イントロダクション
金沢が熱い。金沢21世紀美術館も2004年10月に開設された。
長谷川祐子氏が新美術館の学芸課長に着任されて1年半たった頃に金沢を訪れた。彼女ともインタヴューをしたが、ご多忙なためテープ起こしの校正が留まっている。同時期に金沢で行った醤油で有名な大野町にあるもろみ蔵でのインタヴューは、2002年にはカルチャー・パワーにアップした。一方、金沢市民芸術村でアート工房の初代ディレクターを務めた斎藤久子氏のインタヴューを、やっと2004年に掲載するのだから、なんとも気が長い話だ。だが、インタヴューのポストプロダクションには多くの段階があり、時期もあり、それぞれ数奇な軌跡をたどる。
斎藤久子氏によると、1996年に金沢市民芸術村が開設される前から、ディレクター会議をしていたそうだ。NPO法などが整備され、21世紀になってあちらこちらの自治体で市民が自主的に芸術文化活動が行えるように場所の提供や画期的なプログラムが開始しているが、金沢ではすでにその前からこうした方法で市民の活動が始まり、活況を呈している。時代を先駆けるパイオニアの強みで、斎藤氏と対話したのは2000年だが、インタヴューは今でもすごく刺激的で新しい。
大正から昭和初期にかけて、すべて戦前に建設されたレンガ造りの美しい紡績工場、6棟の倉庫群を改修し、大和町広場を中心にマルチ工房、ドラマ工房、ミュージック工房、アート工房・パフォーミングスクエア・オープンスペース・里山の家・匠心庵・レンガ亭・職人大学校・事務所楝が設置されている。24時間市民が自由に使えるスペースとして人気が高まり、利用者はオープンしてから3年間で延べ60万人、2002年度でも17万人を越えている。人口45万人の都市としては40%前後の利用率だから、ともかくすごい。
長谷川祐子氏によれば、金沢は前田のお殿様のパトロネージュ(芸術文化支援)をベースに、外からもいろいろな人がやってきてユニークな文化が育まれてきた。大名文化の伝統的な都市で、市民には日曜画家を含め、自分で表現し創る人が非常に多いという。したがって「観ること」への潜在的欲求も水準も高く、市民が展示できる「ホワイトキューブ」(真っ白な壁のあるモダンな展示室)が必要だという市からの要求もあり、新たな美術館への胎動へとつながった。
ポテンシャルの高いこの街は、金沢21世紀美術館の開館とともにどんなふうに変わってゆくのだろう。金沢市民芸術村のアート工房ディレクターは、2004年から20代の彫刻青年、東克彦氏にバトンタッチされた。はじめての若手ディレクターの誕生。金沢は、伝統芸術と現代アートが噛み合った魅力的でクリエイティヴなコミュニティーへと変貌を遂げつつあるようだ。
(岡部あおみ)