イントロダクション
へんな牛乳箱のことを、ぼそぼそ語っているパッとしないアーティストだった。その説明は上手とはいえず理解不能で、山下清を思わせる朴訥さが取り柄であった。
小沢剛とはじめて会ったのは、アートと社会をつなぐコミュニケーション・プロジェクトの審査で、候補者の一人として彼が『なすび画廊』のプロジェクトを小冊子にするための資金提供を求めたときだ。念を入れたシャープなプレゼンが列をなすなかで、演出なのかとさえ疑いたくなる口下手の作家は、その反面、際立ったアウラを秘めていた。
言葉にすることへのもどかしさは、今でも変わらない。言葉にできるのであれば、アーティストはやってない。と彼は答えるに違いない。そんな小沢剛は多様性のマグマをかかえる矮小かつ偉大なヴィジュアル・アーティストである。そう、日本が取り繕ってきた地のままの矮小さを、そのまま偉大であることへと変容させられる錬金術の秘密を、この人はきっと生まれながらに知っていたのだ。
日本を皮切りに、1987年から中国、タイ、チベット、パキスタン、イラン、イスラエル、ロシア、トルコ、ブルガリア、ギリシャ、バルセロナ、アメリカ、メキシコまで、約10年の歳月をかけて諸国めぐりをして、泥や紙製の『地蔵・建立 Jizoing』を果たした。この不思議な旅は、上海で買ってぼろぼろになるまで使ったノートブックを複写した本として出版した。素朴で秀逸な『地蔵・建立』の本は、私のもっともお気に入りの写真ノートである。
「横浜トリエンナーレ2001」で企画した参加型の「トンチキハウス」は、熱心な学生たちの支持を得ていた。アートをもし世界共通の地方通貨と定義するなら、イギリスのメディア研究者リチャード・バーブルックが主張するように、「贈与経済」は古代から存在し、ネットワーク社会においては加速している面もある。バーブルックが実例とする音楽のサンプリングなどとはまったくべつなかたちで、現在、コラボレーションやコミュニティなどをキーワードに、新たな「ギフト・エコノミー」の実践が現代アートの領域で広がっている。その分析や理論を詳細に記す場ではないが、小沢剛が身をもってなし遂げてきたかずかずの地味で地道な実践行為は、その先端的活動といえる。
そして、あてどもない放浪が続けば続くほど、他者を求めるサービスが重なれば重なるほど、失われた精神のユートピアへの郷愁が募る。その渇望こそがアートなのか。空洞を空洞のまま抱擁できる小沢剛には、私たちの無数の問いかけが響いている。
(岡部あおみ)