イントロダクション
クリティカルな政治性に恵まれ、かつ世界への愛に満ちた繊細でソフトなまなざしと卓越した造形性をもつ柳幸典は、先見的で明晰すぎるためもあってか、アヴァンギャルドやパイオニアが歴史的に蒙ったある種の「不遇」をかこってきたように思える。
イエール大学に留学していた31歳のときに制作を開始する「アント・ファーム・プロジェクト」は、色砂で作られた国旗を蟻が侵食する作品である。チューブで繋げられたアクリルケース内の国旗に無数の蟻道ができ、ときにはどこの国旗だか不明になることもある。ロンドンのテートギャラリーを筆頭に、世界の有数な美術館が競って購入した超傑作で、彼は一躍国際的スターダムへと登った。
働き者の「蟻=日本人」という経済大国へと邁進した我が国のメタファーを読み取っていた人もいたかもしれない。だがそれ以上に、ベルリンの壁が崩壊した後、多国籍経済が露になるグローバル社会、その陰で増加する貧民や移民、そして絶えざる戦争といった危機的情況のなかで、「アント・ファーム・プロジェクト」は越境や国境の意味を問う秀逸な名作として多くの人々の心をとらえた。同様の手法でドル札を提示し、資本原理主義を揶揄する90年代の作品をはじめ、柳は貨幣にまつわる即物的欲望と記号的幻想とのかかわりを長年テーマにしてきた作家でもある。
土塊を展示空間に持ち込む初期の「グラウンド・プロジェクト」、古墳や憲法第9条で、古代から近代にかけて日本という国家の存立基盤を問いかける「ヒノマル・プロジェクト」と「アーティクル9・プロジェクト」、サンフランシスコ沖の島の連邦刑務所跡で行った「アルカトラズ・プロジェクト」、北から南へ1万キロも旅する渡り鳥シギ・チドリのように飛翔の夢をシミュレートする「イカロス・プロジェクト」、ごみ処理場を使った広島の「旧中工場アートプロジェクト」の企画などをたどってゆけば明らかだが、柳はある枠内で自己完結する作品概念を超えて、思考と行為のゆるやかな進行形のプロセスを「プロジェクト」と呼んできた。それは完成度の高い個々の作品以上に、つねに拡張・横断し、深化を続ける連続したコンセプトを重視するラディカルな姿勢のためだが、市場主義への抵抗にもつながっているだろう。
原爆慰霊祭に毎年全国から届けられる千羽鶴に広島市がどう対応してきたかを知っているだろうか。人々の善意で増えるばかりの千羽鶴。柳はドイツの大学との交換プロジェクトで、溜まった千羽鶴をどうしたらいいかというテーマのプロジェクトを実施したことがある。さまざまなタブーに介入する柳の貴重な歩みには、間違ったナショナリズムが招いた戦争や近代化による産業廃棄物など、誰でも避けて通りたい過去を直視する勇気も反映されている。芸術と人間の倫理的ヴィジョンを秘めた彼の先駆的な企画や作品の数々は、地球環境、政治経済、異文化異領域を視野に入れた今日の新たなクリエーションにとって、刺激的で豊かな示唆に富んでいる。
三島由紀夫の家を移築し、精銅所跡地のある瀬戸内の島を再生させるライフワーク「犬島プロジェクト」は、いつどのような形で姿を見せるのか。マイナーでネガティヴな視点をポジティヴな未来へと変容させる柳幸典、その根源的な力に共鳴するリアルな希望の種が育ちつつある。
(岡部あおみ)
「旧中工場アートプロジェクト」展 広島市立大学、現領域研究室 2007 photo :Aomi Okabe |
Pacific所蔵 テート・モダン、ロンドン、2000年©Yukinori Yanagi |