イントロダクション
お茶の水にトーキョーワンダーサイトが2001年暮れに設立され、2002年から活動が開始したとき、東京ともあろう大都市の公的アートサイトとしては、なんとも貧弱なスペースだと気落ちした。職業紹介所などに使用していた庁舎をリニューアルしただけで、エレベーターもなく、戦前に建てられたこじんまりした3階建ての建物だから、現代アートにふさわしい天井高もない。足の便も良いとはいえず、そもそも大型作品を搬入できる搬入口などあろうはずもなく、予算も乏しい。ないないづくしのスペースに、当初、わびしい思いを抱いた人は私だけではなかったにちがいない。
「日本における現代アートの位置なんて、東京でさえ、こんなものか」と...(溜息)....
ところが館長に抜擢された建築家の今村有策氏はいつも意気揚々としていた。彼の眼にはなぜ か、かぼちゃの馬車が豪華絢爛たる輝ける銀の馬車に映っているような気がした。 まさに名称のとおり、不思議、ワンダーが漂う。
ところが徐々に、現代アートの展示やインスタレーションはもとより、現代音楽、ダンス、レクチャー、生け花などの伝統芸術まで、横断的な活動のエネルギッシュな舞台へと変貌、ときには中身の魔法にかけられて、ハコを忘れる場にさえなったのには驚いた。もちろん、ワクワクする街路でのワークショップやパフォーマンスなどもある。
ついに2005年には念願の渋谷にもスペースがオープン、翌年、青山には国際的なアーティストが制作やオープンスタジオができるレジデンスも誕生した。こぶりながらも有効な各地域の拠点を連関させつつ、芸術の未来を紡いでいる。
脱領域的でオルタナティヴであろうとする姿勢と同時に、ミニマルをマキシマルに変えるには、弾力のある構想力とフレキシブルなヴィジョン、さらに走り続けられる体力が必要になる。それに本当なら、海外によく見られる構造のように、公私の支援や助成を受けながら、自律したNPOや民間組織が根本的に自由な立場で活動を展開できるのが理想だろう。だが現代芸術がいまだに根付いているとはいえず、税金の優遇措置もない我が国では、こうした状況の実現はまだまだ先のことになりそうだ。
ともあれ、暮らしている場所の都市空間がメキメキ活性化してゆくのはとても嬉しい。「進行形のオンゴーイング」のプロセスで、現場をつねに実験場や研究室に変えてゆこうとする今村館長の決意は、美術館などの文化施設だけではなく、大学などの教育施設にも重要な基本といえるのではないだろうか。
(岡部あおみ)