イントロダクション
九州出身の学生たちにとって、福岡アジア美術館は憧れの的だ。憧れはもちろん全国区だし、アジアブームというだけではない。現代美術畑で仕事をしたいと考えている学生にとって、アジ美はめざす輝ける関門のひとつなのだ。
福岡トリエンナーレという国際展を3年ごとに開催しているので、たとえ東京にいても見にいく機会につながり、実際に訪ねて見たら当然アジ美の底力を実感できる。活動全体を支える本質的なコンセプト、つまり欧米一辺倒ではない独自な価値観を模索し構築している新たなタイプの美術館だということが、手にとるようにわかるのだ。
グローバリズムのただなかでアイデンティティを探している若者たちにとって、アジ美の実践は、とても心強い。日本における美術館のありかたに少なからず思い悩んだことのあるミュゼオロジー(博物館学)の学徒なら、長い時間をかけて生まれ育ってきたアジ美の歴史は、日本のこれまでの美術館概念の変容を象徴する重要な出来事であることを認識できる
福岡市美術館の創設時から学芸員だった後小路雅弘さんが、体験談として語ってくださった興味深いアジ美誕生までの歴史は、学芸員の意識の変化と成熟が展覧会のオーガナイズを可能にし、ひいては新たな美術館像までも生成させるという、まさにミュゼオロジーの教義の縮図になっている。とはいえ、現実にはそうした経緯で実現に至る美術館はめったになく、アジ美はその意味でも貴重な実践の結晶といえる。
だいぶ昔、まだ福岡市美術館しかなかった時代に、花火や火薬を使う作家として今や国際的なスターダムに名を連ねる中国の蔡國強の作品を福岡に見に行ったことがある。たまたま雑誌の連載のテーマにとりあげるためで、後小路さんとともに後にアジ美創設にかかわった黒田雷児さんという、名前からして元気で個性的な学芸員の方が蔡國強を紹介してくださった。黒田さんはそれからしばらくして、ヨーロッパ在住のアジアのアーティストたちを研究するためにパリに滞在した。そのときはフレンチコネクションとも形容したくなる在仏の中国作家たちの濃密なネットワークの存在を教えてくれた。
後小路さんも黒田さんも、足が地についた地道で多角的な調査研究を続けていて、同じ研究者として、いつも大きな励みと刺激をいただく。長い間の地味だが堅実な努力の積み重ねが、アジアの豊かな多様性にわけいることを可能にしたに違いない。だが、彼らが道しるべをつけてくれた道は、今でもけっして薔薇色の小道ではない。
アジアというかけがいのない基盤を見出すことで、日本の位置を客観視できる確固とした視線の構築を行ったこと、それによって、芸術と文化の独自の価値観を創りあげたことは、言葉で表現することができないほどに貴重だ。とかく、あいまいなままに現状維持をするにまかせてしまいがちな日本という国において、新たな価値観の構築がどれほど困難で稀少であるか。それを身にしみて知っている人はまだまだとても少ない。
そうした意味でも、すぐれた館長や学芸員の方々の惜しみない情熱と尽力とともに、福岡市の功績を称えたい。芸術と文化の評価は、価値観の構築という血のにじむ実践なくしてはありえず、今後そうした真の評価ができる人が増えることこそ、日本の文化の成熟度を示す指数となることも力説しておこう。
岡部あおみ