講義 企業メセナ協議会(荻原康子氏講義)
荻原康子×岡部あおみ
日時:2009年10月26日
場所:武蔵野美術大学
岡部あおみ:荻原さんは武蔵野美術大学・油絵学科の卒業生です。キュレーター・オフィスで展覧会の企画もなさった後に、企業メセナ協議会に勤められました。「アサヒ・アート・フェスティバル」の仕事にも関わっています。
01 はじめに/「メセナ」という言葉について
荻原康子:今日は企業メセナ協議会が何をやっているのか、現在の企業メセナがどんな動向にあるのか、それからアサヒビールのメセナプログラムについてお話をさせていただきたいと思います。「メセナ」は、芸術文化支援を意味するフランス語で、もともと個人の名前からきています。古代ローマの初代皇帝アウグストゥスに仕えた高官、マエケナス(Maecenas)が文芸作家などを手厚く擁護したことから、「マエケナス」が転じて後にフランス語で芸術文化支援を意味する「メセナ」という言葉になりました。
この言葉が日本に持ち込まれたのが、ちょうど私たちの協議会ができるときで、かれこれ20年くらい前になります。実は「芸術文化支援」については、アメリカやイギリスでは「スポンサーシップ」、フランスでは「パトロネージュ」という言葉を用いています。ですが日本では、スポンサーというと企業の広告宣伝の一環としてテレビ番組などを提供する場合に使われますし、パトロンというとお金持ちのおじさんが若いお姉さんを囲うような意味合いが浸透していました。そこで、企業の宣伝や販売促進がまずありきの文化との関わり方ではなくて、「社会貢献の一環としての芸術文化支援」を促進したいという考えがあって、耳新しいメセナという言葉を使うようになりました。なので本来は当然、個人のメセナもあれば、国のメセナもあるわけです。ただし日本においては、私ども協議会ができるときに、この言葉を持ち込みましたので、現在「メセナ」というと、企業による芸術文化支援の意味で定着してきたところがあります。
02 個人実業家がリードした日本の文化支援
企業によるメセナ活動は20年前から始まったわけではありません。戦前から個人実業家が積極的に芸術文化を支援していました。松坂屋は、現在の東京フィルハーモニー管弦楽団のもとになった音楽隊をつくりましたし、宝塚歌劇団は阪急電鉄オーナーの小林一三さんが宝塚唱歌隊をつくったところから始まります。日本で最初の美術館と言われている大倉集庫館は大倉喜八郎さんが個人的に集めた美術作品を公開したことから始まっていますし、倉敷の大原美術館も大原孫三郎さんの個人コレクションです。また、若手作家の支援の場として現在もずっと続いています資生堂ギャラリーも、初代社長の福原信三さんが志あって始めたものです。
初の公立美術館は神奈川県立近代美術館ですね。これが1951年の開館ですが、その翌年にはブリヂストン美術館ができています。ブリヂストン美術館をつくった石橋正二郎さんは東京国立近代美術館の建物をつくり、国に寄贈しました。1966年には国立劇場ができ、文化庁ができたのは1968年です。こう見てくると、民間が国の文化政策に先駆けて日本の文化振興を牽引してきたことがわかります。
03 CIブーム、冠協賛の時代
戦後、テレビやラジオといった民間放送が盛んになると、企業は音楽番組を提供するなどスポンサーシップのかたちで文化と関るようにもなってきます。
さらに80年代に入ると「CIブーム」が起きます。これは「Corporate Identity」の略で、企業名を変えたりロゴをつくったり、コーポレートカラーを統一したりして、企業の理念や独自性を明らかにしていくというものです。このころの日本は経済的にも豊かで、企業イメージを高めるためにいろいろな企業が文化事業に参加していきました。企業の名前が頭に付く「冠協賛」というコンサートや展覧会があり、80年代半ばには、海外からオペラを呼んできたり、印象派の絵画作品を日本企業が買ったことも話題になりました。すごく華やかな文化事業が持ち込まれたわけですが、儲かった日本企業が、悪く言えば金にあかせて西洋の美術作品を買ったというように、あまりいいイメージを持って迎え入れられなかったところがありました。
04 企業メセナ協議会の立ち上げ
その反省から、もっと長い目でみて日本の文化振興に役立つことをやっていこうと、志ある企業人たちがメセナ運動を立ち上げたわけです。1988年に、第3回日仏文化サミット「文化と企業」が京都でおこなわれ、その時のテーマは「文化と企業」でした。実は企業の連合体によって芸術文化支援を推進しようとしているのは日本だけではなく、アメリカでは1967年にBCA(Business Committee for the Arts)ができています。同じようにイギリスでも76年に「ABSA」(Association for Business Sponsorship of the Arts)ができ、いまはArts & Businessと名前が変わっています。それと、フランスでも1979年に商工業メセナ推進協議会・ADMICALができるというように、特に欧米各国で企業による芸術文化支援を活発にしようという動きは早くからあったのです。
日本は個人実業家がすごく活躍していたのですが、横の連携がなかった。それが88年の日仏文化サミットのとき、フランスのADMICAL会長のジャック・リゴーさんが話をされて、大勢の前で「日本はメセナ大国である」とおっしゃったんですね。当然、文化振興については日本のずっと先をいっていると思っていたフランスの方に、「いやいや、日本の企業はものすごく芸術文化支援を頑張っていますよね」と言われてびっくりしたわけです。そこで日本でもネットワーク組織をつくってはどうかというご提案をいただき、2年後の1990年に企業メセナ協議会は設立します。
この1990年というのは節目の年でして、官民ともに芸術文化支援、社会貢献の意識がものすごく高まってきたときです。例えば、国が500億、民間が100億を拠出した芸術文化振興基金が1990年にできています。また、経済団体連合会にも経常利益の1%を社会貢献にあてる「1%クラブ」ができました。「企業市民」と言って、企業は社会を構成する一員として利益を社会に還元していくことを考えようという気運になっていたと思います。そうしたなかで「メセナ」は、短期的な販売促進や広告宣伝というような企業のメリットにすぐにつながることを期待するものではない、「見返りを求めない文化支援」と言われました。
05 メセナの目的と意義
広告宣伝、販促を目的とした文化事業とメセナは何が違うのか。例えば冠協賛的なものは販売促進であったり、企業の宣伝であったりするわけです。一方で、メセナは社会貢献でありますし、企業自身も文化的になってゆくところもあります。では、それぞれに関わる予算はどうかというと、やっぱり広告宣伝にかけられる予算の方が大きいですね。メセナ活動費についてはそれと比べると、それほど大きなお金が出されているわけではないなぁという感じです。
ただひとつ、メセナという概念が持ち込まれたことによって大きく変化したと思うこともあります。それまでは芸術を消費していたと思うんですね。例えばオペラだとか、すでに評価の定まった音楽をコンサートホールで聞くだとか、あるいは展覧会を美術館で観るとか。「消費・生産・流通」というサイクルで言うと、消費していくタイプだったと思うのです。それが、より芸術の創造や育成など「生産」のところに目を向けようとなってきたのが、メセナという言葉が定着してきた中で、とても大きな観点の変化だったのではないかと思います。
また企業にとってメセナは、より経営的な意義を見出す方向になってきています。短期的な経済的リターンはなくても、地域社会の一員として信頼される企業を目指すとか、長期的かつ間接的なメリットは当然求めてもいい。もはや企業は、税金を納めているから社会的なことは国にやってもらえばいいという時代ではなく、企業それぞれが社会に対して何ができるかを消費者やお客様から問われる時代になってきています。その中で、文化支援をしたならきちんと説明をしていく必要性もある。これをアカウンタビリティー(説明責任)といいますが、顧客、株主、取引先あるいは社員も含めた幅広いステークホルダー(利害関係者)に対して情報公開していくというようになってきています。
06 協議会の組織と事業
現在の協議会の組織ですが、民間企業137社が正会員になっています。それから芸術文化関連団体やNPO、教育機関、行政の文化振興担当部署が準会員として39団体入っていて、会員の皆さんからいただいく年会費をもとに事業を進めております。事務局は事務局長以下9人で運営しており、事務局長は資生堂からの出向ですが、そのほかは全員プロパーの職員です。あとは、メセナにご関心のある学生インターンの方や、アルバイトの方にもいろいろとお手伝いいただいています。
主な事業は6つあります。1つめはメセナの啓発・普及です。メセナに関するセミナーやシンポジウムをおこなったり、こうしてお呼びいただいて話をさせていただくこともそのうちの一です。2つめは調査・研究です。「メセナ活動実態調査」を毎年やっておりまして、日本の企業がどんなメセナをやっているのか、アンケート調査をしています。日本では唯一、民間の文化支援に関する統計データとして公的機関等でもお使いいただいています。3つめが「メセナアワード」という顕彰事業をやっています。毎年、優れたメセナ活動をおこなった企業を表彰して、社会に周知してご理解いただくということをやっています。
そして4つめに情報集配。調査や顕彰事業を通じて集まってきた企業のメセナ情報を広くお伝えしていくために「メセナリポート」を発行し、オンラインのデータベース「メセナビ」で公開しています。皆さんが卒業されてからアート関係のお仕事をして企業協賛を集めることもあるかもしれませんが、「メセナビ」ではどの企業がどんなジャンルに対してどんなメセナ活動をやったのかが、検索できるようになっています。それから、機関誌の「メセナノート」。これは毎回特集を組んでいます。また、事務所のライブラリーには企業のいろいろなメセナ情報があります。企業メセナの本当に生なデータや、あるいはNPO、フィランソロピー、社会貢献、CSR(Corporate Social Responsibility)と、幅広く文化振興に関連する書籍や報告書がありますし、新聞記事も保管していて活用いただくことができます。5つめに国際交流として、海外の同じようなメセナ組織同士での情報交換や、年に一回は集まって国際ネットワーク会議もやっております。
そして6つめが助成です。助成というと助成金を出して芸術団体を直接支援すると思われる方が大変多いのですが、そうではありません。企業や個人からの芸術文化活動に対する寄付を、側面的に促す制度です。よく日本は寄付文化がないと言われますが、民間の芸術文化活動に対する寄付があまり進まない。その原因のひとつは寄付金に対する税制優遇が少ないからではないかと、協議会ができた当初から私たちは関係省庁に働きかけました。その結果、特定公益増進法人という資格を企業メセナ協議会が持ちました。
特定公益増進法人とは、社会福祉や教育、科学、文化など公益の増進に寄与する団体に与えられるものですが、この「特増」に対して企業や個人が寄付をした場合は税金が免除される仕組みを使います。芸術団体が協議会にプロジェクトの申請をして、認定されたものについては協議会を通して寄付金の授受ができます。税制面での優遇資格を持つ企業メセナ協議会が真ん中に入ることによって、多くの企業や個人からの芸術活動への寄付がしやすくなる。いまは年間でおよそ10億円の寄付金がこの仕組みを通じて芸術活動に出されています。
「メセナアワード2009」贈呈式
大阪・天神橋筋商店連合会では多くの個人・企業からの寄付を募り、落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」を開設。メセナアワード2009で「千客万来賞」を受賞した
07 メセナ定着のバロメーター
次に全体的な企業メセナの状況についてお話をさせていただきたいと思います。
「メセナ活動実態調査」で毎年春に約4400の企業にアンケートを送っています。前年度にメセナをやりましたか、やりませんでしたか、というところから始まって、どんな対象にどんな方法でメセナをしているかなどを尋ね、その結果を集計して秋に発表します。有効回答率は例年15%ほどですが、今年の調査では回答企業の73%にあたる464社が2008年にメセナをおこなったと答えています。
私たちはメセナが企業に定着したかどうかを見るうえで、3つのバロメーターを設けています。1つは基本方針です。メセナをやる上で基本方針を設けているかどうか。2つめが予算化です。年度の初めにメセナのためのお金をきちんととっているか。そして3つめは担当部署。ちゃんと担当者がいるかどうかですね。
この3つが揃っていれば、その企業はかなりメセナにしっかりと取り組んでいらっしゃるなぁと考えます。主な集計結果をみると、だいたい半分以上の企業が基本方針を持っていますね。そして予算化が今年は8割を超えています。それから担当部署についてですが、広報関連の部署、総務関連の部署、もしくは文化社会貢献の専任部署でやっていますとお答えいただいています。
調査関連のラウンドテーブル「メセナの成果をどう測るか?」
08 さまざまなメセナの方法
メセナの対象になっている分野としては、音楽と美術が圧倒的に多くて、ずっとこの2分野が抜きん出ています。企業もテレビやラジオの音楽番組に協賛したり、コマーシャルソングを作ったりというようなつながりもあるでしょうし、そもそも初等教育の段階から音楽と美術は多くの人にとって身近なものだということもあるかと思います。この2つに続いて、伝統芸能、演劇、ダンスとなっています。
メセナの方法ですが、皆さんだいたい「メセナ=資金支援」と捉えていらっしゃるかと思います。確かに資金支援は最も多いですが、日本のメセナで特徴的なのは文化施設を企業が持っているところです。先ほども国の文化施設に先駆けて、民間が美術館やホールを設けてきた例をご紹介しましたが、文化施設を持っていれば当然ながら、文化事業を企画し主催しますね。それからコンクールなどの顕彰事業も多く取り組んでいます。例えば若手の音楽家や美術家の登竜門となるようなコンクールですとか、あるいは一般の方々が参加しやすい童話コンテストとか絵画コンクールのようなものもあります。また企業が基金を出して財団をつくっている場合は、文化施設を運営したり自らが文化事業を手掛ける事業型財団と、アーティストや文化団体に助成金を出す助成財団もあります。
企業の経営資源はヒト・モノ・カネと言いますが、そのうちカネによるメセナが資金支援ですね。お金以外の経営資源、マンパワーとか、独自の技術やノウハウですとか、製品や場所などの提供は非資金支援と言っています。例えばコンサートの会場整理や切符のもぎりを社員が手伝うとか、会社や銀行のロビーでミニコンサートをしたり、地元の方に展覧会の場として提供するとか、展覧会のオープニングパーティーにビールを提供する、とかの方法です。あるいは創造活動を支援する例もあります。トヨタ自動車は小石川の本社の地下3階に、社員の福利厚生施設としての体育館を持っていますが、昼間は社員は仕事しているから空いているわけです。トヨタはもともとダンスを支援していて、メセナの担当者も東京では特に稽古場が足りないことをよく聞いていたので、稽古場として提供しましょう、なんてこともあります。こういったお金以外の経営資源を活かすメセナというのは、各社の独自性が発揮されるところですね。
09 高まる企業への期待
では、なぜ企業はメセナをするのか、というそもそものところにもう一度立ち戻ってみます。
調査結果から見てみると、メセナをおこなう目的で1番多いのはやはり「社会貢献の一環として」が挙がってきています。2つめに地域社会の芸術文化振興のため。これはここ数年非常に多くなってきていますね。メセナ活動で重視した点としては、少し前までは芸術文化の啓発普及が1番多かったのですが、地域文化の振興が最も多くなりました。その次に増えているのが青少年の芸術文化教育。次世代育成に芸術文化が果たしうる役割に注目してメセナ活動に取り組む企業が増えてきています。
「企業市民」という考え方では、企業も社会を構成する市民の一員としての自覚を持って、利益の一部を社会に還元し、調和ある社会の発展に寄与すると言われました。それが数年前からCSR(企業の社会的責任)が浸透してきました。企業が活動することで社会に与える影響力はやっぱり大きいわけですね。CSRでも、法令順守など企業として絶対に果たさなくてはいけない、基本的に守らなくてはいけないところをゼロだとすると、社会貢献やメセナは、プラスに働くCSRといわれております。社会に対して能動的に何ができるのかを考えたときに、社会貢献や文化支援は非常に重要な活動として認識されてくるわけです。社会が抱える課題が多様化する中で、いまとなっては環境への取り組みは必須です。それに加えて、少子高齢化に対して何ができるのかとか、そこで創業し育てられた地域社会にどう貢献できるかとか、街づくり、青少年育成、福祉、教育などありとあらゆる社会課題に対して企業に何ができるかが、いろいろな方面から期待もされています。
10 メセナを通じた地域とのつながり
企業にとって「地域」というと、創業の地があれば、支社や工場などの社有施設がある地域のように自らが所属するダイレクトな地域社会がまずあります。あるいはメーカーですと、ビールを飲んだり、化粧品を使ったり、車を買ったりというように、製品が流通している全国各地にお客様がいる。そこで、最近は地域間格差とかが課題になっている中で、地域の活性化に対して何ができるのかを考えています。マーケティングの一環としても、例えばアサヒビールさんは全国でスーパードライを飲んでいただいていますから、ビール一缶あたり一円を地域の環境や文化財の保護活動に寄付する、というキャンペーンをやったりもしています。
地域貢献としては、もともと企業は地元のお祭りへの寄付とかは本当に昔からやっているわけです。そういったことから始まって、伝統芸能の保存や伝統工芸の継承、あるいは地元ゆかりの芸術家や文化活動への支援に取り組む企業が多くあります。メセナというとどうしても大企業中心、東京中心と思われがちですが実はそうではないんですね。
メセナアワードでも、中小企業や商店街が連携するような例も含めて、地元企業が地域固有の文化資源に目をむけたユニークな活動で受賞していますし、地域密着のメセナ活動が広がっています。業種別に見てみると、まず、その地域に根差して商売してこられた企業の取り組みがあります。酒造りやお菓子屋さん、旅館といったところは古くからその地域の旦那衆で、地域の文化を支えてきた方々だったりします。あとは、地銀や信金といった金融機関や、電気やガス、鉄道というように公共的な事業を担っている企業はやっぱり地域振興に対する関心が非常に高いです。
11 メセナ活動で企業が得ること
メセナ活動実態調査で「メセナ活動を通じて企業が得たことは何だと思いますか」という質問をしたところ、「地域との関係がより深まった」が1番に挙げられています。続いて企業イメージやブランド価値が向上した、自社について広く知られるようになった、との回答が挙がっています。あわせて考えてみると、メセナ活動を通じて地域に知られ、信頼されるようになった、というように企業にとってもプラスなことがあるわけです。
それとともに、メセナ活動を通じて多様な価値観を企業の中にもたらすことがあるかと思います。企業とは大きければ大きいほど、企業の中ですべてが完結してしまうような構造になりがちです。それが社会貢献やメセナに取り組むと、本来事業とは別の社会との接点ができてきますので、社会から自分の企業がどう見られ、どんな期待をされているのかがよくわかってきます。
さらに芸術文化というのは、時代の先を読む感性に敏感なところがありますから、そういったところと関わることで企業の創造力が高まるということもあります。いまや大量生産・大量消費の時代は終わりました。これからの社会や消費者に求められる製品・サービスは何かというと、他にはない付加価値の高いものなわけです。そうした魅力ある製品やサービスを生み出すには、企業の中にも創造力がなくてはなりません。投資家の中には、次の企業の競争力はクリエイティビティだと注目している人もいます。
12 「複合型メセナ」とNPOとのパートナーシップ
さて、では企業メセナと公的助成の違いを少し考えてみましょう。公的助成というのは税金を使うわけですから、あらゆるところに目配せをして公平性を担保しなきゃいけない。でも企業であれば、自社の方針に沿ってやれることが強みです。他社が目を向けていない分野とか対象についても、その会社の方針に沿っていればいい、要は「選択と集中」ができるわけです。あるいは、お金以外の資源を活かした非資金メセナの充実もあると思います。
それと芸術文化を通じて他の領域にどんどん拡大している感じがあります。企業は芸術文化支援をするときに、あるプロジェクトを実現するだけではなく、それがひいては社会の何に役立ち、どれだけいい社会をつくることに繋がるかも考えます。芸術文化の持つ力が地域活性や福祉、教育といった面で役立つと考えて、他の社会貢献と結びつけるメセナプログラムが最近増えてきたように感じていて、私たちは「複合型メセナ」と呼んで注目しています。
こうした「複合型メセナ」でもそうですが、企業がメセナをするときのパートナーが多元化してきました。企業は支援する側、アーティストは支援を受ける側という構造じゃなく、一緒にやっていこうというパートナーシップの関係が築かれています。特に注目しているのはNPOの存在で、90年代半ば以降、アートNPOや市民プロデューサーといった方々の活躍が目立つようになりました。企業もメセナを推進する上で、市民プロデューサーやNPOと志を同じくし、活動に取り組むようになっています。メセナ活動実態調査でも「パートナーシップによるメセナ活動」について調べていますが、パートナーを組んだ相手としては「芸術の専門家」が最も多く、その中でも「NPO法人を含む」と回答した企業は22.5%となっています。
13 アサヒビールのメセナプログラム
その顕著な例として、アサヒビールのメセナ活動を紹介したいと思います。アサヒビールはメセナの方針として「市民、未来、地域」の3つを挙げています。市民とは市民の主体的な取り組みによること。未来とは未来文化の創造に寄与すること。つまり評価が定まったものというよりも、これからの芸術文化の振興に役立つもの。地域とは地域資源を活かしたもの。この3つをずっとメセナの方針として持っています。
そして「アサヒ・アート・フェスティバル」を2002年にスタートさせます。これはアサヒビールと全国のアートNPOや市民団体がゆるやかに連携して始めたフェスティバルで、夏の約2ヶ月間、各地で行われるアートプロジェクトを応援しています。いろんなアートプロジェクトを公募し、大体25〜30団体ぐらいが選ばれていますが、アサヒビールのメセナの方針にかなうところと一緒にやります。
アサヒ・アート・フェスティバル2008のネットワーク会議に集う全国の参加者
14 地域資源をテーマにした美術展シリーズ
「アサヒ・アート・フェスティバル」の中では主催事業として美術展もやっています。「アサヒ・アート・コラボレーション」といって、2000年から始めたシリーズですが、企業メセナ協議会として企画運営をお手伝いしています。これは協議会の仕事としてはコーディネート事業と呼んでいまして、企業のメセナプログラムを一緒にやるわけですから、アサヒビールにとっては私もパートナーの一員であるかと思います。このシリーズはもう10回目になりますが、ちょっと変っているのがアーティストの個展ではなくて、アサヒビールがある墨田の地域資源にこだわったテーマでやっているところです。
墨田区は伝統工芸の職人が多いところで、2000年は福田美蘭さんが伝統工芸と現代美術のコラボレーションをおこないました。例えば職人さんが作った押絵羽子板の裏に福田さんが絵を描いたり、サングラスのレンズの部分を鼈甲にしてしまうなどといった発想で作品を共同制作しました。
2001年が鳥光桃代さんです。墨田区は町工場も多いので『メイド・イン・すみだ』というタイトルで町工場とのコラボレーションをテーマにしました。鉄くずでインスタレーションをしたり、小さな町工場をリサーチした内容をサウンドインスタレーションで聴かせたりしています。
2002年がリクリット・ティラバーニャです。彼は普通の人の中にある創造性を引き出すことが自分の役割だと言いまして、ギャラリーの中に舞台だけを用意してそこで日替わりでいろんなことをやってくださいと言うわけです。地元の方々に趣味を披露してもらったり、アサヒビールの社員でも手品の得意な方にステージに上がってもらったり、風呂屋の富士山を描いているペンキ職人さんが出てきたり、さまざまなものが日替わりでおこなわれました。アート関係者もアート以外の才能で出てくださいというので、島袋道浩さんはトマトのピクルスを作ったり、社交ダンスが特異なアートディレクターはダンス対決に出てもらいました。リクリットは料理が上手で、タイカレーを作りました。
2003年が『わたしのお宝交換プロジェクト』。皆さんが大切にしているものを集めて、それを山口晃さんはじめ6人のアーティストが、そのお宝にまつわる思い出話を聞きながら作品化していきます。例えば藤原靖子さんは、初めて買ったベースギターを野球のファーストベースにする、という作品をつくりました。
2004年は小山田徹さんです。小山田さんはダムタイプの創始者で京都で活動している方ですが、墨田のまちをテーマにしてくれとお願いしました。そうしたら、地元出身で戦前戦後の玉ノ井を舞台に漫画を描いた漫画家・滝田ゆうさんのファンなので、彼とのコラボレーションしたいということになりました。展覧会場には滝田ゆうの原画を展示して、小山田さんは10人ほどのグループをつくって、滝田ゆうの漫画に登場する界隈を歩き回ってその町が今どうなっているのかをリサーチしました。
2005年が『おみくじプロジェクト』です。これは100人の方から集めた「あなたが気になる言葉」をアーティストの岩井成昭さんが解釈をし、おみくじに仕立てています。近くに浅草寺がありますので、それに絡めて発想したプロジェクトです。おみくじとは大吉で喜んでいると失敗したり、凶だと思って用心していると運がよくなったりと、神様からの言葉をどう本人が解釈するか次第らしいんです。いろんな方からいただいた言葉を、アーティストも含めてさまざまに解釈をしていくというもので、浅草寺から江戸時代の版木も借りて展示しました。
2006年が照屋勇賢さんで、「水」や「ビール」をテーマにしてくださいと無茶なことを言ったので非常に悩まれました。作品はタオルに鯉の滝登りを刺繍したものや、ビールジョッキの中に色の異なる水で山の稜線を表したものなどがあります。ギャラリーのガラス窓にビールの泡の跡のように見立てて白い層が描かれていますが、よく見ると魚から鳥までになっていて、実はビールは酵母という生き物でできていていることを表しています。照屋さんが工場に取材に行ったときに知ってヒントを得た作品です。
2007年は宮永愛子さんで、これは隅田川の水から採った塩の結晶が作品になっています。私たちは普段気にしませんが、宮永さんは隅田川が海につながっていることを可視化させました。吾妻橋の袂から280リットルぐらいの水を汲み、ひたすら煮沸して塩の結晶を糸に絡め、830メートルほどの糸でインスタレーションにしています。また宮永さんはナフタリンでも作品をつくっていて、古い時代のものとの対比で時間の経過をみせる作家です。ロココ時代のドレスやジョルジュ・ルオーの作品を奥に、ナフタリンで作られた作品を手前に展示します。ナフタリンは時間が経つと気化して消えてしまうのですが、それと長い時間を経ても残っているものを一緒に見せています。また、地域の方から頂いた茶碗に釉薬をかけて焼き直し、空気に触れてヒビが入る音を聴く作品もあります。
2008年はアサヒビールが広島に大きな森を持っているので「森」をテーマに、木村崇人さんにお願いしました。ギャラリーを「森さん」の家に見立てて、幾つかの部屋ごとに異なる森の表情を見せています。アサヒの森から切り出してきた木で人工的に整備された美しい森や、野生のままの自然の森、家の押し入れの中にぐちゃぐちゃに木が倒れているのは放置林です。また、森から現代人が受けている恩恵をさまざまなかたちで見せています。
2009年からはシリーズ名を「すみだ川アートプロジェクト」として、アーティストユニットのwah(ワウ)を招きました。wahはいろんな人からアイデアを集め、それを実行します。ここでは300人くらいの方から「隅田川でこんなことができたらいいなと思うものを教えてください」とアイデアをいただきました。隅田川をプールに見立てるアイデアや隅田川の上でゴルフをするアイデアがあり、実際に船の上にゴルフホールを作り1日中川の上を行き来しながらゴルフをしています。これはかなりびっくりされ、双眼鏡を持ち出して見ている人がいたり、ブログにも結構書き込みがあったりしました。また隅田川で釣りをして捕れた食材でどんぶりを作ったり、荒川と隅田川を分けた川分け師という人がいたという架空の語を落語に仕立てて地元の落語家に実演していただきました。江戸時代にあったお風呂がついた「湯船」を再現したいと思って、これは隅田川だと危険すぎたので支流の小名木川、横十間川でやっています。
これらがアサヒビールで私が具体的に関わっているプログラムで、「アサヒ・アート・フェスティバル」の一環としてやっております。
15 金融危機とメセナ
岡部:メセナ活動は、次第に多くの企業が取り組み始めていることはわかりますが、一般に端から見ている場合、具体的にどういう方針で、何のためにおこなわれて、企業メセナがその会社の人たちにどう還元されるのかまではわかりにくいんですね。今、荻原さんに詳しく話していただき、しかもアサヒビールによる「アサヒ・アート・フェスティバル」が地域との関わりでおこなってきた活動についても触れていただけたので皆とてもよくわかったと思います。去年からの金融危機のあおりを受けて、メセナ活動は今後どう維持できるのか、その辺りの状況を教えていただければ。
荻原:私たちが調査でわかっている範囲は2008年度の状況なので、データ上では大きな変化はないです。なぜなら8割の企業がメセナを予算化していて、2008年度の始めに立てた予算は減らずにきていますから、メセナ活動費はそれまでと大差ありません。
でもおそらく2009年から先については、金額面の落ち込みはあるかと思います。ただ全般的に企業はあらゆる活動の経費を絞り込んでいますから、メセナだけが特別ではないと思います。実際に聞こえてくる声としてはやっぱり厳しい。今年の調査でメセナを続ける上での課題を聞くと、経済状況の悪化で見直し・削減の方向にあると答えた企業も多いです。でもそれ以上の課題は、メセナの成果をアピールしにくいことです。社内に向けても、芸術文化支援の優位性を他の活動と比べてなかなか表しにくい。
16 国の動きとメセナ
岡部:現在、民主党政権が樹立したばかりですが、今後の国の政策方針とメセナの動きを企業メセナ協議会としてはどのように考えているのか、荻原さん個人としてはどんな感じをもっているのか、考え方をされているのかにも興味があります。
荻原:企業メセナ協議会はもともと民間が組織した公益法人ですが、たとえば税制の面など民間が文化活動をするうえで阻害するものがある場合は、積極的に働きかけます。特にここ数年、「日本の芸術文化振興について、10の提言」や「ニュー・コンパクト」という緊急提言を出させていただいています。
これは国や自治体の首長、地域創造など文化関連機関にも提案したほか、自民党、民主党などにもアドボカシー活動をおこないました。ちょうど総選挙前に「ニュー・コンパクト」の公開フォーラムをおこなったんですが、そのときに各政党の文化政策について公開質問状を出して比較しました。文化は総論賛成でもやはり優先順位としては低い。
本当に具体的な文化政策を実現しようとしている姿勢があるかというと、どうだろうなと感じがしますし、これからも対話をしてかなきゃいけないと思います。民主党は官僚政治からの脱却といっていますが、先般、政務三役が主催する文化政策会議に呼ばれて税制改正に関するヒアリングを受けました。自民党のときには、文部科学省の担当官との勉強会で意見としてまとめて出されていたものが、その会議には民主党の議員も出席していましたから、開かれた感じはしました。ただいずれにしても、文化庁においては、文化政策に関する専門家がよりよい政策を考え、実行し評価するという仕組みを作ってほしいと思います。
「ニュー・コンパクト」緊急フォーラム(2009/7/29開催)
17 他国と日本のメセナの違い
岡部:レクチャーで、フランスのメセナ組織の方が日本をメセナ大国といったのが協議会発足のきっかけとおっしゃっていましたが、協議会が発足し、企業の文化支援や社会的貢献の方法や姿勢がだいぶ成熟してきたと思うのですが、他国と比べて日本での特徴はどうなってきているのでしょうか?
荻原:フランスは文化振興は国家主導ですよね。日本とはまるで違う、中央集権的な文化政策がとられてきています。でもフランスも近年税制を変えて、民間からの寄付が大きくなってきています。アメリカはもともと市民が国を作ってきたのでそういう意味ではNPOがものすごく大きな社会的存在で、アートの専門家が活躍する土壌もあり、そうしたプロの活動に対し企業や個人は寄付をしていると感じます。
メセナ組織の国際会議では、日本のメセナは、企業が自分たちでやっているところに対する評価が高いんですね。基本的にアメリカもフランスも文化のことは専門家が担っていてそれに対する後押しがありますが、日本は自分たちで文化施設も持ち、メセナも社会貢献も担当部署の人が企画したりと非常にきめ細かくやっている。そこから生まれるプログラムの多様さについては驚かれ、高く評価されています。
18 地域振興における芸術文化活動
岡部:メセナの活動領域が広がってきたということですが、地域イベントも全国的に広がりをみせていて、実際に卒業生なども地域で就職口を探したいと思うケースも増えてきています。それは地域の人々に以前より文化振興や芸術に対する興味や理解が少しずつ浸透してきたと考えてもいいのでしょうか。
荻原:協議会が出した「ニュー・コンパクト」は文化振興による地域活性化策の提案だったんですね。文化への集中投資と市民自治による地域活性を述べています。企業も地域の方も、地域の疲弊や経済的な落ち込みに危機感を抱いています。では地域を元気にするにはどうすればいいか、というときに、地域固有の文化や個性がすごく大切なんだとあらためて注目されている感じがします。
東京のまねをするだけではどこも同じで地域の魅力は出せない。むしろ、地域文化を全面に打ち出し、産業遺構や負の遺産をいかに見直し、文化的に活用するかが課題になっていると思いますし、それに取り組む地域の方々やアートNPOも増え、そのNPOを企業も応援しようとしている感じがします。
19 助成認定制度を受けるためには
岡部:助成認定制度についてですが、認定を受けるための心得や気遣いはどうでしょう?
荻原:助成認定制度で見るのは、その企画の芸術性云々ではなく実現性が大きいですね。ただ、もし助成認定を受けて、さらにその先に企業や個人からお金を集めるためにアプローチをするときは、一般的なビジネスマナーが必要です。ちゃんと企画書を書いて、予算や組織構成など、第三者にいかに客観性を持って伝えられるかが大事です。特にアーティストや関係者の方は専門用語だけでアートプロジェクトを語りがちですが、企業に自分たちの企画をプレゼンテーションするときは相手にわかる言葉で語り、共感を得るような内容にすることに気をつけるべきかと思います。
それから、なぜこの企業に支援してもらいたいかということをちゃんと下調べをしていくことです。下手な鉄砲を打っても当たりませんので、その企業はどんな方針で、どんな対象を支援しているのかとか、相手のことをちゃんと知った上で行く。それと結局は人間対人間ですから、1回ダメと言われたらそれでもう縁がないと思うのではなく、自分たちの活動を1回は見てもらった上で支援を依頼に行こうなど、きめ細かなやり方が大事かと思います。
20 「アサヒ・アート・コラボレーション」の舞台裏
岡部:島袋さんがリクリット・ティラバーニャと一緒にカレーを作るプロジェクトなど、とても面白い活動をされていると思います。地域でこうしたイベントのサポートやアートに興味がある人たちにとってはすごく刺激的でしょうし、作家にとっても直接、地域と関わりをもてるなど経験になるのではないかと思いますが。
荻原:まずテーマありきの企画なので、作家は毎回ものすごく苦労しています。全くテーマに関心のなさそうなアーティストに声をかけることもあるので、皆さんすごく悩まれますね。
岡部:これまで手がけられた企画で1番大変だったのはリクリット・ティラバーニャですか?舞台だけ作って、日々の活動内容はすべて任せるプロジェクトでしたが。
荻原:やっぱりリクリットは大変でしたよ。なにせ本人は舞台作ってカレー作ってさよならですから。ゴジラの映画を撮った監督が地元にいたんですけど、朝6時に電話がかかり、プロジェクター用意しろー!と言うんですね。今日はゴジラの映画を皆に見せるから、とか。ダンスやバンドや、好き勝手やりたい放題ですが、今思うと皆のクリエイティビティを引き出すことが大事だというリクリットの手法は、まさに市民が主体的に関わる「アサヒ・アート・フェスティバル」全体に通底していたなと感じます。
今年の『wah:すみだ川のおもしろい』も、隅田川で実際にゴルフをするとか、大変でしたね。川の上でやるのでいろいろな許可関係とか。そういう制作系の苦労話をしたらきりがありません。
「wah:すみだ川のおもしろい」展で実行されたプロジェクト「川の上でゴルフをする」
21 10年間による意識の変化
岡部:美術展シリーズの参加作家を選ばれるのは、荻原さんとアサヒビール芸術文化財団の加藤種男さんですか?
荻原:最終的に2人で決めることが多いですが、企画によっては他のキュレーターの方のお力も借りています。リクリットは、当時、東京オペラシティアートギャラリーにいらした片岡真実さんの発案ですし、地元にある現代美術製作所にもあれこれお世話になっています。
岡部:10年ほどのスパンで見ると、地域振興を含め、プロジェクトを通した地域との関わりはだいぶ変わってきたのでしょうか?
荻原:地域振興という点でいえば、なかなか難しいところはあります。展覧会はアサヒビール本社隣の墨田区役所1階のギャラリーを利用していて、10回もやってきて定着したとは思いますが。毎度、テーマに沿って一からリサーチをしていくので、その積み重ねで参加者やリピーターの方には知られていると思いますが、これをもって地域振興になったかというとどうかなと思います。ただ、毎回、地域の方にはかなりお手伝いをいただきますし、あれこれやると地域の方も新しい発見になるようです。突然、隅田川でゴルフをしている人たちを見かけたことから、隅田川に少し目を向けてもらえればいいかなくらいの話だと思います。
学生:10年間で少し変わってきたとおっしゃっていましたが、例えば地域の人の関わり方としてそのアーティストがやってくれるものを待っているだけではなく、一緒に作品の展示を手伝ったりだとか、そういうところでの意識の変革はありましたか?
荻原:私の印象としては徐々に受け入れられている一方で、アートかどうかよりも自分がこういうことに関わりたくて、ほっとけなくて手を出してくる人も増えてきたと感じます。またこういった地域資源に目を向けるようなプロジェクトは、小さな空き家を舞台にするとか、もっとコミュニティが小さいところでやると関わる人の濃度も濃く、親密な関係ができると聞いています。もうひとつ、アサヒビールが「アサヒ・アート・フェスティバル」をやって何ができたかというと、それぞれの地域で孤軍奮闘しているアートNPOの横のネットワークができたことが大きいと思います。それまでNPOの方は地域では何をやっているのかわからないと理解が進まなかった面もあるんですね。でも彼らはアートの力で地域に何かできることを信じ、いろんな方の協力を得ながら地道にやってきたわけです。商店街でのアートプロジェクトやNPOの活動を見に行くと近所の方が積極的に関わっていて、これまで「点」でしかなかったものがネットワークとして出てきたなという感じがしますし、それぞれに交流もしているので、そういう意味での基盤づくりにはなっている気がします。
岡部:今日はご多忙のところ本当にありがとうございました。