イントロダクション
結婚という人生の出来事にも裏と表がある。タケトモコの『ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ 1996-2001』は、父を知らずに育った作者の父探しの自伝ドキュメンタリーだ。関西で生活するあけっぴろげな母が語る昭和の女のすさまじい伝記のおかしさ。カメラのアングルは、他者の心理を直感的に読み込む監督の心の位置に対応している。喜劇役者のように楽しい母親の性格も一役買って、痛みをともなう真実が客観的な事実として小気味良いテンポで提示されてゆく。やっと会うことができた父親。タケトモコはオランダに発ち、父はトモコの腹違いの妹に当たる自分の娘を連れてオランダにやってくる。そして武智子が出品しているスイスの展覧会で、過去を語る智子の母の映像(旧ヴァージョン)を父と妹が見つめている。二重の真実をつきつける思いがけないそのシーンは残酷でありながら圧巻だ。
父親は妹の「のんちゃん」が理想の女性だと言う。のんちゃんはけっして人を傷つけず相手のことをまず考えるからだ。彼女自身は、楽しいことも幸せもなんだかよくわからないほど自我意識が希薄で、「弱い」存在だと自他共にみなされている。この映像に登場する自由で破天荒で「強い」女たちのなかで、唯一他者を攻撃せず、愛されることを武器とする女性。しかし彼女自身はどこかでそんな自分が嫌だという自意識をもっている。
オランダで活躍するタケトモコは、ダッチ・ワイフの衣裳をデザイナーにデザインしてもらい、世代も肌の色も異なるヌードの女性たちに縫って着せるパフォーマンスを行った。またチコ・トコという二人組のグループを結成し、子供のワークショップなども企画している。つねに自らの枠を超える試みに挑みながら、その稀有な生き方と愛のゆくえを日記のように今後も映像に記録する。 (「おんなのけしき 世界のとどろき」展図録より)
タケトモコとの出会いは、『ダッチ・ワイフ/ダッチ・ライフ 1996-2001』の映画で始まったのだが、2005年に久しぶりに訪れたオランダで、ゆっくり話をする時間をもてた。『リア』(季刊2005春)という芸術批評で、たまたまヨーロッパのオルタナティヴスペースについて記事を書くためのリサーチも兼ねて、フリーザ財団(VRIZA)やステデリック・ミュージアム・ビューロー・アムステルダムなどで活躍する彼女の友人たちの活動を垣間見ながら、オランダの先駆的な歴史と現在かかえる課題を考えることができた。
オランダでは、10年以上の空家はスクワットを許可するという条例があり、公共性に基づく社会主義的ともいえる政策でアート支援が実施されている。タケトモコによれば、現在、アーティスト個人への支援はやや下火になり、従来的で古い体制の活動が切られる反面、若者が立ち上げる新たなコンセプトの企画をはじめとするオルタナティヴスペースやアーティスト・イン・レジデンスには支援があるという。アムステルダムでは、若者たちが商業ギャラリーを手がける現象も目立つそうだ。
非営利を主とするオルタナティヴな潮流は、美術館やアートセンターの発展、商業ギャラリーや美術市場などのインフラの形成とのかかわりで、各国各地でさまざまな現況を呈し、ローカルな作家の草の根の底支えと先鋭な国際性への誘惑との間で揺れている。
とはいえ、タケトモコの斬新でヒューマンで社会性に富む魅力的なプロジェクトを育み、支えてきたのは、オランダのオルタナティヴ活動の幅広い実践精神とアートと切り結ぶ公共性の卓越した厚みだろう。彼女は今、ホームレスホームのプロジェクトや長年の夢である映画製作に情熱を燃やしている。
(岡部あおみ)