イントロダクション
つねに意表をつく、大胆な展開をしている作家だ。だが、絵描きという名称に彼女ほどそぐわない人もいない。筆の跡を楽しめるペインタリーな絵画ではないから、というだけではない。「絵をみる行為自体の成立への問いかけ」といった本質的な現代アートの課題に、徹底して自覚的であるためだろう。その意識が、自らの営為を臨界へと研ぎ澄ましてゆく。
そうした問いを、今、不安のなかで噛みしめる画家は多い。そうした問いに、気づかぬように、いつまでも平穏を装って描き続ける絵描きはさらに多い。三輪美津子氏の絵画は、そんな平和をかき乱す。
イメージが誕生する瞬間、作家はそのスクリーンの奥に消える。三輪美津子氏は、この鉄則を頑なに守りながら、自らを消し続ける。アート以上に、作者を、名前を、幻影を探し求める現代の執拗なメディア・システムをすりぬけ、薄暗闇に姿をくらます。残されたアートは、硬質な光を放つ閉ざされた扉。
かつて、絵は世界の窓だといわれてきた。三輪氏の作品は、それにつねに「否」という言葉を投げかける。その自己規定からの出発に、毎回、まったくべつの回廊が提示される。あたかも、囚われた者が、逃亡の新たなマトリックスを編み出すかのように。
河原温や荒川修作の出身地として知られる名古屋はふたたび、独創的な作家を輩出した。雪を頂く山頂の連作、インテリアやベッド、友人エバ。確固として変転を続ける三輪美津子氏の作品ほど、いつかどこかで、その全貌に向かい合ってみたいというひそかな願望をかきたたせるものはない。
(岡部あおみ)