イントロダクション
三好耕三氏はこの数10年、旅をする中でその時そこにある被写体を、写真の持つ「美」を最大限に引き出すことで作品に昇華してきた。旅先で出会う人や光景を直感的に記録かにみえる被写体は、鋭い写真的洞察によりコントロールされた、繊細かつ重厚な、まるで陶器のような質感を得た幸福な世界の断片なのである。
みる者にそう感じさせる三好氏の作品群は、8x10インチの大判カメラを用いて撮影されてきた。しかし今、新たに16x20インチの超大判カメラを独自に作り撮影を始めた。ただでさえ大判とされる8x10インチの4倍のサイズである。
写真において選択するということは運命であると語る三好氏は、その選択性を極力排除する。例えば一連の動きを撮影する場合、何度かシャッターを切ることになり、その撮られた数枚の写真の中から選択することになるのだが、35mmはもちろんのこと、6x6でも8x10でも「撮りすぎてしまう」とのことだ。つまりネガの状態で選択するのではなく、撮影の段階での選択性を重要視する。そのために三好氏は新たなフォーマットとして16x20を選んだのである。
現在において出来る限り小さくなろうとするデジタルカメラと、それに対する三好氏の超大判カメラ。それによって何が生まれるのか。流通性や利便性などが重要視される現代の写真産業と、それらの影響ともいえる銀塩写真の市場的衰退。そんな現状を誰しもが感じている中、そこを逆行するともいえる三好氏の活動について話を聞いた。
(赤羽佑樹)