イントロダクション
私が初めて高木正勝さんの作品に触れて、ふと思い出したのが、南方熊楠という生物学者の存在だった。人類学者の中沢新一さんが彼について書いており、興味を惹かれ読んでいた。それについて考えていると、間もなく多摩美術大学にて高木さんと中沢さんの対談が行われることになったと聞き、これは何かあるなと、自然と足を運び、私の興味はますます深まっていった。その翌年に開催されたコンサート「Tai Rei Tei Rio」を拝見させて頂いた。とても美しい一夜だった。高木さんのピアノと、10名程の演奏者が響かせる音楽と、投影される映像には、光のような神秘性と、ときに荒々しい野性感があり、鳥肌が立つほど素晴らしかった。特に印象的だったのが、MCで「このコンサートでは何を表現したいかをずっと迷っていた。今まで創り上げてきたものを一度壊して真っ白になろうと思った。このコンサートが終わるまでに真っ白になっていればいいと思っています」とおっしゃっていたこと。
高木さんは一体どんな人なのだろうか。表現ということに対して何を考えているのか、知りたい。その一心で、私は展覧会があるごとにインタビューのオファーをしていた。
半年がたち、ドキュメンタリーフィルム『或る音楽』上映、新作CD『Tai Rei Tei Rio』リリースのタイミングでの突然の依頼を引き受けて頂いた。そして私は、予定通り、高木正勝という人物について、彼が考える表現についてインタビュー記事を編集する予定だった。しかし、いつの間にか、このインタビューは学生の相談教室と化していた。学生、学芸員に対する不満が露呈した。一瞬、どのように受けとめていいのか分からなくなった。しかし、それは高木正勝さんの本音を聞いた貴重な瞬間でもあったと思う。インタビューの内容には彼の制作に対してのストイックな姿勢が見られる。作家が学芸員に不満が出るのは当たり前のことである。それだけに学芸員に与えられる責任は重い。そんな当たり前のことに私たちは改めて気付かされた。学生である私たちにとって、とても良い体験になった。
ドキュメンタリーフィルム、新作CDについて知りたい方は違うインタビューを読んで頂きたい。しかし、学芸員志望の学生、もちろんクリエイター志望の学生にも、必見の内容になっていると思う。
彼の表現が、よくある「自らの内面を出すこと」、「どんどん新しいものを生み出すこと」ではなく、「本質的なこと」、「根源的なこと」であり、そこからなにかを掴み取ろうとしている彼の探求心が、この屈強な精神を生み出しているのだと思う。
(河合宏樹)