イントロダクション
初歩の幾何学「ピタゴラスの定理」で知られる古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは、数的秩序を音の協和に導入しようとした。音楽家の野村誠が大学では数学を専攻したと聞いて、謎めいたこの古代の髭の哲人を思い浮かべたのも故なきことではなさそうだ。また現代音楽の作曲家クセナキスは建築を学んで数学概念を導入した人である。
とはいえ野村の場合作曲家としての活動がすべてではない。独自の音楽理論を構築しつつ、英国やアジアで即興演奏を行い、子供、高齢者、障害者、そしてときには動物たちとともに音楽を編み出すワークショップを重ね、北斎の版画に描かれた木琴を作り、親しみやすいわりに軽視されている鍵盤ハーモニカという楽器の領域を広げようと試みる音楽の達人アーティストである。脱制度的な思考とマルチな才能をもちポリフォニックな活動を行っているために、世間的?に商標をつけがたいのが難点だと本人は感じているようだが、なんといってもそこが革新的な魅力だ。
ピタゴラス音律に始まる音楽の歴史は、藤枝守著『響きの考古学』によれば、各文化固有の世界観や思想、音の感受性や好みの関係で変化し発展してきたのだが、構造化されてゆく音律という文法自体を解体して失われた始原の音律へと回帰したり、自然の音との関係で新たな音律を発見して新楽器を創ったりしながら現代音楽へと展開してきた。それは芸術作品の価値を中心に内部構造の絶え間ない変革や回帰や発見を通して発展してきた美術史と共通した面がある。
野村誠は10年ほど前に「しょうぎ作曲」という記譜法を知らなくても、なんらかの楽器を奏でられれば誰でもが参加でき数人で一緒に作曲ができる演奏法を編み出した。こうした野村の活動は、かならずしも傑作の達成にのみ焦点を合わせるのではなく、プロとアマチュアの垣根を越えて音楽をべつの形で創造して楽しめる領域の開拓をめざしている。彼の先駆的な「開かれた音楽」への姿勢は、地域や一般の人々にアートを開いていこうとするアーティストたちの意識と共鳴し、島袋道浩や映像作家の野村幸弘との共同制作も多く、展覧会自体がそうした意図をもつ国際展へのあまたの参加依頼となっている。
2010年に北斎をテーマとする演奏会を聴きに行くことができた。当時の楽器にピアノも鍵盤ハーモニカもなかったので、野村は最後の曲目以外は演奏には参加しなかったが、木版に描かれた木琴を子供たちなどと創るワークショップから始まる作曲のプロセス全体が彼のプロジェクトだった。曲自体がユニークな上、3台のカラフルな手製木琴を含めたプロの奏者たちの演奏がすばらしく、新鮮な音色と旋律に耳が洗われるような体験をした。さらに会場での野村の話や映像、ダイナミックな木琴や毅然とした尺八の奏者たちの動作や表情などが加味されて、人間味あふれるというか、特別な時間を過ごした。
彼の創造活動は柔軟な思考による発想の斬新さと心あたたまる実験的な実践を通して、知らず知らずにさまざまな制度に縛られて生きる人々に芸術への扉を開く優れた人間教育になっている。音楽を心の支えに生きる若者が増えている今日、野村誠の活動を若者たちにさらに知ってほしいと思う。きっと新たな創作意欲が芽生え、さらなる音楽への愛が湧いてくるのではないだろうか。
(岡部あおみ)