことがいいことであると、そのポジティブな部分をどうやって捉える装置として美術館が機能し、それがまた国際展みたいなもの、つまりきちんとしたキュレーションをする場所で、伝えられるか。アートフェアだったら実はキュレーションはいらない。要するに有名で元気で売れそうな、話題になりそうな人を探せばいいわけだから、「マーケット論理」ですね。それだったら、実はキュレーターはいらないのです。むしろそれは目先の効く優れたギャラリストがやるべきです。キュレ−ションというのは別にそんな意味ではマーケット的な価値のために働いているわけではなく、表現の基本的な問題が何なのかを問い詰めていくのがキュレーションの仕事。だから逆に、それがここ数年ではっきりしたから、アートマーケット的なものとは切り離された美術館、それとは完全に切り離された国際展という部分へとシフトしていくことができる。それではそのとき何が本来の、今終わろうとしているミッションの次に来るミッションなのかを、 正確に見定めて仕事のできるキュレーターが生まれる必要が出てきたのではないかなと思う。

(文字起こし:パクジュン)