イントロダクション
一ひねりではなく三ひねりぐらいしたアート。
鳩に名前をつけるだけの映像作品『ハト命名』は、ハトが嫌いな人をも好きにさせてしまう傑作。そもそも「偉一郎」なんて、とんでもない名前をつけられたものだ。きっとその「復讐」か「恩返し」に違いない。「田中」という典型的な日本人苗字とのずれが激しい。『立体めがね』(山田亘+田中偉一郎著、高橋綾子企画、Domic 発行、2003年)というまことにかっこいい本のなかで、「結婚しようとした男性が田中じゃつまらない」なんて、自分で言っているほどなのだ。「名前がツラがまえや生きザマになんとなく出てくるものである」とも。
生活者としての身の丈を大事にする田中偉一郎は、類稀なリアリストで、夢も革命も愛も語らないかわりに、だれにでもできる「つくることの喜び」を惜しみなく与える人である。泉のように、とめどもなく思いつきが湧いてくる根っからのアイディアマンであり、同時に子供のまなざしで、好奇旺盛になんでも食する野人なのだ。
田中偉一郎は、愛着をもつ身の回りのものすべてを「そのまま」素材にする。しかも執着することの少ない遊牧民であるせいか、「おたく」とも異なる「一人っ子アート」を生み出した。ものによっては、超短期間でも制作可能な「省エネアート」となり、化粧するのがめんどくさい独特な「すっぴんアート」になった。
表層を飾ることをせず、虚飾を省き、ものや言葉やイメージの既成のルールをはずして、合併・合宿・合作させるユーモリスティックな手法で、異質なものを浮上させ、既存の構造の変革や反論の可能性を提案する。かっこよく言えば、ジェームス・ジョイスが『フィネガンズ・ウェイク』で行った、コンテクストを脱構築するトリプル・ミーニングの造語の世界を想起させる。
(岡部あおみ)