インタヴュー
照屋勇賢×岡部あおみ
日時:2007年1月18日
場所:ニューヨーク、ブルックリンにある照屋勇賢のスタジオ
01 トイレットペーパーの芯から生まれた木
岡部あおみ:ニューヨークのブルックリンにあるこのスタジオは何年目になりますか?
照屋勇賢:ここは学生の時、ルームメイトと一緒に借りて、気がついたら長いですね。といっても2000年からで、一人で住み始めるようになったのは2002年頃からですね。
岡部:トイレットペーパーの芯を集めているんですね。サンタモニカのギャラリーの展示でも、芯で木を表現したものがありましたね。 これは桜の木を表しているのかしら? 硬いから相当大変ですね。どうやって集めるんですか?捨てないでねーと友人たちに頼むとか。(笑)
照屋: 硬さには慣れたかもしれません。これはアメリカのロールで、日本の芯はファンシーですが、これだと、すごくきれいな枝が作れます。個人の美術館ができるんで、そのコミッションですが、これはニューヨークの木で、桜ではないみたいで、紅葉してます。サンタモニカの作品は雲みたいな感じ、雲っていうか枝同士の関係で、木らしさが出せたらと、一つ一つのグループが一つの木の枝のスケッチから成り立つようにしてます。見ている情報に木の情報が伝わっている。
岡部:アメリカの芯は、太さも違いますね。内側が白で表が茶色のが多いのかしら。色が出てくるときれいですね。最初にドローイングしてから切っているんでしょうか。すべてご自分で木の形に切っていくのでしょうか。
照屋:芯の種類はこういうタイプが多いです。直線とか、切羽詰ってる時は、アシスタントにお願いしますね。でも、枝からすると直線も直線じゃなく、表情があって、それを意識していかないと難しい。でも逆に、やっていることがシンプルですから、本当に紙が硬いので、その時に力が入るか入らないかの差ですけど、それが一つ一つ最終的には大きな違いを出す作品じゃないかと最近思います。
岡部:枝も生えてくる気候の違いによっては、本当はこちら側に生えたかったけど、違う方にいったり…。(笑) でも何で、木なんでしょう。2005年の横浜トリエンナーレに出品なさっていたのは、薄い紙袋を切って作った、やはり木でしたが。紙という素材がパルプという元が木だったから元に戻すという意味があるのかしら。
照屋:それもあるし、実践的にやろうとしていることは、紙と木は別素材だけども、紙が支えてる力があって、この力の伝わり方が、実際の木と似ているんですよね。ということは、これそのものが、まだまだ木そのものであるということになります。
岡部: DNAみたいな感じで記憶を残しているという風にもとれますね。
照屋:あと力そのものも、木と一緒で、木の力がまだまだ残ってることを伝えるために、あえて木の形を作っています。
岡部:トイレットペーパーの作品だと、硬い素材なので、枝のイメージが強くなるけど、紙で作った場合はむしろ葉のイメージが強かったです。薄い紙を使ったときと、硬い芯で作るときは、同じ木でも違うイメージになりますね。横浜トリエンナーレで見た時の作品は、茂っている葉、むしろリーフのイメージが強かったけれど、今回の作品には、幹、樹木のイメージを感じます。芯の方が彫刻的で、紙のほうがドローイング的という対比になるのかしら…
照屋: これは袋の作品よりはずっと単純なんですが、大変です(笑)。 単純だからこそ、こだわるところがどんどん自分の中で増えるし、これもドローイング的ですよ。カットする時も線を描く時も、できるだけ気をつけていこうと思っています。
Lost and found, installation
壁面に展示されているのが、トイレットペーペーから樹木を作りだす作品
©Teruya Yuken
Lost and found
©Teruya Yuken
02 アジアン・ソサイエティに出品する着物―紅型(びんがた)職人との出会い
岡部: 2007年春に始まるアジアン・ソサイエティの個展に出品する作品を、現在、制作なさっていてお忙しいんですね。
照屋:主となる新作は着物で、紅型の下絵はほぼ上がっていて、型彫りが始まっています。ぼくが下書きを描いて、その情報を沖縄の型を作る工房に送って、彫ってもらうんです。
岡部:いつも一緒に仕事をなさっている沖縄の紅型職人の方はおいくつぐらいの人ですか。
照屋:僕より2歳ぐらい上だと思います。
岡部:同世代だからやりやすいでしょうね。
照屋:理解はしてくれますね。
岡部: 2002年の「VOCA」展で奨励賞になった紅型の着物 『結ーい、結ーい』で、沖縄の伝統的なモチーフに戦車とか兵士が混入していて、すごく刺激的でした。遠くから見たら沖縄の普通の紅型着物に見えるのですが、近くで見ると「えっ!」という感じで基地のある沖縄が見えてくる。その工房の職人さんとは「VOCA」のときに初めてコラボレーションなさったんですか。どういう風にお知り合いになったのでしょう。
照屋: 「VOCA」展が最初で、遠い親戚に当たるみたいで、地元らしく公民館で会ったんですが、この時は、協力を頼んだ大学にも断られて、工房にも三箇所断られてます。沖縄では最初、作品の内容と、現代美術として工芸の技術を使うことがとんでもないという反応だったのと、当時は基地の内容がタブーでした。でも、あまりプレッシャーなく取りかかれたのは良かったと思っています。今回の新作は、実際良い物になるのかは、まだ着物にならないとわからないのですが、型を彫ってくれてる金城さんが「今こういう状況ですけど」と何度も報告してくれています。
岡部:メールでやり取りしているのですね。デッサンや線が変更になったら、スキャンして送るとか。
照屋:はい。じゃないと間に合わないですね。インターネットの力でここまでギリギリ時間をかけることができて、さもなければ現物を送るとなると、沖縄だと一週間はかけないといけない。たまたま金城さんの弟さんがプリントTシャツ屋さんをやっていて、プリンターがあるみたいです。
岡部:色彩もチェックしながらやるんでしょうね。
照屋:まだ色彩まではいってません。これをとりあえず送って、明日以降ですね。ただ色彩は基本的には着物の裾の方はこの金魚のモチーフを意識したデザインになっているんですけど、紅型のほうも伝統の柄があり、参考にする元の型があるので、オリジナルの色彩にしたがって決めていきます。前に着物を経験しているので、色彩は楽しみの部分として取ってあります。一度経験していると配色の想像がしやすいので。
「結ーい、結ーい」 2002 細部
© Teruya Yuken
03伝統工芸と現代美術の葛藤
岡部: 初めての時は紅型職人さんたちの技量もわからなかったでしょうが、慣れているとやりやすいでしょうね。最初はぶつかったこともあったのでは?伝統工芸をなさっていた方だから、新しいものを入れるのに、どうしたって抵抗はありますよね。
照屋:ありますね。コンセプトの違いとか、彼らのテイストもあったし。工房で4時間ぐらい、何のために紅型を復興してきたかわかるのかって説教されたりもしました。(笑)その分、責任みたいなものを自覚しつつ、今でも金城さんとは葛藤がありますよ。例えば写真のように誰かに刷ってもらうとか、コンセプトやアイデアを見せるために、人の技術を代わりに使うことが、現代美術ではよくありますが、工芸の方達の世界は、物の勝負です。コンセプトではなく、自分が作った型なのだから自分の作品にも使って良いだろうという話になりがちです。そこら辺で、僕自身も実際経験して考えて作っていかなきゃいけないところもあるし、今までの現代美術のプロセスみたいのを引用して説得したり、交渉したりして、その辺は難しいと思いました。
岡部:伝統工芸の方々にしたら、自分たちが作った紅型だから、応用してべつの着物などに再度使ってもいいだろうという判断をなさりがちでしょうね。
照屋:そうです。普通は型があったら使いまわして良いという状況があるんです。
「free fish,kimono」 ditail
© Teruya Yuken
「free fish,kimono」 2007
Asian Society,New York
© Teruya Yuken
04 ロックフェラーコレクションと金魚
岡部: ロックフェラーの東洋美術コレクションが核となったアジアンソサエティの収蔵品のモチーフを、今回は着物の柄に落とし込んでいるんですね。
照屋:はい。最初この中国の壷の色や構成の仕方が沖縄の紅型に似てると思って、そこから入っていったんですけど、当時、明と琉球は交易もあり、国家間でも近い関係だったので、それを意識した形での切り口です。紅型はいろんな異文化を取り込んで模様にするところも好きでした。ロックフェラーも基本的にアジア美術をコレクションという形で西洋に紹介していったわけですし、それを紅型で、歴史や美術でそうした意思を反映した形で模様にしてしまおうと思ったんですね。最終的には、一つの仕立てたシルクの着物になります。
岡部:染からオリジナルで作る着物だから、ともかくお金がかかりますね。ロックフェラーに買ってもらわないと。(笑)
照屋:費用がかかりますね。高いです。でも、持っていて楽しい作品になると思います。一本の着物で琉球と明の話もできるし、ロックフェラーがアジアの美術をアメリカに紹介したということへの言及でもあるし、何よりも着物を目の前にして、カタログを見てこれは何ページの何々だとか、学芸員の人からすると、非常に説明し甲斐のある作品でもある。(笑)
岡部:着物になったアジアン・ソサイエティ・コレクション・マップみたいですね。
照屋:その辺は、何だかやや媚びているなと僕は思うんですけど。
岡部:豪勢ですよ。VOCAの出品作は結局、着物の一点ものだったんですか。日本の美術館は購入してくれてます?
照屋:あの時は一着でしたが、結果的にはエディション5です。今度、沖縄県立美術館が収蔵してくれます。
岡部:良かったですね。この新作も続けてという具合に行くといいけれど。
照屋:どうかなあ、とにかくこれをまずは愛情を込めて作って、まずニューヨークで反応を見てみたいですね。
岡部:新作の着物は今どこまで進んでいるのかしら?
照屋:まだ、型彫り終わってない段階です。最終のドローイングを今晩送りますけど。
岡部: アジアン・ソサイエティの美術館担当学芸員の方は、個展のリーフレットも作らなくてはならないし、きっと焦っているのではないかしら。
照屋:そうですね。美術館の人には早く出来上がっている方だと言ったんですけど。(笑)
岡部:着物だから、沖縄で完成したものをニューヨークまで送るのは楽ですし、安いですね。
照屋:でもちょっと怖いので、運送方法も検討中ですが、もしかしたら金城さん本人に持って来てもらおうと思っています。そうしたら早いし、問題が起こったことを考えたらめんどうだし、保険とかも考える必要がない。彼にも、アメリカでの個展を見てもらって、展覧会で工芸の作品がどういう風に見えるのか、現代美術として展示されるのかを理解してもらいたいです。
05 フリーフィッシュ
岡部:展覧会のタイトルからみると、あの中国の壺の絵にある金魚が中心的なモチーフですね。
照屋: 中国では魚はいい意味での富の象徴で、この壷も、内容が縁起のいい置物として作られていたので、展覧会のタイトルを「フリーフィッシュ」にして、金魚の着物の柄だけではなく、展覧会の空間の真ん中でゆったりと泳いでる姿を作りたいんです。ニューヨークだったら、「あ、タダの魚がいる!」とか、魚を逃がすのかとか、いろんなこと考えると思うんですね。いろいろ考えるきっかけにしてもらいたいので、金魚すくいもイベントでやり、実際取れた分を差し上げようと思っています。持って帰ることである種、考え方を家にもって帰ることもできる。それにあえて金魚を逃がそう、外に放そうという考え方も出てくるかもしれない。実際の着物の柄では、どちらかと言うと世界観から金魚へ逃げる、開放される柄になればと思っていて、「リリースする」という意味での「フリーフィッシュ」というタイトルを、楽しく感じてもらえればいいと思います。
岡部:沖縄の基地を主題にした一作目の着物には、出来事としての模様が、着物というフレームに完全にはめ込まれていましたから、今回は、着物の金魚を逃がす方図になるということですね。
照屋:今回は壷を空っぽにして、同時にいろんなものを詰め込んでしまう。僕の悪い癖もあるんですけど、「リリースする」ということで、ロックフェラーのコレクションも自由にしたいと思っています。それは、元々コレクションになる前は仏像は神様であったり、壷はちゃんと用途として使われてたりしていたと思うんですけど、美術館のコレクションになった今はもう、触ることすらできない。せめて、柄だけでも本来の生き生きした形に戻してあげたり、紅型に取り込むことで、本来彼らが持っていた、別の用途を、僕が勘違いした生かし方でもいいから取り込んで、別の意味での「フリーフィッシュ」という見方も更にできるんじゃないかと考えたんですね。
岡部:ある意味では、MOMAの理事でもあるデイヴィッド・ロックフェラー氏が個人的に買ってくれて、自らの名声の虜となる誘惑からフリーになってくれるといいかもしれませんね。(笑)
照屋:もし気に入ってくれたら。あの美術館にはほかにも個人のサポーターがいろいろいると思うので、そうした人たちが購入してくれる可能性はあるかもしれないです。
「free fish」 installation
© Teruya Yuken
06 アジアン・パシフィック・トリエンナーレ
岡部:2006年の夏に越後妻有アートトリエンナーレを見て、9月に、光州、シンガポール、上海のビエンナーレを見てきました。
照屋:仏像を使った作品を作ったマイケル・ジュー(Joo Michael)が光州ビエンナーレで賞を取ったのを知ってます。実はこのロックフェラーのコレクションをモチーフにして新作を作るという企画には、彼が最初に招待されて、その時にあの仏像の作品を制作したんです。僕のは二回目の企画です。彼がコレクションからこの仏像を選んだので、直接言われないけど、僕には今回は彫刻以外でやって欲しいといった感じを受けましたね。(笑)
岡部:東京都現代美術館の学芸員の住友さんがオーストラリアでキュレーションしたグループ展に参加なさっていましたよね。オーストラリアに行かれたのですか。
照屋:行きましたけど、大変でした。この日豪の住友さんの企画だけで、僕だけ二つ展覧会を掛け持ちしましたから。思い出すだけでも辛い。日豪展に誘われてすごく渋ったんです。できるかできないかわからないし、でもやってみようと思って、蓋を開けたら二箇所の展示になっていた。気がついたら、アジアン・パシフィック・トリエンナーレ(APT)への出品もあったし、住友さんのグループ展が重なって、三つあったんですね。
岡部: オーストラリアのブリスベーンにはまだ行ったことがないので、アジアン・パシフィック・トリエンナーレを見たいのですが、遠いし、まだ見ていません。APTの内容はいかがでした?
照屋:APTはすごくいい展覧会だったと思います。滑り込みでトリエンナーレに参加できてよかったと思います。案の定、日豪の2つ目の展覧会には全然力が入らなくて、時間もなくて、いい物ができなかった。でも落ち込む暇もなくこなさなきゃいけなかったので、辛かったですね。
岡部:照屋さん、みんなに期待されてるから、とくに辛いところがありますよね。
照屋:怖いですよ。期待に応えられなかったらどうしようかと思うし、選ぶことの大切さを感じるから。
岡部:コンセプトの段階から、実際のモノへと落とし込むまで、一つ一つの作品が照屋さんの場合、とても時間がかかるように思えるんです。だから新作で出品依頼が重なると大変なことはわかります。ヴィデオだったら、同じ映像を同時期にべつの会場で流すこともできますが。
照屋: そうですね。いろんな国際展に平気で参加できる作家もいますが、僕は大変でも、勉強させてもらっています。
岡部:いろんな人に会う機会もありますしね。アジアン・パシフィックに参加したことのある作家が、あそこでの経験がともかく大変で、かなりこたえたと言っていたことがありました。国際展といっても、基本的にはクイーンズランド現代美術ギャラリーという美術館での展覧会なので、それなりにケアがあると思っていたら、意外にラフで、戻ってきた作品が壊れていたという話も聞きました。
照屋:ううー。(笑)
岡部:あ、今、展示中だから、作品はまだ戻ってきていないんですね。(笑)
照屋:買ってもらおう。(笑)
「color the world」
© Teruya Yuken
07 二つの顔を持つバングラデシュとは
岡部:照屋さんにも国際展で、作品が痛んだという経験がありますか。
照屋:あります。バングラデシュ・ビエンナーレで、紙袋の作品が平べったくなって戻ってきた!
岡部:それ、ひどいじゃないですか。(笑)
照屋:本当にきれいに平べったく。専用の箱を置いてきたのに、それは使われずに。大切に扱う気持ちに格差がありますね。憎めない国ですけどね。
岡部:一回行った事があるんですけど、面白い国ですよね。
照屋:そうなんですか!あの国は忘れられないですね。(笑)
岡部:あの国の状況や貧困の問題を実感できるので、行くだけで、すごくショッックを受けますね。バングラデシュ・ビエンナーレは、海外から見に行く人が少ない国際展ですけど、バングラデシュの人は無料だし、ものすごく大勢の人が見に来るんです。ヴェネチア・ビエンナーレのような国際的知名度はないけれど、日本のキュレーターにしても、アーテイストにしても、あそこで何かをやること、滞在することに意義があると思いますね。照屋さんにも良い経験になったでしょう?
照屋:行けて良かったですね。じゃないとなかなか行くところじゃないですからね。
岡部:私の遠い親戚ですけど、若い女の子で青年協力隊に憧れて行って、とってもバングラが好きになってしまってずっと現地の人々を助ける仕事で滞在していたんですね。結局、30歳位でしたが、マラリアで死んしまったんです。それもあって、一度は行ってみたかった。惹かれた気持ちもわかります。バングラデッシュの美術館を見てわかったことですが、トップレベルのインテリなどが、独立戦争のときに、大勢虐殺されるという悲痛な歴史があり、その亡くなった方々のポートレートが美術館に果てしなく並んでいるんです。胸がいっぱいになりました。
照屋:そんなに昔でもないですよね。あれ亡くなられた方のポートレートなんですか。二階に上がるところですよね。
岡部:そう。独立の代償とはいえ、恐ろしい結末ですね。国の再建を阻むためですから。
照屋勇賢氏 ニューヨークスタジオ
© photo Aomi Okabe
照屋勇賢氏 ニューヨークスタジオ
© photo Aomi Okabe
08 沖縄のこと 過去、現在
岡部:照屋さんは沖縄生まれの沖縄出身ですよね。
照屋:はい。ずっと沖縄ですが、大学は東京、多摩美です。東京も4年しかいなかったけど。
岡部: 沖縄が辿ってきた歴史や沖縄のある種の象徴性を大事にしていますね。ただ、沖縄で生活して制作するのは、まだ現代アートで食べていけるインフラがないから難しいのでしょうか。
照屋:沖縄には、外からの視線を持っていくのが大切だと思うんです。内側にいると見えなくなっていくので。外からの視線で、僕のように地元の人間が発言することが大切だと思うんです。じゃないと、内側の人たちの考えはなかなか動かないと思う。沖縄で、または日本での展覧会で沖縄のことを考える時には、とくに意識しますね。
岡部:沖縄出身のアーテイストで注目している人はいるんですか。
照屋:ウルトラマンの脚本家、金城哲夫(きんじょうてつお)は偉大だと思います。沖縄の芸能を消化したかったのではないか。母がよく知っていて、海洋博の何かの演出をして、その後すぐに亡くなられたんです。彼の場合は、僕が思ういい例というか、中学から本土の方に行って、向こうの視線を持つことができ、沖縄という地もずっと意識していた。何らかの形でウルトラマンに出てきていると思うんですよ。沖縄のことを軽く消化して、ニュートラル(中立)に、違うものになっている。
岡部:でもそうした沖縄のアイデンティティは、一般の人には伝わらないかもしれませんが。
照屋:これは沖縄のことを言ってるんじゃないかと思うエピソードがいくつかあるんですよ。常に意識しつつ、影響されているところがウルトラマンに出ているところがある。それを僕もたまに意識します。
岡部:これから沖縄出身のアーティストは増えるかもしれないですね。
照屋:もう特に歌手がすごいじゃないですか。「オレンジレンジ」、「Cocco(コッコ)」とか歌手ですけど、絵もかけるし。後輩から聞いたんですが、「オレンジレンジ」は今年紅白でカウントダウンを米軍基地前でやったみたいです。そういう風に上手に自分の知名度と、NHKという特殊な窓枠を使って、沖縄で育ったことを逆手にとってやっている。だけど押し付けがましくなくやってくれていると思うし、いい意味での軽さは大切だと思います。
岡部:そうしないと、歴史の重みで拒否反応をもったり、受けつけにくくなることもあるでしょうから。そういう意味で沖縄の存在感が変わってきて、軽いタッチの多様な方向で浸透し、もっと違った形で沖縄をみんながより理解できる可能性がでてきますね。基地だけではなく、今までは沖縄に触れること自体がどこかタブーみたいな感じでしたから。
照屋:それを器用にも不器用にも、無視すれば良いのに、沖縄の人が意識してしまっていた。空回りばっかりしていた。
岡部:私の夫は建築家で、ひめゆりの平和祈念資料館の方達と一緒に仕事をしていたことがあります。彼女達も相当の年齢になって、創設者たちが亡くなる時代になり、今までのように自分達で説明する方法で展示を見せるのが成立しなくなりつつあるので、生の言葉の代わりにドキュメンタリーとか写真とかで代用させつつ、展示の深さをとどめるようなリニューアルをしたわけです。みなさん、明るいし本当にすばらしい人たちです。入場料は安いし、公的資金に頼らずにあそこを自力で創り、政治的な拒否があっても抵抗して頑張ってこられた。ひめゆりって教師をめざした学生がいた学校だから、戦後は長年、みなさん先生をやっていて、その間は戦時中のことは胸にしまって沈黙を守っていたのですが、引退なさったときからみんなで協力してあの祈念資料館を建てたんです。教育に携わっていたので、その部分と政治的な抵抗運動を別にしていたところも偉いと思います。
照屋勇賢氏 ニューヨークスタジオにて
© photo Aomi Okabe
09 沖縄と美術館
岡部:これから沖縄の県立美術館も設立され、現代美術部門も新設されるようだから、沖縄のインフラも改良される可能性がありますね。
照屋:そうですね。みんなでちゃんと育てていかないといけないです。育てていく器ができるのは良いことです。2007年11月がオープン。どうしよう、作品作らなきゃ。
岡部:また新しい作品を作る予定なのですか。
照屋:はい。コレクションは前の着物の作品をまずコレクションしてもらったので、問題ないのですが、最初の展覧会の作品が必要なんです。
岡部:いい新作ができれば、それもまたコレクションにつながるかもしれないし。
照屋:その予算でパブリックアートをしたいんですけどね。だから余計に早めに早めにしないといけないんですけど。まだ漠然とですけど、アイデアとしては沖縄の島が船になるイメージで、帆船の帆みたいなもの、とにかく大きい、高い物で、布で風を意識できるようなモニュメントを考えているところです。美術館ができる埋立地が、茨城みたいな感じで、周囲に大手のデパートがどんどん「生えて」きている。
岡部:そうですね。行ってみたことがあるのですが、ニュータウンっぽい界隈で、ただ単にビルがニョキニョキできてきているイメージで、ランドマークがないですね。
照屋:最初に足を踏み入れたときに、どこも一緒に見えて、西に向かっているか東に向かっているかわからなかった。マンハッタンだったら、エンパイアステートビルが見えるとかで方角や立ち位置がわかるじゃないですか。と同時に、あそこに住んでいる人達だけでちゃんとこの「島」の方向性を決めてほしいんです。政治家の力とか大企業が買うから土地を明け渡すんじゃなく、この「島」を考えていく人たちできちんと動かして欲しい。地元に残っている人たちが自分たちで動かしていくためのハンドルをつけようかと思って。(笑)
岡部: パーマネントに残るといいですね。布なら汚れたらまた新しくすればいいわけだから。
照屋:まだベーシックな考えしかないので、それをもっと面白い方向に持っていけたらと考案中です。アッとさせる物で、これからフォーマットをどうするかが重要。
岡部:巨大な物が良いかもしれませんね。今までは小さな紙袋とかトイレットペーパーの芯とか、極小の世界、ミクロをやっていたから、今度は巨大なマクロにしたら面白いかもしれない。
照屋:あっ、沖縄だ、船だ、俺がリーダーだって、自分もリーダーになれるという希望を与えるもの。できれば登らせたいですね。「島」を見下ろして。
岡部:そうしたら、建築的モニュメントになりますね。
照屋: この帆船のアイデアは、2年ぐらい前からあって、建築家と今まで仕事をしたことがないけれど、建築家の意見を聞くことでまた更に先に進めるかもしれないなどと、悶々と考えているところです。あと、にせ風水を作るのも良いな。とにかく作っていきたいのは、方角ですね。
「Dessert Project」水に浮かぶ島展 2006
すみだリバーサイドホール・ギャラリー
© Teruya Yuken
10 現代美術で食べてゆくこと、この先について
岡部:ニューヨークにいると、いろいろ考える時間がよりあるかもしれませんね。日本にいると、いろんな仕事がどんどん入って来て忙しくなってしまう。創造活動には時間的な自由さや時間的なブランクも大事なので、そうした理由もあってニューヨークにいるんですか?
照屋:いや、もっと単純ですよ。食わしてくれるのはニューヨークですから。やっぱりキャリアをここで作って、逆に、キャリアって言うのは何かって言ったら、食ってお金になって生活を支えていくことですから。直接仕事をする相手が、ニューヨークとロサンゼルス、カルフォルニアにいるからというのは大きいです。
岡部:日本にコレクターはあまりいないですか?ギャラリーは?
照屋:あまりいないですね。
岡部:アメリカで生活ができるとしても、制作に関しては、そろそろアシスタントが必要ですね。
照屋:一人だと限界がありますから、アシスタントに週に1回2回はすでに来てもらっています。それでもやっぱり足りない。大体、来てくれても、何をしてもらおうかと思いつつ、ぼくがお茶を出したり。(笑)
岡部:自分でやらねばならないことが多いし、なかなか本人の代わりにはなり得ないし。
照屋:でもいろんな先輩とか、大学院の先生とかと話していると、何をとるかだとわかってきました。自分の制作のスタンスやこだわりを選ぶのか、仕事をこなす方向をとるのか。目的によって割り切らないといけないと言われました。今はそれを模索中です。いったい何がしたいのかがまだはっきりわからないです。難しい・・・
岡部:国際展や展覧会に、次から次に追いまくられて、やらなくてはいけないことが増えていくと、宿題をこなすばかりで、その中で何が自分のやりたいことなのかがわからなくなっていくでしょうね。そうした状況を回避するために、一つの可能性としては、奨学金のような自由なお金を与えてもらえることは良いことですね。でも、今のところはご自分のやりたいことはできているでしょう。
照屋:できていると思いますね。ただ、追及していくと何がしたいのかまだわからないなっていうところがありますね。
岡部:もう少し時間がかかるかもしれませんね。いろんなことにチャレンジしてみてはじめて、段々わかってくるところがあるかもしれないから。
府中ビエンナーレ「来るべき世界に」 2005
© Teruya Yuken
(テープ起こし:早坂はづき)
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