Cultre Power
artist ガゼル/Ghazel





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批評

 とにかくシンプルでミニマムで、そのくせ独特のリズムと温度と重力を持って いて、一度触れると忘れられない。そんな作品たちだ。現代に生きる人がそれぞ れ抱えるアイデンティティに関するコンプレックス。崩壊、喪失、混合、再生、 その繰り返しの輪廻のような螺旋の中に何を見いだすのか、何を見いだせるの か。そんな混沌とした問いが渦巻く中で、彼女の作品は淡々とした特有のリズム を刻み続ける。そしてゆっくりと効いてくる毒を持った皮肉や、乾いた笑いを染 み込ませたユーモアを背中合わせに抱き込んで転がり続ける。それは一つの答え であるようで、そうでもないようで、しかし確実にみる者に何かを投げかけてく れる。
 そういう在り方であるということも、彼女の作品の魅力の一つだと私は思う。 決して押し付けがましくないけれど、こちらが望めばいくらでも入っていけるし 応答もしてくれる。その突き放し方や間口の広さというのはまた、彼女が映像と いうメディアを好んで使い続けることとも関係があるだろう。アーティストに とってメディアの選択というのは、とてつもない武器にもなり得るし、致命傷に もなり得る。この人の場合は、その選択が少なくとも今の時点では最良のもの だったということだろう。実際、展覧会を観に行く前に課外であった彼女のレク チャーを聴きに行ったときに、本人も映像というメディアについてそのようなこ とを言っていたように思う。
 作品の中身についての話に戻ろう。彼女はイラン人の女性である。彼女自身は イランを出て世界中を巡って暮らしているのにも関わらず、作品中では黒いチャ ドルを身に纏っている。そのことが何を意味するのか、また何をも意味しないの か、考えてみないわけにはいかない。先にも触れたように、彼女の作品はアイデ ンティティの問題に深く切り込んでくる。そうしたときに、彼女自身がイランの 女性であると同時に世界市民であるということがどのように働いてくるのだろう か。展覧会の題に「ハイブリッド」という言葉があるが、これを辞書でひいてみ ると<hybridー交配種の、複数の方式を組み合わせた>とある。それは彼女自身 のアイデンティティが異種混合的であることを示し、同時に彼女の作品のアイデ ンティティも、異種混合的である、あるいはそれに肯定的であるということも示 している。そう、作品の中で黒いチャドルを着ることで逆に、イラン人であると か女性であるとか、外側からのアイデンティティへの規制や束縛といったものを 越える何かを発することに成功している気がする。もちろんそういった外的なも のをすべて無視して自己を規定するなどということは不可能だと思う。しかしガ ゼルという人の作品から発せられるメッセージは、その外的な要素を無視するの ではなくちゃんと認識しつつも、もっと大きな、そして深さのある容れ物を持っ ているという感じがする。そしてその映像をみる者は、皮肉やユーモアや毒を感 じながら、その容れ物に許容された気分になり、救われるのではないだろうか。
(須田百香)

 四月にamプロジェクトの紹介のプリントを貰った当時から、ガゼル展は映像 作品出品と記載されていたので、とても興味があった。「シークレット・ガー ルズ」でも映像作品が出品されていて人気が高かったが、絵画や彫刻を読み解 くよりも、やはり映像というものがわたしは好きで、現代の生活に一番身近に あり、わたしたちも発信することができるものだと思う。そして現れる映像が 日常に全く近いからこそ、真顔でやってのける姿に親近感が湧いたのだと思 う。
 イラン女性の作品は初めてだったので、変に構えてしまったのだが、「運転は 嫌い」や「来年はきちんとしなければ」の映像は、生活空間が日本とほとんど 変わらないように、上手く撮られているなと笑ってしまった。特に「来年はき ちんとしなければ」は、実際に寝ぼけてやってしまっていたわたしの母を思い 出して何とも嬉しい気分に浸れた。
 ガゼルの全ての作品に共通して、カメラ固定で家具や室内をうろうろ写してい ないのがとても好きだ。情報量の多い映像は、長くみていると少しずつ頭が混 乱して疲れていってしまう。ガゼルの映像は簡潔で、とても分かりやすい。目 に入るのはガセルだけーそれがより強調されていて、ストレスのない作品だと 思う。長く見ていても疲れさせない相手側の配慮を感じた。特に気になったの が、野外撮影の「愛と平和」だ。このように日本には暮らしに戦車が登場する なんてことはないが、一種日常に潜む危険の前でわれわれはあまりにも無防備 に生活している、ということなのか、兵器と共に生活することが世界の共通点 だということなのか、強い兵器にもたれている姿は武力には屈しないというこ となのか、などと非常に面白く考えさせられた。
 十月前に本校でおこなわれた講義のとき、初めて映像を見た後に提出したアン ケートにも描いたが、だいぶ前に日本人アーティストが制作した「オー!マイキ ー」という映像にどこか似ていると思った。固定されたカメラに、表情も固定 されたマネキン人形に家を与え、服を与え、会話をさせるというナンセンスな コメディ映像だが、日常の背後から迫ってくるような大きなインパクトをあた える。ガゼルよりも長めな映像で、会話が多く入ってくるが、人形がテーブル に座って、表情が笑っているままで「〜ちゃん、お行儀が悪いわ」と怒った声 がはいってくるので、そのギャップに笑ってしまう。
 ガゼルの作品にも“ギャップの差”というものがたくさん盛り込まれている。 それらは直接的なものではなく、歪曲した遠まわしなものもあれば、彼女の動 作と空間の設定で瞬時に分かってしまうものもある。“建前と現実とのギャッ プ”とも受け取れる。例えば、テロを阻止するといって軍隊を送り込めば、返 って死者や犠牲者が増えてしまった。女性平等といっても、根強いジェンダー 意識が残っているなど、現実には言っていることとやっていることがまるで矛 盾していることが多々起こりうる。傍から眺めれば実にこっけいなことだ。も しガゼルが、内にあるこのような矛盾をこうして作品に投影しているとした ら、それはとても魅力的でエネルギー溢れる活動だと思う。少なくともわたし は映像を通してそう考えた。
 最後に会場でのセットは、いつもどおりシンプルにまとめられていて、ガゼル らしい淡々とした雰囲気が出来上がっていたと思う。ただ味付けが薄いという か、あまり刺激のないセッティングだったかもしれない。均等にするばかりで はなくて、壁にも凹凸を加えた方が良いのではないかと思う。
(中牧まどか)

 映像はありのままを映すという特性をもっている。ガゼルは、それを上手く利 用した作品作りをしていると思った。
 ガゼルの作品は、映像によるインスタレーションである。イラン女性である作 者自身が、黒いチャドルを身にまとい、カメラの前で様々な行為をする。ひと つの作品にかかる時間は短く、そのほとんどが皮肉やブラックジョークを含ん でいて、コントを見ているようでもある。例えば「NEVER SLEEP ALONE」という シーンでは、銃を抱えて眠る姿が映されている。「don’t like driving」で は、車のトランクに彼女が入り、その車が通過する。そして女性らしいしぐさ とは異なる、チャドルの下から見えるがっちりとした靴やズボンなど、身にま とうものからもギャップを感じる。このように様々な要素を切り張りし、イメ ージを日常から飛躍させ、彼女独自の世界を創り上げている。
 ガゼルの作品のスタイルには、映像作品の前に間があり、その映像のタイトル になるような短いテキストが入るという特徴がある。このテキストを頼りに、 見る者は様々に想像をふくらませるが、ガゼルの突飛な発想により、それは裏 切られる。日常性や固定概念を裏切るそうしたずれを見た時に、これは単なる コントではなくなる。ガゼルは作品の中で「人」を描いている。彼女の表 現は宗教や国境を越えたものであり、イランの女性である前に、ひとりの人間 としての存在を感じさせる。人々が平等を手に入れる為には、多様なアイデン ティティを認め合うことが必要だ。その為には作られた枠組みを取り除く必要 がある。固定概念を打ち破る彼女の表現方法は、彼女の望む「世界市民」への 道の出発点であるのかも知れない。
 作品の見せ方も興味深い。展覧会場には三つの画面が並んでいて、三つでひと つのセットとして表現をしている。これは通常の映像の鑑賞(見る対象はひと つであること)とは異なるスタイルだ。そこに映し出されるものは統一されて いないので、三種の情報を同時に受けることになる。見る者は、ひとつの画面 を見るべきか、すべてを見るべきか、見方に迷いながらも選択することが出来 る。またそれぞれの作品の長さが異なる為、ある作品が他のふたつの作品と同 時に流れる時に居合わせることは、ほとんどないだろう。同じ状況は二度とな い、作品と見る者の、一回性の関係を強く感じさせる。
 映像はビジュアル、音、時間を含む素材である。誰が撮影しても、目の前にあ ることを記録することに長けた映像は、それが現実にあったことであると思い 込ませる力があると思う。その為、そこで起こった出来事をリアルに伝えるこ とが出来る。ガゼルの表現は、伝えたいことをそのまま出すのではなく、見る 者に考えさせることで伝えようとしていると思う。日常に、そこにないはずの 異質を取り入れる表現は、ありのままの事柄から外れるようにも見えるが、そ れが良い刺激になり、もう一度日常を考え直すきっかけを与えてくれるのでは ないだろうか。それはやはりありのままのことを表現していることにもなると 思う。彼女のハイブリットな表現と、映像という素材はとても良く合っている と思った。
(松尾和登)  

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