イントロダクション
国際的な現代アートシーンで、「Fumio Nanjo (フミオ ナンジョウ)」を知らない者はいない。
インディペンデント・キュレーターとして国際的に華々しい活躍をする一方で、10年以上も前に、現代アートをめぐる企画組織の草分け「ナンジョウアンドアソシエイツ」というかっこいい名称の事務所を立ち上げた。日本の現代美術を国際的な舞台に上らせるために尽力し、今でも日本に欠けている「国際性」を、身をもって推進してきた人である。
2002年からは六本木の森美術館の副館長という重要なポストにある。新たな役職の立場での抱負は、開館とともに、今後さまざまなかたちで聞くことができるだろう。今回は、むしろ、長年、南條史夫氏の母体となってきた「ナンジョウアンドアソシエイツ」(現在は顧問)の活動の歴史やそれ以前の苦労話を披露してくださった。現代美術の領域で仕事をしたいと思っている多くの若者たちが、ぜひ聞いてみたいと思っていることばかりだ。
憧れのインディペンデント・キュレーターという分野を開拓した人でもある。かつては、ミュージアムなどの既存組織に属さずに、自由な立場でキュレーションの仕事ができる人は非常に少なかった。だからいわゆる美術館学芸員との違いを際立たせるために、「インディペンデント」や「フリー」といった、かっこたる前置きが必要だった。今は、個人的に、あるいは単独のオフィスをもって、展覧会の企画や地域文化活動やパブリック・アートにかかわる人たちが増えたので、たんに「キュレーター」と言っても通じる時代になった。「アート・コーディネーター」という、より広い名称を好む人もいる。
南條史夫氏は「キュレーション」を、クオリティではかることのできる表現行為だと考えている。日本でもやっと、ミュージアム論がある程度盛んになったが、「キュレーション」についての論議はまだまだだ。それは20世紀初頭から活動の歴史をもつヨーロッパのクンストハーレやアートセンターのように、コレクションをもたずに、有能なキュレーターやディレクターが現代アートのすばらしい企画展を次々と打ち出し、インパクトのあるアートシーンを長年にわたって形成してきたような生粋の「現代アートの場」が、水戸芸術館や東京オペラシティアートギャラリーが出現するまで、日本にはほとんどなかったためだろう。
森美術館の方針は現代に限らず、戦前のアヴァンギャルドなども視野に入れ、ジャンルや時代を超えたユニークな企画をめざすようなので、カバー範囲はむしろ閉館になった池袋のセゾンのような方向だが、まさに、それゆえに「キュレーション」のコンセプトや手法が問われる場として存在することになるだろう。そこに副館長としてかかわる南條史夫氏は、ご自分の実践活動以外に、若手のキュレーターたちの企画のクオリティをはかるといった大任も背負わされている。
日本発の「キュレーション」が、世界のアートシーンを大きく動かしていくような日が来ることを期待しながら、南條氏の今後の活動に注目したい。
(岡部あおみ)