イントロダクション
永代橋の傍らにあった古めかしい食糧ビルが消えた。その最後を飾った「エモーショナル・サイト」展で、小山登美夫ギャラリーは村上隆、奈良美智、杉戸洋、落合多武らの展示室をプロデュースし、ポール・マッカーシーやジーン・ダニングなど身体性の強いパフォーマンス・ヴィデオを巧みに展示して、強烈なインパクトを与えた。
東京ではじめて、若手の企画画廊のオーナーが集まって食糧ビルにギャラリーを開廊したのは、じつに歴史的な快挙。オールタナティヴな活動の場となった佐賀町エキジビットスペースが端緒をつけたこの佐賀町の一角は、長い間、知る人ぞ知る現代アートの「名所」だった。そのビルが売られ、解体消滅することが決まって「エモーショナル・サイト」展が開催されたとき、名所に別れをつげるために驚異的な数の人々が集まり、ビルを埋め尽くした。名残惜しい、懐かしい気持ちが、亀裂しぼろぼろになったビルの肌にしみこんでいく。その壮観な光景のただなかに、感無量という表情の小山登美夫氏が佇んでいた。
名所を存続させるべく、ギャラリスト「G9」たちは新たなスペースを求めて動きだした。近くの隅田川沿いには巨大な倉庫も多く、結局、永代橋を渡った佐賀町の川向こうに当たる新川に拠点が見つかった。さらに六本木の森美術館に近い場所に「コンプレックス」というギャラリー・ビルが登場する。小山登美夫ギャラリーは、SHUGOARTSとギャラリー小柳らとともに新川に移り、TARO NASUギャラリーは、レントゲンヴェルケやOta Fine Artsらとともに、コンプレックスを牙城にする。佐賀町から、二つのより充実した画廊の拠点が誕生したことになる。ホッと胸をなでおろしたのは、彼らばかりではない。不況のなかでも、現代アートだけは右肩あがり? これら東京の画廊街は、じつにインターナショナルな雰囲気がある。まるで外国にいるようにスマートだ。
2002年にシドニー・ビエンナーレを見に行ったとき、たまたま市内で現代アートの珍しく大規模なオークションが催されていた。アメリカ人の女性がしきるオークションで、米国の作品が多かったが、日本からは小山登美夫ギャラリーが参加、杉戸洋の大作などが高額で落札されていた。
世界に誇れるアートマーケットを創ること、村上隆、奈良美智をはじめ、世界を席巻するアーティストを輩出すること。日本のアートの夢を背負って、小山登美夫氏の熱い思いが世界の都市をかけめぐる。
(岡部あおみ)