出光真子 Idemitsu Mako
日時:2004年5月11日
場所:出光真子スタジオ
01 戦争と平和の往還
岡部あおみ:森美術館のキム・スンヒーさんがキュレーションなさっている「境界線上の女たち」という展覧会に新作のヴィデオ・インスタレーションを出されるのですね。ユン・ソクナムさん、パク・ヨンスクさん、嶋田美子さんも参加されますね。
出光真子:今度は戦争と平和っていうことが私のテーマですね。タイトルは『The Past Ahead』(直前の過去)で今の日本の動きが、私は戦前にすごく似てきていると思うんですね。
岡部:ナショナリズムの形成されかたということですか。
出光:すごく平和です。だけどずっと変わってきている。保守的な人たちが力を持ってきて自衛隊が軍隊化し、見てると戦前そっくりで怖いなと思うんですよ。負けてるっていうことに関しては、戦争中でも東京に爆弾が落ちるまで皆あまりピンと来なかったみたいです。そんな風になるんじゃないかな、ある日気が付いたら「あれっ」ていう、それが怖くて。その頃丁度、真珠湾攻撃のあった頃に私が生まれて、2歳くらいだと思う。こんな平和な写真があるんです。
岡部:お姉さまと三つくらい違うんですか。家族はまだまだ平和だけど...
出光:二つ半です。こうした家族の写真を撮ってる間にああなってしまった。平和でも、あるボーダーラインが一本入ると、まさに戦争中の写真になる、古い映像を引用した映像に切り替わる作品を作っているんです。平和の市民生活は自分の家族の写真を使って、戦争中は古い戦争中の記録映画がいっぱいあるんですけど、そこから少しずつダブるというかポンと切り替わる。プロジェクターで壁に投影します。ボーダーラインを越えない限りは平和がリピートしている。ボーダーラインを越えたところで戦争中の、例えば1分から2分の間、中国の映像が映るんだけど、また平和に切り替わる。で、もしまた誰かがボーダーラインを通れば、今度は慰安婦の場所の問題と言う風に展開します。
岡部:インターラクティヴになっているのですね。ボーダーラインということでいえば、イラクの問題でも、収容所のボーダーラインを越えて見えない領域に入った途端、何が起きてるかはだれも分からない。ニュースなどで戦争のイメージしか見ていなかったということもありますね。自衛隊を私たちの政府が出しているということで、我々が戦争に関与しているということを意識する必要がありますが、そういう意識にはなかなかならない。想像力の問題ですが。メディアが何らかの形で見せるまで、想像しないで済むようになっている。
出光:想像力の問題、本当にそうですね。イラクの虐待の問題だって、アメリカがベトナム戦争でやったソンミン村の問題とかを考えれば何が起こってるかわかるし、アフガンだってメディアに出てないだけで起こっていますよ。(1968年に南ベトナムのソンミン村で無抵抗の女性や子ども109人が米軍に虐殺された事件)
岡部:見せられなければ信じようとしない、その方が楽ですから。出光さんの作品は、そうした社会現象と人間の意識の現実といったボーダーラインを越える事を主題としているように思います。展覧会楽しみです。
洋二どうしたの/1
photo Naganori Akui
02 MOMAのすばらしさ
岡部:森美術館で開催されているニューヨーク近代美術館(MOMA)展に参加している3人の日本出身作家の一人ですが、今回のMOMA 展をめぐる話を少し伺えればと思います。MOMAに作品が収蔵されているのは、出光さんの自伝的な著作『ホワット・ア・うーまんめいど』でも出てきますが、私も会ったことがあるバーバラ・ロンドンが映像作品を気に入って、すぐに買うという方向になったわけですね。
出光:彼女がすぐに「私これについて書こう」と言ってくれたんですね。それで、気に入ってくれたんだとわかりました。中谷不二子さんがなさっていたSCANを通して購入してくれたのだと思います。ポンピドゥーにも『洋二、どうしたの』という母と息子関係の映像作品があります。
岡部:日本の美術館ではどこが収蔵していますか?
出光:幾つかの美術館には入ってますね。大阪の国立国際美術館にも数本入ってますし。
岡部:MOMAの場合、制作してすぐに購入になっているので、そういう意味では一番最初のコレクションに近いですね。
出光:そうですね。バーバラが凄いと思うのは、80年代に作ったんですが、日本で見せるところが無いからニューヨークに行ったついでに彼女に見せたらすぐ気に入ってくれたという事。時代の流れの中でこの作品が一つの位置付けを持っていることを知らせてくれた。このヴィデオの中では、映像のなかにもうひとつのモニターを使う方法をとっていて、当時は誰もやってないやり方でした。それをパッと感じ取ってくれたんですね。
岡部:私は『英雄ちゃん、ママよ』の映像作品は今回、森美術館のMOMA展で初めて見たんですけど、グサッときました。弟がいるので、やや不可解だった母と息子の関係が少しわかった気もします。
出光:そうですか。これ作った頃、日本では母と息子の関係ってほとんど話題にもならなかったですよね。ずっと後になって、「冬彦さん現象」というマザコン息子の話がTVドラマになって話題になりましたが。
岡部:大きな展覧会で映像を見せる場合は、10分以内にすることが多いですが、これは長いですね、27分ぐらいでしたっけ。
出光:オープニングの日に自分の作品だから気になって見に行ったら、お母さんらしき方と娘さんらしき方二人で並んで見てて、すごく面白い反応がありました。「見てもらえるとこういう反応があるんだ。見てもらえないと始まらないな」と思いました。
岡部:映像作品はカタログなどの一枚の写真では全然わからないし、ハンディがありますね。また大型の展覧会だと観客のほうに時間の制限があるので、全部見ないで行ってしまう人もいます。最近は映像作品がきちんと大きなインスタレーションなどで展示されるようになってきたから、いろんな方が見てくださるようになって、うれしいですが。
出光:特に今回の森美術館の展示は見やすいですよね。
岡部:疲れたから丁度座って見たいという場所を選んで映像作品をまとめてあり、ゆっくり見られました。出光さんは、ずっとアメリカと行き来していて半々くらいアメリカにいるのかと思っていたのですが。
出光:1973年に帰ってきて80年くらいまで行き来してたんですけど、離婚してからはほとんどたまにしか行ってないですね。初めてニューヨークに行ったのが20歳の時ですから44年前。ニューヨーク近代美術館にも行って、「すごいな」と思ったのは記憶の隅にあるんですが。
岡部:映像をやっている方たちと美術館の関係は、今はすごく近いけれどもかつては遠かったですしね。ただ、MOMAは他の美術館に比べると最初から映像や映画のコレクションをやっていたところが先駆的でした。出光さんの作品を自分たちの判断で評価してすぐに購入し、美術館で見せたりして普及にも務めるっていう姿勢がすごいですよね。
出光:本当にそう、あの頃の私、全く無名で評価も無いですから、それを気に入ってパッと買ってくれた。それだけで充分ですね。他の作家に対しても同じで、その時代のその作家の旬の作品を集めてるんじゃないかと思いますね。
岡部:だから良い作品を持っていますよ。
出光:ニューヨークに住んでる友人によれば、アーティストのキャリアを大事にして育てていこうという姿勢が、MOMAの場合は強くてアメリカ在住の、特にニューヨーク在住のアーティスト達にとっては大変励みになるサポートだと聞きます。
岡部:出光さんも若くて迷っているような時、エネルギーがもらえるという感じですよね。
出光:そうそう。アメリカに行っていて、帰ってきたとき「ああ、やろう」っていう気分になりました。
岡部:それはよくわかります。MOMAのこれまでの業績があって、はっきりそこが評価してくれるという事はそれなりの裏付けと展望によっての評価ですから、自信と希望が湧きますもの。
出光:それは大きいです。事実、とりあえず自分の略歴の中に入れますよね。アメリカに対する意識があるので、ヨーロッパはそれほどじゃないんですが、アジアの国々に行くと「MOMAにあるんですか」ときちんと扱ってくださる。それはありがたい事です。日本で私の作品は、一般にはそんなに知られてないけれど、今回、森美術館で出品しているのを知った方は、「やっぱりそれだけの作家だったの!」とあらためて見直してくださるし。
岡部:今回のMOMA展、ご覧になってどうでした?
出光:オープニングで見た限り、良い作品をきちんと選んできていると思いました。サム・フランシスが入ってないのはすごく良かった。
岡部:テーマを中心にして、MOMAからの展覧会担当者は、女性二人のキュレーターだったし、日本側はキム・スンヒーさんということもあり、女性にアクセントが置かれていましたが、それほどあからさまではない。彼女たちと話をした時にはそう言っていましたが、見た限り比較的バランス良かったと思います。
出光:美術の学生さんがニューヨークで学んでいたとしたら、ああいう形でザッと見るんじゃないかという感じもしたんですけどね。だからニューヨークで学んだアートスクール卒業のアーティストだったら懐かしかったんじゃないかと。
岡部:そうですね。きちんと年代的に見られるようにしてあるし、それでいてテーマを分けていたところが考えていると思いました。いわゆるMOMAの絵画中心の名品展は今まで日本でも開催されてきたのですが、現代美術に関してはあまり重視されていなかった。今回は建築デザインも入っていましたし、映像も含めて、彼らのコレクションの全ての領域を見せたのは初めてでしょう。これまでとは違う美術館のイメージが伝わるといいと思います。
Past Ahead @ museum
photo Masatoshi Mori
03 社交の場としての家庭と子ども
岡部:出光さんの前夫のサム・フランシスには、会った事は無いと思うのですが、彼についてのドキュメンタリーを観た事があり、『アートシード ポンピドゥ・センター美術映像ネットワーク』)リブロポート)というアート・ドキュメンタリーについての本を書いたときに章を設けて、サムについて書いています。私自身もヴィデオで日本の女性作家で、田中敦子さんという人のドキュメンタリーを撮ったことがあるんです。ポンピドゥー・センターで開催されていたアート・ドキュメンタリーのビエンナーレの審査を2度やった経験があり、何百本と観ましたし、そのうち作りたいと思うようになったんですね。そしてたまたま参加していたアート・ドキュメンタリー作家の岸本さんと知り合いになり、撮影をお願いすることができて、3年がかりで作ったんです。
サムのドキュメンタリーには、プールの中で息子と遊んでるシーンがありました。アメリカの生活って楽しそうですね。パリもよく友人の家に呼ばれたり呼んだりで、パーティ疲れするほどでしたが。
出光:私の息子ですね。サムが言っていたけれど、彼もパリに一時住んでいて、パリだと「キャフェ」の役割がすごく大きかったって。だからアトリエで仕事して、「もう一人で居るの嫌だ」と思ったらキャフェに行けば誰かがいたって。それで僕は続けられたという話を聞いた事あるけど、そういうものは日本には無いですね。
岡部:だから家庭が無いと、日本では孤独かなとも思います。それで家庭でのつながりが強くなる。日本だと、海外のような家庭同士の社交が少ないので、女の人は楽は楽ですが、ちょっと寂しい。でも仕事以外のおもしろい人達とはどうやって会うのかしら?
出光:あと一つ大きな違いは、日本ではご馳走しなきゃいけないんですよ。アメリカなんかだと「会うことがご馳走」だから、何も食べるご馳走を出す必要がない。「勝手にやってください」と。日本だと、ごちそうの量で評価されたりしてね。
岡部:海外だとこうした社交で、準備は大変でも、面白い人から面白い人に有効に輪が広がっていくところがありますけど、日本の場合は「あるところまでは皆が同じように仲が良い」、でも、もっと近い関係はなかなかできない。自分の家に呼ぶと、何もかも見せてしまうわけですから、恥ずかしがる余地がないですし。
出光:それはあります。人によってベッドルームを見せるか見せないかで親しくなる度合いがきまるわけ。ベッドルームを見せない場合は「まあここまでのお客さん」、でもベッドルームを見せてあげたらもう、うんと仲良くなりますよっていうところあるでしょう。
岡部:でもフランスの場合は、部屋がみな狭いから、ベッドルームは山盛りのコート置き場みたいになっています。私が長年ヨーロッパに住んでたせいもありますが、出光さんの『ホワット・ア・うーまんめいど』の日常生活の描写なんかも、欧米の違いを含めて面白かったです。ただ家事は女性側の負担が多いからどうしても大変ですよね。
出光:子どもがいたら本当に大変!だって子どもって殺したら殺人ですからね。食べさせなきゃいけないし、怪我でもさせて事故でもあって死につながったりしたら、しょっぴかれるわけでしょう。そうするとわが身も可愛くなるじゃないですか。そういう事にもなりたくない。子どもが可愛いからそういう事をしないというだけじゃなく、一方では自分も可愛いから、子どもに何かあったらまずいということもある。二つありますよ。
岡部:将来、変な子どもになって後で困ることもあるから、ちゃんとした人になって欲しいという気持ちもあるでしょうし。二人の息子さんはアート関係の仕事をなさってるんですか?
出光:下の男の子が絵描きです。彼は34、5才、この間スパイラルでグループ展をやりました。去年も同じ催しがあってその時にも彼は出品してます。最近の作品はなかなか良いんですよ。・・・人のことになるとペラペラ喋っちゃう。(笑)南條史生賞をいただいてグループ展に参加したり、今年はまた別のブースをいただいたり。スパイラルのフェアではなく、静かな画廊の空間できちんと見せなきゃいけないと思うけれど。そんな感じで少しづつ彼もキャリアを始めてます。長男の方は関係のない分野で生きてますけど。
岡部:お一人だけでも近いところにいるといいですね。
出光:「分かり合える」っていうのはすごく嬉しい。「作るの大変だよね、嫌だよね」と言えるのはね。
岡部:お二人の母になられた後、サム・フランシスと離婚し、またすぐに再婚なさってますよね。現在の旦那様は何をやられているんですか?
出光:彼は会社員です。一家に一人そういう人っていたほうが良いんですよ。体験からして。アーティスト同士の結婚はよろしくないと思う。どうしても女がつぶされる。
岡部:『清子の場合』や『加恵、女の子でしょ』も、女性のアーティストがつぶされる話ですが、最近の若いカップルの場合は割と大丈夫になってきているけれど、かつては大変だっただろうと思いますね。これからもっと変わるかもしれないですけど、強い女の子もいるので、女の人が男の人をつぶしたりとかのケースも出てくるでしょう、きっと。
出光:それはいいですよね。
岡部:これまではどうしても小さいときからやらされていて上手くなっているので、女性が家事に割く時間が多いですから。男の子は逆に最初からやらないでいいと育ってるから下手で、勘が悪いので、結局、やってもらっても効率が悪い。家庭教育と単なるトレーニングの問題だと思いますけど。
出光:そうですね。映像製作者の中でカップルがいるんだけど、子どもが生まれて、電話で聞いた事があるんです。「子育をどういう風に分担してるんですか、家事をどういう風に分担してるんですか」と聞いたら、「僕がやると子育ての効率が悪いから、彼女がやるようになっている」と、ひたすら効率を言っていましたね。
岡部:小さい時からの躾とかのジェンダーの相違なのですけれど。これからは変わっていくと思います。
出光:そうあって欲しいですね。それと子どもに何か起こると母親が世間にたたかれるでしょう。父親はたたかれない。母親の問題として捉えられる。それは今でもあまり変わってないような気がします。
Hideo, It's Me Mama English
photo Naganori Akui
04 一般の人たちにも見せられるといい
岡部:SCANで映像を見せていただいたことがありますが、東京だとどこで出光さんの作品を見られるのでしょう。
出光:渋谷に近いウィメンズプラザで見られます。1980年代にオープンして、その時はバブル景気だったからすごくお金あって随分作品買ってくださった。それが今でも収蔵されていて、いつでもブースで観られるようになっています。
岡部:出光さんの映像は、皆が心の奥にしまっておきたい触れられたくないタブーとか、自分だけが知っているけど自分にも隠しておきたいような欲望とかに、パッと踏み込みますよね。その踏み込むところは皆「イヤだな」って思うんじゃないかと思うんだけど。「グサッ」「ズキッ」と来ますからね。でもそのショックで忘れられないとか、そういうのが積み重なって評価につながると思うんです。男性が見た場合はどうなのでしょう。女性の問題が中心だし、女性にとっては反省材料にもなるし、生き方を参照しながら、「自分はどうしよう」と思ったり。男性の観客でへんな人がいたという話が本の最後にありましたが。
出光:いるんですよ。あの人は異常ですけどね。でも女性センターなんかに行って話をすると、中年の男性で、定年退職したような方がいらっしゃるでしょう。そうすると大抵皆さん一石ぶっていきますよね。「やっぱり女は家庭に戻らなきゃいかん!」とか。だからまだまだ多いなあと思って。
岡部:長生きだし、高齢の人もいて、そういう人たちが小さい時から刷り込まれた道徳観は、教育でも脱することができないものがあるのかもしれないですね。
出光:女性センターのそういう催し物に興味を持って、いらっしゃる方は、心がちょっと柔らかい人じゃないかなと思うんだけど、一石ぶたれて「あんたはこんな作品作ってちゃいかん、もうちょっと、少子化の問題もあるし子どもをみんなが生むような作品を作んなさい」なんて言われるとねえ。でもそれだけ彼らの心を何かちくっとするところがあるのかなあと思って、反応が全く無いよりいいとは思うんですけどね。
岡部:神戸芸術工科大学にいる映像作家の森下さんが出光さんの映像展をなさって、図録を送ってくれたんです。森下さんとは1995年の阪神淡路大震災後に、一緒にアートプロジェクトをやった仲です。「やりました」って彼は高揚してましたね。「素晴らしいですね、見に行けなくて残念だった」と言ったのですが、これだけの映像をまとめて公開したのは初めてですね。
出光:本当に初めてです。森下さん渾身の思いでまとめてくださいました。
岡部:最近やっと美術館が映像作家にも興味を持ってアプローチしていますから、また東京かどこかの美術館で見られるといいのですが。映像の専門の会場だと、愛好家は来てくれますが、一般の人にはなかなかアクセスがないですし。
出光:その意味で今回のMOMA展に出品できて本当に良かったと思う。展望台からも来るわけですし。アートにも入るんだと思ってくれるのはすごく嬉しい事だし、意味のある事だと思う。
岡部:今までそうしたアクセスが本当に無かったので、どうしても関係者やマニアに限られてしまった。広がらない。本当は出光さんの作品、一般の人が見たら絶対面白いと思う。
出光:私がオープニングの日に見た母娘は普通の人ですが、「わあ母様!」なんて言いながら笑っているんですよ、お互いに肩たたき合って。一般の人も面白いと思うんですけどね。
岡部:主婦の一日とか、主婦の心象風景は、森下さんもカタログに書いていたと思うけど、一般の人が見たら様々な刺激や考え方を受けやすいと思うんですね。問題提起が明確ですからわかりやすい。男の子が見ても、自分のお母さんを思い出して「うーん、ズキッ」となりますよ、きっと。ユングの精神療法を、ご自分でも受けてらっしゃるんですね。
出光:今はやめてますけど、1960年くらいに始めて、20年近く、長いですよ。
岡部:アメリカと日本と両方ですか?
出光:そう。アメリカは短かったんです。日本は73年に帰ってきてからずっとですが途中で河合先生をやめて他の先生に移ったんだけど。アメリカでは言葉の問題もあった。彼にとって一番の問題は日本の神話を知らないことでした。ユングの場合は、夢を解釈するときに神話ってすごく大事じゃないですか。そうすると神話を知らないから僕は何とも言えないという答えを随分いただきましたね。
岡部:そういう意味でも、日本語を言語としている日本に帰ってきて、ご自分としてはすごく良かったということはありますか。自分自身の輪郭を感じたり、アートとも直結していますよね。対話が出来て、本当は話せないような自分自身の事も話せるようになり、そういうところが作品とも関係をもつわけでしょうから。
出光:それはすごくありましたね。
岡部:日本の家族問題が取り上げられてるから、海外での反応が知りたいと思ったのですが。ユダヤ人の家庭は母親が強いのではないですか?
出光:そう。だからユダヤ人が喜びますよ。「うちの母よりひどいのがいる」って(笑い)。
岡部:イタリアも割とマリアの国ですから、ママが強い。イタリアでも展覧会なさったらいいかもしれないですね。
(テープ起こし担当:中西由紀恵)
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