横浜トリエンナーレ2005 評論コンペ開催主旨
岡部あおみ
武蔵野美術大学で西洋美術史を受講している約100名の1年生を中心に、会期中に横浜トリエンナーレに足を運び、印象に残った作品について、また展覧会全体についての批評を行ってもらった。評論コンペは1年生以外にも自由に参加可能とし、学部内のwebサイトに全員掲示した。各自が直接、web上で文章の手直しができるようにするとともに、友人の批評と比較して読むことを勧めている。
ある程度、みんなが他の人の批評を読むことができる期間をおいて、web上に掲載された批評から、参加者各自が自分の批評を含めてもいいが、評価する3点を選んで投票した。教員も投票に加わり、総得点の多かった順に13名が選出され、1年生以外の参加者2名を加えて、最終コンペ選考結果として、カルチャーパワーの10. biennales & triennalesで公開している。
最高得点を得たのは、河野木里さん。
参加学生は全員の批評を読んでから投票しているわけではない。まず誰の批評を読むのかという段階で得点数が分かれる。それまでの授業内で、すでに美術史の文献に関する論評、美術館や博物館の常設展の分析や展覧会の展評などの課題が9回ほどあり、その度にすぐれた論評を公表してきたので、当然、興味深い批評を行った学生が注目を浴びることになる。したがって、そうした学生たちの批評を読んだ人が多かったに違いない。今回の投票方法だと、この段階で、最終的な投票結果に大きな差がでてくる。いわば、通常点が加算された形になる。
全体の批評の内容を報告すると、横浜トリエンナーレ2001と非常に異なっていた点が印象的だった。前回も参加者は1年生が中心だったが、第一回目ということもあり、開催理由の論議がきちんと行われないままに流行のような形で開始してしまったという側面への批判はあったものの、実際の展覧会自体への批判的な論評はほとんどみられなかった。今回は、賛否両論という感じに、驚くほど意見が真っ二つに分かれた。
たとえば、広大な会場の隅々まで配慮がゆきわたらずに、展示構成がなげやりな感じに見えたという批判があれば、倉庫という稀有な場所性を生かした自然で自由な雰囲気が他にはない特徴となっていたという肯定的な意見がある。学園祭みたいで、インパクトのある作品の数が少なかったという批判があれば、子どもや家族がいっしょに楽しめる参加型の作品が多くてとても良かったという感想がある。
学生たちのこうした極端に違う反応を見ると、今回の横浜トリエンナーレ2005は、2001とは異なり、作品中心の従来的な評価基準にはない、〈参加型〉〈コラボレーション〉〈ワーキング・イン・プログレス〉などの新たなアプローチの導入を、どのように解釈し評価するかで、否定・肯定の立場が如実に変わってくる。さらに、自分の立場に近い批評をした人に、点を入れるという結果をもたらしたと思える。