イントロダクション
強靱な批判力と卓越した構成力。笠原恵実子のクールでセンシティヴな作品の数々は、フォルムの明解さが、大理石、つけ睫毛、ステンレス、シリコンといった確信犯的な素材の選択を通して表現され、一貫した美的感覚を示唆する。だが同時に、密かに加味されたいたずらっ子の企みが、観る者をスフィンクスの謎へと誘ってゆく。
『UNTITLED -DOUBLE URINAL』(1993)は、男性用の小型の小便器の外側の底がかわいい乳首のある巨乳になっており、肌色の大理石が薄く透ける血管をも喚起する。外からの目線で乳房を対象として見るのではなく、女性である自らの胸を上からながめた視線の位置で表現され、まなざしの転換による性的シンボルの異化されたオブジェ化が、ジェンダーという制度を越えた多義性への問いかけになっている。
近作のシリーズで、笠原はキリスト教が伝わった世界のさまざまな地域をリサーチしながら『Offering』を制作している。世界経済や政治を動かすイデオロギーの基幹としてのこの宗教を、自らの発想の二元論的な原点として間近にとらえ、世界が幅広く受容してきた制度、受皿としての身体へと敷衍する。
笠原恵実子が投げかける鋭利な問いは直截的でありながら、豊かな謎に満ちている。それは、皮膚や粘膜という表層へのこだわりと同時に、他者のまなざしや身体に、否応のない内攻と侵犯を促すからだ。膣と子宮の境界にある子宮口を医療用カメラで撮った『PINK』は、あやしいまでの官能的な柔らかさに彩られている。しかし、外界から隠された秘所は、挿入の暴力とともに、不在であるはずの胎児のまなざしという幻想が生成される場でもある。
88人の化粧する女性の映像には、虚構の美を支える肉体と精神のリアルな抵抗と滑稽なまでの努力が表出される。1050色のマニキュアを、たんなるサンプルのように、名称のアルファベット順に並べた美しい爪の代替見本の作品にも、果てしなき美への欲望が等価なコレクションというフェティッシュな行為に表出されている。
離脱と陥入は、さまざまな制度を客体化するときに必要な身振りともいえ、絶えず移動と揺らぎのさなかに身を置きながら、笠原恵実子は自らを取り込む世界の内層の秘密を探求し続ける。
(岡部あおみ)
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