イントロダクション
貴重な伝統芸術や文化財を保持している国は、それらの美術品を海外に紹介する義務がある。最近では、ますます日本の現代アート、デザイン、サブカルチャーなどへの関心も高まり、独立行政法人国際交流基金の仕事は多忙を極める。
尾子隼人氏とは、国際交流基金との共催でパリのポンピドゥー・センターで1986年に開催された「前衛芸術の日本1910−1970」展の際に、日本側と仏側の異なる立場だったが、たまたま展覧会の開催準備にともにかかわる機会があった。当時は岡真理子氏をはじめ、交流基金のスタッフもみな20−30代の若手で、よくあんな大変な要職をこなしていたものだと感心する。
だが、国内にいると、国際交流基金の活動はなかなか見えにくい。東京にある「国際交流基金フォーラム」でアジアの現代美術などをテーマに数々の斬新な展覧会を開催しているが、文化交流という大きな柱によって、どうしても海外での活動が多くなるためだろう。海外でローマ・ケルン・パリに三つの文化会館を、日本文化センター及び事務所をソウル・北京・ジャカルタ・ハノイ・シドニーなどアジア・大洋州に10か所、北・中南米に5か所、欧州・中東・アフリカに5か所など、23の海外拠点を設置・運営しており、事業内容は文化事業、日本語事業、日本研究・知的交流事業の三つに大別され、文化事業だけでも、企画調整、造形美術、舞台芸術、映像・文芸、トリエンナーレ、ポップカルチャーと守備範囲が広い。さらに日本語教育という中核をもち、アジア・大洋州、欧米、中東・アフリカなど、世界各国と日本研究を介した知的交流を行い、日米センターも運営している。
国際交流基金にはかつてアジアセンターがあり、その前身となったのが1990年に創設されたアセアン文化センター、古市保子氏は当時から国際交流基金でアジアと日本の現代美術の交流や振興、さらにアジアを担う次世代キュレーターの育成事業などを担当してきた。アジア諸国との関係が密接になり、さらに大きく変化しつつある現況の中で、アジア美術や専門家たちとのコミュニケーションをどのようにとり、今後どんな関係性を構築すべきなのか。アジア諸国は鏡のように岐路に立つ日本の姿を映し出してくれることだろう。古市氏は揺れる21世紀のかなめとなる位置で、20年間に及ぶ豊かな経験を生かし、両者をさらなる連帯へと導く仕事を担ってくれることだろう。
グローバル化とともに国際的な文化関係がより身近になり、アジア諸国でも盛んになったビエンナーレ、そして横浜トリエンナーレなどの国際展への興味が一般の人たちにも広まってきた。若手アーティストへの支援に決定的な役割を果たしている国際交流基金の活動へも、ようやくヴィヴィッドな関心が芽生えてきたといえる。世界の動静を的確に把握しつつ、どのように有効にかつフレキシブルに対応し、期待に答えてゆかれるかは、日本の未来にかかわる非常に重要な任務といえよう。
2004年に、ヴェネチア・ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレなど、海外の国際展のコミッショナーや担当を決定する国際展事業委員会のメンバーが一新し(横浜トリエンナーレのディレクターを任命する組織委員会とは別)、私も4年間この新委員会のメンバーの一人として、アートの未来への重い責任を負った。
横浜トリエンナーレ2001の組織委員会事務局長を務めた尾子氏は日米文化教育交流会議日本事務局長経て定年で職を辞されたが、浜トリ2001に引継ぎ2005の準備室で活躍された小山奈緒美氏とは、2003年にヴェネチア・ビエンナーレの日本館評価の仕事で、刺激的なイタリア旅行をともにさせていただいた。同様に浜トリ2005も継続・担当している伊東正伸氏は、『アートマネージメント』(共著・武蔵野美術大学出版局・2003年)のなかで、交流基金の役割、国際展、浜トリについて、現場の報告をはじめとする綿密な論考を展開し、貴重な資料も提供してくださっているので、とても参考になる。
横浜トリエンナーレ2001・2005・2008の際に、武蔵美の学生300名あまりによる評論コンペを毎回実施して、その結果をWebで掲載しているので、興味のある方はご覧ください。
http://apm.musabi.ac.jp/act/hyoron/
http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/menu/biennale_triennale/competition2005/intro.html
http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/menu/biennale_triennale/competition2008/intro.html
(岡部あおみ)