日時:2000年5月6日 岡部あおみ:オープンしてすぐに来ました。この島の歴史などはいただいた資料で把握しているつもりなんですが、細かいところは分からないので教えていただければと思います。本社はベネッセの岡山のほうですよね。この前、岡山の本社ビルの中で国吉康雄の展示室も拝見しましたが、あの本社ビルで、みなさんいつも仕事なさっているんですか?
秋元雄史:そうです。毎回うちの部署の名前がころころ変わったりするんですが、以前はコーポレートコミュニケーション室で、今年からCSES推進室という名前なんです。その中の直島美術の担当です。
岡部:CSESは、何の略ですか?
秋元:Customer SatisfactionとEmployee Satisfactionの略で、顧客第一主義とか顧客満足、従業員満足ということです。実は直島だけではなくて、全体の部としては、人事制度を考えるとか、ブランドを考えるとか、いくつかの部が統合されている形なんです。
岡部:ベネッセが手掛けているいくつかの仕事のイメージ、内容、人事を統合して考えていく企画部署みたいな所ですか?
秋元:はい。その中で、ブランドを管理する所とか企業の文化活動みたいなものをまとめている一つのセクションがあり、その中の一つが我々の部署です。
岡部:ベネッセはすごく手広くいろんなことをやってらっしゃいますよね。最初は出版が中心だったけれど、今はかなり他のこともなさってますが、ベネッセ本体の活動では何に一番力を入れているんですか?
秋元:進研ゼミという通信教育です。その中では最大手になります。この事業がベネッセの基幹事業というか、一番の稼ぎ頭ですね。
岡部:それはいつ頃からですか?
江原久美子:多分、30年前から。
岡部:市民教育をなさって、出版もやりながら、最近は介護などにも関わっていますね。
秋元:介護関連は随分新しいですね。でも準備を初めて10年位になります。
岡部:直島は、老人たちが訪れてもいいですね。実際は少ないですか?
秋元:ご年配の方たちは、ご夫婦でホテルのほうに泊まるというパターンはあります。
岡部:秋元さんは、最初に直島文化村を始めた時からのスタッフですか?
秋元:10年以上になりますね。正確には、開発の準備段階から加わりました。キャンプ場を開いたのが1989年で、僕が入ったのが90年なので、キャンプ場の準備のほうはしてないんですが。
岡部:夏はものすごく大勢の人が来ると聞いたんですけど。キャンプ場に来ている人も美術館を見には来るでしょう?入場料は取るんでしたっけ?
秋元:キャンプ場の利用者はタダで、文化村に入るには入園料を1000円取ります。お客さんの中で泊まりの人はいらない、日帰りの人だけですが。
岡部:そういう方、多いんですか?
秋元:いや、全体の割合としては少ないです。入場者の数にして3分の1もいないんじゃない 岡部:先代の福武哲彦社長が文化村構想を開始しようとしたけれど、半年後に亡くなってしまった。
秋元:そうですね。やっと自分のイメージに合う場所が見つかって…
岡部:岡山中心に場所を探してたんですか?
秋元:えぇ、本社が岡山だったということもあって、岡山中心に。進研ゼミっていうのは長くやっているので、対象は小学生、中学生、高校生の子供たちなんですが、彼らが実際に集まって、顔を合わせてキャンプやったり出来るような場所を見つけたいということと、もう一つは美術館構想みたいなものを持っていて、その場所を探していた訳なんですけれども、この直島が見つかってすぐ亡くなってしまったので。
岡部:通信で関わっている子供たちと何か一緒にやれる、自然の中の場所を見つけるのが夢だったんですね。今までにどの位の子供たちがこのゼミに参加しているんですか。
秋元:今、400万超えてるんじゃないですかね。
岡部:通信で小さい子から高校生までの通信教育はあんまりないですよね。大人用の実用的なものは多いけれど。
秋元:そうですね、幼児向けからはじまって、小学生、中学生、高校までありますからね。
岡部:通信教育をやってる子たちは直島の事も知ってます? 参加してくることも多いのですか?
秋元:2年前まではゼミを受講している子供たち向けのキャンプをやっていたんですけどね、ただ、先ほど言ったように400万を超えているような会員のなかでのことなので、募集してもちょっと不公平がでてしまうということがあったものですから、今はやめてしまってるんです。
岡部:創業者が美術館も、と考えた時にはすでに多少のコレクションを持っていたのですか?アドヴァイザーとかなしに、ご自分で好きで買い始めていたのですか?
秋元:その当時は、大原美術館の藤田館長ですとか、小倉さんとかとはお話をしていて、正式なアドヴァイザーというかたちかどうかは分かりませんけど、色々ご意見は聞いていたみたいですね。
岡部:なるほど、ご自分でいくつか作品は持っていた。最初からアメリカの現代美術とかですか?
秋元:いえ、そこまではさすがにいかなかったんですよ。会社が創業して今45年なんですね、昭和30年に創業しているんですけれども、コレクション始めたのが昭和40年代なんで、会社自体がまだ随分小さかったと思うんですけど、だいたい(創業から)10年過ぎた位から少しずつコレクションし始めてるんです。
岡部:会社でコレクションしてるんですか?
秋元:えぇ、そうです。個人ではなくて、企業がコレクションしてます。その当時は付き合いみたいなところから始まったんじゃないかと思うんですが、備前焼とか、版画みたいなものを買っていたんです。ただ、元々学校の先生でもあった人なので、こういった文化・芸術には興味があったんだと思います。それから、だんだん興味がでてきて、国吉康雄に…
岡部:何で国吉康雄がベネッセにあんなにたくさんあるのか不思議でした。なぜあれだけ集まったのかを知りたかったんです(笑)。
秋元:たまたまですね、大阪の梅田画廊かな?あそこで見たらしいんですよ。その当時は国吉展もあまり多くはなかったんですが、かなり興味を持って、面白い作家だなと思ったようなんですね。帰ってきて、色々調べてみたら、岡山出身だということと、アメリカに行って独学でずっと学んでいたということが分かって、あぁ偉い人だなということで。それが集め始めたきっかけなんです。
岡部:梅田さんから徐々に買い集めていったんですね。買い始めた時は国吉さんはすでに亡くなってましたよね。わりと早く50年代位に亡くなってますよね。ご遺族は?
秋元:今、奥様がおられます。
岡部:子供さんはいらっしゃらないんですよね。
秋元:そうなんです。まぁ、そんなふうにして集めていったということですね。その時はまだ、国吉康雄とか岡山にゆかりのあるほかの作家とか、その他印象派も集めてます。構成としては、国吉など日本の近代、印象派などの西洋近代、備前焼とか軸物、陶器といった日本の伝統工芸。多分その頃想定していたのは、近くに大原美術館があったので、ああいう総合的な美術館像みたいなものがあったんだと思うんですね。教育普及型の色々なものが見られるといった。
岡部:その時は現代の収集は考えていなかったわけですね?
秋元:えぇ。でも最後亡くなる前は、現代を集め始めてるんですよ。フランク・ステラの『シャーズ5(shards5)』、あれは70年代末か80年代初頭には集め始めてるんです。本人は分からなかったみたいですけどね。分からないけど、何かこういうものは必要だろうと。多分、工芸とか割と時代を追って集めてますよね、そのなかで現代もやっぱり必要なんだろうと思ったんじゃないかと思います。教育的な視点だったんだと思うんですよ、近代があれば、現代も必要という。
岡部:彼が亡くなった頃にはすでにもう数百点?
秋元:600点位あったんですよ。
岡部:600点!陶器とか版画が多いとしても、多いですね。当時は会社の中にも展示してました?
秋元:えぇ。ずっと会社の中には。何で美術をやり始めたのかっていうので、先代が残している言葉としてはですね、まず社員への情操教育と、もう一つは地域への貢献みたいなことを言っているんです。社内に出来るだけ今コレクションしているものを掛けて、一般の方も企業の中に入ってきて見てもらえる状況はつくっていたみたいです。あと、社員の執務スペースなんかに置いてあるので、そういうふうなものに自然に触れるように、といったことをやっていました。今から考えるとちょっとおそろしい…廊下なんかに国吉とか置いてあるんですよ。で、やっと直島が見つかって、多分そのなかで美術館というかたちにしていこうと思っていたでしょうね。
岡部:岡山本社には国吉の常設展示室がありますが、いつ頃なんですか?
秋元:1990年です。会社がベネッセと名乗るようになって、新社屋を岡山につくったときにあのスペースを設けてます。
江原:社名が変わったのは95年なんですが、その前からベネッセという言葉はあったんです。
秋元:一つのブランドとして。
岡部:ベネッセという名前の意味は?
秋元:まず一つは、ラテン語の造語のようなもので、べネとエッセをくっつけてベネッセ。英語でbeing wellになるんですが、べネは「良い」、エッセは「暮らし」とか「生活」という意味ですか。「より良い暮らし」…
江原:「良く生きる」というふうな意味ですね。
岡部:子供の教育の本質にあるのはそういうことなんでしょうね。
秋元:そういうことでしょうね。うちは何か個々の商品を売るというのではなくて、もっと人が、例えば、何かやりたい、もっと今よりも何か向上したいですとか、自分なりに生活の中で、たとえば、英語を学びたいとか、いろいろ向上意欲があるじゃないですか。それをサポートするようなサービスをしていこうと、それが時には商品のかたちになったり、もっと総合的な施設になったりするんでしょうけども。 岡部:それはもう直島文化村とその芸術につながっていますね。結局、企業としての活動がそのまま文化・芸術と直結しているという珍しいかたちではないですか?商品を売るとなると、資本や市場に直結してしまうけれども、むしろ考え方などのソフトをまず中心にしていくということですね。
秋元:そうですね。事業として対象としている領域も、教育とか福祉や出版など文化みたいなものになっていくので、そういう意味ではアートといったものとも同じようなところにいる。
岡部:同じ土俵ですね。他の企業の人たち、あるいは公立の美術館の人などが、文化・芸術に対するベネッセのようなサポートの姿勢を他の企業も学んで欲しいと言うのですが、なかなか難しいところがありませんか?ベネッセには文化に対する基本的な思想が企業精神としてあるけれど、それがないところに同じ精神を学んで欲しいと言っても、一つのいい例として、みんなに学んでくれって言えます?私は言えると思いますが。ご本人の立場としては?
秋元:でも多分、企業の姿勢も少しずつ変わってきてるんだと思うんですよね。
岡部:そうですね、経済効率だけではみんなに受け入れてもらえなくなってますから。
秋元:だめですよね。昔はたとえばお客さんのことを消費者と言ってたと思うんですが、今は消費者って言わない。顧客とかクライアントと言ってる。多分、関係自体がコミュニケーションみたいになってますよね。そうなってくるとベースとして非常にアートに近づいてくる。何か物を売るんじゃなくて、そこにある精神みたいなものを売る、というふうになってきてるので。物をつくること自体が大分変わってきてるんだろうと思うんですよね。そういう意味では、作品を通して何かコミュニケーションをとるとか、何か情報が伝わっていくとか、そういうことに近づいてきていると思います。そういうことで言えば、もっと広い意味で、僕は企業がアートと関わっていく可能性はあるんだと思いますね。もう一つは、企業自体が利益を追求するという論理だけでは成り立たなくなってきてますよね。その時に、あるマインドというかスピリットみたいなものをシェアする共同体みたいなかたちの考え方になっていくだろうと思うんですよ。それはNPOに近いものになってくると思うんですけど、そういう時にはある種のアートみたいなものが必要になってくるんではないかと思うんですよね。
岡部:私たちはアートの側にいるからそういうものを近いと思うけど、他の企業の人は、気持ちは分かるが、遠い、と感じるんではないですか?
秋元:今、実際に経営に携わっている人たちはわりと分かってるんじゃないかな。ただ、気持ちは持っていても、やっぱり美術的な教養とか美術的なものを持ってないといけないんじゃないかって思いこんでいるところがあると思うんですよ。それも同じように地続きなんだってふうに思うと、多分もっと気楽に出来るんじゃないかと思いますけどね。
岡部:企業の方たち参考にここに勉強に来ますか?
秋元:えぇ。あと、たとえばここで経済同友会なんかの会合やってみたりとか、企業のトップの方たちの会議みたいなものをやったりするんですね。
岡部:福武總一郎さん(福武書店代表取締役社長)の顔でそういうことが出来るということですか?
秋元:そういうのもあるし、わりとうちが積極的に受け入れている。そういう場としては、非常に面白いと思うんですよね。プライベートな感じなので、そういう時は貸し切りにしてしまって、そこでやると合間、合間で利用した企業の人が作品を見ていきますよね。すぐにビジネスの話とかではなくて、今の時代とか、今の人間みたいな話から始められるので、ある部分では余裕がある話にはなると思うんですね。異業種間の方だと、ビジネス同士では即直結しないけれど、ある種の“時代をどう読む”みたいな、そういう話をする時には、こういう場のほうがかえっていいんだろうと思うんですよね。
岡部:企業関係の方たちも使ってくれているということですね。一番多いのはやはりアート、建築関係ですか?
秋元:そうですね。それが一番多いですけど、割合としてはかなり会社関係の方は多いんじゃないですか。そうした中でも経営層というか、経営に関わっている方たちは多いのではないかと思います。
岡部:直島文化村は少しずつではあるけれど、「家プロジェクト」を通して地域との関わりももってますね。最初は島の人達とは別の世界のような感じでしたが。この島には三菱の工場がありますが、ここで働いていたり、住んでいる人たちはほとんどが三菱系の仕事の人ですか?あとは1割くらいが農業その他という感じでしょうか?工場や農業で物を作っている人達だから、物との関わりという意味ではアートと遠くないわけですが、そういう人達との当初からの関わりはどうだったのでしょうか?
秋元:始めのころはやっぱり随分苦戦した時期もあるんですよ。島の人たちは三菱マテリアル関係の人か、住んでいる人くらいしか島の中には来なかったので、言ってみれば、観光客というか外の人ですよね、そういった人が島に来るということ自体がなかった。だから、最初は“何でこんなのが出来ちゃったの”っていう拒絶反応があった。フェリーの中に島の人以外が乗っているということがなかったみたいなんですよ。
岡部:海水浴にも来なかったのですか?東京だったらすぐに島に海水浴に行きますけど。
秋元:あと、三菱の島っていうイメージがすごく強かったから、みんな行きにくかった。
岡部:今は三菱の島っていうイメージがなくなってしましたね。直島に取られた、ベネッセに取られたみたいな感じはないのかしら?
秋元:(笑)そうでもない。うまくバランスはとれてるかな、という。
岡部:(三菱)マテリアルにとっても間接的にプラスにならないでしょうか?
秋元:なってると思います。一時期、銅の精錬を大正時代からずっとやっていたので、公害問題とか結構あったんですよ。その中で、近隣の本州側の人とか高松側から見ると、ある意味で三菱の島=公害の島みたいなイメージもあったんです。それは段々環境問題が盛んになってきて、今は非常に良くなっているけれども、かつてのイメージがあったので、直島自体がそんなに遊びに行くとか観光とかそういうのはありませんでした。始めは何で直島なんかにっていうのがあったんですけどね。
岡部: “福祉をやる人が何で公害の島に?”と思ったのではないですか。イメージが違うと。でも地理的には島の向こう側だけですよね。
秋元:えぇ、こちら側は国立公園に入っていて、全く手付かずの状態だったんですね。うちもオープンした時点で、町民対策として町民の方たちからは施設料は一切いただかないで開放してますし、年に1回はつつじ祭りというお祭りみたいなものも町と一緒に共催のかたちでやって、公開してますし、何か新しいコレクションが入ったら、必ず町民向けの案内をしてます。
岡部:最初は反発があって、ボイコット!みたいな感じだったんですか?とくに現代をやるとどこでもそうですね。
秋元:そうですね。“何だかよく分からん!”とかね、“自分たちが今まで散歩してた所を取られちゃって”みたいな。でも、5年目くらいからかな。大分理解してくれる人も増えていって、よく遊びに来てくれるようになったんですね。今なんかだと、法事の後の食事会とか結婚式みたいなものをここでやってくれたり、お盆なんかで親戚の方が東京などから帰ってきた時、ここで食事をしたりとか。直島にも立派な所あるんだよって。
岡部:だんだん誇りになってきたんですね。
秋元:自分たちの施設になりつつありますかねぇ。
岡部:そういうふうに変わりつつあって、いい関係が出来てきた時に、「家プロジェクト」の考えが出てきたんですね。
秋元:えぇ、前から島の、特に本村の地区の町並み、直島の集落をある程度残していこうというのがあったんです。
岡部:町長さんと?
秋元:三宅親連町長(故人)とうちのほうで話し合っていたんです。町のほうも総合計画みたいなものを出していて、本村の集落を何がしか残していこうと。初めのうちはもっと町並み保存みたいなイメージが強かったんですよ。文化庁にも色々聞いてみたりしたんですが、集落の残り方がほとんどそういう対象にはできないような状態になっているので、なかなか難しいなということもあって。何か直島の伝統的、歴史的な流れみたいなものを見せていきたいということがあって。
岡部:古い家は壊してしまったら二度と造れないですものね。
秋元:えぇ、そうこう考えているそばから家は確実に壊れてしまっている、だったらもうベネッセのほうで見本になるようなもの造っていったらどうかな、と。それで住民のなかでそういう意識が少しずつ高くなっていって、自分たちで保存していこうという気運をつくっていって、やれる範囲でやっていこうということで、やり始めたんですよ。
岡部:買い取ってしまうんですか?
秋元:今うちがやっているのは相手方の条件で買い取る、もしくは借りるというかたちにして、その代わり借りる場合は20年という契約にして。初めは買い取っていこうということにしてたんですけれど、なかなか売りたくないという人もいるので、それなら20年とか長い期間借りて、状況が変わればこちらが買うようにしていって。
岡部:買うといっても、そんなに高くはないんですよね。
秋元:いや、もう土地代だけですよね。
岡部:京都のすごくいい町屋で現代アートのインスタレーション(1940年生まれで60年代からミラノ在住の彫刻家長沢英俊氏の個展)をやったことがあったのですが、あのすばらしい家屋を壊してしまったのです。京都市は何をやってるんだ!って感じですね。もともと存在しなければ仕方がないけど、あるものをどうして平気で壊させてしまうのか…
(一同深い溜息)
秋元:二度と造れないですからね。
岡部:だから、「家プロジェクト」はすごくいいプロジェクトですね。
秋元:こっちでもみんな2×4とか新しいほうがいいわけで。言ってもあんまり分からないんですよね。これを残すんだというものを見せると、ボロボロなわけですよ。“何でこんな汚いもの!早く壊してくれよ”みたいな感じだったんですよ。“台風が来ると潰れるぞ”みたいな感じで。
岡部:確かにそれもあります。(笑)補強しておかないと危ない。
秋元:もう、とりあえず買ってしまって、全部直していって、ということですね。土地代だけですから、建物自体はほとんど何にも価値がない訳ですから。それを一度瓦とか壁とか落として、そこからまた直していくという感じです。
岡部:その改修した民家にアート作品が設置されて開館したら、一応誰かつねに監視がいるんですか?それが問題ですよね。私がメルシャン軽井沢美術館のチーフキュレーターをしていた時も、フランスの作家ジョルジュ・ルースのインスタレーションをべつの場所でやろうと思ったら、“岡部さんあれはいったい誰が監視するの?”と言われた。たしかに、一人ついてないとならず、予算の問題になります。それはどうしているんですか?
秋元:二つ目の家プロジェクトで、建築家の安藤忠雄さんとアメリカ人アーティストのジェームス・タレルがやった「南寺」のほうは一人付けてます。これは管理上ということもありますけど、中が真っ暗なので、危ないから。宮島達男の「角屋」は付けてません。朝開けて、夕方閉める、その開閉時に見ているという状態なんですけども。
岡部:それはいいですね。本当は監視はいないほうがもちろん良いです。
秋元:ただ、人がどんどん増えていったりすると状況が変わるかな、とは思うんですけど、今のところはそんなにひどい人はいないし、近所の人たちも様子見てくれたりとかしてるので、道に迷っていたりすると案内してくれたりとか。
岡部:ベネッセのホテルからは遠いですよね。歩いては行けないので、時々バスを出してます?
秋元:一応フロントに言えば、次は何時にありますということでバスを出しています。
岡部:そうすると、ホテルに展示されている美術品を見て帰るだけではなくて、家プロジェクトまで足をのばすとなると、ある程度、時間をかけて来る人が増えて来ますか?
秋元:やっぱり、日帰りよりも1泊2日位のほうが見やすいですね。
岡部:この直島の資料では自主運営を目指していると書かれてありますが、本当に出来ているんですか?本館のベネッセハウスのホテルは10室と部屋数が少ないですし、そんなに高いわけではないから、ここの売上だけで無理ではないかと思うのですが。
秋元:今ここの売上はホテルだけではなく直島国際キャンプ場合わせて年間3億あります。オペレーションに使ってる金はほぼそれ位です。ただ本社側での美術も含めた企画の部分は出ない。
岡部:つまり、新たな企画をやる時には無理で、作品を買うとか、作家を招いて作品を作ってもらうのは、そのまま残るから、資産が失われるということではないので、作品購入、ここへの投資として考えてもらうということですか?
秋元:そうですね。購入予算の限度額をつくっていて、それが今2億ですが、限度額なので、そこまで使わなくてもいい、という。
岡部:すごいですね、2億って。
秋元:そこまで使うことはあまりないですね。自治体だと、使わないと翌年に予算がつかないというのがありますけど、そういうのはありませんから。使わなければ使わないで、2億以上はちょっと無理だよ、ということですね。その中で大体おさめています。
岡部:たとえば作家を招いてサイトスペシフィックな環境に合わせて制作してもらう時の経費は、全部ここから出しているんですか?
秋元:そうですね、作品が、資産にあがってしまう場合―購入して資産化するような場合はその中に入るんですけれども、セミナーやレクチャーをやる場合には別の費用を持ってます。
岡部:それは、本社からイベント費用として、別口で出してもらえるんですか?
秋元:えぇ、我々の人件費も別口で。ここの宿泊サービス事業をやっていく運営費はとりあえず3億でなんとかなっているので、売上と相殺になっています。
岡部:このオペレーションの3億の中にはここで働いている人の人件費も入っているんですね。キャンプの管理とか。もう少し予算があったほうがいいですか?(笑)あと1億くらい?
秋元:そうですねぇ。どの辺にするかっていうのはありますけどね。もう少し人が来られる状態にはしたいなと思うんですけどね。町の中にある民宿とかを使ったり、できれば、うちだけでやってるっていうよりも、島全体で出来るようになっていくようにはしたいですね。 岡部:町の中にもう少し団体客の宿泊施設をつくってもらったりしたらいいかもしれないですね。
秋元:えぇ、そうですね。少しずつ民宿なんかも意識が変わってきてる。昔は工場で働く人の宿泊施設だったのが、観光客も泊まるようになったり。あと、出す食事にもう少し気を使おうとか。
岡部:島全体が変わらないと、ここだけでは無理ですよね。
江原:あと、時期のことがあります。
岡部:夏ばっかり来てしまうんでしょ?
江原:そうなんです。だから、空いている時期も多いんです。そういう時を埋めていくとかなり増えてくるはずなんですよ。夏休みの間だけが満員で、今位(4月〜6月あるいは9,10月)は気候が良くても、平日は入らないので、そこがもっと増えていくと、全体が増えていくのでは、という話もあるんです。
秋元:ハイシーズンだと稼働率が90%位なんですよ。だから伸びしろがほとんどない状態です。ただ平日は30%位になってしまうので、そこをもう少し上げられたら随分違うかなと思いますけどね。近所の大学とか企業の研修とかそういうのを平日の空いていて使いやすい時にね。
岡部:ここにいると広いし、閉じ込められている感じがしなくて、研修の悪いイメージが全然無くていいですね。
秋元:そういえば、今年は武蔵野美術大学の新見隆先生が、学生を連れて研修旅行に来てましたね。あと、京都にある芸術系の大学の先生がゼミで使ったり、建築の学生さんがみんなでまとまっていくつか建築を見て、ここに泊まって発表して、また移動するというようなことはあります。
岡部:文化・芸術系の人たちは来るから、あまり問題ないですが、一般のお客さんに来てもらうには、島との協働がないと難しいかもしれないですね。
秋元:そうですね。うちの一つの施設というだけではなくて、地域と連動して直島全体がね。
岡部:家プロジェクトはさらに発展させる予定なんですか?今進行しているのが内藤礼さんなんですよね(内藤礼の「きんざ」は2001年9月に完成し、現在は写真家杉本博との家プロジェクトが進行中)。2年に1回程度のペースですか?作家にもよるでしょうが。
秋元:1年に1軒だったんですが、内藤さんは2年かけてやっていて、5軒位までいけばいいかなと思ってるんですけど。第一期で5軒ということにしましょうかと、会社のほうにはそういうふうに言ってるんです。今後いくつかプランはあるんですが、ジャスト・アイディアみたいな感じでまだ正式にゴーサインは出てないんです。
岡部:もちろん、会社のほうで予算などすべてOKされないとだめですよね。
秋元:ほんとに、アイディアとして聞いていただければと思うんですけども。一つは、もう一つスペースをつくりたいと思っているんですよ。今は海に面しているほうの自然みたいなかたちなんですが、ここからちょっと入った所で、山の中に池があったりして、ちょっとまた違う雰囲気があるので、動線を意識してなんですが、島全体をアート・ランドと考えていくと、もう一つアート・スペースがあってもいいんじゃないかと。そこは、たとえば図書室みたいなものとか、もうちょっと研究的な要素を取り入れていこうかと。もう一つ、アーティスト・イン・レジデンスが前から構想としてあったんですが、我々のほうがまだ手をつけてないもので。会社のほうとしてはやってもいいよ、と言っているのでやりたいと思っているんです。そのセンター的な役割をしたい。
岡部:図書館に本があり、滞在する場所があって、ヴィデオとかの機材もあればわりと長い期間滞在できますね。インターネットでもいろいろやれますし。
秋元:できれば、アーティストだけじゃなくて、キュレイターとかそういう人たちも、ある程度滞在出来れば…人数はそんなに多くなくても良いから。3ヶ月とか半年とか、島の中にいて、たまにセミナーとかをやる。この二つがつくりたいものです。あと、ここは常設として考えているので、作品を展示するスペースがもうない。
岡部:作品は600点にあり、どんどん増えているわけですね?今はどの位ありますか?
秋元:宣伝した時に600だったんですけど、一回整理して、今は500位じゃないですかね。今の現社長になった時に、方針をもっとグッと現代美術にシフトして、国吉と現代アートを柱にしようということにして、余分なものを整理したもので、数が減ったんです。
岡部:展示していないのは本社の倉庫にあるのですか?
秋元:それと、大阪に倉庫を借りて集めているんですけど。もう少し展示できれば…
岡部:もったいないですね。アーティスト・イン・レジデンスがあれば、ホールなどに出せますね。
秋元:あと、うちでは展覧会はやらないと言ってきたんですが、基本的には大きくやるつもりはないんですが、アーティスト・イン・レジデンスをやるようになれば、そこで彼らの展示もやったほうがいい。たとえば家プロジェクトとか何かプランをやれば、ドローイングが随分出来るわけじゃないですか、そういうものもやはり展示するスペースがあったほうがいいかな、と思っています。
岡部:バンフという所に、カナダ最大のアーティスト・イン・レジデンスがあり、そこに毎年日本の作家を送り出すメセナ・プロジェクトの担当をやっています。バンフのレジデンスにはかなりの数のホテルがあり、山が美しいからスキー客とかも来て、基本的には一般客向けのホテルの経営をしながら、アーティスト・イン・レジデンスの運営もやっている。毎年2回、各40人位公募で集めて、そこにはアーティストだけではなく、キュレイターとか評論家なども来るんです。アーティスト以外に、別なレジデンスでは、小説家レジデンスとか音楽家レジデンスもあります。私が1998年に招かれて行ったのは、アート系のレジデンスで、キュレイターとかも世界中から来てました。一般公募で、バンフの選抜によって多少奨学金も出るので、その場合は安く参加出来ますが、ほとんどの参加者が、それぞれの国の公的な助成を得て来ていて、自分で払うお金はとても少なくて済んでいた。ところが日本の場合はレジデンスで海外へ行くからといって公的な援助を受けるの難しいんですね。いろいろ探したけど、フレキシブルなシステムが見つからないんです。しょうがないから私が1999年末までチーフキュレーターをしていたメルシャン軽井沢美術館の運営にたずさわっているメルシャン本社に話をしたら、それほど大きな金額ではないので、毎年1人の作家の支援を開始してくれることになったのです。去年は岡崎乾二郎さんでした。レジデンスには毎回テーマがあり、それに関して現地ではみんなでディスカッションをしたりする。今年行くのは、中ザワヒデキさんです。去年ノミネートされた作家の中に、若い人がいたのだけど、我々が提供するお金だけでは2ヶ月留守にして、東京のスタジオ代や生活費などまでは支払えないから、といって推薦を降りてしまった人もいた。そうなると、ある程度エスタブリッシュされて余裕のある人でないと行けない面もでてきて、若い人を行かせてあげたくても、矛盾もあるなと思いました(メルシャンからの支援は3年間続き、2001年で終了した。2002年からは実行委員会方式で支援の中核は資生堂(株)企業文化部になる予定)。
秋元:いろんなアーティスト・イン・レジデンスが出来てきても良いと思うんですけどね。わりと若手が何か新しい刺激を、というのもあるだろうし、岡崎さん位のクラスが逆に自分の意見を言うという・・・逆にこちらから何か伝えていくということがあってもいい。もう少しシャッフル出来る場があるといいですね。もっと自由に行き来が出来る場があると良いと思うんですけどね。
岡部:世界のさまざまな人たちとディスカッションする場を岡崎さんも日本に欲しい、うらやましいって言ってました。だからそういう場が出来たら喜ぶんではないでしょうか。広島の灰塚でご自分でも国内外から作家を招待するレジデンスを含めたアースワーク・プロジェクトを長年手がけてますけど。
秋元:そうですね。頑張ってやってますよね。岡崎さんは、前に一度「Out of Bounds」という展覧会をやった時に、直島で展示してもらったのと、安藤さんとのシンポジウムの時に来てもらって、お会いしました。
岡部:立地条件とか環境から考えると、ほんとにアーティスト・イン・レジデンスにすごく合ってると思います。うまくいくと良いですね。
秋元:そうですね…なかなか…
江原:ノウハウを身に付けたいですね。
岡部:バンフに一度行って見てきたらいいかもしれないですよ。
秋元&江原:えぇ。そうですね。
岡部:バンフは公的な予算が次第に撤退を始めた時期から、自分たちできちっと運営し直そうというかたちでやり始めて、今は運営状況も大分良いようです。
秋元:そうですか、偉い。うちもホテルやキャンプ場をやっているっていうのは、少しでも独立してやっていきたいというのがあるんです。やっぱり、会社からもらうお金が大きくなるほど…
岡部:自由な自分の発想というものが反映されにくくなりますからね。
秋元:出来る限り自立していく方向にしていって、その分、自分たちの考えでやっていくという。
「護王神社」 杉本博司 「アプロプリエイト・プロポーション」 2002
岡部:秋元さんは、岡山県で大学を出てすぐに入社したのですか?
秋元:いえ、私はもともと東京なんです。大学を出てから、作品作っていたりしてたんです。
岡部:作家だったんですか…立体ですか?
秋元:立体というか、もう最後のほうはインスタレーションとかパフォーマンスみたいなことをやっていたんですけど。そんなことをやっているうちに、食べなきゃいけないので、雑誌の編集とライターみたいなことをやっていたんです。『サライ』って雑誌があるじゃないですか、あれの創刊くらいからずっと関わってやっていたりしたんですけどね。そうしているうちにたまたまここの仕事があるということで、ここは募集なんですよ、全部広報で。企業の中でということだったので、興味あったのと、公立の美術館というのは専門の方がいるわけだから、企業の中でこれから新しく、何か文化的なことを考える、というのが面白いなと思って。
岡部:そうですか、だから発想が自由なんですね。それと、しぶとい。アーティストにはしぶとい人が多い。(笑)どんな職業の人よりも、アーティストはみんなしぶとい。だから尊敬してます。
秋元:なるほどね。
岡部:それだけ、底力というか…生き方につながっているからかもしれません。
秋元:やり始めた頃って何にも無かったですからね。逆に、やればそれが標準化しちゃうわけですよ。そういう意味では、うぶなところもあるわけです。それまで会社の中でも初めてのことだから、そこまで言うなら、そうかな、と思うわけじゃないですか。だからそうやって少しずつ肩書きを、結構強引につくってきちゃったところがあるんですよ。今は私はここ全体の管理・運営みたいなこともやっているので、その中で美術を入れているので、何かの部分というよりも総合的にみているんです。ある事が普通になってきつつあるというか…
岡部:やっぱり社内での認知とか、それに対しての意見ってすごく重要でしょう?
秋元:えぇ。いいポジションを取るというか、説得していくことがすごく必要なんだと思うんですよね。
岡部:その努力を重ねてきているわけですね。
秋元:えぇ。初めの5年間位はほとんどそれだけでしたね。僕はもっとね、入ったときはもう少し自由に、というか、ポジションがあると思ったんですよね。私を採用したわりには、“何かやってくれ”くらいでしかないんですよ。“何をやれ”というのがないわけですよ。しょうがないから、作りますよね。そうすると―私、サラリーマンやったことがなかったんで、まず手順が分からないんですよ。で、やり方を覚える―サラリーマン的な組織の中で意見を通すというやり方を覚えるのに3年位かかって、そこから言い始めて。だから、何かやれるのは5年位してからですよね。今はわりと自由にやれるようになったけれども。そこにいくまでの方法論をつくるまでは時間がかかっちゃいましたよね。今は大体これ位のところでいけば、社内的にはOK出るだろうし、というふうなね。それは目に見えないところだけれど、ある部分では重要なところだし。そこがしっかりしていないと出来ないな、と。すぐに壊れちゃいますからね。そういう意味では、初めに苦労してその辺をつくっていったのは意味があったのかな、と思いますね。
岡部:一応、岡山の本社の国吉も一緒に管理しているわけですよね。あそこはどの位(鑑賞者が)入るんですか?あのスペースは無料ですか?
秋元:タダです。今、年間4千人くらいじゃないですか。もうほとんど地元の人たちが見に来ている位じゃないですか。
岡部:近代美術の展示の新たなコンセプトを開発してほしいですね。近代というとこういう感じ、というのが日本にはあるじゃないですか。それはだけでは、つまらないですから。
秋元:ほんと、そうですね。
岡部:直島で近代美術を展示する場所を創れるならば、それなりに違うコンセプトでスペースを創ったら良いんじゃないかな。まあアーティスト・イン・レジデンスの後かもしれませんが。
秋元:国吉に関してと、あと近代美術で少し残している作品もあるんでね。<
岡部:では一緒にしても良いですね。そうしたら、もう少し一般の人も来るようになるかもしれない。印象派があったらそれも一緒に。もし残っていたら。
秋元:もうほとんど残ってない(笑)。一時期、売り切っちゃったからなぁ。
岡部:週刊誌だったと思いますが、去年あたり(1999年)ベネッセ全体がすごく赤字が出ているという話なんですが。21億位の赤字が出ているとか…
秋元:あ、そうですか?いや、それは本当かなぁ?一応、経営的には順調ですよ。うちは創業してからずっと増収、増益なんですね。それもちょっと異様なことなんですが、今年は増収できなかったんですよ。増収、増益だったものが少し落ちたんで、その事を言ったんじゃないですか。利益は200数十億、約300億だから。会社自体は全然大丈夫ですよ。
江原:増収、減益じゃないですか?
岡部:減益のことを大げさに書いたのかもしれませんね。福武總一郎さんがずっと、今でもやってらっしゃるんですよね。全部で何人くらいの会社でしたっけ。
江原:(資料見ながら)1513人です。
岡部:それで、このCSESの直島関係のスタッフは?
秋元:総務とか全部入れて、岡山で6人、あと文化村の社員がアルバイトも入れて6〜70人です。
岡部:コレクションや「家プロジェクト」のアーティストの選考には、コミッティがあるんですか?
秋元:ないですね。ただ、一応構想があって、それを社内で了解してもらうということですね。
岡部:実際にはほとんどご自分の考えで進められるんですか?今度はタレルを選ぼうとか。
秋元:えぇ。何らかの筋を通すというか、色んな人間に話しながらとか、会社の動きや福武の考えというなかで決めていきますけど。
岡部:あと、ヴェネツィア・ビエンナーレに参加した各国の作家なかから選んで、ベネッセ賞を授与するというプロジェクトがありますが、あれは続けていくんですか?
秋元:5回まではやろうと考えています。去年までで3回やっています。
岡部:国際的なプロジェクトとして海外でやるのは、このヴェネチアの例が初めてですか?
秋元:えぇ。もともと直島には、地域にどこまで美術を入れられるかという課題があって、それと同時に、地域がどこまで国際化するか、というのがあったんですよ。そのなかで、いかにやっていけばいいのか分からなかったんですが、ここに作家を集めて作品を創るというだけでなく、ダイレクトに、ヴェネツィアという国際的な場でやってみようかなと。それをまた直島にフィードバックしていく。たとえば、ヴェネツィアでベネッセ賞をとった作家がここで作品を創るとか、審査員を呼んでくる、というように。あともう一つは、福武や会社の幹部を連れて行って、とりあえず見せちゃえと。それもただ見ているだけではお客さんになってしまうけど、やってみると大変だというのが分かってくるんですよ。そのためにも賞をつくってパーティーをやる。すると、どういうふうに動いているのかが見えてくるので、そういった感覚を判断する時の基準にしてもらえるだけでも随分違うじゃないですか。それじゃあ、これを5回やってみましょうということで取り組んでいます。
岡部:そのオーガナイズは、どういうふうにしているんですか?ここの企画部の人が直接?
秋元:というのと、以前は南條史生さんのオフィスとか、このあいだの時は三木あき子さんに。そのへんはコラボレーションしながらやっています。内部ではやりきれないところがありますので。今はずっと三木さんがわりと中心になってやっているので、彼女の仕事みたいになってるところがあるな。
岡部:大変でしょうから、どうしているのかなと思ったんです。直島の運営だけでも大変なのに。予算はどの位ですか?
秋元:協賛みたいなもので、だいたい500万円かな。
江原:そうですね。行ったり、会場を借りたりで丁度1千万です。
秋元:全部含めると、渡航費なども入れて1千万かかっちゃう。
岡部:だけど、それだけやる価値があります?
秋元:当初の目的は多分達成できたかな、という気がしてきているんです。これもまだ個人的な意見で、ここから突っ込んでいこうかなと思っているんですが。向こうで展覧会をやりたいと思っているんです。
岡部:達成できたというのは、直島でやっていることが、国際的な美術界の人にも知ってもらえたということですか?
秋元:そうですね。あとうちの経営陣も大体分かったと思うんですよ。そのなかでもう一歩進めて、積極的に展覧会などで今のアートを紹介していくというかたちにしていったほうがいいと思うんです。やっぱり、日本の若手の仕事を伝えていく場に発展していけたらいいなと思いますね。その時にできれば、作家一人一人はわりと紹介されちゃっているところがあるので、もう少し考え方、キュレーションを鍛える場ができたら面白いだろうなと思ってますけどね。だから、若手のキュレイターがたとえばああいう場で自分の展覧会をやって、鍛えられるというのが必要だろうと思うんですよ。
岡部:最初の段階としては、賞をあげるだけでも新鮮だと思いますが、もう一歩踏み込んだほうが私もいいと思いますね。
秋元:そのほうが面白いだろうと思うんです。どうせお金使うんだったら、“今の日本はこういう状況か”とか“こんな新しい動きがあるんだ”とか…
岡部:もうちょっと違う広がりで伝えられるといいですよね。
秋元:もう海外のキュレイターが来て、日本のアーティストをピックアップするという時代は終わったと思う。
岡部:えぇ。限られた地域だけでやるのではなくて、地域が互いに交流出来るほうがいいですね。そうして島全体をもう少し大きなまとまりのなかで活性化させていけると一番いい。
秋元:いいですね。島の人たちが、観光みたいなかたちになるのかもしれないけど、島の生活や経済も含めてもう少し変わっていけば、面白いだろうなと思うし。
岡部:変に観光化したら嫌だけれど。
秋元:観光化していませんね。まさに田舎の日常です(笑)。だから、そのへんを上手く残しながらやっていけたらいいでしょうしね。
岡部:日本の場合は観光地がかなり均質化されていてつまらないですね。
秋元:それは住んでいる人のことを考えないからだと思うんですよ。住んでいる人たちが自信を持てるというか、自分たちの場所に誇りを持って、生活の場をつくるんだ、という考え方をしたほうがいいと思う。
岡部:ここはみんな生活していて、単なる観光だけで生きている人たちではない。どちらにしても、そうはならないと思いますけど。
秋元:それがベネッセの考え方と共鳴していけば、ハッピーな関係なのかなと思います。
岡部:今、ここの状況は安心出来ますが、他を見ていたら不安な所が日本にはたくさんあるでしょう。それについてはいかがですか。それに対していい方法論とか、変えていけそうなこととか、アドヴァイスとかありますか?
秋元:そんな偉そうなことも言えないんですが、ここにしても年中アヒルの足掻きじゃないですけど、水面下では四苦八苦しているところもあるので。出来るだけ今の状況で、美術のことだけを考えていこうとしても、なかなか突破口はできないだろうと思うんです。たとえば、アートと会社の関係とか、アートと地域の関係とか、ここだったらアートと宿泊サービスの関係というように、アートと何がしかの他の場のなかでの役割みたいなものを自分なりに考えていく、ということが手間はかかることですが、必要なんじゃないでしょうか。美術館は美術館としてあるわけなんだけれど、その美術館はある地域の中でどういう役割を持つかを、アートの側の人間もかなり真剣に考えていかないと。行政側が考えて、あとはアートのなかの仕事を好きにやれよ、と言われても、場がどんどん狭くなってしまうばかりだと思います。だから、いかにイニシアティヴをとるかということを考えていかないといけないんじゃないかな。
江原:それは、アートを伝えるということではなくて、相手は相手であって、お互いの関係の密度と言う意味で。よく、教育普及とかだと、アートはアートであって、皆さんにお知らせしますみたいな感じの印象があるんですが、相手は相手の普通の生活があるわけですから、そのなかでどういうふうにお互いのコミュニケーションをとれるか、というようなことです。
秋元:特別なものではないじゃないですか。アートも。ある生活のなかに一つあるわけだし。全員が理解出来るものでもないと思うんですが、上手くいろんなものと同じように共存出来るような状況をつくって、そのなかできちっと役割を持つ努力をすることが必要なんじゃないかな。どうしても、アート万能論みたいなイメージを持っちゃって…でも、他から見るとそんなことはないんだと思うんですよね。アートの世界に入ってくると、一個一個の作品がいろんな広がりを持っているし、無限の可能性もあるけれど、枠組みとしてはいろんなものと共存していると思うんですよ。枠組みの部分というのを考えていくのが、現実のアートの場をつくるのに非常に重要なんじゃないかと思います。「トヨタ アートマネージメント講座」でも話していたんですが、どうしても中身のことに興味がいくじゃないですか、どういうアートにするかとか。それがどういう役割をもっているかという枠組み自体をもっと考えていかないと浮いちゃうんじゃないかな、と思うんです。
岡部:たとえば、岡山県にある奈義町現代美術館の方向なんかはどうですか?最初から思いきってやってしまった、という所ですが。
秋元:そうですね。すごいですよね、ぶっ飛び方が。
岡部:バーンと持ってきてしまって、隕石が落ちた、みたいな感じですよね。みんな(住民)びっくりして最初大反対だったみたいですけど。
秋元:そうですよね。結局、最後に入ってくる学芸員とか館長が苦労しちゃうし、ゲリラ戦みたいな状況になってくるわけじゃないですか。うちもトップダウンできちゃってるところもあるんですよ。でも、それだけでは続きません。継続してやっていくスタッフがどこまでそれを解きほぐすかということだと思います。力ではどうしようもない。建物を建てることは出来るけれど。
岡部:それを管理運営し、広げて、コンセプトとしても充実させていくというのはなかなか難しい。
秋元:多分、住民にも言い分があると思うんですよ。それをこうやって、長い時間かかることだけど、やりとりして、説得していかないとだめだと思うんですよね。とにかく説得し続ける。今もずっとそうかな。年中そのために動いている状況ですよね。必ず元に戻ろうとするじゃないですか、そこに常にテンションをかけていないと。
岡部:内部と外部からとでしょう。
秋元:そう。それを両方して、自分の場所を踏ん張ってつくっておかないと、すぐにポッと戻るという気がします。だから、それが出来るスタッフをつくり続けていくということですし、そういう意味では組織というのは重要だと思います。私1人ではどうしようもないけれど、他の連中がいますから。組織は一つのボリュームになるから、力になります。それを少しずつでも組織化して、現実の場、発言出来る場をつくっていくということだと思います。私だって、1人で始めたのが今では6人になっているわけだし。やっぱり組織論というのは大事だと思いますね。
岡部:こういう組織論は、たとえば南條史生さんのところも6〜7人でやっていますけど、小さいけれどトータルでやっているところと大きな企業の中の組織としてやっているのとではだいぶ違うでしょうね。
秋元:そうですね。私は全体の中でどういう役割かということはわりと意識してますね。独立した組織としてはすぐに潰されてしまいますから。そこはやっぱり会社の中での同等の役割というのがあるので。行政にしても同じことだと思います。そこでイニシアティヴをとれるかどうかなんだと思いますね。このあいだ、県立美術館の若い学芸員と話していたんだけれど、あそこも統括しているのは県の教育委員会で、そこでの5年、3年という中小期の事業計画のなかで全然提案できていないんです。要するに将来構想はみんな役所が考えているんです。
岡部:それを提案するといろんな意味で責任をとらないといけないんですよ。自分で提案したら実現の責任がかかる。だから、できないということもある。行政は提案しても普通3年ごとぐらいに部署が変わりますから、個人的にはそれほど責任がかからない仕組みになっている。でも学芸員は、もし失敗したら一生責任を負わされるかもしれない。でも、やるべきですけどね。
秋元:あぁ、なるほどね。でもそこをやらないと、変わらないと思う。そこの部分をつくって初めて一つの内容が出来るわけだから。うちは今も中小期の事業計画を書くところから始めているし、それを会社に承認してもらう手続きとっていく。それを組織の中にブレイクダウンしていって、直島の役割を決めていくようにしないと進まない。
岡部:同じ方法論で行政に対して働きかけが出来そうな気がするけど。
秋元:多分、変わらないといけないのは、館長とか、その次の実際に館を運営しているスタッフが美術のことをもっと真剣に考えていかないと難しいんじゃないかな。
岡部:みんな頑張っているんだけど、それぞれがバラバラな感じがある。学芸部が一つの組織として連帯して何かをやっていくというところで責任をとる人が少ない。全体がプロジェクトチームにならないんですね。一番欠けているところはそこだと思います。
秋元:そうですね。学芸員一人一人の問題ではなくて、組織の問題だと思うんですよね。指示・命令というのは常に上からくるんです。下からあげるというのがない。不思議なくらい、企画書を書いて、それをあげるというのがないんですよ。うちはその点開けていて、わりとあがってくるんですよ。まず上から全体の方針が出る、それを各部門で下から積み上げていく、それで筋が通るというのがあります。そういうふうにやっていかないと。
岡部:全国どこの県や市の美術館も同じような問題を抱えているでしょう。その部分を今研究しているんだけれど、どうしたら改善できるかと。これは意識改革だけではないと思うんです。それぞれの人は意識が高い、にもかかわらずうまくいかない。
秋元:それはね、もう仕組みの問題ですよ。仕組みを変えない限り無理。今の権限の在り方だと、個人が幾ら能力が高くてもそれを発揮できない。
江原:学芸員は企画というか、限られた権限しかもっていないですか?
秋元:そう。全体を運営するということがない。
江原:お金をつくるというのは誰がやるんですか?
秋元:それはもう持ってる。
岡部:つまり100円の予算のうちで、公立美術館などの場合、自分たちで得られる収入は12円位ですし、稼いでも直接に館の収入にはならないという仕組みも多いので。
江原:下さいって言わないんですか?
岡部:当然、毎年言うんですが、同じ予算額しかもらえなかったり、減らされるだけみたいな。
秋元:実質的な関わりじゃないんだ。形骸化しているというか、形式化してるというか。
江原:美術館などは、行政なり議会のほうがつくろうというのでつくったわけですよね。
岡部:でも、当初の行政の人は変わります。また市長が中心になって創っても違う派閥に変わったり、市長が変わるとプロジェクトが進行している段階でも停止したりして、政治ともかかわっている。
秋元:仕組みの問題なんだと思いますよ。すごくピュアで侵されやすい状態のままになっている。だから、防御していかないと。我々にしてもかなり闘っているし。経理の担当役員はやっぱり文句を言いますよ、だけどその時はこっちもそれに合わせた用語を持っていかないと。そういう時は私も完全に経理的な用語しか使いません。
岡部:同じフィールドで闘わないと向こうも分からないですよね。
秋元:向こうにこれは重要な仕事で、と言っても分からないんですよ。いかに相手の手の内でやっていけるか、経理用語の中でやっていけるかどうかなんですよ。会社の方針に沿った事業であって当然必要なお金なんだ、ということを伝えていかないと。お互いの場をつくっている背景にある考え方みたいなものも理解する必要がある。とにかく自分なりに成功だと思えるところまで頑張らないと。あと、美術の人って往々にしてピュアですごく優しい人が多いじゃないですか、ナイーヴというか。
岡部:アーティストだけではなくて、関係者たちもね。
秋元:関係者もね。アーティストはある意味でしょうがないかな、と思うんだけど、キュレーションやってる人間やマネージメントやってる人間は、もうちょっと図々しいほうがいいと思うんですよね。ビジネスとして考えられるようなメンタリティとか戦略を持っていかないと潰れちゃいますよね。たとえば予算のことで叱られた時に、それを全部自分の責任として受け止めちゃうと、耐えられないですよね。それは仕事のうえでの自分の役割として考えていかないと死んじゃいますよね。
岡部:自分が潰れてしまうと思うので、日本のキュレイターには出来ないことが多いのではないかしら?
秋元:役割だと思える仕組みにしていかないといけない。自分自身もそういうふうになっていかないと。仕組みを徹底的に考えるということだと思うんですよ。権限の問題と、個人の能力とその評価が連動するような仕組みをつくっていくというか。やったことがどういうふうに組織の中で評価されるか、というのが全然ない。ほとんど分からないでしょう。だから自分で満足するかしないかということになっちゃうじゃないですか。それだと辛いと思うんですよ。
岡部:少なくとも日本には評価がないですね。自分でも評価できる人間になっていかないといけないんだけれど、同時に仕組みとして評価できるようにしていかないといけない。
秋元:個人では難しいと思うんですよ。評価が下せる基準みたいなものを作っていかないと難しい。美術や音楽のような芸術の分野はそういうことに向かないけれど、それでも一方でやっていかないと、これ以上は、個人の頑張り以上にはならないんじゃないか思うんです。組織としての力が全然出ない。一人一人の人間が頑張ったことが、全体の力になっていくような運営論、組織論をつくっていかないと。
岡部:直島でも会議やシンポジウムをなさってますね。そういうことを考えたいからですか?
秋元:あれは、テーマ自体は建築とかアートというのでやってきたものだから、そういうものではないです。今みたいなことは、会社の運営論に関わるので。私自身が一番困るのは、アートという相対的な価値判断ができないものを、どこまで相対化していくようなものに落とし込んでいいのか、というのをずっとテーマとして持っている。評価というのは相対化することですから。
岡部:また観客が介入すれば、相対化せざるを得ないところがあるわけですし、自分はこれがいいと思う、というような個人的な関わりだけだと自己満足に陥ってしまうけれど。
秋元:あと、組織の人間もそうなんだけど、ものすごく遠い目標をぶら下げられてもやれないんですよ。5年、3年、1年、今月というように段階を区切っていくとか、目標を具体的にしていくとかしていかないと、バラバラになってしまう。我々メンバーの中での会議とかやりとりは頻繁にやるし、その中で必ず目標やどういう目的でやるのかというのを確認していく。その作業が多いですね。どこまでやれると、とりあえず出来たか、出来なかったか、というのは常にクールに見ています。
岡部:実現に関するプロセスのつくりかたですね。アーティストは自分の作品をつくる場合にある程度そういうことをやっている。構想があって、それを実現していくには制作費をどうするか、スタッフをどうするか、というのを考えるから、かえって慣れているかもしれない。キュレイターは内部の人員が少ないし、大勢の組織でオーガナイズする機会が少ないから、すべて自分でやらなくてはいけないと思ってしまう。だけど大きな仕事だと一人では出来ないですからね。しかもイニシアティヴがとれなければ周りは動かない。
秋元:私自身はビジネスに関しては、今の会社に入って随分勉強したところがあるんですが…たとえばアメリカの企業のマネージメントの仕方を日本の企業は真似しようとするじゃないですか、これはかなりの部分美術の分野でも使えると思います。サラリーマンをやってみて強くそう感じます。企業のマネージメントは実践的なものですよ。理想論じゃなくて、如何に勝つか、如何に利益を上げるか、とかね。これは美術の人間が具体的な戦略として取り入れていいんじゃないですかね。そうでないと突破できない。会社に入って一番良かったのは、現実の中にどう落とし込むかという方法を学べたことですね。けっこうエグイですからね。
岡部:厳しい世界ですよ。でも実質的ですからね。
秋元:非常に実質的ですね。
岡部:先日、美術史学会で「美術展覧会と観衆」というテーマのシンポジウムがあって、パネラーとして参加したのですが、こちらでは来館者に関してのアンケートとなどの研究はいかがですか?
秋元:一応、毎月宿泊した人に対してはアンケートを取っています。運営会議で必ずアンケートをもう一回全部データにおとして、企画内容への満足度を確かめています。
岡部:そのアンケートはホテルに関してのものとアートに関してのものと両方あるんですか?
江原:ホテルに関してが多くて、あんまりアートに関してはないですね。
秋元:それと、モニターというかたちでヒヤリングをかけるものがあります。人数を決めて、インタヴューでずっと聞いていくというものです。これは、こちらの想定している施設像にどこまで近づいていけるか、とか、リピーターで非常に理解度が高いといわれる人でも、実際の意味理解のレヴェルはどのくらいなのか、ということを知ろうということでやったんです。
岡部:それは最初の頃からやってるんですか?参考になりますか?
秋元:えぇ。相手が見えないとどこに向かっているのか分からなくなってしまうので、相手を知るということで参考になります。
岡部:どういった層が直島に来ているのか正確に把握してますか?
秋元:えぇ。こちらで想定している顧客像がありますが、そこにどこまで近づいているのか、やっぱり知りたいですよ。打ってる企画が当たって、自分たちの理想に近づいているのかどうか知りたいですよね。そのへんはプランをつくり、確かめ、みたいなことをやってますね。まあまあ、そんなにずれてないかな、というところですね。
岡部:そうですか。こういう人に来てもらいたいという顧客像はどういうものだったんですか?
秋元:ピラミッド型に考えていったんですけど…今現実には「何に興味があるか」というので、建築とかアート、自然環境、リゾートみたいなものがありますよね。ほぼ建築、アート、リゾートで3分の1ずつ占めているんですよ。これはわりと理想的かなと思っています。全体としては、一番来ているのは関西地域から、次が岡山、香川。三番目が東京なので、都市型の施設ではあるだろうと思うんですが、それも、まぁそんな感じかなと思っています。あとは層ですが、ベネッセハウスの利用者は自由業とかある程度お金がある層が、キャンプ場のほうは学生さんとか企業、ファミリーになります。それもそんなにずれてはいませんね。一番問題なのは、どこまでこちらのコンセプトが伝わっているかという部分だろうと思うんですが―自分たちで意味理解の深化の過程みたいなものをつくっていて、ご飯が美味しいとか自然が綺麗というところから始まって、最後は現代美術について考えたとか自分の生き方とか哲学みたいなものを考えたというところまでいくんですが、その層をある種ピラミッドと考えて、全員がここにくることはないんだけれど上手くバランスがとれる状態にあると面白いんじゃないかと。ただ、どうしてもご飯が美味しいとか、ちょっと美術や自然に触れたとか、少し良い時間が持てた、みたいなところが圧倒的に多いわけですよ。それからその間が抜けて、ポーンとたとえば岡部さんや安藤さんといったトップの人たちに飛んでしまうんですよ。間の支える層が実は少ないんですよ。日本ではどこでもそうだと思うんですが、触れて良かったなとか旅行としてちょっと勉強になりました、というところか、もしくはプロとか専門家、関係者。間の一番支えるべきファン層が育っていないことが良く分かるんですよ。
岡部:だから、コレクターも育たない。
秋元:そうですよね。最初の段階の層を引き上げて、間の層に育てることが一番重要なんだと思います。うちはセミナーとかイヴェントをここに向けて打っているんです。“ちょっと難しいな”と思いながらもやや近づいて“あっそうか”と思えるような。今メンバーシップを考えているんですが、そこの層がないとできない。プログラムを開発する上でのポイントは、どうやるとこの人たちがもう一つ上の層になっていくかということだろうと思います。
岡部:学校教育で、我々はもちろんエリートを育てたいんだけど、同時にそういう中間層を守って、発展させたい。
秋元:今トップに立ってる人たちって、自力で上がってるでしょう。トップはほっといてもやると思うんですよ。仕組みがないと育たないところはその次の層だと思う。そこの部分をいかに仕組みとして教育制度なり美術館の普及活動というものとしてやれるかだと思うんですよ。
岡部:子供も含めて、今美術館のワークショップなどに参加する人たちが、この層に入れる人たちだと思います。
秋元:そうですよね。彼らに積極的に働きかけるようなプログラムにしていってもいいんだろうと思います。
岡部:とくに文化・芸術に関して、市民活動の中でNPOをやろうという意識を持っている人たちもこの層に入る可能性がありますね。
秋元:何がしかやりたいと思っている人たちは、かなり視野が広い人たちですが、その人たちが今ね、どういうふうにやっているかというと、簡単にやる側にまわっちゃってるのが現状。たとえば、自分の知り合いの展覧会をやってみたいと。それを町の小さなギャラリーでやりたい、と簡単に企画する側にまわっちゃう。小さい集まりみたいなものが、岡山を見ても無数にあるんですよ。それが全然大きな動きにならない。で、なんとなく欲求不満を抱えているわけですよ。開催しても自分の知り合いの50人程度しか集まらない。もうちょっと何か突破したいんだけれど、良く分からない。そういった層がたくさんいるんです。だから、いろんなものを学んで経験しないと、簡単にはやれないんだぞ、としないと集まってこないと思うんです。岡部さんはよくご存知だと思いますが、ワシントンのナショナルギャラリーのボランティア制度って、すごく難しいらしいじゃないですか。試験があったり、等級があったりする。人前で話をするというのは、試験しないとできない。ボランティアですよ、ただの。試験を受けて、承認をもらって初めてボランティアができる。そういうふうにならないといけない。今はすごく易しいじゃないですか。
岡部:一番窓口の人であり、美術館のイメージがかかってるんですからね。勉強しないといけないし、すごく知識もないといけない。日本ではやっとみんながボランティアを始めたばかりなので、まだ甘い。アメリカはすごく人数がいるからセレクションもできますが、日本では厳しくしたら、みんなひいてしまうというような問題もある。育てないといけない。
秋元:まだそこまでの状況じゃないのか。次の段階としてね。そうなってくると、今分散しているものが、一つの力になってくると思う。でないと横に広がっているだけでレヴェルが高くなっていかない。
岡部:ヨーロッパよりもアメリカのほうがボランティアが多くて、小さい頃からプロのボランティアを見ながら育っているから意識が高い。アメリカでは、ボランティアの歴史が長くて、かつてはミッション(使命)だったし、使命感が支えになって、ボランティアのプロになる。でも現在は、そこに至るまでの精神的な活力とか環境自体が少なくなってきている。特に今アメリカはベンチャーに意識が向いていて、若い人でボランティアを希望する人が少ないんですよ。だから日本の状況とあまり比べないほうがいい。日本のボランティアにはまだ甘いという状況はあるけれど、でもとても初々しい。始まったばかりで新鮮です。アメリカが困っているのは、みんなプロなんだけど高齢化していて、若い人が来ない。そうすると、仕事によっては人手が足りない。カナダでも、ライフワークとしてボランティアが位置付けられてるけれど、同じ問題がでている。
秋元:日本もそうなってこないと、経済も悪化して中高年のリストラもあるなかで、働きがいをそういった中で見つけないとどうしようもないですよね。アメリカも一時期経済が頭打ちになってボロボロになった時に大量に解雇した時期があったでしょう。その時にNPOが深化した。人間って役割の中で生きる動物みたいなところがあるから、何らかの生きがいがないと生きていけない。今の日本の中でNPOとかボランティアの役割は非常に大きくなっていくでしょうね。そういう意味ではさっきお話したピラミッドの中の次に自主的に支える層がそういうかたちで育っていかないと。可能性はありますね。
岡部:それから美術館などもそういう人を育てる生涯学習的な活動を始めていますから。
秋元:えぇ。そこがあるヴォリュームゾーンになってくると、行政に対する圧力団体というか別の力になっていく。うちも公立美術館じゃないけど、長期的に見たときに内部の人間じゃなくて、外で自分のことのように直島のことを考えてくれる層が必要だと思います。
岡部:意見を言える層や美術館のシンパが育ってくるといいですね。
秋元:我々に逆に“もともとはこうじゃないか”と言ってくれるくらいの人たちが必要なんです。公立美術館にもそういう人が必要なんだと思います。教育委員会が言ってくることに対して反発できるくらいの力がね。たとえば、ボランティアスタッフの長老格のような人たちの意見を吸い取れるようなシステムがあってもいいんじゃないかな。現場でお客さんと接している人というのはリアリティがありますよね。お客さんの反応を一番良く見ているし。我々が想定しているお客さん像とフロントのメンバーが言うお客さん像とのぶれは常に確認しておかないと。そうでないと勝手に思い描いているような部分があるんでね。いかにプランをつくるか、ということと今起きていることを認識してその差異を確実に理解できるかということが重要なんだと思う。
岡部:最後にお聞きたいのは、ここに展示されている作品に対するお客さんたちの反応についてなんですが。
秋元:週末に2回くらいスタッフがギャラリーツアーをやっているんですが、やる前とやった後では理解度に随分違いがあるというのが分かりましたね。ここでは学芸員はいないので専門的なことを話しているわけではないんですが、たとえば作家がここに来てつくった時のことを話したりするんですよ。傾向として、どこでも同じだと思いますが、単純に言えば具象的なもののほうが分かりやすいんですよね。抽象的になればなるほど分からなくなっていく。たとえば草間彌生さんの作品などですが、それは出来るだけうちのスタッフが話していくようにしていますね。あとは、宮島達男さんの作品は人気があります。
岡部:光ったりするデジタル系のものは身近に感じられるし、それが作品になると新鮮ですからね。
秋元:光りモノ、動きモノってわりとみんな好きですね。(笑)光る、動くというのはけっこう訴えかけるものがあるのかもしれないですね。
岡部:杉本博司さんの作品はどうですか?モノクロの写真を外部のテラスに展示しているけど、だいじょうぶなんですか?何年ぐらい経ってます?
秋元:あれも人気ありますよ。4年か5年くらい経ってますが、ずっと変わってないです。
岡部:ただ、中に蒸気が多少入っていた作品がありました。
秋元:あっ、ありましたか!?じゃあ、また1個換えないといけない。
岡部:アクリルのフレームを取替えるのですね。
秋元:今まで3回ありました。
岡部:外光にさらされながら、写真が全然変わってないというのはすごいですね。特殊な焼き付け?
秋元:いや、杉本さんに聞いたら、杉本さん自身もびっくりしてましたけどね。“俺は上手いな”とかって言ってた(笑)。手順としては非常にオーソドックスなんですよ。ただね、最後に水で薬品を抜くじゃないですか、あれをすごく丁寧にやってるみたいですよ。やっぱり1個1個の作業が丁寧なんじゃないですか、やっぱり。ただ本人は銀化することを想定してやっているので、“変わんないなぁ〜”って言ってます。
岡部:本人は変わって欲しいわけ?
秋元:えぇ。変わったところで、室内に入れるつもりだったんですよ。ところが全然変わらないから、とりあえず放っておこうと。
岡部:そうですね、それも面白い。何年で変わるかの実験ですね。
秋元:杉本さんは韓国か台湾で故人の写真が銀化するのを見て、面白いと思って作ったようですね。
岡部:全体的に、日本の作家のほうが分かりやすいのでしょうか?
秋元:どうかな…?
江原:説明しないと分からないというのは問題かなと私は思うんですが。説明して“あ、そうなんだ”とびっくりするもののほうが、受けがいいという感じなんです。柳幸典さんの作品もそれに当たるもので、“これはこうやって出来ているんですよ”と説明すると“あ、そうなんだ”とびっくりしたり、“外の丸いのはアーティストがこう言ってました”と言ったり、外の作品も“瀬戸内海と繋がってるんですよ”というふうにストーリーがあるとすごく納得度が高いというか。
岡部:ストーリーを知って見ている人は本当に好きかどうか分からないし、逆に派手なフランク・ステラなんかは、ヴィジュアル面だけで面白いなと思うかもしれない。
江原:ジェームス・タレルは最初暗いのが段々見えるようになってきて、変化がその時に現われるので…
岡部:自分自身の体験を通して分かるから、面白いし良く分かる。
秋元:現代アート全般に対して言えますよね。言葉で説明しないとなかなか理解しきれない。
江原:“ここにあるものこれだけで見て下さい”と言うほうが難しい。言っても“はぁ、そんなもんですか”という感じ。
岡部:あんまりピンとこない。自然のものは加工しないとアートにならないというインプットがあるから、ミニマルな加工だと“手を加えてないじゃない”と反発されるし、“これ、私にも出来る”という感じにもなる。
秋元:ものの説明では、作家の制作過程を言うとわりと理解してくれる。石を並べただけのリチャード・ロングの作品なんかだと、いつも作家は山を歩いていて〜とか作家のはこういうコンセプトでやってるんだ〜ということをお客さんに言ってあげると、“なるほどな”という反応があるかな。かなり説明を要する部分がありますけどね。
岡部:あと、ベネッセハウスの建物と建築に関してはどうでしょうか。
秋元:ほとんど建築と一緒に見ているようなところがあると思います。作品が真っ白いホワイトキューブに入ってない分、まだ気楽に見られる。
岡部:変形の展示室が多いですね。
秋元:場をつくる上では建築はかなり重要ですよね。器としての機能は建築によってほとんど決められてしまうし、建築自体が強いメッセージを持っているからアートの見え方も変わってしまう。安藤忠雄さんのキャラをそのまま建築に出してるんだと思うんだけど、コレクションに合わせて空間をつくることは出来ないですよ、考えてない。安藤さんが作った世界を利用して、コミッションワークみたいなかたちで埋めていくようにしないと幸せな空間はなかなか作れないかな。
岡部:作品によっては負けますから、アーティストが負荷を負うところがあるでしょうね。その重さを越えられないと難しい。
秋元:そうですね。安藤さん自身が一つのブランドになっているので、建築を見にくる人もかなりいますよ。
岡部:この本館だと美術館ホテルという感じのアートとの関係ですが、アネックス(別館)をつくったコンセプトは、もう少しべつの潤いのある場所をつくるためですか?もっと自然にアートとの関わりや自然との関わりを強調したのかしら(客室の内部スペースを)。本館には、建築とアートの葛藤みたいな緊張関係がありますね。
秋元:そうですね、緊張関係ありますね。今おっしゃったように、本館にはいろんなものがあるので。別館は建築とロケーション中心です。建築として向こうの方がのんびりしているでしょう。
岡部:安藤さんものびのびしてるし、見るほうものびのびする。泊まる人には、別館のほうが評判が良いんじゃないですか?
秋元:えぇ、やっぱりあれは良く出来てますよ。安藤さん自身も別館は、何もない所に自然があって人工物としての建築をどうつくるか、なので非常にのびのび出来ますよね。そこに“安藤さん、アートがありますよ”と言うと、また違った結果になったと思うんですよ。だから建築としての独立性というか、持っている強さというのはありますよね。
岡部:オブジェ性がありますよね。
秋元:別館のサイズというのも安藤さんの得意とする部類だと思います。大きいのはちょっと苦手っぽいですね。あれはいい作品だと思います。
(テープ起こし担当:越村直子)
秋元雄史(当時、直島文化村総括、現在、アーティスティックディレクター)×
江原久美子(当時、直島文化村企画担当、現在、家プロジェクト担当)×
岡部あおみ
場所:ベネッセアートサイト直島
01 ベネッセの基幹:進研ゼミ
地中美術館の遠景写真
© Aomi Okabe
02 国吉康雄がベネッセにたくさん
03 ベネッセ=良く生きる
基本的には、考え方としては、人の向上意欲みたいなものをサービスしていく、サポートしていくというふうなこと、それ自体を伝えるブランドとしてベネッセ=良く生きるということ…
04 何でこんなのが出来ちゃったの
05 「家プロジェクト」はすごくいい
宮島達男
ジェームス・タレル
© Aomi Okabe
06 自主運営を目指して
07 アーティスト・イン・レジデンス構想
地中にまで続いているガラスの階段
© Aomi Okabe
08 アーティストはみんなしぶとい
09 創業以来増収、増益
10 ヴェネツィア・ビエンナーレ・ベネッセ賞
11 地域の中で美術館はどうあるべきか
12 個人能力を発揮できる組織を!
13 キュレーター、もっと図々しく
14 一人の頑張りを全体の力に
15 「直島」の顧客像
ウォルター・デ・マリア 「タイム/タイムレス/ノータイム」 2004
(地中美術館、撮影:Michael Kellough)
16 日米ボランティア事情
17 作品へのお客さんの反応は?
杉本博司
左:フランク・ステラ 右:ボロフスキー
手前:リチャード・ロング 奥:柳幸典
祭國強
© Aomi Okabe
18 ベネッセハウスの建物と建築
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