イントロダクション
あちらこちらの興味をひかれるイベントに足繁く通っていたとき、ある著名な美術関係者に「岡部さんは神出鬼没だね」と評されたことがあった。当時、アサヒビールの社会貢献部門の推進役として活躍していた加藤種男氏こそ、私の眼には、魔法の健脚をもつ神出鬼没な端倪すべからぬ人物だと写っていた。
今回のお話のなかに、ダンスカンパニー「伊藤キム+輝く未来」についての楽しいエピソードが出てきたが、彼がかかわりをもってきたイベントやアーティストなどは、当初は先駆的なためにマイナーだったことが多い。そうした実験的なものを評価するには、芸術への先見的なまなざし、社会に対する責任感、そして受容者と分かち合える現場感覚が必要になる。
加藤氏は生粋の「学園闘争世代」(団塊という言葉を私は好きになれない)で、1990年にアサヒビールの樋口社長の政策秘書という形で途中採用されるまでは、工場の旋盤工として働いたり、長年一種の「隠遁生活」を送っていたらしい。その「復活」が、バブルの崩壊へと進んだ日本の90年代で、社会とアートを結ぶ草の根的な意識と連動し、ついに、NPO法の制定へとつながってゆく流れは、まさに時代の劇的な変化を象徴し、時代の要請を物語っているといえる。
日本NPO学会理事、内閣府NPO評価に関する調査委員会委員などを歴任し、ご自身もNPO法人アートネットワーク・ジャパン理事などを務められ、2002年に開始した「AAFアサヒ・アート・フェスティヴァル」は、全国のアートNPOや市民グループとのゆるやかな協働をめざし、多岐にわたる領域でネットワークによる面としての企画へと広がってきている。
2004年からの横浜市芸術文化振興財団での仕事はまだ開始したばかりだが、NPOの拠点「BankART」、横浜美術館、横浜トリエンナーレなど、横浜がこれまでとは異なる有機的な芸術文化の力を発揮する原動力になっていただけるのではないだろうか。
古いものも新しいものも含めた生粋のアートラヴァー。その情熱が、温和な笑顔に満ち溢れているのも頼もしい。
(岡部あおみ)